多種多様な人間の生活模様を書き記す。
Lie街
第1話 最初で最後の初恋
中学生の時だった。彼女の名前が山崎心音と知ったのは、ノートにそう書いてあったからだ。いかにも快活そうな山崎の文字は、平面に書いてあるはずなのに妙な奥行きがあった。その文字からも分るとおり、山崎は活発で休み時間になればクラスからクラスへと気ままな旅をするかのように渡り歩いては笑っていた。そして、予鈴が鳴ると一番端の教室から反対側の教室まで走っては、担任の田口に叱られていた。陸上で肌を焼いている山崎に、田口はいつも追いつけなかった。
また、山崎はその様子に似合わず勉強がよく出来た。テストが返却されるたび、ファイルにもしまわず直接机に放り込むので、答案がいつもはみ出していたのだが、基本は90点以上で80点以下の答案を見たことがなかった。
山崎の親を初めて見たのは三者面談の日だった。私が親と一緒に教室の前に行くと、四っつ並んだ椅子の奥側のふたつに、山崎とその母親が座っていた。山崎の横に並ぶと山崎の母の肌は、とても白く見えた。その白さは不健康にみえるほどだった。背中も丸めていて、しきりに髪の毛を手櫛でほどいていた。
「お!渚沢!」
山崎は私の名前を呼んで左手をあげた。急に名前を呼ばれて、私の心臓は強く鼓動を打った。軽く会釈をし、冷静な風を装いながら隣の席に座った。存外、椅子の距離が近く、肩と肩が触れてしまいそうで気が気でなかった。彼女が私にしきりに何か話しかけていたが、話に集中出来なかった。
「心音」
隙間風のような声が聞こえたかと思うと、山崎はブレーキをひいたかのように黙った。それから、すまんねと言って自分の番が来るまで何も話すことはなかった。気候のせいなのか、それとも山崎のせいなのか、私は背中に汗をかいていた。
ある朝、妙に廊下がざわめいていた。その原因が、なんとなく山崎にあるのは分ったが、詳細な理由までは分らなかった。涙を流している人も少なくはなかった。私はその騒ぎの方へ向かい、取り巻きの一人に何事かと聞いた。
「ここねちゃん、明日転校しちゃうんだって」
呆然とした。あとから、余震のように胸がざわめいて締め付けられた。この時、初めて自分が山崎の事をどう思っているのか気がついた。でも、初めて自分の恋心に気づいた人間がその思いに従って、行動を起こすことなど不可能であった。それも、中学生の多感な時期に何の葛藤もなく、自分の思いのままに選択することなど。
山崎心音は予定通り転校した。後から聞いた話によると、母が精神病で入院することになったから、親戚の家へ引っ越したらしい。あの母親さえ治ればまた帰ってくるのではないかと淡い期待を抱いたが、山崎が不在のまま卒業した。
10年後の同窓会にも彼女の姿はなかった。
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