空っぽな俺は剣戟の果てで自分を得る

蛸賊

第1話 目覚め

 お前。これが今世での俺の名前であった。気が付いた時には見ず知らずのあばら屋で暮らしていた。そのうえ幼い体にはきつい農作業も手伝わされていた。俺としての意識が覚醒する前のことなど覚えていなかったため初めのうちは何をすればいいのかすらわからなく、よく殴られた。


 貧農の三男坊として生まれたようで、スペアのスペア。無事に二人の兄が成長している今両親とって俺という存在は邪魔者になり果てているようだ。


 そして今日、俺は売られた。今の状況を完全に理解しているわけではないが、俺は幾人もの子供たちを連れた商人らしき男に引き渡され、その代わりに金を受け取った父はその金額に文句をつけていた。


 子供は見たところ三十人はいそうで、全員が襤褸を着てやせ細っている。手には縄をかけられて荷車に詰め込まれた。かといって荷車に檻のようなものが付いていたりはしない。それでも誰も脱出しないのは腹が減ってその気が出ないというのと周囲にいる屈強な男のせいだろう。


 刀を腰に差し、だべりながら荷車のそばに立っている。それが六人。これでは子供は黙って連れていかれるしかない。この後はどうなってしまうのか非常に不安が残る。この世界のことはまだわからない部分が多い。ただ、いうなれば和風ファンタジーのような世界であろうか。堕獣と呼ばれる化け物が存在し、武家がそれを退治し国を治める。そういう世界らしい。生まれ変わった時は自分にも特殊な力が宿っているものかと期待したものだが、そんなことはなかった。俺はただのやせ細った餓鬼に過ぎなかったのだ。


 商人の一行は俺の内心を考慮することなくすすんでいく。三日ほどたっただろうか。その間の食事は朝に一度、握り飯を渡されるだけであって腹がすく。その握り飯だって米を使っているわけではなく、大麦を中心とした雑穀に多少の味噌玉だけであった。つまりあまりうまくないのだ。米はほとんどを年貢として武家が持っていく。残ったものとて、次の種籾にするために食うことはない。食うにしても俺のような者に優先順位はなく、父、兄、母そのあたりが食べて終わりであった。


「はらへった」


 呟いた声は空に消えていった。荷車の乗り心地は悪く、道の整備はされていないから何度も跳ねる。そのうえ、子供を乗せすぎているため横になることだって叶わない。


 山の中を進んでいくとやがていくつかの小屋のようなものが現れた。そこへ着くと馬車はゆっくりと止まった。ここが目的の場所、俺たちの売り先のようだ。商人は一人の護衛を連れて小屋の一つに近づいていく。その様子を俺は荷車の中で見守っていた。小屋の中からは一人の男が出てきた。黒い髪に糸目。顔には張り付けたような笑顔がある男で、まるで悪役のようであった。


 その男と商人はいくつか話をして、金の受け取りが終わる。俺たちの所有権はあの男に移った。見張りの男の指示に従い荷車を下ろされ、その小屋の前に集められる。集団性など微塵も持ち合わせていない俺たちの並び方はただ集まっているだけで規律性のかけらもなく気持ち悪く映った。商人はその男に幾度も頭を下げながら再び荷車をもってどこぞへと消えていった。


「三十ってとこやな」


 男が俺たちの数を数えている。これからどうなるのか、それについて聞きたかった。この人のいない村で暮らすことを強いられるのかもしれない。この男は隠れ里をつくり隠田でも作るつもりなのだろうか。そうなれば俺もかなりのリスクを強いられることになる。この男がどういった性格なのか分かるまでは不用意に声を発せるべきではないと思う。


「それじゃあ一人ずつ中に入ってき」


 なんの説明もないまま男は小屋の中に入っていく。子供たちはやはり混乱している。中に入って命の保証があるわけではないのだから、入るのを躊躇してしまっても仕方がないだろう。しかし、どんなに待てども男が再び外に出てくることはなかった。やがて子供たちの中から一人の少年が恐る恐るといったように小屋の中に入っていく。


 小屋の中からは何の声も聞こえてはこない。しばらくして少年は無事に小屋の外に出てきた。顔見知りだったのだろう少女に中では特にひどいことはされなかったと言っているのが聞こえてきた。しかしまだサンプルが足りない。俺が行くのはもう何人かが行ってからにすることにした。


 そのあとに続いて三人の子が中に入っていったが、全員が無事に外へと出てきたので、次は俺が入ることにした。中はごちゃごちゃとしていた。真ん中に魔方陣のようなものが描かれており、周りにも刀や薙刀、榊が飾られている。それに加え幾つかの食べ物、魚や米、野菜や果物なども置いてある。まるで何かの神事のようであった。


「ほな、始めよか」


 促されるようにして、その中央に座らせられた。中央の部分で正座をしながら、何が始まるのかという不安で満たされていた。男のしゃべり方はどこか胡散臭さを感じてしまうようなもので為されているように感じる。


「これ、飲みや」


 渡されたのは盃に入れられた酒だ。口元に近づければその強烈な酒精を感じ思わず顔から離してしまう。この体になってから初めて飲む酒であった。それは清く透き通っていて自分の見つめると顔が反射する。やせ細った、黒い髪の少年。顔立ちは悪い方ではないが、どこか幸薄そうなように見える。


「はよしい。僕の時間奪っとるんよ」


 男の声に少しの不機嫌さが混じって聞えた。勢いをつけて酒を呷る。その辛さに喉が焼けるような痛みを持つ。思わずえずいてしまうが酒が腹から出てくることはなかった。次第に体全体が熱を持つ始める。熱い。熱い。心から燃えるような熱を持ち俺のからだが壊れてしまいそうだ。


「あ、あああ」


「鈴持った老婆やな」


 何やら呟いている声が聞こえてくるが今の俺にその内容を理解することはできなかった。


「はよどきや。次がつかえとるやろ」


 体の熱はいまだ収まってない。それどころかもう一段上があるように感じている。この状態では決して動くことなどできないだろう。よく俺よりも先に入った子供はこんな状態から動くことができたものだ。


「ん? なんやジブン、まだ熱がひいとらんのか。ずいぶんと長いなあッ、二体目……やと」


 男の驚いた声が耳に届くが今の俺はもう意識をまともに保てないでいる。消えかかる意識の中で俺は死にたくないと願っていた。こんなところで終わりたくないという思いが俺の中を占めている。空っぽのまま死にたくない。俺は何者かになりたいんだ。せっかく与えられた新たなチャンス。こんなところで終わりたくはない。

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