はずれものの恋、ユーラシアのはぐれ島で

神永 遙麦

現代から不思議の国へ:少女時代

迷宮入りのルーツと誰も知らない私の旅路

 本籍が大阪から東京に変わった。

 パスポートの本籍を変更するために戸籍謄本を取得した。そこで初めて実父の名前を知った。オスカー・エアリー、10年以上前、私がまだ3歳だったころに死んだ父の名前。

 

 エアリー 明美、中学生最後の夏休みに入る直前のことだった。


 *

 2ヶ月後。

 私はイギリス北部の小さな村にあるおばあちゃんの家にいた。石造りの古びた家屋で、窓からは緑豊かな庭が見渡せる。家の中の壁には家族の写真 ――5年前に亡くなったというおじいちゃんや、子どもだったころのお父さんの写真―― が飾られている。


「ベス、あなたは国王の子孫だと言ったら信じる?」


 おばあちゃんを訪ねてから1週間経った頃、唐突におばあちゃんは言った。天気は曇り空と言うか地味に嫌な雨が降っていた。リビングルームの中央には大きなソファがあって、おばあちゃんはそこに腰掛けていた。私はその前の絨毯で胡座をかいていた。窓からは薄明かりが差し込み、部屋全体が穏やかな雰囲気に包まれている。おばあちゃんと一緒に家で映画を観ていた時のことだった。今2本目の映画。


「エリザベス女王の子孫ってこと?」と私は首を傾げた。


 おばあちゃんは首を横に振り映画を止めて、ポンポンとソファを軽く叩いた。胡座を掻いていた私はおばあちゃんの隣に座った。おばあちゃんは私を抱き寄せた。


「私のお祖父様はね、ゴーディラックという王国を治めていた」とおばあちゃんは耳元で囁く。


 ハァ?

 私は思わず目を見開いた。ゴーディラック? ゴーディラックってどこ? 聞いたこともない。

 ジョークかと思った。けどおばあちゃんの顔は真剣そのもの。


 だから私は「本当の話?」とひそひそ声で返した。

 するとおばあちゃんは「もっと大きな声で言って」と眉間に皺を寄せた。あ、おばあちゃん76歳だった。


 私は少しだけ声をボリュームを上げて言い直した。


 おばあちゃんは「誰が嘘でこんなこと言うの? 本当の話です」と頷いた。「ちょっと待ってて」と急に立ち上がった。


 おばあちゃんは2階へ行った。私はどうしようか考えた末、映画鑑賞を楽しんだ。王女がトラックの荷台に隠れて城を抜け出しているとこまで観ていた。ベンチで寝ている所を新聞記者に保護された所で、おばあちゃんが段ボール箱を持って戻ってきた。

 おばあちゃんはソファに座り、トスンと膝に段ボールを置いた。段ボール箱から古びたA4の紙が出てきた、ドイツ語で書かれた家系図だった。おばあちゃんはケネス・ヴィンス(ヴィンス7世)という名を指した。


「この人が国王だったお祖父様。この人が私の母。私が小さかった頃に亡くなってあまり覚えていないんだけどね」とエリザベスという名を指した。ひいおばあちゃんは1917年生まれだったらしい。

「私のミドルネームはひいおばあちゃんからきてたんだ」と私は小さく呟いた。


 私が15歳になるちょっと前、9月のことだった。


 

 *

 

 秋が終わり、色づいた木の葉に霜がつき始めた始めた頃、私はおばあちゃんの家から出る支度をしていた。

 個人輸入でゲットした日本の最強レギンス、洗濯ネット、他にも色々詰め込んだ。冬に入ったせいでパンパンになったスーツケースを頑張って閉じた。よし、荷造り完了!


 おばあちゃんは心配そうに「本当に行くの? ゴーディラックなんて……。今ゴーディラックは別の……私達の先祖とは関係のない人が治めていると母は言った。危険よ」と震える手で私の手を握った。

 おばあちゃんは「ゴーディラックは今、私たちの先祖とは関係のない人が治めている。危険だから……行かないで」と震える手で私の手を握り、目を見開いた。


 おばあちゃんの目を見ていると胸が締め付けられそう。私と同じ灰が掛かった青い目。胸の中で不安と決意を何度も行き来する。私はおばあちゃんの手を握り返し、静かに頷いた。私は行く、絶対に行く。


 おばあちゃんは「ベスのお母さんは何て?」と眉間に皺を寄せた。

「大丈夫よ」と私はカバンから渡航同意書を出して見せた。


 お母さんにヴァロワールへ行くための渡航同意書をお願いしたら、何も聞かれず送られてきた。きっとお母さんは私がインドへ行こうが、南極……いや月へ行こうが、気にしない。


「そもそもお母さんは私が家にいないことには慣れてるから大丈夫。ほら、私4歳の頃から10年も各国を転々と留学してたじゃん。今更気にしないよ」と私はおばあちゃんに笑いかけた。


 おばあちゃんはため息を吐いた。きっとこの世できっとただ1人だ。私のことをここまで心配してくれるのは。それを振り切ることに対して何度も自問自答した。けれども止められない。私は私のルーツを知りたい。ずっとお母さんの私生児のような扱いを受けていたからこそ。

 チラリとおばあちゃんを見た。1週間前、人生で初めて会った祖母は、年の割に美人だった。さすが76歳だから白髪もたくさんあるし、顔もおばあちゃん。お団子に纏めてあるダークブロンド、灰色っぽい青い瞳。ツンと尖った綺麗な鼻、丸みを帯びた顎。本当、私に似てる。私はにこりと笑った。


「これ預かっててよ」とおばあちゃんに日本パスポートを渡した。「ヴァロワールとゴーディラックにはイギリスパスポートで行くから、日本パスポート持ってく必要ないでしょ?」


 私はバサッと地図を開いた。おばあちゃんの家にあった古びた日記やインターネットから微かな情報を得るたび書き込んだ地図だ。

 まずはフランスを経由してヴァロワールへ行く。ヴァロワールはゴーディラックと繋がるこの世界でただ1つの国。ヴァロワールはイギリスやフランスの北側にある。ゴーディラックとヴァロワールの位置関係は調べても調べても情報が出なかった。情報の流出が制限されている国のようだ。そもそもヴァロワールに関する情報すら乏しい。

 スーツケースの横に置いたジュエリーボックスを見た。中身は日本を出る直前にお母さんがくれた可愛いペンダント。ふぅと息を吐いてから、ペンダントを首に掛けた。御守り代わりだ。



 明美・エリザベス・エアリー、15歳。自分がどこから来て、どこへ向かっているのか、ようやくまともに考え始めた。

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