クジラの国で会いましょう

いとうみこと

その1

 私は六歳の時、家族で訪れた海水浴場で沖に流されたことがある。浮き輪に身を任せ、ぼーっと空を見上げていた私が気付いたときには既に海岸は遠く、泣いても叫んでも誰も助けには来なかった。日が傾き、泣き疲れ、次第に意識が薄れていく中で誰かの声を聞いた気がしたが、それ以降病院で目覚めるまでの記憶がない。


「ってことがあったから海は苦手なの!」

「そんなことがあったんだ、怖かったね」

 終業式を終えたばかりの教室で、麻衣は気の毒そうな顔で私をハグした。

「ごめん、だから無理」

 そう言って帰ろうとした私の両肩を麻衣の手ががしっと掴んだ。

「そりゃあ嫌いになっても無理はない。わかるよすごくわかる。でもね、落ち着いて聞いて。いい? 海に入る必要は全くないの。簡単な仕事だしさ、しかも店長がヤバイくらいイケメンなんだよ。他の友だちはみんな部活かバイトで、頼めるのはもう由実しかいないんだよ。ハワイなんて二度と行けないかもしれないじゃん。お土産たくさん買ってくるし、何でも言う事聞くから。ねっ、だからお願い、一生のお願い!」


 最後は土下座までされてどうにも断り切れず、両親が許してくれたらという条件で夏休み中の海の家でのアルバイトを引き受けた。宝くじの高額当選を果たした麻衣の祖父が家族一同をハワイに連れて行くことになったので、約束していた一ヶ月のうち一週間だけ代わってほしいという話だった。


 恐らくは両親が許さないだろうと高を括っていたが、意外なことにふたりは私が海の家で働くことをあっさり許可した。私の徹底した海嫌いを不憫に思っていたようで、水に入らないのならむしろ歓迎すべきことらしい。こうして私は不本意にも因縁の海水浴場へ十年ぶりに足を踏み入れることになった。

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