いざ「よろ相」初出勤③
「こんにちは、の時間じゃなかったね。おはよう、かな。ごめんね、うちの真晴くんが失礼なことをして」
「い、いえ」
条件反射の否定に、男の人がくすりと笑う。その背後から、――姿はまったく見えなかったけれど――、「だから、ここでその呼び方するなって言ってるだろ」という声が聞こえて、あたしはおずおずとその人を見上げた。
「あ、あの……」
「あぁ、ごめんね。いくつになっても思春期の抜け切らない子で。悪い子ではないんだけどね」
「はぁ」
「だから、おい!」
「言いたいことがあるなら、隠れてきゃんきゃん吠えていないで、出てきたらいいじゃないか。これから一緒に働くかわいい後輩なんだから」
歯牙にもかけない調子で「ねぇ」とほほえまれ、あたしは慌てて頭を下げた。
「す、すみません。ご挨拶が遅くなりまして。本日よりお世話になります、三崎はなです。国民健康保険課から本日付けでこちらに異動となりました。ご迷惑をおかけすることもあるかと思いますが、頑張りますのでよろしくお願いします!」
「はい、元気なあいさつをどうもありがとう。僕は七海總司と言います。この課は少し独自色の強いところだから、慣れるまでは大変かもしれないけれど、フォローはするから頑張ってね」
「は、はい!」
優しい言葉にうっかり泣きそうになってしまった。よかった、すごく優しそうな人で! まともそうな人で!
「ごらんのとおり、うちの課は少人数でね。在籍しているのは、僕と真晴くんと、あとは課長だけなんだ。課長はいつも始業ギリギリにならないと来ないから。紹介はそのときにするね。――ほら、真晴くん。いつまでも照れてないで、こっちに来なさい」
職場の先輩というよりは、保護者みたいな対応だ。少人数の課だから、アットホームで和気あいあいとしているのかもしれない。
……和気あいあい。
自分で想像しておいてなんだが、和やかなイメージと先ほどの先輩の態度が悲しいくらい一致しなかった。
上下関係のないアットホームな楽しい職場です、とか。ブラック企業の謳い文句そのものでは。いや、ブラック企業というか、その墓場の。夢守市役所の墓場の。
思い浮かんだ未来予想図に、無言でぶんぶんと頭を振る。
ない、ない。そんなことない。だってほら、七海さんはものすごく優しそうだし。
「ほら、真晴くん」
その七海さんが振り返って呼びかける。嫌な想像は脇に置き、あたしもひょいと室内を覗き込んだ。来客者に対応するための部屋なのだろうか。テーブルを挟んで、ふたり掛けのソファーが二脚並んでいる。
こんな部屋があるんだ、すごいなぁと眺めていると、ソファーの奥から黒い影がぬぼっと出現した。
「ひぃ!」
「三崎くん、三崎くん。真晴くんだよ」
七海さんの声に、かくかくと首を縦に振る。そりゃそうだ。むしろ先輩じゃなかったら誰だという話だ。怖すぎる。
仏頂面のまま近づいてきた先輩は、目を逸らしたら負けだと言わんばかりにこちらを凝視している。
――あの、そんなにお気に召さないことをしましたでしょうか、あたし。
後退したいのを必死で堪え、視線で七海さんに助けを求める。
「あ、あの、七海さん」
「あぁ」
その視線を受けて頷いた七海さんは、優しげな笑顔でとんでもないことを言った。
「三崎くん。これが最上真晴くん。きみの教育係だから、まぁ、なんとか仲良くしてあげてね」
「きょ、教育……」
「そう。教育係。真晴くんは新卒でここにやってきて、えぇと、今年で何年目だったかな?」
「……六年」
「そう。六年。だから、もう立派な中堅だ。ここの業務内容のことはよくよくわかっているから。わからないことはなんでも真晴くんに質問してね」
「は、はぁ」
ぎこちなく頷いて、七海さんから先輩へと視線を戻す。やっぱり睨まれている気しかしない。なぜだ。
不安におののきながらも必死に笑顔を取り繕う。ここであたしがビビってそっぽを向いた日には、コミュニケーションが破綻する。そんな予感がしたからだ。
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