いざ「よろ相」初出勤②
「おまえ、誰だ? なんでここにいる?」
警戒心バリバリの声に、はっとして口を開く。
「あ、あの……最上先輩」
その呼びかけに、目の前の男の人の肩がびくりと揺れた。あれ、と内心であたしは首を捻る。
――最上先輩で合ってるよね? 喋り方はともかく聞き覚えのある声だし、間違いないと思ったんだけど。それに……。
鳥の巣頭と評したくなるもじゃもじゃの黒髪に、黒縁眼鏡。そしてモスグレーのつなぎ。
間違いない、「旧館のもじゃおさん」だ。
そう結論付け、あたしは精いっぱいの笑顔を張り付けた。
「あの、最上先輩ですよね? 北高の。あたしも北高で、最上先輩の二学年下だったんです。あ、すみません。えっと、今日からこちらに配属になりました三崎はなと申します」
どうぞよろしくお願いしますと頭を下げる。一秒、二秒。何秒待っても無言のまま返事がない。不安になって顔を上げたところで、あたしは絶句した。
「は?」
誰もいない。目の前から、完全に人の気配は消えていた。
「え? え? 最上先輩?」
意味がわからない。え? いたよね、さっきまで。混乱しつつも、どうにか課内に踏み込む。
なに、どこに消えたの。というか、なんで消えるの。
泣きそうになりながらも、あたしは課内を見渡した。昨日まで在籍していた課に比べると、広さは半分ほど。
壁際には背の高いキャビネットケースが並び、部屋の中央には事務机が二台ずつ向き合っている。窓際には課長席と思しき机が一台。はじめて足を踏み入れたものの、市役所にはよくある見慣れた配置だ。
それなのに、誰もいない。
「な、なんで……」
変人。脳裏をよぎった鈴木さんの声に、膝から崩れ落ちそうになる。
先輩、あたし、なにかしましたか。むしろ、されたのはあたしじゃないかと思うんですけど。
じんじんと痛む額をさすりながら、もう一度ゆっくりと課内に視線を這わせる。そこでようやく、部屋の奥にドアがあることに気が付いた。
「あの、先輩?」
意を決して、ドアを叩く。なんの反応もない。でも、いるとすればここしかないはずだ。
「あの、先輩! 最上先輩!」
叫ぶと、返事の代わりにガタガタと物音が響いた。なんだ、やっぱりいるんじゃないか。
ほっと安心したのもつかの間。部屋から生じたのは、うろたえた声と笑い声だった。ドキリと心臓が跳ねる。
「あ、あの……」
いったい扉の向こうでなにが起こっているのだろうか。みるみると高まる不安が極限値に達しそうになったところで、唐突に開かずの扉が開いた。
「どうも、こんにちは」
「こ、……こん、にち、は?」
現れたのは、藍色の着流しの三十代くらいの男の人だった。
着流しで出勤するなという規定はないかもしれないが、男性職員の九割五分がスーツを着用している。そこに混ざれば、まず目立つ。
にもかかわらず、あたしはこの人のことを噂に聞いたこともなければ、会ったこともなかった。五百人近い職員がいるものの、初対面と自信をもって言い切ることができる。
――だって、一回見たら忘れられないよ。先輩とはまたべつの意味だけど。
つまるところ、めちゃくちゃきれいな人だったのだ。男の人に「きれい」という形容詞がふさわしいのかどうかはさておいて。
身長も高いし、女の人みたいというわけではないけれど、色素の薄い雰囲気と相まって浮世離れした雰囲気がある。
その人が、固まっているあたしに、にこりとほほえんだ。
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