チャンス到来

 


 そんな日々の中、チャンスは突然訪れた。



「あー……今日の欠席は神谷だけだなー」



 教室内にのんびりと広がる、担任の間の抜けた声。



 顔を見合わせ、ホッと安堵の溜め息を吐くクラスメートたち。



 ポツンと空いた、窓際一番後ろの席―――つまり、あたしの隣。



 ひゃっほい今日は鬼がいないぞぉぉ!!という暗黙の空気が、みるみる内に教室内に広がる。



 神谷は決して、誰彼かまわずインネンをつけるようなやからじゃない。

 攻撃するのはかろうじて、自分に関わろうとした相手だけだ。



 だけどやっぱり神谷がいるというだけで、教室内には緊張が走る。

 いつどんな毒を吐かれるのかと、焦らざるを得ない空気は否めない。



「だってさぁ、セーラの席で溜まろうもんなら隣の神谷に叱られそうじゃん」



 そんな事を言い出す子すらいて、休み時間になるとあたしはポツンと独りだった。

 いや、隣の神谷もそうだったから2人でポツンだった。



 神谷の性格が悪い所為で、何故あたしまでがポツンとならなきゃいけないのか。

 こういうのを2次被害って言うんじゃないだろうか。



 あぁまた神谷への文句が1つ増えた。



 いつそれをぶちまけられるチャンスは訪れるんだろう―――



「―――おいセーラ。お前、神谷ん家の隣だよな?届け物頼むわ」



 それは、帰りのHRであたしに向けられた担任の言葉。



「ちょ……待って先生!かろうじて席は隣かもだけど家は違うよ!あたしと神谷には約2分の距離が―――」


「おお、たった2分か。マジで頼むわ。神谷ん家の方が手前だろ?遠回りするワケでもないし大丈夫だよなぁ?」


「だから待ってってば!確かに遠回りにはならないけど、あたし1人で!?あたし1人で神谷ん家に!?」


「だってあっち方面から来てるのは、お前と神谷だけだしなぁ」


「別にわざわざ届けなくても、神谷が登校して来てからで良いじゃん!」


「修学旅行の申し込み。お前らには1年の終わりに配っただろ?うっかりしててなぁ、期限は明日までだ。急いでんだよ」


「それうっかりしてた先生のミスじゃん!しかも行かないでしょ!?神谷は修学旅行なんて行かないよ!」



 むしろあの性格で、ノコノコ修学旅行になんてやって来たらビックリだよ!



「確かに俺のミスなんだけど今日は会議があってなぁ。その後に行くとなると時間も遅いし面倒く……頼むわセーラ」


「だから安心してってば!神谷は修学旅行には行かないから!欠で良いってば!」


「何でお前がそうやって勝手に決め……お、そうだお前ら。前から言おうと思ってたんだが神谷だけ何か浮いてないかー?みんな仲良くしなきゃダメだぞー転校生だからってイジメちゃダメだぞー」


「い、や……先生それ違うっていうか、」


「イジメなんて絶対ダメだぞーイジメなんてやったら先生絶対許さないからなー」


「いや、だから―――」



 イジメられてるのはこっちだから!!

 神谷がいないってだけで、今日1日どんだけ平和な空気だったと思ってるの!!



「って事で、セーラ。よろしくなー」


「…………」


「明日も神谷が休むようなら、朝家に寄ってから来てくれな。提出期限が明日だからなー」


「…………」



 無責任な担任の笑顔で、あたしの運命はアッサリ決まった。



 だ、誰かあたしと一緒に神谷の元へ……と教室内を見渡したところで、そんな勇者なんているはずもなく、あからさまに逸らされる視線に世の中の無情を知った。

 最悪だ。



 ただ。



 ちょっと冗談でしょ……と思う気持ち半分。



 いやいや、これって正にチャンスじゃない……?と思う気持ちも半分。



 どうせあの性格最悪男は、届け物をしたところで感謝なんてするはずがない。

 むしろ「余計な事すんな」とバッサリ斬られて終わりだろう。



 だけど反面、きっとヤツは弱ってる。

 欠席するって事は病気って事で、だったらいつもの勢いはないかもしれない。

 っていうか、ない事を希望する。



 そうなると正にこれはチャンスって事で……溜まりに溜まった文句をぶつける良い機会なんじゃないだろうか。

 あのスカしたイケメンに、パンチの一発でもお見舞いしてやる絶好のチャンスなんじゃないだろうか……!



 ……なんて意気込んだのは、最初のうちだけだった。



 だってやっぱり憂鬱だ。

 吐かれるとわかってる暴言を、何故わざわざ吐かれに行かなきゃならないのか。



 確かにあたしはイケメン好きじゃなかったけど、だからってM気質なワケでもない。

 チヤホヤされたいワケじゃなかったけど、だからって暴言を吐かれたいワケでもない。



 なのに何でこんな事に……。



「良いよねーあんたは……嫌いな相手に好きなだけ吠えられて……」



 そんなあたしがしゃがみ込むのは、ケルベロスの門の前。



 やっぱり吠えないケルベロスは、嬉しそうに尻尾を振りながら甘えた声で鉄格子越しにすり寄って来る。



 ここからもう20分も歩けば、家に帰り着く。

 その2分手前に、忌々しい神谷のコーポがある。



 くっそぉ神谷のヤツ。

 何だってそんな面倒な場所に住んでんの。

 これも2次被害ってヤツなんじゃないだろうか。



 あぁまた文句が1つ増えた……



 なんて頭を抱えてたら。



「すげ。お前もケルベロスに吠えられねェんだな」



 後ろから声を掛けられた。



 振り返ったそこにはキング。

 いつものようにチャラい笑顔とチャラい髪色で、しゃがみ込んだあたしを見下ろしてる。



「何でキングがこんなとこにいるの?家、こっちの方だっけ」


「いや……まぁちょっとな。今日は……野暮用?」



 言葉に詰まりながら空々しく視線を逸らすところを見ると、どうせ女関係だろう。

 1年の時から変わってない。



「あんま女の子の恨み買わない方が良いんじゃない?そのうち刺されちゃうよ?」


「いや違うって。今日はそういうんじゃねェから」


「どうだか。せっかく名前だけは凛々しいんだから名前負けしないようにね」


「そういうお前だって名前だけは可愛いのになぁ?」


「うわーそういう事言っちゃうんだ」



 キングの名前は、獅子王ししおう

 ライオンキングなんて渋すぎる。



 ただ当人はというと、ただただチャラくて獅子の王様にはほど遠いけど。



「んで、お前は何でケルベロスと語り合ってんだよ」


「んーちょっとね。憂鬱な事があるだけ」


「帰んねェの?」


「帰るよ帰る。帰るけどさぁ……」



 仕方なく立ち上がると、ケルベロスが切なそうな声を出す。



「どうやったらそこまで懐かれるんだよ」



 それを見たキングは、心底不思議そうだけど。



 そんなのあたしの方が聞きたい。

 犬は嫌いじゃないけど、特別好きってワケでもない。

 如いて言うなら好きなのは“動物全般”で、だからこんな風にケルベロスが懐いてくれる意味もわからない。



「餌付けしたワケでもないのに、あたしも不思議。じゃーね」



 ヒラヒラと手を振って歩き出すと、何故かキングもついて来る。



 何でついて来るの、という目でチラリと見れば、そんなあたしと肩を並べたキングはいきなり切り出して来た。



「お前のクラスに神谷って転校生いるだろ。あれどんなヤツ?」


「ただただ性格の悪いヤツ」



 速攻で答えるとキングは、ぶはっと噴き出した。



「それ以外は?」


「それ以外ない」


「ほら。ちょっと変わってるとか」


「ちょっとどころか変人を極めてる」


「それ以外は?」


「だからそれ以外ない」


「もうちょっとこう、詳しく―――」


「詳しくもなにもそれ以外ないんだってば」


「何だよお前、アテになんねェなぁ」


「そっちこそ何なの一体。もしかしてキング、神谷を好きなワケ?」


「んなワケねェだろバカじゃねェの」


「遂に女の子じゃ物足りなくなって男にまで手を広げたのかと」


「そんなんじゃねェよ」


「なら何なの」



 こっちはその神谷の所為で、こんなにも憂鬱な気分だと言うのに。



「んまぁ……ちょっと神谷に興味あるっていうのがいてさ」


「へぇ。それが女の子ならあの男だけは止めた方が良いって忠告してあげて」


「で、神谷どんなヤツ?」


「だから何なのよ一体。そんな気になるなら自分で―――」



 そこまで言ってからハッとする。



 これはラッキーかもしれない!



 あたしはキングの前へと回り込むと、正面から向かい合った。



「ね、実はあたしこれから神谷ん家に行くんだけどさ」


「へェ」


「キングも一緒に行く!?っていうか一緒に行ってくんない!?」


「ヤだよ」


「何でよ!神谷の事知りたいんでしょ!?」


「知りてェけど、別にそういう意味の“知りたい”じゃねェっていうか」


「お願い!一緒に来てよ!」


「つか変だろ。神谷と知り合いどころか顔見知りですらねェ俺が、いきなりお前と一緒に現れたりしたら」


「あ、そこは大丈夫。あたしだって似たようなもんだし」


「んなワケあるか」


「あるある、あるの。神谷にとっては誰が相手でも知り合いどころか顔見知りですらないんだもの」


「…………」


「とにかく誰とも関わり合いたくないみたいだし、何よりも自分でそう仕向けてるし」


「…………」


「だからね、きっと神谷は誰の顔も覚えてないし、覚える気すらないと思う」


「…………」


「だからキングがクラスメートみたいな顔して現れても絶対大丈夫。むしろクラスメートみたいな顔してこれ渡して欲しい!修学旅行の申し込み!」


「……ふーん」



 珍しく真面目な顔であたしの言い分を聞いてたキングは、正面に立ったあたしを軽く押しやると、ゆったりと歩き出す。



 だからてっきり、一緒に行ってくれるんだと思ってた。



 元クラスメートの望みを、叶えてくれるんだとばかり思ってた。



 なのに。



「―――もしかしてアレ?あのコーポ?あそこが神谷ん家?」



 正にそれは、神谷の住むコーポがやっと見えて来た頃だった。

 神谷の家まで、あと数100メートルって感じの地点だった。



 いきなり足を止めたキングが、神谷の住むコーポを的確に指さす。



「そ……うだけど、え、何で?何でキングが神谷ん家知ってるの?」


「…………」


「え、もしかして来た事あるの?」


「……さぁな」


「さぁな、って何その妙な返事……ってキング!?待ってどこ行くの!?」


「帰るんだよ」


「はいっ!?」



 いきなり踵を返して歩き出したキングに、衝撃の声が出る。



「だから帰るんだって」


「ちょっと待ってよ!もう神谷ん家はすぐそこだよ!?」


「知ってる」


「なのに何で帰るの!一緒に行ってくれるんじゃなかったの!?」


「んな事、1度も言ってねェだろ」


「待ってってば!ほら、こっちに用があったんじゃないの!?野暮用だよ野暮用!!」


「もう終わった。から帰る」


「えぇ⁉そんなバカなってキング!この薄情者!1人暮らしの男のところへまんまと1人で行っちゃったばっかりに、もしあたしに何かあったらどうすんの⁉」


「そん時は慰めてやるよ」


「慰めなんていらないから一緒に行ってよぉぉ!」


「またな」



 見事なまでにアッサリと片手を上げたキングは、振り返りもせずにそのままホントに帰って行く。



 アイツ、あんなに薄情だっけ!?

 女子にだけは、かなり優しかったはずだけど!!



 え、まさかキングにとってあたしは女子枠じゃないって事!?

 優しくする価値すらないって感じ!?



 呆然と立ち尽くすあたしは、ただただ小さくなって行くキングの背中を見送るしかない。



 だからっていつまでも立ち尽くしてるワケにもいかない。



「…………」



 あたしはゴクリと唾を飲み込むと、神谷の部屋へと向かった。

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