ケルベロスの誘惑

ひなの。

性悪男



 あたしの隣の席には、校内1イケメンだと言われてる男子が座っている。



 まぁ実際……顔は良いと思う。

 学校中の男子の顔を把握してるワケじゃないから“校内1”と言って良いのかどうかはわかんないけど。



 涼しげな目元。

 スッと通った鼻筋。

 形の良い唇。



 身長だってスラリと高いし、天然なのか何なのかわかんない薄い髪色は光が当たると銀色に見えたりして、気を抜けば見惚れてしまう事もある。



 ザックリ言うなら、すれ違った際、思わず2度見はしてしまうだろう程度にはイケメンだとは思う。

 2年に進級すると同時に転校して来た編入生だから、余計に目立って見えるのもあるんだろうけど。



 でも、この男―――神谷伊織かみやいおりは。



「……何見てんだよ。こっち見んな。んで俺に話し掛けようとすんな」



 顔は良くても、性格が悪い。



 編入して来たと同時に、窓際一番後ろの席―――つまりあたしの隣に座った神谷の、開口一番のセリフがそれだった。



“教科書揃ってる?あ、あたし浅見星良あさみせいら。よろしくねー”なんて声を掛けようと思ってたあたしは、口を開いた状態のまま思わず固まってしまった。



 ……いや、良いんだ別に。



 あたしは特にイケメン好きというワケじゃない。

 特に美少女というワケでもないだけに、男子からチヤホヤされるとも、されたいとも思ってない。



 ただ生まれてから16年間、初対面の相手にそんな言葉を投げつけられた事がないもんだからビックリしただけ。

 一体どういう育て方をすれば、こんな性格の悪いイケメンが出来上がるのかと、親御さんの教育方針を心配をするほどには。



 別に隣の席の男子と口をきかないからって、学校生活に何ら支障はない。

 初対面だというのに、何故そんなにも嫌われなきゃならないのかという疑問はあるけど、話し掛けるなと言われてるだけに理由を追及も出来ないし。



 でも。



 どうやらそうじゃないっぽい。



 神谷が嫌ってるのは、それがあたしだからってワケじゃなく、すべての人に対してそうっぽい。



「うるせーな。だから俺に話し掛けてくんじゃねェよ」

「放っとけ。俺に関わるな」

「だからうるせーっつってんだろ。うぜェんだよお前」



 男子だろうと女子だろうと、誰に対してもそういう態度の神谷は、だから転校して来て2ヵ月も経とうというのにずっと独りぼっちのままだ。



 まぁ無理もない。



 いくら“イケメン”というアイテムを持ってても、それは“すべてを許容される”という万能ツールじゃない。

 そんな事を言われてまでわざわざ話し掛けるのは、イケメンというアイテムが万能という価値観の人か、相当なM気質の人だけだろう。



 結果、神谷は望み通り独りだった。



 授業中も休み時間も常に机に突っ伏して眠り、昼休みにはフラリと姿を消す。

 午後の授業も突っ伏したまま過ごし、授業が終わるとさっさと帰って行く。



 そんな神谷だから、最初のうちこそイケメンパワーに盛り上がってた女子たちも、次第に陰口を言うようになって来た。



「ちょっと顔が良いからって何あの態度」なんてのはもちろん。

「神谷が転校して来た理由って、前の学校で事件起こしたからなんだって」だの。

「知ってる知ってる殺人でしょー」なんてのまで。



 いくらなんでも人を殺してたら、法律が黙ってないと思う。

 呑気に学校に通ってる場合でもないと思う。



 だけど誰1人、神谷に真実を追及出来ないもんだから、ただ闇雲にホントなのかウソなのかわからない噂話だけが先行してる状態だった。



 実は前の学校で留年を繰り返してるから、ホントの年齢は二十歳超え、とか。

 夜な夜な繁華街で、見る度に違う女を連れてる、とか。

 そんな神谷に手を焼いた親が高級マンションを買い与え、優雅な1人暮らし、とか。



 あたしが知ってる噂はそんな感じだったけど、その中に1つだけ真実がある。



 それは神谷が1人暮らしだという事。



 でも決して、高級マンションじゃない。



 どこにでもある、普通のコーポだ。



 何故知ってるのかというと、何の因果かそのコーポがあたしの家から徒歩2分の距離にあるからだ。

 よって、結構な確率で登下校時間が被る。



 ワンルームで有名なコーポだから、家族と一緒って事はないと思う。

 鍵を閉めてから登校するところを見ても、やっぱり1人暮らしなんだろうと思う。



 もちろん、登下校が被ったからといって「おはよー」だの「また明日ねー」なんて声を掛け合う事はない。

 あたしと神谷は、目的地に到着するまで絶妙な距離を取って前後に並んで歩いてるだけだ。



 そして、もう1つ。



 多分、あたしだけが知ってるだろう事実。



 それは神谷が人だけじゃなく、犬にまで嫌われてるという事。



 どうやら犬には人の美醜は通用しないらしく、神谷はただ歩いてるだけだというのに、相当な勢いで犬に吠えられてる。



 そう、特に「ケルベロス」。



 ケルベロスは近所の大きな豪邸―――固定資産税、一体いくらなんだろう……なんて近所の人たちが噂するほど大きな邸宅―――で飼われてる、それはそれは立派な体格の真っ黒なシェパード。



 開いてるところを未だかつて1度も見た事がない、頑丈そうな大きな門。

 その向こうに広がる、芝生が敷き詰められた広大な庭。



 素晴らしく番犬能力に長けてるらしいその犬は、門の前を通る人々に恐ろしい勢いで吠えまくる。

 それが怖すぎる余り、わざわざ遠回りして登校する生徒までいるくらいだ。



 地獄の番犬、ケルベロス。



 多分、怖い思いをした人たちがいつしかそう呼ぶようになっただけで、ホントの名前じゃないとは思う。

 でも獰猛なその姿を見ると、ヤケにピッタリその名前がマッチしてる気がしてあたしも実際そう呼んでる。



 意外とケルベロス自身もその名前が気に入ってるらしく、あたしがそう呼べば吠えてる真っ最中ですらピタリと鳴き止み、鼻を鳴らして甘えて来るほどだ。



 そんな獰猛でもあり可愛くもあるケルベロスに、神谷は結構な勢いで吠えられてる。

 やっぱりあの性格の悪さが、人以外の動物には敏感に察知されてしまうんだろうと思う。



 位置的に、あたしの家→神谷のコーポ→ケルベロス→学校となるため、かなりの確率で神谷がケルベロスに襲い掛からんばかりの勢いで嫌われてるのを目撃出来る。

 ちょっとだけ、ざまぁなんて思ってしまう。



 たまに「こ~らケルベロス、そんな吠えちゃダメでしょ~」なんて言いながら、吠えまくられてる神谷を尻目に堂々とケルベロスへと近付いてやったりもする。

 そしてチラチラとドヤ顔で、神谷の反応を眺めてやったりもする。



「ケッ」とでも言いたそうな表情でチラリとあたしを見る神谷は、だからって別にあたしを羨ましいとも思ってなさそうだけど。

 地味に悔しい。



 そんなあたしの目標は、そのうちガツンと神谷に文句を言ってやる事。



「あんたねぇ、その態度どうなの。何でそうやって人類を敵に回そうとすんの」



「そんなんだからケルベロスにもあんなに嫌われちゃうんだよ。逆に聞きたいわ。一体何をすればあんなにも見事にケルベロスから嫌われられるの」



「せっかく整った顔に生まれたんだからさ、ニッコリ笑って過ごした方が人生上手く行くんじゃない?」



「寝る為に学校来てんの?だったら休んで家でぐっすり寝た方が良いんじゃない?だってあんたの存在って結構気を遣うんだよね。むしろ休んでくれた方がクラス全体が安泰なんだよね」


「っていうかさ、教科書のないあんたに教科書見せてあげようとした時さ、あんた“余計な事すんな”って言ったよね。あれ謝ってよ。むしろ初対面の時のあのセリフも謝ってよ」



「人の好意を何だと思ってるワケ?」



「あんた一体何様なの」



 言いたい文句は日々増えて行く。



 ただ―――



「だから話し掛けてこようとすんな。こっち見んじゃねーよ」



 その道のりは、凄まじく険しい。

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