第4話 犯人風間忠雄①

「行ってらっしゃい。」

「行ってきます。」


俺は妻に見送られながら玄関を出た。


5年前に新車で購入したレクサスに乗り込み、片道30分の会社へと向かう。


「隆も一人暮らしに慣れた頃かな。」


いつもの基幹道路の渋滞に巻き込まれながらつぶやいた。

去年実家を離れて、他県で就職した長男は一人暮らしをしている。


初めのころは一人暮らしを満喫していたようだが…最近では家事の煩わしさ、大変さが分かったのか、一人暮らしの愚痴&コツを母さんに相談しているようだ。


我が家で学生でいられた時期には、手伝いなど一切した事もなく、家事や食事などもやってもらえて当たり前だと思っていた事を、当たり前では無かった事に気づいて、母親の(ついでに父親の)ありがたみも身に染みてくれた事だろう。


子供の独り立ちに少し寂しい思いもあったが…嬉しくもある今日この頃だ。


いつものように役員専用の駐車場に止めて、会社の正面玄関から入り自分の部署のドアを開ける。


「おはよう」


挨拶はコミュニケーションの大切な潤滑油だ。

毎朝扉を開ける時に笑顔で挨拶するのを入社した時から心がけている。


「「「「おはようございます」」」」」


常日頃から挨拶が大事だと部下にも言っているので、会話の途中でも元気に挨拶を返してくれるのだが…

…今日は何か違った。


「「お、おはようございます」」


いつもと違い声が小さくたどたどしい。しかも中には挨拶もせずにうつむいている者もいた。


いつもとは違う部内の雰囲気に違和感を感じたが…気づかない振りをして、自分の机で今日の仕事の準備に取り掛かった。


パソコンでメールの確認をした後に、朝一で伺うお客様の資料を確認していると


「あの…風間さん。社長がお呼びです。」


ん? 社長が? こんな就業時間前にいる事も珍しいのに、私に話が?


一体何の話なのだろうか。


「わかった、すぐに行く。」

そう返事をして、戻ってすぐに出かけられるように資料を鞄に入れて準備し、社長室へと赴く。


コンコン

「失礼します。」


中に入ると社長は中央の商談用のちょっと高価なソファーに座ってコーヒーを飲んでいた。対面に私を促して座るとすぐに声をかけてきた。


「忙しい朝に悪いね。ちょっと聞きたい事があってね。」

「はあ、何でしょうか。」


「キミも忙しいだろうから、単刀直入に聞きたいのだが…」


社長は御年80歳だ。歳を経て見た目は好々爺といった感じなのだが…それは見せかけだ。

バブル前の一昔前の荒ぶる時代を生き抜いた経営者なのだ。


昔から眼力がすごくて若い頃はあの目で睨まれただけで戦々恐々としたものだ。


もちろん今も細い目の奥に光る眼光は当時と変わらない。


「当社にとっても不幸な出来事だった30年前の事件を覚えておるか?」


私は“ドクン”と心臓が大きく跳ねあがり、息苦しさを感じて呼吸が早くなった。


全く予想だにしなかった事を聞かれて激しく動揺してしまい。しばらく黙ってしまった。


そんな私の顔を社長は覗き込むようにじっくりと観察している。

そのまとわりつくような視線を感じながらも息を整えて答えた。


「ええ、もちろんです。犯人だった…いや、容疑者だった木下は同期でしたし、殺された加藤さんも…交流は無かったんですが、そんな2人が…亡くなった事件ですから。今まで1度たりとも忘れた事はありません。」


私は心臓の激しい鼓動を感じながらそれを悟られないように社長に話した。


「加藤一家三人殺人事件…当時は当社も…殺した方も殺された方も当社の社員だった事から世間の好奇の目にさらされ…大変な時期をしばらくは過ごしたな。」


社長が当時を思い出して苦虫を噛み潰したような顔をした。


そうなのだ。当時はマスコミに取り上げられて連日のように押しかけて来て社員一人一人に2人がどんな関係だったのかだとかしつこく追い回された。さらに一時は取引先にも迷惑をかけて仕事が出来ないような状況で、本当に会社が傾きかけそうになったのだ。


入社して4年目だった俺も当時はその対応に追われて忙しい毎日を送っていた。今でも当時の状況は思い出したくもない嫌な思い出だ。


当時の嫌な出来事を思い出して気が緩んでいた時だった。社長から思いがけない言葉をかけられた。


「お前が加藤家三人を殺したのか? 風間。」


いきなり問いかけられた社長のその言葉に自分は理解ができずに驚き、私は目を見開き固まった。

社長の80歳とは思えないほどの、現役バリバリの武闘派だった頃のような鋭い眼光に…私は戦々恐々とし、すぐに二の句が告げれなかった。

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