第6話 元領地の窮状を知り、病気の少女の命を助ける

 二日後の早朝、俺とシュリは大量の素材を革袋に詰めて、人狼族の村を出た。


 本当は薬を村で作り切ってから村を出たかったのだが、村に瓶や壺のたぐいがなかったため、仕方なく素材の状態で持ち運ぶことになった。

 たまに襲ってくる魔物を三日月斧バルディッシュで蹴散らしながら、シュリはなぜか楽しそうに笑顔を浮かべていた。


 人間の街に普段着――胸と腰に毛皮を巻いただけの露出狂のような格好――で行くのは目立つため、シュリは頭から足元まで覆えるような毛皮をかぶっている。

 まぁこの格好でも十分目立つので、大きな街に入る前に、小さな村で服を調達する必要があるだろう。俺も、灰色の囚人服で街中をうろつくわけにもいかんしな。


 俺が物思いにふけっていると、シュリが歩きながら体を寄せてきた。


「ねえ、ナザロ。これってデートに入るのかな?」

「……さぁな」


 内心では「入るわけねえだろ」と思っていたが、それは言わないでおく。

 なんと言っても、俺たちがこれから街で行うのは重犯罪――違法薬物の売買だ。デートなんてご機嫌なものであるはずがない。

 そのあたりの話にはシュリも伝えているはずなのだが、なぜかこいつは浮かれた調子でいやがる。


 まぁせっかく違法行為に協力してくれてるわけだし、わざわざ水を差してテンションを下げるつもりもないが。


 ものの一時間ほどで森を抜けると、森の向こうは草原につながるなだらかな丘になっていた。

 遠くには高い壁に囲まれた、アーガイル領最大の城郭じょうかく都市セルロアが見え、その周囲には点々と小さな村や街が続いている。

 最終目的地はセルロアだが、俺の囚人服と両手の烙印らくいん、そしてシュリの格好をどうにしかしないと、セルロアの城壁の検問を越えるのは不可能だ。

 まずは近隣の村で、着替えとセルロアへの潜入方法を確保する必要がある。


「とりあえず、近くの村まで行くか」

「う、うん……」


 シュリの反応がにぶいのでそちらに視線をやると、なにやら怖気おじけづいたように肩を震わせていた。


「どうした、シュリ」

「そ、その……人間の村に行くのって初めてだから、ちょっと怖くて……」


 ……人狼族を迫害してきた連中の村に行くのだから、人狼族最強の戦士であるシュリがビビるのも仕方ないか。

 シュリですらここまで怯えているのを見ると、他の人狼族が人間の村に付き合いたがらないのも納得だった。


 とはいえ、こんなにビビっていては村や街に入った途端に周りに怪しまれてしまう。

 俺はシュリが頭からかぶった毛皮の中に手を突っ込むと、わしゃわしゃと髪の毛をかき混ぜた。


「ちょっ、ナザロ! なにするの!?」

「情けない顔すんな。お前、人狼族最強の戦士だろうが」

「うぅ……それはそうだけど」

「安心しろ。こっちには俺がついてる。俺がそこらのやつに遅れを取ると思うか?」

「……確かに」


 俺が自信満々に言うと、シュリは納得したように緊張を解いた。

 まぁ俺の本来の戦闘能力なんて、冒険者たちと比べたらカスみたいなもんだが……ドーピングすりゃ相当戦えるのも嘘じゃないし、そのへんは黙っておく。

 シュリの不安もすっかり消えたようなので、俺たちは村へ向かって丘を下り始めた。


 幸いにも冒険者たちとすれ違うこともなく、数十分ほど歩いて村にたどり着いた。


 ほんの数日前までナザロの領地だった村だが――その変貌へんぼうぶりは、俺の想像を超えていた。

 日中だというのに外に出てくる村人は一人もおらず、活気などというものは毛ほども感じられない。

 本来なら外に干されているべき洗濯物の類などもなく、ゴーストタウンのような静けさに包まれている。


 ……ここまでひどかったっけ、俺の領地。

 数日前まで領主をやってた身としては、この惨状を見るとさすがに罪悪感を覚える。

 しかし、数ヶ月前に巡察した時とはあまりにも様変わりしてしまったな。これも流行り病が原因なのだろうか。


 俺が黙考していると、しきりに空気の匂いをいでいたシュリが口を開いた。


「村全体から、人間の匂いが消えかかってる……たぶん、あの家をのぞいて人は住んでないみたい」


 言って、シュリは奥のほうの一軒家を指差した。


 村人が消えた……? 魔物か流行り病から逃れるために、別の街かセルロアに移動したということだろうか。

 だとしたら、一軒だけに人を残していくのはなぜだろう。

 その家の住人だけが流行り病にかかったとかなら、その家の住人だけを放り出すか焼き払うのが人間ってもんだと思うが……


「……考えてもわからんか。とりあえず、あの家に行くぞ」

「りょ、りょーかいっ」


 俺が歩き出すと、シュリはやや緊張した様子で俺のあとをついてきた。

 例の家の中からは確かに人の気配がするが、ノックをしても返事はない。


「おい、中にいるのはわかってるんだ。返事をしろ」


 俺が横柄おうへいに呼びかけると、中からのろのろと人が歩く音がした。

 ドアが開いて中から出てきたのは、目を泣きらした女だった。


 年の頃は二十代後半くらいか。黒髪を背中まで伸ばし、シャツとロングスカートというありふれた平民の服装をしている。

 本来はなかなかの美人なのだろうが、疲労と泣き顔のせいで台無しになっている。

 彼女は俺の顔を見ると、その場にへたり込んで両手で顔を覆った。


「うぅ……やはり、先ほどの声はナザロ様だったんですね……っ」


 ――げっ。早速身バレしてんじゃねえか。

 こいつを消して口封じするべきかと一瞬考えたが、女が足元にすがりついてきて思考を中断された。


「お願いします、ナザロ様! どうか娘を……ノーラを助けてくださいっ!」

「は? なんで俺が」

「娘は流行り病にかかって、もうすぐ一週間になるんです! 食事もまともに喉を通らなくて、このままだとノーラが死んでしまいます……っ!」


 …………ちっ、話を聞かないやつだな。これだから人間ってやつは。

 まぁどのみち、この女を黙らせるには中に入ったほうが好都合なのは間違いない。

 俺はその場にしゃがみ込むと、女の肩を叩いた。


「わかった。とりあえず容態ようだいを見るから、家の中に入れろ」

「は、はいっ!」


 女は救いの神でも見たように俺を見上げてから、俺の脚から手を離し、俺たちを家の中に招き入れる。

 居間を抜けて寝室にあるベッドのそばにひざまずくと、女はベッドの上に眠っている少女の手をそっと握った。

 少女――ノーラの顔はほとんど生気が消えかけており、今夜回復しなければ明日には息絶えるのが容易に見て取れた。

 年は九歳くらいだろうか。母親と同じ黒髪で、成長すれば母親によく似た美人に育つだろうことはなんとなく想像がつく。

 母親の見立て通り、ノーラは流行り病にかかってしまったのだろう。


 人間を過剰に恐れていたシュリでさえも、ベッドの上で苦しむ少女を見て悲しげに表情をくもらせていた。


「こんなに小さいのにすごく苦しんでる……かわいそうだよ、ナザロ」

「おいお前、なに人間に同情なんかしてやがる。俺たちの目的を忘れたのか?」

「だって、こんな小さい子の命を見殺しにするなんて、あたしにはできないよ……」

「流行り病ってのは、弱いやつの命から奪っていくもんなんだよ」

「そんな……どうしてこんなひどいことに……」


 俺は反射的に、俺を重犯罪者として追放した男――ユキヤの顔を思い浮かべた。

 もともと、ナザロはこんな小さな子どもが流行り病で命を落とさないように、違法であっても流行り病を治すための薬を研究して市場に流したのだ。

 だというのに、あのユキヤとかいう大バカ野郎は杓子しゃくし定規じょうぎに法律を守ったあげく、こうして今小さな命を奪い取ろうとしている。


 あいつの顔を思い出すだけで胸くそ悪いが――ここでこの少女を見捨てたら、更に胸くそが悪くなる。

 そもそも――俺の中のナザロの部分が、子どもの命を見捨てることをよしとしなかった。


 ……まぁ俺も前世じゃ、毒親のせいでガキの頃からさんざんな目にあってきたしな。

 やくざ者になるとしても、かつての自分のような『抵抗できない人間』をいたぶるほど、落ちぶれたくはなかった。


 俺は盛大に嘆息をもらしてから、少女のすぐそばに近づいた。

 革袋から素材を選定し、流行り病の薬の材料を揃えると、俺は手のひらで素材を押しつぶして薬を『調合』した。

 出来上がった薬の半分をノーラに飲ませてから、俺は残りを母親に突き出した。


「お前も飲め。ずっとガキの看病をしてたんなら、お前にも伝染うつってる可能性がある」

「で、でも、私より娘に……」

「ガキは体が小さいから、半分で十分じゅうぶん効くんだよ。それより、俺たちに移さねえようにお前も飲め」

「わ、わかりました」


 俺が強引に押し切ると、ようやく女は薬を口に含んだ。

 今日一日を耐えきれればノーラは一命を取り留めるだろうが、今のノーラでは今夜を乗り切れる体力もあるまい。

 念のため、俺はHPを自動回復する薬もノーラに飲ませ、ノーラが徐々に生気を取り戻していくのを確認したあと、ようやくベッドのそばから離れた。


 居間のテーブルにつくと、女はテーブルに頭を打ち付けそうなほど頭を下げてきた。


「ナザロ様、娘を助けてくださって本当にありがとうございます! 治療費の代わりに、支払えるものはなんでも差し上げます!」

「当然だ。今の俺は領主でもなけりゃ、慈善家でもねえんだからな。えーっと……」

「マリソル。私はマリソルといいます、ナザロ様」

「ならマリソル、まずこの村のことを教えろ。いつの間にここはこんなゴーストタウンになったんだ?」


 俺が問うと、明るさを取り戻しかけたマリソルの顔が再び影が差した。


「実は……つい先日、ナザロ様の後任の領主様、ナイジェル様が税金の未払い分を強制徴収ちょうしゅうすると言って、兵を率いて現れたんです」

「ナイジェルのバカが新領主?」


 ナイジェル・アーガイルはナザロの父親の弟で、ろくに仕事もせずに、奴隷を買い漁っては性奴隷にして享楽きょうらくにふけっていたクズ野郎だ。

 まさか、あんなやつに領主を任せるとは……マジでこの国は腐り始めてるな。


「この村に子どもはノーラしかいないので、村のみんながノーラが助かるようにって私たちの税金を立て替えてくれて、そのせいで村のみんなはナイジェル様に奴隷として連れて行かれてしまったんです」

「税金の未払い分って……流行り病で支払いが遅延してた分を、俺が領主の時に免除してたやつか」


 当たり前だが、まともに働ける健康状態じゃない人間から税金を取るなんて、そもそもできるわけがない。

 遅延してた分は数年にわたって分割で徴収していく予定だったのだが、ナイジェルのバカは村人を奴隷にすることで一括徴収したってわけか。


 …………こりゃ、セルロアの街もだいぶ荒れてそうだな。

 たった数日でここまで領地を悪化させるとは、逆に大した才能だ。

 俺は盛大にため息をもらしてから、マリソルに言った。


「とりあえず俺達の着替えを見つくろってくれ。それから……明日の朝、お前の娘の体調が回復したら、この村を出てセルロアに向かう。当然だが、お前らにも協力してもらうぞ」

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悪役転生して人生詰んだので、魔薬王になります 森野一葉 @bookmountain

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