サクシード
柏木椎菜
一話
「――と、この者は二つの罪を犯し、我が王国民に被害を与え、陛下の政をおとしめました。陛下、どのようにいたしますか?」
宰相のロイテルが玉座に座る国王ヴェンデルにたずねた。国王は身じろぎ一つせず、離れた正面に膝を付かされている男をじっと睨み付けながら低い声で言った。
「処刑しろ」
何の感情も感じられない声が静まり返った部屋に響く。国王の裁きを見守る者達は皆、一瞬息を呑むが、次には目を伏せ、諦めの感情を湧かせる。
「……ご判断が下された。その罪人をただちに処刑せよ」
宰相が指示を出すと。膝を付いていた男は兵士に両脇をつかまれ立たせられると、弁明の余地も与えられずに国王の前から下がって行った。その顔は恐怖に固まり、口も開けない様子だった。それを見守っていた臣下達が見送るが、その顔もやはり同じく恐怖に引きつっていた。
罪人の男は地方役人で、民からの税金を多く徴収したという罪を犯していた。だがそれは故意ではなく、単純な計算間違いから起こしたことだった。それは証拠もあり、男自身も深い反省を見せていた。けれど罪には違いない。他国ならば罰金刑や短期労働刑で済む程度の罪だったが、この王国だとそれでは済まない。国王の感覚では死刑に値する罪なのだ。大多数が重過ぎると感じていても、国王が死刑だと思えば死刑になるのだ。そしてそれに異を唱える者は一人もいない。もし唱えれば、今度はその者が国王に逆らったと見られ、罪に問われるのだ。そうなれば処刑は免れない。誰でも自分の命は惜しい。だから気持ちを押し込め、口を閉ざす。どんなに理不尽なことが行われていようとも。この王国にい続ける限り、ヴェンデルという暴君に身も心も支配され続けるしかない。
先王が亡くなって王位を継いでから十年。その当時は今ほど城内にピリついた空気は漂っていなかった。それが年を追うごとに不穏さを増し、五十八歳となった現在は、王国中に行き渡った恐怖が民を支配し治めていた。それは国王に近い者達も例外ではない。家族である王妃も王女も、国王の暴悪な振る舞いを止めることはできなかった。王妃は夫の行き過ぎた行動を正そうと、そのたびに諌めていたが、それを鬱陶しいと思ったヴェンデルは妻を別荘へ追い出してしまった。それを見ていた王女は、父と共に住んでいては何をされるかわからないと恐れ、自ら城の離れへ移った。とにかく側にはいられなかったのだ。恐怖は家族にさえも及んでいた。その家族が国王を正せないのでは、もはや誰も何もできない――民も臣下も、諦めてじっと耐える以外にないと思っていた。
そんな中、王家に一つの変化があった。王女のコルネリアが懐妊、そして息子を産んだのだ。国王には三人の娘がいたが、二女、三女は他国へ嫁いでいて、まだ子はなしていなかった。つまり長女の息子が国王にとって初孫だった。かねてから息子が欲しいと思っていたヴェンデルには待望の王子であり、城内に久しぶりに訪れた吉報だった。
それまで疎遠だったコルネリアは頻繁に城へ呼ばれるようになった。もちろんこれは王子が目当てだ。幼い孫をヴェンデルは溺愛した。彼と接している時だけは、普段見せない緩んだ表情をさらした。これには王女も、周りの臣下達も驚いた。あの恐怖と威厳を常にまとった国王が、孫一人に骨抜きにされようとは。この時だけは優しく穏やかな祖父に戻る様子に、皆は良い変化を期待した。このままお心まで優しいものになればと。だが人の心が変わるのは、そう容易いことではない。国王が優しさを見せるのは王子の前だけで、それ以外では何も変わることはなかった。期待が外れたことに、臣下達は再び諦めるしかなかった。
レイナウト王子はすくすく育った。両親から惜しみない愛を受け、将来の国王としての教育を受けた。そこにはヴェンデルを反面教師にした教えがあった。これは母コルネリアの強い意向だった。息子を恐怖で治めるような国王にはしたくないという希望と願いの表れだ。すべての民から愛される国王に――そうなるようにレイナウトは教えられ、育てられた。そのおかげか、九歳となった王子は純粋な優しさと正義を持った利発な子供に成長した。
「レイナウトよ! よく来たな」
私室で待ち構えていたヴェンデルは、扉を開けて入って来た孫を見るや、ソファーから立ち上がり足早に近付いて迎えた。
「お祖父様、お久しぶりです」
笑顔を浮かべたレイナウトは、黒い頭を丁寧にペコリと下げて挨拶する。
「本当に久しぶりだ。……コルネリア、わしから言わずとも、もっと会いに来られるだろう。なぜそうしない?」
不満の声と視線をぶつけられた娘は、恐縮しながら作り笑いを見せた。
「こちらにも、いろいろと予定があったもので……これからは、陛下の元へ多くうかがわせてもらいます」
「ああ、そうしろ。……レイナウトよ、こちらでわしと菓子でも食べよう。さあ」
祖父に手を引かれ、レイナウトは背後の母へ食べてもいいのかと、ちらと視線で確認する。それにコルネリアは小さく頷きを返した。許可を貰ったレイナウトはさらに笑顔になると、ヴェンデルの示した隣に座り、勧められた焼き菓子を手に取る。
「作り立てでまだ温かいぞ。好きなだけ食べろ」
横から祖父に見つめられながら、レイナウトはきつね色に焼かれたクッキーにかじり付く。
「どうだ? 甘くて美味しいか?」
「……はい! すごく美味しい!」
言葉通り、レイナウトはクッキーを次々頬張る。その様子にヴェンデルは満足げに笑う。
「そうだろう。わしも好きな味を気に入ってくれてよかった。足りなければすぐに作らせるから、ここにあるもの全部食べても構わな――」
「陛下、お気持ちは嬉しいのですが、甘いものを多く食べさせるのは、あまり……」
ソファーの横から見守っていたコルネリアが、甘やかしぶりを見かねて口を挟んだ。するとヴェンデルは途端に表情を険しくさせ、娘を睨むように見た。
「レイナウトはこの味を気に入ったのだ。好きなだけ食べさせてやってもいいだろう」
「それはそうですが、けれど、何事も多過ぎますと、身体に悪い影響というものが――」
「わしの好きな菓子が身体に悪いと言うのか!」
「いえ、そうではなくて、できればほどほどにしてもらえればと……」
「ほどほど? コルネリア、お前はわしが用意したものをレイナウトに食べさせたくないのか?」
「ですから、そういう意味ではなくて、食べる量を――」
「ごちそうさま」
不意の孫の声に、ヴェンデルは丸くした目を向ける。
「まだクッキーは残っているぞ。全部食べないのか?」
「はい。これだけでいいんだ」
そう言ってレイナウトは机のコップを取り、リンゴジュースをゴクゴク飲んだ。
「これはお前のために用意したのだぞ。遠慮せずに食べても――」
「もう大丈夫。食べ過ぎは良くないって母上にも言われてるんだ」
この言葉に、ヴェンデルは再び娘へ目をやる。
「レイナウトは、お前に気を遣い、好きなものを好きなだけ食べられなくなっている。我慢を強いるなど、なんて可哀想なことをしているのだ!」
動揺しながらコルネリアは返す。
「こ、これは、レイナウトのためを思ってのことで、我慢と言っても、大したものでは……」
「大したものでないと思っているのはお前だけだ! 食べられないレイナウトがどれほど辛く感じているか――」
「辛くなんて思ってないよ」
さらりと言った孫に、ヴェンデルは一瞬言葉を詰まらせる。
「……そ、そんなわけがあるまい。強がることはないぞ」
「強がりじゃないよ。前におやつを食べてた時、美味しくて何度もおかわりしたんだ。そうしたら夕食がちょっとしか食べられなくて、たくさん残しちゃって。それを見た料理長がすごく悲しそうな顔をしてたの。だから僕、反省して、おやつはもっと食べたくても、ちょっとの量にしてるんだ。また料理長を悲しませたくないから」
すらすらと理由を述べた孫に、ヴェンデルは唖然とするも、次には相好を崩してレイナウトの頭を撫でた。
「料理人の気持ちの心配までするとは。お前はなんて思い遣りのある王子だ! さすがわしの孫だ!」
「お祖父様も、おやつの食べ過ぎには気を付けたほうがいいよ。夕食が食べられなくなっちゃうから」
「そうだな。注意しよう」
横で見ていたコルネリアは一安心する。どうにか父を本気で怒らせるには至らず、緊張しかけた気持ちも緩んだ。こういうことがあるからヴェンデルにはあまり近付いていなかったのだが、その期間が長ければ長いほど、また怒らせる原因にもなるわけで、そのさじ加減が難しい。だが今回のレイナウトの対応を見て、本人にそんな意識はないのだろうが、祖父の感情を上手く収めた様子に、これからはそんなに恐れず会いに来てもいいのかもしれないと思うコルネリアだった。
その後もしばらくヴェンデルの孫を甘やかすおしゃべりは続いた。
「レイナウト、部屋でお前は何をして遊んでいるのだ?」
「僕、部屋であんまり遊ばないんだ。本を読んでるのが多いよ」
「それもいいが、本だけではつまらなくないか? わしが玩具でも買ってやろう。どんなものがいい? 何でもいいぞ。欲しいものはないか?」
「欲しいもの……? 何にも思い付かない……」
「剣と盾なんかはどうだ? ああ、弓と矢でもいいな」
「それは父上に貰ったよ。練習用の」
「練習用では何も切ることはできないだろう。実戦で使えるような迫力を備えた――」
その時、ヴェンデルの声をさえぎるように部屋の扉がコンコンと鳴った。
「……誰だ。わしは今、話の最中だぞ」
不機嫌に変わった声が音を鳴らした人物にぶつけられる。それを察したように、扉は恐る恐る静かに開くと、その隙間から伏し目がちになった侍従が顔をのぞかせた。
「お話中に失礼いたします、陛下。ご予定のお客人がいらしたそうなので、そのご準備をお願いいたします」
「客人か……そう言えば、そんな予定があったな」
「誰かと会うの?」
見上げて聞く孫にヴェンデルは笑顔で答える。
「ああ。約束していてな。だがそんなもの、待たせておけばいい。だから大丈夫だ」
これに侍従は慌てるように返す。
「へ、陛下、お客人をお待たせさせるのは、その、失礼に――」
「はん? わしとレイナウトの話を中断させるほうが失礼だろう。そんなことをするやつなど、いくらでも待たせておけばいい」
「しかし、お客人は約束通りに来られておりますし、あまりお待たせさせてしまっては……」
「おい、わしは向こうの頼みで約束をし、会ってやるのだ。それなのになぜ向こうに気を遣わなければならない? 逆だろう。この国の王であるわしに気を遣うべきだ」
「それは、ごもっともですが、けれど、陛下がお決めになられた日時ですから、そのお約束はお守りになられないと……」
ヴェンデルは侍従を険しい表情で睨んだ。
「貴様はわしの侍従か? わしのすることが気に入らないというのか?」
射すくめられた侍従は額にじんわり汗を見せながら言う。
「め、滅相もございません! 私は、陛下に異を唱えるつもりなど……ただ、遠方から来られたお客人ですので、そのご苦労を労って差し上げる意でも――」
「話の邪魔をする者をなぜ労う必要がある。確かに日時はわしが決めたが、その瞬間、この身が必ず空いているというものではないだろう。待たせたくないというのであれば出直させろ」
「わ、わざわざ数日をかけて来られた方です。陛下のお顔も見られず、お帰りいただくというのは、あまりにも……」
「やはり貴様はわしに従う気がないようだな。そんなに客人のことが大事ならば、ここでクビにしてやろう。そして客人と共に去れ」
「お待ちください! 私は、決して陛下に反発しているのではなく、陛下と、ひいては我が王国の体裁をおもんぱかって、お約束なされたことは果たされるべきかと思い――」
「黙れ! わしの言葉を聞けないやつなど必要ないわ! さっさと消え――」
「待ってお祖父様、僕のことはいいから、その客の人に会いに行っていいよ」
突然割って入ってきた孫の声に、ヴェンデルは込み上がっていた怒りを中途半端に抑えながら目を向けた。
「……な、何? 会いに行けと、言ったのか?」
「はい。せっかく来てくれた人を待たせるのは、相手に失礼になっちゃうでしょ?」
伝えたかったことを、まるで代弁したかのように言ってくれた王子を、侍従はポカンと口を開けたまま見つめていた。
「だが、会いたいと言ってきたのは向こうだ。待たせたところで失礼など――」
「でもお祖父様は会う約束をしてたんでしょ? それを破れば失礼になっちゃうよ。客人はもてなすのが礼儀なんだよね?」
純粋な眼差しを受けて、ヴェンデルは思わずたじろいだ。
「う……まあ、そうだが……しかし、会いに行けば、レイナウトとの話ができなくなってしまう」
「僕と話すのは、また別の日にだってできることだよ。でも客人は遠いところから来た人なんでしょ? 次に会えるのはずっと先になっちゃうかもしれないよ。それなら僕より、客人と会ったほうがよくない? 約束を破らなくて済むんだし」
ヴェンデルは困惑した表情で孫を見つめた。
「レイナウトよ。お前は、わしと話すのが嫌なのか……?」
「嫌じゃないよ。だけど、今は客の人に会いに行ったほうがいいと思うんだ。お祖父様は王様なんだから、客人をがっかりさせちゃ駄目だよ」
「駄目、か……」
「それと、侍従のあの人を怒らないであげてよ。あの人はお祖父様に約束を破るなって言ってくれたんだよ? 何にも悪いこと言ってないのに怒るなんて変だよ。何でお祖父様は怒るの?」
「王子……!」
自分を気遣ってくれたことに、侍従はそう呟いて感極まった。それには気付かないヴェンデルは、孫の淀みない疑問に言葉を詰まらせる。
「いや、わしは別に、本気で怒ったわけでは……」
「じゃあ、クビとか去れって言ったのは嘘?」
「え、あ、ああ……そ、その通りだ。本気で言ったのではない。すべて、冗談だ」
祖父の引きつった笑顔を見て、レイナウトは侍従へ目をやる。
「冗談なんだって。だから明日からも城に来てね」
急に話しかけられ、侍従はぎこちなく答える。
「しょ、承知いたしました。これからも、陛下のために働かせていただきます」
「よかったね。……さあ、お祖父様、早く客の人に会いに行って。きっと待ってるよ」
「行ってしまって、いいのか?」
「僕のことは気にしないで。話すのはまた今度にしよう。その時にたくさん話せばいいよ」
「そうか。お前が、そう言うのならば……会いに行く他ないな」
孫に後ろ髪を引かれつつも、ヴェンデルはソファーから重い腰を上げ、侍従の待つ扉へ向かう。
「……わしはいつでも時間を作って待っている。だからすぐに会いに来るのだぞ?」
そう言い置いて部屋を出て行った。レイナウトはそれを笑顔で見送る。と、扉に手をかけた侍従がレイナウトを見ると、頭を深々と下げながら静かに閉める。そこには下げた頭と同様に深い感謝が見て取れた。しかしそれに気付いているのは、感謝された王子ではなく、見守っていたコルネリアだったが。
「……では、帰りましょうか」
母に言われてレイナウトはソファーから下りる。
「はい。……母上、僕、お祖父様を寂しがらせちゃったかな」
「なぜ?」
「だって、僕ともっと話したそうだったのに、無理矢理客人に会いに行かせちゃったから……」
コルネリアはフフッと笑い、言う。
「大丈夫よ。たとえそうだったとしても、レイナウトは間違ったことは何一つ言っていないわ。そんなに陛下のお気持ちが気になるのなら、また早いうちに会いに来ましょう」
「はい! そうだね」
笑顔で話した二人は並び、部屋を後にする――この出来事が、後に王子が注目されるきっかけとなったのだが、当然この時点ではまだ王子にも、母である王女にも、祖父の国王にも、そんな意識は微塵も生まれていなかった。ただ一人、目撃した侍従を除いては。
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