生贄のギルト
てんの翔
第1話
証言記録①
わたしには、祭壇に見えました。蝋燭の灯が照らす、漆黒の祭壇です。
ずいぶん、難しいことを知ってるね?
本で呼んだことがあります。神に供物や生贄を捧げるところだと。
そこで、なにを目撃したの?
殺されました……みんな。ナイフ……、いいえ、あれはなんだったんでしょう? 黒くて光沢のある石のようなもの……その鋭利な黒いもので、刺し貫かれて。
怖くなかった?
怖かったです。でも、どこか夢のなかのような気がして……。
君は、どこでその光景を見ていたの?
檻のなかです。あの人は、わざと儀式をわたしたちに見せていたんです。
儀式? それも本で読んだの?
そんなこと、どうでもいいじゃありませんか……。
そうだね。続きを聞かせてもらっていいかい? 君は、いつ祭壇に?
最後です。わたしが最後でした。
ほかのみんなが殺されてから?
そうです。最後の一人が、わたしでした。
それまでは、ずっと檻のなか?
いえ……何度か移動させられました。
どういうところに?
最初は、暗いところでした。なにも見えません。
真っ暗な部屋、ということ?
そうです。
そこでは、なにもされなかったの?
ただ暗いところに……。
ほかのみんなも?
たぶん、ちがうと思います……わたしだけ……。暗いところの次は、明るい部屋でした……床に、長い刃物が突き刺さっていたんです。ファンタジー世界の剣みたいな。
剣? なんだか不思議な光景だね。それから?
寒いところへ。氷が置かれていました。いくつもの氷の柱……本格的な、かき氷屋さんにあるようなやつです。
寒い部屋?
その次は、豹の剥製がある部屋です。
そこでは、なにがあったの?
とくになにも……。剥製が置いてあるだけで……。
次は?
暑い部屋です。松明の炎が赤々と燃えていました。いま思い出しても、汗をかきそうです……。
寒さと暑さ?
そうですね。両極端でした。
それだけ? つれていかれたのは?
最後に、普通の部屋に通されました。なにもなかったです。あ……。
どうしたの? なにを思い出したの?
コウモリの死骸がありました。部屋の中央にポツンと。
犯人が置いたもの?
わかりません。故意に置いたのかどうかも……。
いま言った部屋からもどって、また檻に入れられたの?
そうです。またもどされました。そのときには、ほかの子たちが、ずいぶんいなくなっていました。
全部で何人いたか覚えてる?
わたしを入れて、十三人です。
顔見知りはいたの?
いませんでした。でも、となりの檻に入れられていた子と仲良くなりました。恵子さんという名前でした。彼女も……彼女も……。
それは、つらかったね……。犯人の顔は見た?
見ていません。いつも、仮面のようなものをつけていましたから。
どんな仮面?
恐ろしい表情の、不気味な仮面です。
1.五月二五日(木)
初めてその資料を読んだとき、桑島は、だいぶ大人びた少女だな、と感想をもった。
事件当時は、十四歳──中学生のはずだ。
事情聴取での質疑応答を活字にしたもの以外にも、録音データで音声も耳にしている。やはり、歳相応とは思えなかった。
事件発覚から、半年ほど経過しての聴取だったという。彼女の年齢や精神的ダメージを考慮して、警察官ではなく、心療内科医が質問をおこなったそうだ。無神経な印象もあるが、それは彼女と医師のあいだに信頼関係が形成されていたから許されたのだろう。
彼女の名前は、吉原ひより。
現在は、十九歳。女子大生になっている。
桑島にとって、彼女は『象徴』のようなものだった。桑島の存在意義は、彼女によって成り立っているといっても過言ではない。
『目的地ニ到着シマシタ』
車を停めた。長野県の山のなか。カーナビを頼りに、やっとここまでたどりつけた。表示されている地名のすべては、いままで眼にしたことのないものだった。
車を降りると、山道を歩く。
初夏の熱がスーツにこもっていた。一週間前までは全国規模の大雨が続いていたのだが、それがすぎると気温が急上昇した。今年も猛暑を予感させるに充分だった。うっすらとかいた汗が、むしろ涼を呼び込む。
十五分ほど登ったところに、一軒の山小屋をみつけた。現場は、ここだろう。
近づいてみると、廃屋に近い惨状だった。入り口には、キープアウトの黄色いテープが張られている。時刻は、午後三時。もし夜に訪れていたとしたら、まちがいなく恐怖を感じているであろうたたずまいだ。
見張りの制服警官が一人立っていた。警戒するように睨まれたが、桑島は手帳をかかげた。すぐに、敬礼が返ってきた。彼が何時まで見張りにつくのかわからないが、夜通しここにいなければならないのなら、ひどく可哀相に思えた。
山小屋のなかに、捜査員の姿はない。すでに事件が発覚して、六日が経っている。鑑識作業も終了し、辺りは根こそぎ調べ尽くされているはずだ。ここの規制線も、もうじき解除されるかもしれない。
入ってすぐ、ひと一人を寝かせられる台のようなものが眼に飛び込んできた。というより、その台と、そばの床に置かれたステンレス製のバケツしか内部にはない。
祭壇。
少女の証言を思い起こしていた。
『わたしには、祭壇に見えました』
桑島にも、祭壇に見えていた。この上で、一人が殺されている。
眼をつぶれば、映像が自然に浮き上がってくる──。
犯人。不気味な仮面をかぶり、手には刃物がきらめく。
祭壇上の生贄に、その刃を突き立てる。
飛び散る血液。
悲鳴。
悲鳴!
手のひらから伝わる感触は、腕、肩を通り越し、全身を満たしていく。
果たすことのできた使命感。
それは、神に供物をあたえられたことによるものか。
快感……。
快感。
まだ続く快感!
「……」
この映像が、どれほど真相に忠実なのだろう?
瞼をもちあげ、とりもどした視界には、むろん凄惨な光景はそこにない。
この数年間、桑島は、つねにあの事件のことを──犯人のことを考えている。
おそらく……この世で一番、犯人のことを理解しているはずだ。
(まちがいない)
やはり、再びはじまったのだ……。
桑島は、覚悟を決めた。
五年前──。
のちに警視庁最凶の未解決事件と呼ばれるようになる犯罪は、そのとき眼を醒ました。
奥多摩の山中にある洋館で、十二人の惨殺体が発見された。いずれも、中学生から高校生の少女ばかりだった。祭壇のような場所で、十二人は殺害されたものとみられている。刃物で胸を切り裂かれ、心臓をえぐり取られていた。
……残虐の限りをつくされた亡骸たち。
それはあたかも、なにかの儀式のようだった。
生贄殺人──。
世間は、騒然となった。
ただ一人、洋館から救出されたのが、当時中学生だった吉原ひよりである。
犯人は、いまだに捕まっていない。
事件は何者かの通報によって発覚することになるのだが、電話をかけてきた者も不明である。とにかく謎の多い事件だった。警察官が現場に踏み込んだとき、すでに犯人は逃走したあとだった。いや、逃走ではないのかもしれない。当時の捜査資料を読むと、慌てて姿をくらませたというよりも、すべて計算ずくで消えたふしがある。館のどこからも、被害者少女たち以外の指紋が検出されていない。それだけならば、つねに手袋などをしていたと推理することもできる。しかし、体毛一本とて出なかった。そのほかの遺留物もなし。入念に、犯人自らが隠滅したとしか思えなかった。ということは、準備万端、現場をあとにしたのだ。
通報してきたのは、犯人自身なのではないか?
そう憶測をよんだ。もしそうなら、なぜ一人を残し、殺戮をやめたのか。なぜ、通報して事件を明るみにする必要があったのか……。
謎が謎を呼ぶとは、このことだった。
洋館を管理していたのは都内の不動産会社であったが、もともとは大阪に本拠をかまえる貿易会社の会長の別宅として建てられたものだ。時はバブル崩壊期。その貿易会社が不況のあおりで倒産すると、洋館の所有者も点々と移り変わっていった。人里離れているという地理的要因や管理費用のかさむ敷地面積から、値段はつかないも同然だったという。不動産会社でもあつかいをもてあましていて、管理も行き届いていなかったのが実情のようだ。一年に一回程度、点検をするために訪れていただけだった。その方面からの捜査は、すぐに頓挫した。
生贄、儀式──それらの要素から、新手のカルト教団なのではないかと疑われた。もしくは無残な殺害方法から、人体実験のようなものではないかと。
新興宗教。民俗学。医学者。科学者。
様々な方面にまで捜査対象を広げた。
当然、変質者。前科者。犯罪集団。
セオリーどおりの捜査もすすめられた。
人身売買、テロリズム、オカルティスト。
少しでも可能性のあるものは調べられた。
だが、これまでに容疑者は特定されていない。
十二人の殺害という前代未聞の凶悪犯罪ということもあり、警視庁は……いや、全国の警察組織は、窮地に立たされた。このような事件を未解決にはしておけない。捜査機関としての信用がなくなってしまう。
そこで警察庁は、この『生贄事件』のためだけの捜査官を任命することになった。
これまでの刑事事件の常識にとらわれない新しい発想を持った人材。宗教学や民俗学、心理学の知識も必要になるかもしれない。それらの部分から、高学歴の者がピックアップされた。
そうなると、自然にキャリア官僚からの登用ということになった。
そして選ばれたのが、桑島だ。
一般のキャリア警察官の場合、警部補からスタートし、警視庁や県警本部、主要所轄署での研修を終えた段階で、警部に昇格する。そして警視庁などに管理職として出向するか、警察庁の内勤で出世コースを歩んでいくことになる。遅くても二六、七歳までには、警視に昇進する。
桑島の研修先は、県警本部でもなければ、主要所轄署でもない。一般の大学だ。そこで四年ものあいだ、犯罪心理学を学んだ。在学中、階級は警部補のままだった。卒業と同時に、警部へと昇進した。
その後、アメリカへ渡航し、一年かけてFBIの研修を受けた。帰国とともに、やっと警視に上がれた。
年齢は、二八。
出世レースという観点でいえば、桑島はだいぶ同期から遅れをとっている。
現在の所属は、警視庁刑事部特別特殊捜査室となる。『室』といっても、桑島一人しかいない。生贄捜査のためだけに設立されたセクションであり、生贄殺人解決の任務だけを負った特別捜査官である。
その名称から、『特特』と隠語で呼ばれることもある。
桑島がこの任に選ばれたのには、理由があった。キャリア官僚という人種は、出世にしか興味がない。何人かピックアップされていたのだが、桑島以外は難色を示したという。当然だ。べつに、優秀な捜査員になりたいから、東大を出て、国家公務員試験に合格したわけではない。警察庁に入ったのなら、末は長官か警視総監をめざすのが王道だ。
桑島は、そういう感覚が、ほかとはズレていた。警察庁を希望したのも、将来的な損得勘定ではなく、その他の省庁よりも「おもしろそう」だったからだ。
むしろ、その申し出に喜んでのった。
だが、その考えが甘いものだったということを、いまになって思い知らされた。
まるで桑島が帰国したのを見計らっていたかのように、ヤツは行動を復活させた。
まだ、生贄殺人は終わっていない。
「同じだな……」
桑島は、確信した。
ここの現場のまえにも、山形県の山中で、やはり似たような事件がおこっていた。そこだけでは断定できなかったが、ここでの事件をうけて、それは揺るぎないものとなってしまった。
ここ長野、そして山形。現場で発見された遺体は、それぞれ一体ずつ。その遺体をまず、桑島は調べていた。
見るのもおぞましかった。FBIの研修で多少免疫はできていたが、惨殺遺体を眼にしたことによるショックは、隠しようもなかった。この現場に来るまでに一週間近くかかったのは、精神状態を安定させる時間が必要だったからだ。
桑島の抱える危惧は、実際の犯行をまえにして、切実なものとなった。
自分には、捜査経験がない。
生贄殺人の捜査に必要な知識はあったとしても、犯人を追い詰めるノウハウがない。
残酷な光景に耐えうる精神力がない。
キャリアとは本来、自分で動くのではなく、命令して他人を動かすものなのだ。
殺人現場、惨殺体、聞き込み、犯人との格闘──今後、巻き起こるであろう事柄が、プレッシャーとしてのしかかる。
この期におよんでようやく、おもしろ半分でできることではないと悟っていた。
桑島は、現場の状況を眼に焼きつけると、踵を返した。山小屋を出て、制服警官に会釈をすると、山道をもどっていく。
その道すがら、考えをめぐらせる。
五年前と今回の二件が、同じ犯人であるという確証はない。が、その可能性は高い。
犯罪は模倣されるものだが、模倣は所詮、偽物だ。これまでにも、何件かの模倣犯罪はおこなわれていた。すぐに偽物だとわかる、お粗末な犯行ばかりだった。いずれも犯人は捕まっている。
しかし今回は、本物の犯人だけが知りうる決定打がふくまれていた。
五年前に殺害された少女たちには、左手の甲に、丸と線を組み合わせた記号が刻印されていた。一人一人ちがうものだった。どうやらそれが、数字をあらわしているらしいことはわかっている。
専門家によると、一から十二だという。
古代マヤ文明の数表記。
生贄と古代マヤ──とても似つかわしい符号だった。
推測の域は出ないが、少女たちは一番から順に殺害されていったのではないだろうか。
手の甲の記号は、マスコミ発表されていない。真犯人しか知り得ない事実だ。
山形県と長野での遺体にも、記号が刻印されていた。山形は、丸い点が二つ。長野が三つ。
2と3をあらわしている。
桑島は、恐ろしい想像に襲われる。
すでに、どこかで『1』が発生しているのでないか……。
そして、その数が増えてゆき、再び『12』まで行き着くのではないか。
知らず、急ぎ足になっていた。ここで速く歩いたとしても、事件を迅速に解決できるわけではないというのに。
しかし、気ばかりが焦っていた。
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