第22話 回想2008年 1R
本社付け「資材管理チーム」は、チェーン25軒をランダムに回って、主に「モノ」の管理に無駄がないかをチェックしつつ、そのついでに「人、カネ」の部分の「セキュリティー」もチェックしてくれ、時間を無駄なく最大限に使ってくれ、っていうような趣旨でスタートし、メンバーは13名。まあ自分と同年代が主体で、どこからどうみたって「現場から追われた」集団なのであるが、むろん表向きには誰もそんなことは言わない。
驚いたことに鴨宮の山田はまだ同じ場所で店長をはっており、こちら側には来なかった。しかも逆に「部下」の副店長ほか数名の社員が解雇されていた。何かあったということだが、いずれ鴨宮巡回の日もくるだろうし、その時に山田が出勤しているとは限らないが、もしいるのであれば、「業務」の流れとして会話をし何が起きたのか聞いてみようとは思う。この前までの「わだかまり」はあるにせよ、今までの経験上、現状の立場を明確にしたうえで会えば会話は成り立つだろう。
さて、資材管理チーム13名の大半、免許持ち、車持ち、であって、車はおろか免許もなし、というのは自分とあともう1名、倉橋というこれまであまり面識のない、高卒で社歴12年、副店長まで昇進したが、重度の内臓疾患で長期休養していた男性社員で、自分より一回り下の世代であり、性格的にさわやかな青年という印象。
倉橋の免許なしがどういう経緯かは知らないが、自分の場合は単純明快に「酒」をとった、のと、幼児、児童の頃「自分が車にはねられた(ごく軽傷)」のと「登校班の班長さんが目の前ではねられるのを見た(入院レベルの軽傷)」のがあって「車嫌い」でもあった。
「資材管理」のチームなので車持ちが実際に「物流」を担うって局面が予想外に多く、その流れで、車持たない自分と倉橋がコンビのような感じで、「人、カネ」のセキュリティーを中心に見回る、という、「常在監査チーム」みたいなものになっていた。
自分も腰痛持ちだったし、物の持ち運びを四六時中やらされるよりはそちらの方が助かる、ということで、「弱い」感じの男2名が、あちらこちらで、おずおずと人の粗探しをする、という、はたでみてると滑稽な光景が展開されることに。
おずおず、とならざるを得ない、のはそりゃもう「常在監査チーム」みたいなものを好む現場の者がはたしているのか?って話で、自分も逆の立場だったら、くそ忙しいところにまた来やがった!というふうに思うであろうことは間違いない。
しかし、行った先の調査内容については、現場でその日に居合わせた責任者、または責任者に準ずる者と、膝詰めで、書き上げたホヤホヤの報告書を互いに見ながら、あれこれ善後策を検討し、その会合終了後即刻報告書ファイルデータをパチンコ事業部長に送信する、というのを抜かりなくやり終えることが義務付けられていたので、「手抜き」をする余地というものが全くない。
「今日はOO店にいきました。OO店長をはじめ、スタッフの皆さん全員笑顔で頑張っていました。お店も隅から隅までとてもきれいでした。以上報告おわります」といったようなものは「報告書」として認められないのは間違いないので、倉橋と二人がかりで、エクセルファイルのマス目を埋めるのに血眼にならざるを得ず、ということはつまり、問題ないようなことでもさも問題であるかのごとくに物事取り扱う方向にどうしたって傾きがちになるのであり、そりゃどうあがいたって誰からも歓迎されようもない。
それと、一枚の報告書を二人がかりで書き上げるというのも、それはそれで非常に手間がかかることなのであり、これについて倉橋本人ともきっちり話をつめて、
チーム行動でなく単独行動で巡回した方が「現状把握」のペース2倍になりまっせー、とかなんとか、いえいえいえ決してやる気がないとかそういうことではございませんし、我々2名犬猿の仲というわけでもないのでして、とかなんとか、ああいえばこういう式で、上申したら、ま、たしかにそれもそうだな、ってことで部署創設1か月半後には、我々「常在監査」の者2名、晴れて各々、単独であちこち回ることとなった。
ああいう形式の報告書フォーマットなんですから、単独行動だからって、サボりようがありませんぜ旦那、って理屈が通ったということである。
ま、このへんのドタバタぶりも急造の島流し部署だからであろう。形として定まっていない面がいくらでもあった、ということだ。
さて急造部署でドタバタしている間に、先の長老との対話のなかで挙がった「貸金業法改正」の悪影響がついに、というか、やはり、というか、自社25店舗のなかでとりわけ苦戦していた中野坂上店が盆明けに閉店するという知らせが入ってきた。
ああ、ついにくるものがきたか、と。1989年「幾千万」入社時10店舗だったものが倍以上に増えて、「秀光」に社名変わって、優秀な新卒者もどんどん入ってきて、というあの活況が、こうもあっさり低迷へ向かうとはまったく予想だにしないことである。自分が直近関わった西川口、その他数件、行く末案じられる場所があちこち頭のなかで浮かぶ。顔なじみの社員、バイトのあの顔この顔が浮かんでは消え浮かんでは消え、と暗澹とする一方で、なにしろこの会社での、ひいては業界での老い先短い自覚もいやというほどあるので、いけいけいけーみんなで滅んでしまえーっていう無責任な第三者感覚も当然あった。どうせおれもう死ぬんだし、みたいなやつ。それこそ常日頃のプライベート感覚「海とジャグラーだけにして入れ替えとか年1回くらいにしておきゃみんなしあわせだったのに馬鹿だなあアホだなあ」というような幼稚園児か!っていうような自由な妄想に浸ったりとか。
ま、でもエヴァなんかはあれだよな、パチンコ、パチスロなければあんなにたくさん映画作られることもなかっただろうし、海とジャグラーだけ、ってわけにはいかんか、ははは。みたいな。
思い起こせばあの伝説の演劇人にして伝説のパワハラ店長宮内にしたって、「実家がパチ屋」っていう後ろ盾あったからこその破天荒な生き様だったのではないか?
文化と創造、育みまくりだよなあ。パチンコ。そんなもん文化とは言わせない!と、お嘆きの有識者の皆様もいらっしゃることと思うが、かつて「CR名画(平和)」なんていうのもありましたからね。この名画は絵画の名画っす。映画じゃなくて。
全15ラウンドの作者だけ並べると1・東洲斎写楽2・ミレー3・ボッティチェリ4・ムンク5・ルノワール6・葛飾北斎7・レオナルド・ダ・ヴィンチ8・ゴッホ9・ピカソ10・ゴーギャン11・ゴヤ12・ゴッホ13・マネ14・葛飾北斎15・作者不詳で、
北斎2つの内訳、6は「凱風快晴(赤富士)」14は「神奈川沖浪裏」、ゴッホ2つの内訳、8は「自画像」12は「ひまわり」、15の作者不詳はこれだけ絵画ではなく彫刻で「ミロのヴィーナス」、とまあこういうラインナップなのであった。
これだと「対象コンテンツ内容を深く把握せよ」ってなった場合に放送大学の青山昌文の講義だけでは写楽、北斎は学べないし、なかなかに大変なことになりそう。
とぐだぐだ書き終わったところで、べつに「パチンコ」が「名画」を育んではいないよな、と、気づく。
さて、そもそも業界内部にいるので当然「アンチ」パチンコであるはずもなく、パチンコに作品を、版権を、あるいは魂を、売るのか売らないのか問題についてはどっちでもいいわそんなもん、とずっと受け流してたんけど、正直『未来少年コナン』はびっくりしたわ。え?みたいな。ま、ヒットしてないし設置台数増えてないが。
いくら中の人でもコナンはないだろコナンは、って思ったなあ、初出荷時は。
むろん会社のなかでも店でも口に出してそのようなことは言わないわけだが。
「常在監査」の単独行動が始まって1か月ほど経った、年度明け4月初旬に、遂にあの山田のいる鴨宮巡回の機会がきた。やはり遠隔地にはそうそう行く機会はない。交通費も都度精算となると経費もバカにならない面あるし。
疲れを考慮しJRの「グリーン料金」は自腹で出して東海道線で鴨宮に向かい、
11時台には到着。山田は「公休」で不在であった。「監査」であるがゆえにこちらの動向はどこに行くときも事前に知らせることは一切ないので、それはそれで「たまたま」なのであろうし、特に残念とも思わず、まあむしろ逆にホッとしたくらいであった。
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