J氏の奇妙な競売会

灰崎千尋

第1話 競売会

 或る時は、あるじを失った古城で。

 また或る時は、打ち捨てられた教会で。

 そして今宵は、蝋燭ろうそくの火に囲まれたダンスホールで。


「紳士淑女の皆々様! あらゆる世俗に飽いてしまった方にもきっとご満足いただける品を、この度もご用意しております。」


 中央に立つ仮面の男が腕を広げて言う。それをぐるりと囲む者達も皆、仮面をつけている。それこそがこの場のドレスコードだからだ。

 中央の男は小さな壇の上に立ち、象牙のハンマーを片手に携えて言葉を続ける。「ここで見聞きしたことは他言無用」「支払いは現金か小切手のみ」「ハンマーを鳴らした後のクレーム・返品は不可」などなど。その声は朗々とよく通り、どこかくすぐるように甘い。ホールの中の空気が張り詰め、熱く高まっていくのをその場の誰もが感じていた。


競売人オークショニアはわたくし、オスカーが務めさせていただきます。それでは早速参りましょう、ロットナンバー1、『空腹な娘』でございます」


 扉が開き、運び込まれたのはまず、長いワゴンに所狭しと並べられた料理だった。湯気のたつスープ、焼きたてのパン、魚のパイ包み、丸鶏のロースト、色とりどりの菓子。それらがゆうに五人分はある。思わず人々が喉を鳴らす中、一人の娘が連れて来られた。始め、おどおどと歩みを進めていた娘だったが、こんもりと盛られた料理を嗅ぎつけるやいなやその前へ走り寄る。


「ねぇ、これ食べていい? 食べたいなぁ。食べちゃうよ?」


 娘の目はもはや料理に釘付けで、競売人のカールが「どうぞ」と言ったのが早いか、娘が料理に手を付けたのが早いか、誰にもわからなかった。

 娘は立ったまま料理を次々に口へ運ぶ。銀のチューリンになみなみと入ったスープはあっという間に飲み干され、パン籠にはパン屑が残り、魚の姿は消え、丸鶏は間もなく骨になるところ。

 娘はニキビとそばかすの散らばる顔をきらきらと輝かせながら、実に美味しそうに頬張り続ける。娘は薄いガウン一枚を羽織っているだけだった。だからその体の輪郭は誰の目にもよくわかった。特別豊満なわけでも、特別痩せているわけでもない。やや背は高いものの、これだけの量の食事がその体のどこへ入っていくのか。皆が目をみはっているうちに、娘はにこにことデザートへと進んでいた。


「この娘は、ひたすらに食べ続けるのでございます。ご覧ください、この幸福そうな顔を。ただの過食ではございません。決して吐き戻したりなどいたしません。しかし哀れなことに、満腹を覚えることがないのです。それで家を出され、無銭飲食をして折檻されていたのを、わたくしどもが引き受けました」


 オスカーの言葉が耳に入っているのかいないのか、娘は時折くしゃりととびきりの笑顔を浮かべたりなどしつつ、食べ続けた。肉汁が、ソースが、食べかすが、娘の顔を汚していたが、その微笑みをいっそう際立たせるようだった。


「さぁこの娘の笑顔を守ろうという方、300ポンドからスタートです」


 カン、とオスカーがハンマーを鳴らす。すぐさま手が上がり、二人、三人と続く。娘はそれを気にするでもなく、やはり菓子を口に運んでいた。やがてワゴンがすっかり空になる頃、オスカーが一際声を張り上げた。


「800、他にいらっしゃいませんか! よろしいでしょうか、それでは800ポンドで落札です。おめでとうございます!」


 ホールにハンマーの音と拍手が響き渡る。

 落札したのはやたらと体の薄い男で、その場で鞄から札束を支払った。その間に従者が娘の口を拭い、コートを着せる。娘がつぶらな瞳をぱちくりと瞬かせている間に、彼女は男のものになった。


 競売会オークションは続く。

 女装してスリを働いていた白児アルビノの少年『悪辣な天使』、贋金を刷っていた小人症の男『錬金術師のブラウニー』、そして今回の目玉は、数々の精巧な贋作絵画を片足で描いていた男『腕無し画伯』で、1000ポンドの値がついた。


 人が人を買う競売会。この奇妙な宴を知る者は決して多くない。ここに参加するためには招待状が必要で、紹介も許されない。招待状には「J」の字を象った真っ赤な封蝋と、「Jenkins」の名が記されていた。前回は「Johns」だったし、もっと前は「Jefferson」だった。いつだって「J」から始まる偽名が使われているものだから、皆はこの競売会の主催者を“J氏”と呼ぶようになった。

 J氏の正体を、客たちは誰も知らない。それを探ろうというような人間はそもそも客に選ばれなかったし、少しでもそういう素振りを見せれば二度と招待状は届かなかった。きっと会場のどこかで見ている。その謎もまた客たちを楽しませた。ここに来る者は皆、“世俗に飽いて”いるのだから。


 折角ダンスホールなので、と最後に楽団を入れて仮面のワルツを踊った後、競売会は解散した。全ての馬車が去ってしばらく、戻ってきたのが一台。

 そこから降りてきたのはひょろりと細長い男だった。黒いコートを纏い、黒髪を結った頭の上へこれまた黒いシルクハットを乗せていて、真夜中の糸杉イトスギのような姿だった。落ち窪んだ右目には片眼鏡モノクルをはめこみ、黒光りする革靴をカツカツと鳴らしながらオスカーへ近づいていく。


「今夜もよくやってくれた、オスカー」


 後片付けをしていたオスカーは、そのもそりと低い声のした方へ振り向いた。仮面を外し、プラチナブロンドの長い髪を掻き揚げて微笑む。その素顔は、右半分は絵画の英雄のように整っていたが、もう半分は醜く溶けたようにただれていた。


「お疲れ様です、旦那。お陰様で良い競りでした」


 壇上にいた時よりも随分と気安いその声に、のっぽの男は安堵したように息を吐き、それから固く握手をした。

 この糸杉のような男こそが、J氏だった。

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