家族を想う心と、不安の狭間で

星咲 紗和(ほしざき さわ)

本編

家族がいることはありがたいことだと、頭では理解している。しかし、その思いと現実の生活は必ずしも一致しない。特に、親の老いが見え始めたとき、家族の存在は「安心」だけではなく、「不安」や「ストレス」をもたらすことがある。


最近、父の車の運転技術が目に見えて落ちてきた。運転中に縁石にぶつけたとか、車庫入れがうまくいかなかったとか、そういった話を耳にするたび、心臓がぎゅっと縮むような感覚に襲われる。小さなミスならまだしも、大きな事故につながるのではないかという不安が、頭を離れない。運転をやめてもらった方がいいのではないかと考えるが、それを口にする勇気が出ない。父にとって車は、移動手段だけでなく、自由や自立の象徴なのだろう。その自由を奪うことが、父の心にどれほどの影響を与えるかを思うと、簡単には言い出せない。


一方で、母の「お金がない」という口癖にも、心が揺れる。家計の詳細までは知らないが、その言葉が放つ切迫感に、ついこちらの不安が引き寄せられる。「大丈夫?」と尋ねても、母は「何とかなる」と笑って流す。けれど、その笑顔の裏にはどんな思いが隠されているのか、考えるだけで胸が重くなる。両親が老いていく現実と、経済的な不安が重なると、これからの生活はどうなるのだろうという問いが頭から離れない。


これらの問題が積み重なると、どうしても心が疲れてくる。耳を塞ぎたくなることもあるし、ひとりになりたいと強く思う瞬間も増えた。実際、ひとりになる時間を作ることで気持ちが少し楽になることもある。けれど、ひとりになったところで、頭に浮かぶのは結局家族のことだ。「父の運転、大丈夫だろうか」「母の体調は?」「本当に暮らしていけるのだろうか」――。これらの考えは、まるで消えない霧のように、私の心を覆い続ける。


家族の問題というのは、他人事のように切り離せるものではない。血の繋がりがあるからこそ、「私が何とかしなければ」と思ってしまう。けれど、その「責任感」が私の心を押しつぶしそうになることもある。すべてを抱え込むことはできないし、するべきでもない。それでも、どうやってこの感情と向き合えばいいのか、答えはまだ見つかっていない。


最近、少しずつ気づいたことがある。それは、「自分ひとりで解決しようとしないこと」の大切さだ。家族で話し合うことや、外部のサポートを利用することも、大切な選択肢の一つだと感じている。父の運転については、地域の「高齢者運転診断」を受けてもらうことを提案してみようと思っている。運転技術の問題を専門家に客観的に評価してもらうことで、父自身も現実を受け入れやすくなるかもしれない。母の金銭的な不安については、家計の現状を一緒に見直す時間を作れたらと思っている。「何とかなる」という曖昧な安心感ではなく、具体的な計画を立てることで、不安を少しでも減らせるかもしれない。


また、自分自身のストレスを軽減するために、意識的に「自分の時間」を確保するよう努めている。好きな音楽を聴いたり、散歩をしたり、簡単な趣味に取り組むことで、心が少し穏やかになる。家族のことを気にかけすぎて、自分自身を置き去りにしないようにすることが大切だと感じている。


このエッセイを書いている今も、頭のどこかで家族のことが気になっている。でも、それでもいいのだと思う。不安やストレスをゼロにすることはできなくても、それに押しつぶされない方法を模索することが大切なのだろう。家族を想う気持ちは、必ずしも重荷である必要はない。それをどう受け止め、どう折り合いをつけるかが、これからの課題なのだと思う。

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家族を想う心と、不安の狭間で 星咲 紗和(ほしざき さわ) @bosanezaki92

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