コウノトリ

相草河月太

コウノトリ

 急な葬儀だった。驚きと慌ただしさに押し流されるような数日。火葬場から家に帰り靴を脱いだところで、上がろうとした廊下にへたりこんでしまった。通夜や葬儀では実感できなかった感情に突然襲われ、全身の力が抜け震えが走ったかと思うと脳の奥が鈍く痛み、いきなり涙が溢れ出す。声もあげずに私は泣いた。

 こんなに自分が悲しんでいることが意外だった。こんなにも熱い涙が流れることが不思議だった。

 ひとしきり泣き、腫らした目で立ち上がると、自室に戻り机の上を見る。

 そこには残された私宛の手紙があった。通夜の時には気づいていたのだが、今までは開ける気が起きなかった。

 リビングに戻り熱いお茶を入れる。テーブルに座って冷えきった体を温めるようにゆっくりとすすったあと、手紙を開く。

 そこに、自分の名前を見つけた。


『登志雄さん

 これを読んでいるということは、私はもう死んだのでしょう。

 お腹の子が元気であることを祈ります。それを確かめることは私にはできないでしょうから。

 もし、生まれた子が娘だったら、私と敏夫さんの一字をとって「志穂」と名付けてもらえますでしょうか。重いと思われるかもしれませんが、死んでも私はあなたに忘れてほしくないのです。 

 そして、できることならば娘の中で一緒にいられたら。


 これを書いているときには元気でなんの病気もないのに、どうして自分の死を予測できるのか不思議に思われることでしょう。これからそれを説明します。あなたにも関わることなので、どうか最後まで読んでください。


 私は父に甘やかされて育った不良娘でした。あなたに会った時にはすっかり更生していたので、登志雄さんは驚かれることでしょう。

 私が生まれた時には母が死んでもうおらず、母の愛情がなく育ったと感じていた私は、父に我まま放題で、思春期を迎えるころには父に逆らい悲しませることならなんでもする跳ねかえり娘になっていました。高校で喧嘩や万引きなどで散々父に迷惑をかけた後、卒業後は家を出てフラフラと男友達や不良仲間と夜の街をうろつき小銭を稼いで日々を過ごすような情けない生活をしていたのです。

 父がそんな私のせいであちこちに詫びに回ることになり困った顔をしているのが、その時は嬉しくてしかたなかった。

 そんな父が、私が22の時に急な病で亡くなりました。私が変わったのはそれからでした。

 理由は父が残してくれた手紙にあります。

 父の手紙は私に対する感謝と詫びでいっぱいでした。

 

 私が生まれてきてくれた礼。妻の命の代償に私が存在していることを度々恨んでしまったことへの詫び。健康に成長してくれたことへの礼、育て方がわからず苦しい思いをさせてしまった詫び。

 私が幼稚園の時に他の子のように母がいないのが悔しくて描いた、想像の親子3人の絵が嬉しかったという礼。喜ぶ父を見て私が、本当は母がいないのにと泣き喚くのを慰めることもできなかったことへの詫び。

 私が父のために料理を作ったことへの礼。忙しくてなかなか一緒に食べられなかったことへの詫び。そのほかありとあらゆる細かいことへの礼を詫びが並べられていました。

 父は、私が想像もしなかったほど私のことを見てくれていたのです。

 それだけでも嬉しかった。


 でも、ここからが本題です、登志雄さん。


 父の手紙には、私の母が死ぬ間際に残した手紙のことが書かれていました。母も死ぬ前に、父が私に、私が登志雄さんに残したように手紙を残したというのです。


 そこには母が私を産む前に見た夢のことが書かれていました。

 結婚してからも子供ができず、父に申し訳ないと思っていた母は、ある日の夢でコウノトリに会ったそうです。そう、赤ちゃんを連れてきてくれるあの鳥です。

 母はコウノトリに頼みました。「私に赤ちゃんを授けてくれませんか?」

 するとコウノトリは目を一度パチクリさせてから答えました。

「お前の寿命をその子に差し出せるなら、連れてきてやろう」

「寿命?」

「そうだ。お前の寿命だ。お前の命の時間、といってもいい」

「では、一年差し出せば子は一年生き、私の寿命が一年縮まる、ということですか?」

「その通り」

 母は考えました。今25の自分が80まで生きるなら、残りの年数は55年です。70まで生きるなら45年です。子供と過ごしながら、その子も一応の人生を送れるだけの寿命はどのくらいだろう?

「では、私の寿命の三分の二をその子にあげます」

「では14年だな?」

「え?私の寿命は、何歳なのですか?」

「47。後22年だ」

 母は寿命の全てを私にくれたのです』



 手紙の途中ではあったが、先が読めた私の手は震えていた。先ほどとは比べ物にならないほどの深い感情が痛みを伴って胸を打つ。これは、きっと。もしかしたら。



『あなたに会ったときに24だった私がどうして母のくれた寿命以上に生きているのか、と思いますよね。こんなの作り話だろうと。

 私が22の時に亡くなった父の病は不思議なもので、死因は老衰でした。まだ51だった父が、死ぬ時には真っ白な頭にしわしわの皮膚をした老人になっていたそうです。

 そうです、登志雄さん。

 私の父は、私に寿命をくれたのです。父の夢にもコウノトリが現れて、娘の生存を望む父に、では寿命を差し出せるかと尋ねたそうです。

 父はためらいもせず、私にすべての寿命をくれました。33年の寿命を。

 あんなにわがままで父に迷惑をかけ放題だった私に。

 

 登志雄さん、改めてお礼を言わせてください。

 私が夢見ていた、子供を授かる、ということを、一緒に成してくださってありがとうございます。

 父の手紙でこのことを知ってから、私の生きる目的は「子をなす」ことになりました。 母と父が自らの寿命を削って繋いでくれたこの命を、次に繋ぎたいと心の底から思ったのです。

 そして、ここまで読んでくれた登志雄さんはすでに予想なされている通り、私は夢を見ました。

 私は今27です。22で33年の寿命をもらって5年経ち、残りの26年を自分の子供、志穂に授けました。だから、これをあなたが読んでいる今、私はもうこの世にはいないとわかっています。

 登志雄さん、私たちの子を、26年しか生きれない志穂を、精一杯愛してあげてください。

 あなたに子を育てる責任を押し付けてしまって本当に申し訳ありません。

 愛しています。

  

 菜穂子』


 文字の最後の方は心の乱れが感じられるような鋭さをもっていた。

 そうか。そうだったのか。だから、あんなふうに亡くなったのか。

 私はどうしようもなく震える手を押さえつける。そして最後のページをめくった。


『これがお前の母さんの残した手紙だ。俺はこんなに冷静に説明できそうもないので、これをお前に託すことにする。志穂。責任を感じるな。お前は自分の好きなように生きていい。俺の残りの寿命、42年をやる。母さんと俺の分まで生きれくれ。幸せにな。すまん。

 志穂、愛している

  

 登志雄』


 私は滲む視界で最初の一枚を再び見る。

 そこには自分の名、「志穂」という名が書いてある。母さんがつけてくれた名。父さんと母さんが一緒になった名。

 さっきあんなに流して枯れたかと思っていたのに、涙は止めようもなく溢れ出す。

 生きよう。そう思った。

 いつか好きな人ができて、その子に自分の寿命を渡すことになるかもしれない。でも、そこまでに悔いがないほど精一杯生きたいと思う。きっと母さんと父さんもそう思ったから命をためらわず私に託せたのだろう。

 そんな人生が送りたい、そんな愛を見つけたい。そう思った。

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コウノトリ 相草河月太 @tukita-ai

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