第4話

翌朝。一晩普通に寝たためか、現状をある程度受け入れることができるようになっていた。


感染してしまったものは仕方ない。すぐ死ぬわけじゃないし、平均寿命も健常者とあんまり変わらないらしいじゃないか。さっさと宣告を受けて、ちゃっちゃと薬もらって、日常に帰ろう。そうしよう。


みぞおちの重みが時々復活するのは少々困りものだが、メンタル自体はおおむね平常に戻ったのではないだろうか。


当然、神への祈りは欠かさない。加えて、昨夜の祈りで「聖書を読破する」と誓ってしまったので、それを実行すべく通勤バッグに聖書を入れることにした。


通勤時、今までは資格の参考書やWeb小説を読んでいた。最近は某マッポー的アトモスフィア漂う小説を専用アプリで読むのが趣味だったのだが、もはやそんなものを読んでいられる状況ではなくなってしまった。


とはいえ、嫌々読んでいるわけではない。読んでみると聖書も意外と面白い。こんなことを学生時代の俺に言ったら、キチガイかカルトを見る目で見られるだろうけれど。


当時の価値観だったり、俺がきちんと読めていなかったりするのだろうが、そうはならんやろと言いたくなる展開も多くて楽しい。ただ、解釈に困る部分もあるので副読本のようなものが必要かもしれない。


……などと余裕ぶっていても、出社してみるとやはりボロが出るもので。


気がつくと、健康保険組合のウェブサイトで再び高額療養費制度について調べていた。ちなみに、俺が加入している組合の場合、どうやら申請しなくても自動適用されるらしい。


さらに、仕事を行う能力自体が落ちていた。全てがワンテンポ遅れるというか、(俺はHIV感染者だがこの問合せの回答に必要な資料は……)という感じで思考に余計な枕詞がつくような、とにかく脳の一部が占拠されている。こんなことは初めてだ。


食欲もあんまりないし、散々な一日だった。


だが気分自体は本当に悪くない。なぜなのか帰り道に自己分析してみたところ、無意識に頭の中で「明日の検査結果が陰性だった時の妄想」をリピートしていることに気づいた。医師に陰性と言われたときの言動を繰り返し予行演習することで、現実を見ないようにしていたのだ。


「お前は自分が1%を引き当てられる人間だと思ってんの?」と自問すると、気分が少し落ち込んだ。もちろん俺はそんな人間ではないが、妄想は止まらない。今の俺は、神ではなく数字に縋っていた。


結局、みぞおちの重みはずっと居座っている。何かして気を紛らわそうとしても、一瞬でも空白があると(でも俺HIV陽性だしなあ)という思考がチラつく。一事が万事こんな感じである。エイズの前に鬱になりそうだ。


なので聖書を読み、神に祈るわけである。これは変な思考に対抗できる、数少ない作業だった。今この瞬間、俺を救っているのはカウンセラーではなく神だった。


HIV感染者のためのメンタルケア的なものがあれば良かったのだが、結局見つけることができなかった。他の人はどうしているのだろうか。


この日も無事、眠ることができた。明日はいよいよ審判の日だ。

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