そうして第一王子はいなくなった

黒須 夜雨子

第1話 そうして第一王子はいなくなった

「お前とは婚約破棄だ、パウリーネ」

見上げるほどに背の高い、やたらと頭を左右に振り回して前髪をひらひらたなびかせ、ご尊顔だけはレベルの高い第一王子をきょとんと見上げる。

聖女見習いパウリーネ、10歳。

第一王子と婚約して五年程。通算11回目の婚約破棄に動じることなく、目先の恵み、つまりは昼食に取り掛かかろうとしているのに空気を読まずに邪魔する人間との間に全てを遮断する透明の壁を展開した。


「……お前のそういったところが嫌いなんだよ」

喚き散らすことに疲れたらしく、肩で息をする第一王子を簡素な応接室に案内しておいてもらい、パウリーネは歯を磨いて身支度をすること30分。

神殿に身を置く者として、清貧であれと飾りの少ない生成りのエプロンドレスを身に纏い、ようやくご挨拶に向かえば、開口一番から感じの悪い言葉を繰り出してくる。アポなしで来たくせに図々しい。

いちいち反応すると時間の無駄が発生するから近頃は聞き流しているのだが、代わりに後ろに控えた聖女に仕えるためにいる乙女達が、口々に「額が広がり賢き印象を」とか「己への試練として水虫を授かれ」などといった、呪いにも似た福音を与えようと小声で囀っている。

スタンダードな悪口もあればユニークな事を呟く乙女もいるので、パウリーネとしては第一王子の話よりも乙女達の方が気になって仕方がない。

最近で一番面白かったのは「尻が三つに割れろ」だろうか。なかなかにストレートで短絡的だが、洒脱な言い回しばかり聞いていると直球勝負の方が面白かったりするのだ。

その次に面白かったのは「お花摘みで御身が摘ままれてしまえ」だろうか。意味はよく分からなかったが摘ままれると痛そうだというのが感想だ。

まあ、乙女たちは顔だけは慈愛溢れる笑顔を保っているので、第一王子は全く気づいていないが。

改めて最低限の礼だけはして向かいに座る。

「婚約破棄でしたっけ」

「そうだ」

なんとしてでも成功させる気持ちからか、食い気味に返す第一王子に誰もが冷たい視線を向けているが、やっぱり何も気づいていない。

婚約当時は5歳児であったことから10歳も上の男性に怒鳴りつけられて泣いてしまったものだが、人間は慣れと進化の生物。

感覚が麻痺しただけかもしれないが、今では音を遮断するという物理で解決するので気にもならなくなった。

後、前回来た時は足の先をやたらと擦り合わせていたので、乙女達の福音が効果を現したのかもしれないと思っている。

そう思うと少しだけ愉快なので、多少のことは気にならなくなるのだ。

ささやかなストレス発散である。


「いつも言ってますが、私が決めることじゃないので王様に言ってください」

いつもと同じ言葉に聞き飽きたという態度を隠さず返せば、第一王子の表情が何か勝ち誇ったような笑みに変わる。

「残念だな、今回の婚約破棄は俺が我が儘を言っているだけではないんだ。

既に父上の許可は貰ったから、お前の口惜しがる顔を見に来ただけだ!」

ドヤ顔で言い放った第一王子を見ながら、パウリーネはこてんと首を傾げる。

後ろで乙女達が「可愛いは正義」と騒いでいるが、それは置いておいて。

「口惜しがる理由なんて、ありますか?」

いやない、という言葉を返してもらいたいものだが、当の第一王子が呆気に取られたようにパウリーネを見ているのだから、こっちだって面食らって瞳をぱちぱちさせながら第一王子を見返す。

「この婚約は王様とお父様が決めただけです。

私はどうでもいいです」

「嘘だろ?」

「嘘じゃないです」

はっきり返せば口をパクパクさせた後、気を取り直すように頭を振って前髪を後ろへとなびかせる。

邪魔なら切ればいいのに、とパウリーネが思っていたら、後ろで乙女が「前髪が消失せよ」と福音を囀るので、危うくお茶を吹きそうになった。

何事もなかったからいいもののと後ろを振り返れば、実に優雅な佇まいで微笑みが返されるだけだった。


「この度の婚約破棄については、お前の姉であるアストリッドを見初めたからだ。

妖精姫と名高いアストリッドは第一王子である私にこそ相応しい」

そうしてからパウリーネを見て鼻を鳴らす。

「姉妹だけあって多少は似ているからな。

お前が縋って懇願するならば、成長して還俗するときには側妃にしてやってもいいが」

「え、気持ち悪いからいらないです」

即答で返す。

お前、と立ち上がったところを後ろにいた護衛が第一王子の肩に手を掛け、力を込めて座らせ直した。

ちなみに護衛は神殿のではなく、第一王子の護衛だ。

正確には第一王子の護衛兼暴れ馬を抑えるお目付け役だ。

「わ、私は王子だぞ!

お前は本当に不敬だらけで腹が立つんだよ!」

「ここは『ちがいほうけん』です。王子様におもんばかる必要はありません。

だから王子様とか関係なくて、暴れようとする人は止められます。

とりあえず祈る時間が無くなるので、さっさと話し終わって帰ってください。

あ、やっぱり話は他の人に聞くので今すぐ帰ってください」

「そういうところだぞ、お前」

「そういうとこです」

同時に言葉を放って、同時に一瞬黙り込む。

「3分にまとめてください」

第一王子は口を開いて、そして閉じた。

どうやらまとめることにしたらしい。そういうところは存外素直なのだ。

本来なら手綱を上手に握ってくれる人間がいいはずなのに。

そういう人間がいれば。

パウリーネはアストリッドを思い出す。

長らく会っていないが、彼女の噂はパウリーネが身を置く神殿にもよく入ってくる。

それこそ、ビッチ、と。


アストリッドが妖精姫と名高いのは事実である。

ただし、そう呼ばれるのは類稀なる美しさもあるが、何より常識に囚われない妖精のごとき自由奔放さゆえでもあろう。

婚約者がいようといなかろうと気に入った男に声を掛けては食い散らかし、すぐに飽きては次の獲物を探し始める。

あれが食べたいと言った口が、数分後にはこんなもの食べたくもないのにと文句を言う。

見知らぬ他者の宝石を堂々と強請り、手に入れた瞬間には興味を失って捨ててしまう。

王女と同じティアラが欲しいと騒ぎ立て、作らせれば頼んだことすら忘れている始末。

事情があればこそなのでパウリーネの生家である公爵家に抗議がくることもないのだが、とにもかくにもアストリッドは社交界の毒花として有名である。

彼女は公爵家内でも外でも自由気ままに散財を楽しんでいるそうだが、本当に第一王子まで手を出そうとは。

「本当に顔がよろしいってことは幸いです」

アストリッドが選び、これでいいだろう、と王様も判断したのだ。

ならばパウリーネとしては特に何かを言うこともない。


「とりあえず、用件はわかったから失礼します。

アストリッドとお幸せに」

いまだに一人思い悩む第一王子から視線を外し、退室の為に立ち上がる。

まだ話が、と言う第一王子を無視して部屋を出ていった。

部屋を出て歩く間も乙女達が福音を口遊むので、顔だけは止めておいてねとだけ注意する。

あの顔は大事なのだ。

アストリッドのお気に入りでいてもらわないといけない。

乙女達には顔だけ王子の顔だけは保たれる福音を頼みつつ、パウリーネ自身も国の為、人々のため、何より家族のために今日は祈りを捧げようと、祈りの間へと向かう。

微かに獣の咆哮にも似た怒りの叫び声を聞いた気もしたが、それとて気にすることではなく、すぐにパウリーネは第一王子のことを意識から締め出した。



王国から第一王子とアストリッドが消え失せたと聞くのは、第一王子と会った数日後であった。



「やっぱり"お土産"は第一王子にしたのですね」

「あの方は顔だけならば大陸一でしたから」

アストリッドがいなくなったことによって、ようやく家に帰ってこれたパウリーネを出迎えた翌日、家族団らんの話題は第一王子とアストリッドのことだった。

重々しい溜息をついてなどいるが、正直なところ、公爵家の誰もがアストリッドがいなくなったことに安堵している。

そもそもパウリーネが公爵家で過ごせなかったのは、アストリッドと髪の色が同じだというだけの理由で、彼女がパウリーネを嫌悪したからだ。

家族である以上当たり前であることを許せないのは異常であると、何度となく言い聞かせても納得せず、真似をするなんて恥知らずだと髪染めの粉を投げつけてきたり、髪を切り捨てようと鋏を持って追いかけようとしたりといった行動を起こしては阻止されてきた。

最終的にはパウリーネを階段から突き落とそうとしたことで、一緒に暮らすのは無理だと判断され、身の安全を考慮して神殿に預けられた。

パウリーネは神殿に身を置く者として他の乙女と同じ生活を送る一方で、公爵家から送り込まれる家庭教師によって貴族として必要な事を学ぶ二重の生活。

どれもこれも全てアストリッドの我が儘ゆえ。

幼いうちから家族と引き離されたパウリーネにとって、どれだけ聖女見習いとして過ごしたとして唯一許したことのない存在。

いなくなったアストリッドの部屋から、今まで家族がパウリーネに贈った品々が出てきたときには誰もが頭を抱え、家令は協力した使用人を突き止めるべく部屋を飛び出し、パウリーネは初めて乙女達の呪いに似た福音を口にした。


「アストリッドお祖母様のご自慢の髪に枝毛が大量発生しますように」と。


アストリッドは妖精姫だ。

それは社交界の呼び名ではなく、妖精の国に住まう妖精王の娘、正しく妖精の姫君だ。

彼女は妖精らしく享楽に耽り、退屈を厭う。

そんなアストリッドが気まぐれに人間界に忍び込んだ時、パウリーネの祖父と出会ったのだ。

今は皺の刻まれた威厳ある元公爵ではあるが、出会った当時は男装の麗人と疑われる程に美麗であり、美しいものが何より好きな妖精らしくアストリッドは一目で恋に落ちた。

公爵であるがゆえに妖精の姫君からの要求となれば無下にも出来ず、王命という名の土下座によって婚姻は成され、それでも子どもを儲けたところまでは良かった。


唐突にアストリッドが人間の夫婦としての生活に飽きたのだ。

公爵ともなれば多額の散財をさせても問題無いが、アストリッドは公爵家も社交界も窮屈だと言い出したうえ、年を重ねても変わらない容貌を周囲が不思議がり始めたのも同じ頃。

そろそろ潮時だろうと、飽きたのならば妖精の国に帰ってもいいと伝えても、こんな短い期間ではあちらも変わり映えしないだろうから退屈しのぎができないと言い出す始末。

妖精姫が嫁ぐということで妖精王からの祝福を国家単位で受けている。無下にしたことで祝福が呪いに変えられてしまうのは遠慮したい。

王家と話し合ったパウリーネの祖父は、妻は病で急逝したことにして、アストリッドに護衛をつけて身分も名も隠して外遊させることにした。

見知らぬ土地。知らない文化。目新しい見目の人間達。

思ったより外遊が楽しかったらしいアストリッドが変わらぬ姿のままで公爵家に帰ってきたのは、彼女の生んだ息子が立派な成人男性となって妻を迎えた頃だった。

このタイミングでアストリッドの立場はパウリーネの父の妹、叔母へと変わる。

これをもう一代繰り返した今、パウリーネの姉として公爵家に居座っていたアストリッドはようやく帰る気になった。

なった、のだが。


アストリッドは妖精界に帰るにあたって、他の妖精が一時でも羨ましがるようなお土産をほしがった。

それは『人間界で一番素敵なものか美しいもの』をと。謡うようにおねだりする彼女は、恥じらう乙女にも蠱惑的な娼婦にも見えたらしいが、言っていることは大変面倒である。

彼女が望むものは人なのか宝石なのか、もっと違う音楽や絵画といったものなのか。

アストリッドが何を選ぶかわからないので対策に困った王家と公爵家だったが、あまりにも長くアストリッドが何も選ばないことから、ふと思い出したように国王が言ったのだ。

決まったものがないのであれば、自分の息子ならいけるのでは、と。


当時の第一王子は10歳の誕生日を目前に、神ですら嫉妬すると噂される美貌を持ち、代わりに王への器としては圧倒的な足りなさを露呈させていた。ステータスが偏って全振りされたのである。

興味の無いものは全く手を付けない。自身の立場を理解して学ぶこともしなければ、遊ぶことを優先してばかり。

見た目を気にするあまりに服を選ぶのに時間をかけるせいで、大抵の約束が間に合わない。

見栄を張り、優秀な弟達を蔑ろにする。

頭角を顕した第二王子への劣等感から庭師の持っていた殺虫剤を盗み出し、弟王子に無理やり飲ませようとしたところを見つかったにも関わらず、反省の色もなく弟が兄より目立とうとするのが悪いと言い出すことから、どうしようかと悩んでいたところだった。

醜聞を避けたい王家としては第一王子のしたことを隠しながらフェードアウトさせたいが、理由もなく昨日まで健やかだった王子が病気になったと幽閉するわけにはいかないだろう。

何より傀儡としてはうってつけという、暗愚な王への才能は大変に高いせいで、野心家の貴族が第一王子と中途半端に繋がっている。下手な手を打って、足を掬われたくもない。


ならばアストリッドと駆け落ちして失踪したというシナリオが一番いい。

彼の倫理観が全てがマイナス方面にしかなかろうと、それは人間の物差しでの中のこと。

アストリッドを見ている限りで二人は同類である。

ならばいっそ、人間の倫理から外れていても問題ないだろう。

なによりアストリッドを王家も公爵家も賓客として扱った。

きっと妖精王も娘が連れ帰った人間の王子を無下にはしないはずだし、顔がいいから暫くは好待遇でいてくれるかもしれない。

よし、それでいこう。

それが関係者の総意となった。


こうして白羽の矢は無能な第一王子に立った。

それはもう、びっしびしに。

美しいままの愛玩生物として少しでも長く愛でられるように、王宮の使用人達は手塩にかけて彼の美しさを磨き抜いた。

風呂にはヤギの乳が入れられ、薔薇の花弁が散らされる。

風呂から出れば全身香油でしっとりと仕上げ、髪の一本も傷むことのないよう、丁寧に水気を拭きとられた。

服は華やかで、けれど上品で優美なものを。

帝王学よりも美術や音楽への造詣を。

歴史を覚えるよりも詩や歌劇の台詞をそらんじれるよう。

民の心を推し量るよりも美しい絵画の叙情を汲み取る才能を。

優美に見えるように作法だけは徹底的に。

手が荒れるから剣技など学ばせず、体型を維持するためだけの散歩や乗馬を定期的に。

最後の仕上げとして、アストリッドの嫌悪するパウリーネの婚約者にしたら、完全で完璧な贄の出来上がり。


後はアストリッドが食い付くのを待つばかりだったが、思ったより長く膠着状態が続きゲンナリしていたところの吉報だった。

「第一王子はどうなるのでしょう?」

パウリーネが祖父に尋ねるも、曖昧な笑みのままで首を横に振る。

わからない、ではない。わからないほうがいい、が答えなのだろう。

「それよりパウリーネ、間もなく殿下との婚約はあちらの有責にて破棄される。

暫くは好きに過ごして構わないが、お前にはちゃんと婚約者がいるのだから、時期を見て会いに行くよ」

父親に言われて小さく頷く。

王子と婚約をする前より両親が約束していた相手とは、王子との婚約前に一度だけ会ったことがある。

何をしても跳ねが直らないという赤毛と、夏の池のような緑の瞳。ころころと表情をよく変える、1歳上の少年だった。

一緒に大人しく本を読んでくれた優しい印象の彼がどう成長したのか聞けてはいないが、父が婚約の約束を保持していたということは変わらないままに育っているのだろう。

パウリーネが結婚したら今まで苦労させた褒美として、また聖女見習いとして神殿に貢献した報酬として、パウリーネの結婚相手には子爵位が与えられることになっている。

パウリーネがこれからも神殿通いを続け、聖女見習いではなく聖女となったならば、見合った立場として伯爵位まで陞爵されるだろう。

家族と過ごせなかった日々は悲しいが、いずれは嫁に出る身。公爵家で贅沢が身に付かなかったのはいいことだといえる。

全てが落ち着くところに収まった。

これ以降、パウリーネが第一王子を思い出すことはほとんどなかった。


王家は三ヶ月ほど様子を見て、第一王子が返却されていないことを確認してから臣下へと通達した。

曰く、第一王子は魅惑的な妖精姫と恋に落ち、妖精界に誘われて国を去ったのだと。

あらかじめ有名な作家に書かせたフェイクだらけの小説を一気に売り出し、新進気鋭の女優とベテランの男優がアストリッドと第一王子の恋の物語を舞台で演じる。

物語のアストリッドは月光の下に佇む聖女のように無垢とされ、王子は有能ゆえに未来を憂う悲劇の青年として描かれていた。

真実を知っている関係者はことごとく本を読むことも、芝居を観に行くことすら拒否していたが、爆発的な人気で一大興行と成ったロマンチックファンタジー恋愛物語とやらは他国に広がり、短期間だが自分の妖精姫を探すのが男性の中でブームになったのはオマケ程度の話であろう。


以降、第一王子が帰ってくることはなかったと王国編纂書には記されている。

ただし、それから200年後の王都で編まれた庶民向けの王都大衆史書には、国の第一王子だと名乗る見目麗しくも傲慢な青年が、妻のために枝毛ができにくい洗髪剤をあれこれ買っていたという話が書かれている。

その真偽は定かではない。

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