アイドル・コンプレックス・ガールズバンド
西織
第1話
父親が死んだ。
享年五十八歳だった。
随分と早くに逝ったと思うが、無茶な働き方はそれだけ毒だったんだろう、と雅は思う。
その訃報を受け取り、連絡してきた母は週末の予定を尋ねるように続けた。
『お葬式はいく? お母さんは行かないけど』
雅の答えは、「わたしもいい」というものだった。見送るためにわざわざ帰国するほど、思い入れのある父親でもない。
これほどまでに雅がドライなのは、父親の記憶があまりないからだ。
雅が小学校に上がる前に両親は離婚していたし、それ以前も父との記憶は曖昧だった。娘の誕生日にもクリスマスにも帰ってこない父に、母親もとっくに愛想を尽かしていた。
離婚理由は、単純で明快。
『自分よりも若い女のために一生懸命走りまわっていて、家にも帰ってこない奴と結婚している意味がわからない』というもの。
母は母で出版社の編集者として敏腕を振るい、自立していたのも大きかった。
雅としても気持ちはわかる。
自分の旦那が、自分よりもよっぽど若い女に熱を上げ、家庭をほったらかしにして働き続けていたらいい気はしない。
仕事だとわかっていても、だ。
「わたしたちが結婚している意味って、なんなの?」と母が問いかけ、父が答えられなかったことも、雅はよく覚えている。
父は、ある芸能事務所のマネージャーだった。
それから独立して会社を立ち上げ、芸能事務所の社長になった。
社長とマネージャーとプロデューサーを兼任して現場を駆け抜け、父はバカみたいに忙しくなった。
それだけ父の手腕は確かだったらしく、会社はあれよあれよと大きくなったし、アイドル事務所の『スターダスト・ブロッサム』と聞けば、関係者からは一目を置かれる存在だ。
とはいえ、子供の雅からすれば、「ふーん?」という感じだったし、「なんでお父さんなのに家に帰ってこないの?」という疑問が出る時点で、関係はもう壊れていると言えた。
「Would you care for something to drink?」
物思いに耽っていると、近くにキャビンアテンダントが立っていた。ブロンドの背の高い女性で、ピシッとした制服がとても似合っている。
彼女が引いているワゴンには様々な飲み物が乗っているが、少し前にもらった飲み物がまだ残っていた。雅は、軽く手を振って断る。
彼女はにこりと微笑むと、次の客のためにワゴンを押していく。
窓の外を見ると、下には白い雲が広がっていた。それがどんどん後ろに流れていく。すごい勢いで進んでいるのだろうが、乗客からはあまり感じられない。
アメリカからの、約十二時間のフライト。
普段なら仕事に追われているうちに、あっという間に着陸の時間になるところだ。
けれど、今日の雅は退屈を持て余していた。
そのせいで、大して思い出のない父親のことを思い出している。
今まで暮らしてきて、父親のことを気に掛ける機会はほとんどなかった。だが何の因果か、雅は大学卒業後、芸能事務所に入社している。
父譲りの才能があったらしく、マネージャーとして働いているうちにあれよあれよと出世し、ついにはアメリカの芸能事務所に引き抜かれた……、というわけである。
『これだけ父親と離れていたのに、離婚前も大していっしょに暮らしていないのに、影響ってこんなに受けるものなの? 血の繋がり、怖すぎない?』
母親には、嫌そうにそう言われた。
まぁそれが冗談になるくらいには、雅も母も父親を過去の人物として認識している。
もし、本当に雅が父を追いかけて芸能事務所に入ったとしたら、母親はちゃんと止めていただろう。
芸能事務所に入ったのは、単に成り行きだ。
別にやりたいことがあるわけでもなかった。
ただ、思うところはある。
仕事をこなす中で感じたのは、「あの父親って、案外本当にすごかったんだな」というもの。
アイドルブームに乗ったとはいえ、短期間で会社を大きくし、業界内でほかのトップ層と争うほどに力を付けた。
アイドルといえば、『スターダスト・ブロッサム』。
そう言われるほどに、名実ともに力を付けた。
雅は、この数年間、何人ものアイドルや歌手、モデルを育て上げて、送り出してきた。
アメリカで評価を得られるくらいには、雅には才能がある。
それでも、父親の偉業と比べると足元にも及ばない。雅が事務所を立ち上げたところで、たちまち別の事務所に潰されて終わりだろう。
それだけ、芸能界は過酷だ。
最終的には病魔に蝕まれてリタイアしたが、彼は泳ぎ切ったのだ。
だが、芸能界の先輩としては尊敬するものの、父親としては全くダメな人だった。
これまでも、これから先も、父親として慕うことはないだろう。
しかし、雅は今、日本へと戻っている。
こんな、電話があったからだ。
長年父の秘書をやっている、安心院文からだった。
『大河内雅さん。ご無沙汰しております。あなたの父、阿久津宗助の秘書、安心院文です。
あなたが子供の頃、何度かお会いしているのですが、覚えてらっしゃるでしょうか。
さて。実は、阿久津からあなたへの伝言を預かっています。
遺言と言ってもいいでしょう。
娘の雅に、私の会社を任せたい。
阿久津はそう言い残し、わたしにあなたを案内する役を任せていきました。
もしその気があるのでしたら、一度、会社までお越しください』
いくら日本でも、一族経営が過ぎるだろ、と雅は思った。
同業種とはいえ、海外で仕事をしていて、十年単位で会っていない娘に会社を任せるなんて。
社員も納得しないだろ。
驚きよりも呆れの感情のほうが強かったが、その提案に雅は乗った。
父の会社を継ぎ、娘としてさらにこの会社を大きくして、後世に繋げたい。
そんな使命感に燃えたわけではなく――、いい加減、日本が恋しくなっていたのだ。
「こんなこと言いたくないけど……、やっぱり日本は暮らしやすいから……。ご飯も、治安も、設備的な意味でも……」
窓の外を眺めながら、ぽつりと呟く。
数年暮らしたうえで、「水が合わないのかもしれないなあ」と思っていたところにその連絡だったものだから、雅は「行きます」と答えてしまっていた。
あっさりと会社を辞め、荷物をまとめ、大河内雅は日本行きの飛行機に乗っている。
いくらなんでも、いきなり会社を押し付けられることもないだろう、という思いもあった。ただの転職。本当に会社を継ぐかどうかは、そのときが来れば決めればいい。
腕時計を見る。
日本まで、あと六時間。
はあ、と雅はため息を吐き、そっと目を瞑った。
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