第58話 綺麗に装うデートコース

「ただいまあ、疲れたよう」

 僕はぐったりとして、貴族牢にもどった。


「お帰りなさい、リント。お疲れ様でした」

 そんな僕をキンヒメがにっこりと出迎えてくれた。


 慣れない事をひさびさにして疲れた僕の心を急速に癒してくれるこの笑顔。

 ささくれた心の棘がとろける。


 場所はどこであれ。

 キンヒメがいる場所が僕の居場所に変わってきているのを感じる。


「キンヒメえ、疲れたよう」

 するするっと狸らしく牢の中に戻ってそのままキンヒメの膝の中にもぐりこんだ。


「リント、どうでした?」

 僕の疲れた頭をやさしくなでてくれる暖かい手を感じる。

 少しの震えがある。きっと心配してくれていたんだろうなあ。うれしい。

 安心させてあげないと


「ぜんぶ解決したよう、僕らは自由にしていいってえ」

 少しは疲れた甲斐はあったかなあ?


「さすが私のリントですね。あっという間に全部解決してくるんですから」

「んふふ、キンヒメにそう言って貰えるのが一番うれしいかもう」

 やわらかいキンヒメのお腹に顔を摺り寄せる。

 いい匂い。

「他のメスの匂いがぷんぷんしている事は今は不問としますから、今はゆっくりと私の膝でお休みください」

 そう言ってぽんぽんと僕のお尻をやさしく叩くキンヒメ。

 ひえ。

 こわあ、でも今は癒されたあい。不問にされた問題が絶対に後で噴出するのが目に見えているけど、この柔らかさと暖かさといい匂いには逆らえないよう。


 ぐう。


 ◇


 あたしは逃げて。


 あたしはグラスをかたむける。


 強めの酒が食道と胃を焼き。


 その蒸気が喉から溢れて。


 ふう、とこぼれた。


「それにしても、おひいさまの恋模様はよかったわあ」


 つい一人ごちる。

 酒場には客も少なく、あたしは誰からも離れた場所にいるから、ちょっとくらい酒の息と一緒に言葉が漏れたって大丈夫だろう。


「はー、もう少しそばで見ていてあげたかったわあ。今回はそれくらい良すぎたわよー。最後のあの狂いっぷりなんて最高だったわー。何よ、人間が概念になんねんって? 訳わかんないわ、でもおひいさまにとってはあれで成り立ってるのよねえ。人間って複雑だわー。あーあそこからの立派な堕ちっぷり、見たかったなー」


 手に持ったグラスを置いて。

 あの姿を思い出すために頬杖をついて。

 瞳を閉じた。


 人間の酒が身体に巡っている。

 少しの浮遊感と一緒にアークテート王国女王、ヤンデ・ローズの顔が浮かんだ。

 感情を知らず、恋なぞ道具程度に考えていた女。

 そこへ堕ちた天雷。

 元、侯爵令息にして、冒険者、リント。


 見た目の美しさに対して、女王を手玉にとる手腕。

 あの時、おひいさまが一目で恋に堕ちた事に気づいた。


 この状況ですらドロっとした恋模様が生まれそうだっていうのに。


 恋した相手のその正体は狸で忍者。

 最高な匂いしかしなかった。

 だからあたしはちゃんとおひいさまに恋を自覚させてあげた。


 そこからのおひいさまは本当に可愛かった。

 感情を知らなかった女が、恋という最上位の感情に振り回されるその姿。

 とくと堪能させてもらった。


 でも、それもおしまい。


「さすがにあんなのが出て来ちゃったら逃げるしかないわよねえ。ま、いい潮時だわ」


 そう言って今回の恋愛譚を締めくくるようにひとりごちて。


 閉じていた瞼を開けると。


 そこには美しい人間が座っていた。


「よう」


 金色の髪に、碧い目が、真っ直ぐにあたしに向いている。

 噂をすればなんとやら。失敗したわ。


「あら? 狸さん、お元気?」


 その正体は人間に化けた狸。

 びっくりしたわあ。なんの気配もなくレディと相席するなんてデリカシーがないわね。


「驚かないんだねえ」

「いいえ、驚いたわよ。ほんとびっくり」

 あたしはそう言って首を軽くふった。


「そう? ま、驚かせたかったからよかった。でもね、ほんとに驚いたのはこっちだよう。助けを求めたら遠くに逃げてんだもん! あそこで逃げるのはなしでしょうよう?」

 男が口を尖らせる。

「そうかしら? ああなってしまっては、あたしはお邪魔なだけだと思ったのよ。それに狸さんなら何とでもなったでしょう?」

 あたしは肩をすくめた。


 驚いたと口で言いながら、でも驚いた心なんて一ミリも出さない。

 本心を見せない。それがいい女の鉄則よね。


「そりゃあ何とでもなるけどさあ、女の人って苦手だからさあ、やっぱり怖いんだよう?」

「ふふふ、嘘ばっかり、あの手練手管は熟れた男のやり口よう? 人間の恋模様はずっと見て来たから知ってるわ。あれは女を騙して女を堕として女を使う男の手口よ」

「そっかユーリさん、遠くで見てたよねえ……まあ……出来る事と得意な事って違うって事だよねえ」


 そう言って男はふいっとそっぽを向いた。

 見た目だけは美しい人間だけれど、そうやってすっとぼける様はほんとに狸よねえ。

 うん、答える気がないっていうのはわかったわ。


 一瞬、スキルで心の中を覗き込んでその力の源泉を探ろうかとも考えたが、あの日、精神感応を対策された時の、自分の心が終わりのない穴の中に落ちていく感覚が瞬時に蘇った。


 ダメだ。いまはきっと彼の心を読んではダメだ。

 彼は隠したい事があり、きっと何らかの対策をしていると肌感でわかる。


 仕方ない。


「で? 今日はあたしに何かご用かしら?」


 人間の美しさと、すっとぼけた間抜けな狸が共存した、美の権化のような男に問いかける。

 心が読めないならば対話するしかない。


「いやあ、ご用ってほどの話じゃないんだけどさ、ユーリさんって王都の生活長い?」

 質問の意図がわからない。

 確かにあたしは人間の恋模様を見るために、人間に擬態して、この王都に暮らし始めて三十年くらい経つだろうか? 人間の感覚からして、確かに長いといえば長いけど、それを聞いて何をするのかしら?


 いやな予感がする。


「長い、といえば長いわね……もしかして、そんな、長い生活に終止符を打ってやるとか、言い出すの?」


 隠している心の中にあるのはもしかしてあたしへの殺意かもしれない。

 それを確認したい。


「え?」


 問われたリントはまるで狸のような間抜けな表情に変わった。

 とぼけているのか?


「いや、面倒ごとに巻き込んだ魔族を殺す、的な感じなのかしらって?」


 全く殺意を感じないが。

 殺意なく対象を殺せる。

 そんな生き物もいる。


「いやいや、そんな物騒な事しないよう。僕に敵意を向けてないし、危害を加えた訳じゃない相手を殺すなんてとんでもない! 狸を何だと思ってるんだよう」


 返ってきたのは明確な否定の言葉。

 心を読んでいないが、なぜか殺す気はないとわかった。


 理解と同時に無意識にため息が漏れた。


 違ったか。よかった。

 目の前の狸は強さを隠しているが、やろうと思えばあたしなんて簡単に始末できるだろう。

 まだあたしは見たいものが多いから死にたくはない。


「じゃあ、ほんとにわからないわね、あたしに何の用なのよ?」

 本当に脅かさないで欲しいわあ。

 何だか安心したら急に怒りがこみ上げてきたわ。


 勘違いさせないでよね! 出現の仕方からして暗殺者のソレなのよ。気配なく目の前に現れて誰にも気づかれずに始末して帰っていく。あんたはそんな種別の生物なんだからね!


 そんな剣呑で美しい存在は、あたしの怒りまじりの質問を受けて。


「えっと、さ」


 モジモジテレテレとし始めた。


「急にどーしたのよ? 聞きたい事があるならさっさと聞きなさいよ」


 殺されないとわかった今、あなたはあたしの酒の時間を邪魔してる存在なのよ?

 早くしなさい。


「えーっと、うーんっとね……あの、さ……ユーリさん、王都のデートスポット、知らない?」


「は?」


 何を聞いているのだ?

 そんなあたしの表情を見て、説明が足りていないと察したのか、リントは説明を続けた。


「妻のキンヒメが喜ぶような場所、知らないかな、って思ってさ。デートでキンヒメを喜ばせたいんだけど、僕は王都に来たの二回目だから王都に詳しくないし、冒険者ギルドの人たちもちょっとそういうのわからんって言うし、受付嬢は変な人だから喜ぶポイント違うしさ、そこで思い出したんだよ! 王都の恋模様が好きなユーリさんだったら王都の素敵なデートスポットとか知ってるんじゃないかなって! だから、さ……デートスポット、知らない?」


 長々と。

 この男は。

 何を言っているのだろうか。


 もしかして、アークテート王国の女王である鉄の女を熟練の手練手管でドロドロに溶かしながらも、愛する妻とのデートコースがわからずに悩んでいるというのだろうか。


 不思議な男だ。


 出来る事と得意な事は違う。そう言ったこの男の言葉を思い出す。

 それは確かにそうだが。さすがに度を越しているだろう。


 ほんとに変な男だ。


 でもね。

 仕方ない。


 目の前の美しくもアンバランスな男はあたしを頼ってきたのだ。王都の恋を見守り続けてきたユーリお姉さんがとっておきのデートコースを教えてやろうではないか。

 誰だ? ババアって言ったやつ。心、読んでるぞ。


 まあいいわ。


 たっぷりと女が喜びそうなデートスポットをあなたに教えてあげましょう。

 それで存分に幸せになって。


 思いきり、あたしに恩を感じるがいいのよ。


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