数奇世界
@Pasifico
第1話 数奇世界
この世は、理不尽だ。生まれ落ちた瞬間、どれだけのことがその場で決まってしまうのだろう。財力、権力、そして才能。
もちろん、それらがなくても成功する者もいる。しかし、それはほんの一握りである。大多数は落ちぶれ、世界を、運命をただ憎むだけで行動を起こしはしない。
柳シンヤもそんな大多数の一人だった。
テレビでは、近くの銀行で起きた強盗事件の続報をやっている。いつの間にか寝落ちしていたのか。「勉強したくねー」そう言って寝返りを打つと、そこにベッドはなく床に落ちてろっ骨を強打した。クソッ、最悪だ。わき腹をさすりながら立ち上がる。二か月家賃を滞納してるアパートの部屋の中にはごみが散乱し、数学オリンピックで取ったトロフィーも一昨日食べたポテトチップスの袋の下に無造作に放置されている。シンヤはそのトロフィーを拾い上げ、悲しく眺めた。あの頃の俺が今の自分を見たらどう思うだろう。難関大学への受験を失敗し、二回浪人して家を追い出された俺。酔っぱらって海外のサッカー中継に野次を飛ばし、バイトの給料も予備校代へと消えていく。言いたくはないが、最底辺レベルの生活だ。錆びついた才能を捨てられずにもがき続けている。
スマホに一件の通知が入っていた。見てみると、親からメールが来ている。
『シンヤへ、父さんの友達の工場が、シンヤを雇ってもいいと言っているわ。数学者になるって夢ももちろん立派だわ、でも、数学は趣味でもできるでしょ?今回は私たちのためだと思って一回面接を受けてみてくれない?お願い。』
目覚めからきつい一撃だった。気が付いたら、涙がとめどなく溢れてくる。俺の人生、どこで間違えたんだろう、いったいどこで。
ピンポーン、玄関からインターホンの音が聞こえてきた。涙をぬぐって扉を開けると、小包みが一つ置いてあった。怪しいと思いながらも、部屋の中に持ち込み、包みを開ける。そこには手紙が一つと、VRのヘッドセットのようなゴーグルと、プラスチック製の厚みがあるチョーカーが置いてあった。全く頼んだ覚えがないが、酔ったときに勢いでポチッてしまったのかもしれない。シンヤはネットで履歴を調べたが、こんな高そうなヘッドセットを買ってはいなかった。
当然、次に調べるべきは手紙だった。しっかりとした便せんに入れられたそれは説明書には見えない。それを裏返した時、シンヤは一瞬時間が止まったかと感じるほどの、衝撃を受けた。
そこに書かれていた名前は柳シュウマ。ハーバード大学へと留学したはずのシンヤの兄であった。
「シュウマ……。」
シンヤはシュウマに対して全くいい感情を持っていなかった。シュウマは弟に対して何の関心も持っていないように見えた。シュウマにシンヤは何一つ敵わず、数学オリンピックでさえも、日本代表チームのリーダーはシュウマであった。シンヤが大学受験に失敗した時、彼は電話越しに母さんに迷惑をかけるなよ、としか言わなかった。二年前のその電話から連絡は全く取っていなかったはずなのに、今更なんで手紙なんか、しかも奇妙なVRと一緒に送りつけるなんて。
シンヤは便せんを乱暴に破り、手紙を見た。
──シンヤ、突然悪いが、助けてくれ。VRを着けてパスワードを発声するんだ。パスワードは、2687だ。シュウマより──
意味が分からなかったが、シンヤの口角が吊り上がった。あの兄が、俺の自尊心を幾度となく傷つけ、寄り添ってほしい時に突き放した兄が、今、何故かは知らないが俺に助けを求めている。いい気味だ。VRが入った段ボールごと蹴り飛ばし、歓喜のままベッドにダイブした。
「ヒャッホー!ざまあみろクソ兄貴!」
ベッドに立ち上がってそう言っていると、右隣の部屋から壁に蹴りを入れられた。蹴りのせいで昂っていた感情は一気に落ち込み、身内の不幸を馬鹿にして喜ぶ救えない人間という現実だけが部屋の中に残ってしまった。
「クソッ…」
さっき蹴とばした段ボール箱にまた目線が移った。何かに憑りつかれたようにその中からVRゴーグルと、それにケーブルで接続されたチョーカーを着けてみる。着けてみたはいいものの、電源ボタンのようなものはなく、視界は真っ暗なままだ。
「馬鹿馬鹿しい、なんにも使えないゴミを送りつけやがって。」
そこで、シンヤは手紙に書いてあったことを思いだした。パスワードを入力ではなく発声、
つまり喋れと言うことなんじゃないか。でもそんなハイテク技術を使っているVRゴーグルなんて聞いたことがない……
2687。パスワードになった数字に隠された意味を、シンヤは気づいた。その数字が、数学オリンピックでシンヤが唯一解くことが出来た問題の答えだということを。兄は自分に興味がないわけではなかったということに。
「2687」
涙を流しながらシンヤが言い終わった瞬間、プシュッという音ともに首のチョーカーから何かの薬液が注入され、シンヤは意識を失った。
────────────────────────────────────────
シンヤが眠りから覚めると、そこは特に変わりのない自室のように見えた。しかし、いくつかの違和感がシンヤには感じられた。まずは、チョーカーとゴーグルを着けていないこと、次に、テーブルの上に置かれている謎の本。ぱっと見は何かの取扱説明書のように見える。最後に、音だった。隣の工事現場からの騒音も、人の喋り声も、全く聞こえてこない。町はいまや息をしていないように思えた。
とにかく何かの情報が載っていそうなテーブル上の本に手を伸ばす。
「柳シンヤ様宛、数奇世界完全解説ブック」
本の表紙にはそう書いてあり、俺が数奇世界と書かれた黒板の前に立っている写真が載っていた。一枚めくると、一つの文章が載っていた。
己が人生に絶望し、運命を憎み、他の者の才を妬むものよ
そなたらに一つの才を与える
己が才で道を切り開き、勝利の運命を引き寄せろ
さらに一枚めくると、詳細、とまでは言い難いがこの世界の大雑把な解説が載っていた。それによると、この世界は仮想世界で、プレイヤーの推薦によりこの「数奇世界」に呼ばれたものは、一つだけ超能力のような〈才〉を与えられるらしい。プレイヤーの推薦と言うものは、シュウマが俺の部屋にVRゴーグルを送りつけたことだろうか。
それにしても訳が分からない。この仮想世界は明らかに人類の技術力を超えている。この部屋にだって数百個以上のセンサーがこれだけの精度での再現には必要なはずだ。それが俺の部屋から見える範囲全体、少なく見積もってもセンサーが数兆個が必要だ。ぺらぺらとめくっていると、「ルール」と書かれているページを見つけた。
「ルール」
・数奇世界では自分たちと同じ〈才〉を与えられた者たちと戦ってもらいます。
・数奇世界内で死亡した場合、二度とこの数奇世界に戻ることはできません。
・〈才〉を与えられた者を倒し、この世界の謎を解きましょう。
・数奇世界を〈クリア〉した場合、この世界で死亡した人数×一億米ドルがクリア者に与えられます。 現在 五十二億ドル
ヒント 自分に与えられた〈才〉と携帯端末を上手く使いこなそう!
外を見てもやはり人は歩いていない。何かヤバいことに巻き込まれたのは分かるが、どれくらいヤバいのかすらも推し量れない。シュウマはここのどこにいるんだ。それと携帯端末ってなんだ?
スマホを開いてみると、ホーム画面から謎の画面に代わっていた。真っ黒い画面にアプリが四つ、戦績、アイテム、チャット、帰還。とりあえず戦績を押してみる。俺のデフォルメされた3Dモデルと共に「所持フィールド一グリッド、殺害数ゼロ人、殺害アシストゼロ人」とゲームのような画面が現れた。所持フィールドってなんだ?様々な疑問が新たに出て来たが、携帯端末というのは自分のスマホで間違いないらしい。
次に知るべきなのは自分の〈才〉って奴だな。説明書をめくっていると、書いてあるページを見つけた。
柳シンヤの才
「一次関数」
それ以外に書いてある言葉はなく、詳細は分からなかった。このゲーム内で自分の命を託す才能、それがこれだって⁉もっとこう瞬間移動とか、念動力とか、強そうなものをもらえたっていいじゃないか。
理不尽。仮想世界でもそのことは同じらしかった。この世で万人に平等に渡されているもの、それは不平等だ。
ピンポーンと、玄関からインターホンの音が聞こえた。
「はーい」と返事をしてから、自分の犯したミスに気づいた。あのかなり雑なルールによれば、この世界にいる人間は互いに殺し合うらしい。この世界で死亡した人間が多ければ多いほど、賞金が増えるとも書いてあった。。何から何まで戦闘に誘導するシステムになっているじゃないか!
派手な金属音が玄関から聞こえきて見てみると、ドアがゆっくりとこちら側に倒れて、その奥から青いペイズリー柄のバンダナで口を隠したアメフト選手のような大男が立っている。
大男がこちらに向けて一歩足を踏み込む。男の履いているサバイブルブーツが倒れたドアの上で小気味良い音を立てる。
この状況はまずい。かなりまずい。
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