第56話 ファビュラスなサキュバスのファンクラブ
僕が残っている敵に視線を移すと。
そこには変わらず一人の侍女が立っていた。
「はー、おひいさま、いいですねえ、未熟な精神と、行き過ぎた権力と、純粋な恋心、それらが織りなすいびつな恋模様とシチュエーション、これは人間でしか見られませんよー」
なんとまあ、侍女は気絶した女王を見て悶えている。
ピンクブロンドの髪、長身で肉感豊かな肢体、トロンとした瞳とぷるんとしたくちびる。
全てから色香が放たれていて。
なんだか前世でいうとこの、くのいちみたいな女だなあ。苦手なタイプだあ。僕には毒や薬の類も効かないし、魅了や精神支配関連も受け付けないように訓練されてるから平気だけどさあ。
これ普通の男ならやばいよねえ。
でもねえ、何よりやばいのはさ。背中から翼生えてきてんのよ。
馬脚どころじゃないよ、魔翼を露わすとでもいうのかなあ?
聞いてみよ。
「ねえ、もう人間じゃないの、隠す気もないのう?」
悶える女に問いかける。
女は女王から僕の方へふいっと視線をずらした。そのずらし方すら妖艶だなあ。
「だってえ、もうバレてしまっているんでしょう?」
うへえ、音の一音一音に魅了をのせてきよる。
効かないけど、きもちわるう。
「うん、魔族のサキュバスさん、名前はユーリ・エメラルダさん、でいいかな?」
手の内も全部わかってるから魅了はやめてほしいなあ。
「正解! 人間界ではサターニアって名前でやってるのに、本名までわかるなんてさすがよ、狸の忍者さん。」
あら、やっぱりこっちの事までわかってるのねえ。
精神感応、読心術、って所かな? どう? ユーリさん?
問いかけるように視線を投げると。
それを受けてユーリはこくりとうなずいた。
「それも正解よ! 貴方、すごいのね。あ、あと、あたしの魅了は垂れ流しなの、だから止められないわ、ごめんなさいねえ」
セクシーな顔でくしゃっとした笑顔を飛ばしてくる。
だからさ、そういう事しなければ魅了は飛ばないと思うよ。まあね、言ってもやめないだろうし、言わなくても伝わってるだろうから言わないけどねえ。
「ふーん、じゃあ仕方ないなあ。で、その精神感応系の能力で女王を洗脳した、と。そういう事でいい?」
侵略侵略う!
「え? 違うわよお」
って違うの!?
僕の言葉に、ユーリは心底驚いたをしている。
嘘じゃなさそうだけど、どうなんだろ?
「ちょっと、待って、僕の認識が間違ってる? 貴方は魔族で、人間の国を滅ぼしたり、支配したりしようと思って、まずはこの女王の精神を支配してから、国家を侵略しようと思っていた、とかじゃないの?」
そういう感じのよくあるベタな展開なんだよね?
「違うわよお、何その偏見、魔族ってそんな敵意や殺意に溢れた種族じゃないわよお? そもそも、あたしたちの国、グランデル共魔国っていうんだけど、絶望海峡の先にあるのよ? あの海峡を越えて、断罪連峰を上り下りして、坩堝の森を踏破して、この国を攻めるのお? 進軍も兵站も想像つかないわよ?」
ぷくりと頬が膨れている。
だからそういうのをやめれば魅了は飛ばないのでは?
あ、それはともかく。
狸は今常識を説かれて、気づきました。たしかにあの距離を越えて戦争は難しいか。
魔族がすぐに戦争を仕掛けてくるってのは偏見でした、ごめんなさい。
「侵略じゃないのは、すみません、わかりました。でもじゃあそんな苦労する道を通って、人間界になんの用だったんです?」
そこが問題だよう?
「あたしね、人間の恋模様が好きなのよお。だからねそれを見に人間界まで来たの」
「恋? 模様?」
また話が飛んだね。
恋バナって事? たしかにキンヒメも恋バナ好きだけどさ。
恋バナ聞きにここまではるばる来たの?
「そうそう、正解。魔族の恋ってね、まあ何というか殺伐としてるのよね、惚れもうしたあ! ならば我を倒してみよお! おっしゃあ! やったあ! みたいな感じ?」
「いや、ごめん、全然わかんなあい」
なにその修羅道。あ、それで言えば、ぼく畜生道だったわ。
「まあ簡単に言ったら惚れた相手がいたら力でぶっ倒せ! 倒せたら結婚、負けたら破談、みたいな感じよお、わかるう?」
「ん、わかったけど、わかんない。さっき敵意や殺意に溢れた種族じゃないって言ってたと思うよう? それは敵対的行為では?」
「違うのよお、あれは好意を表す行為だもの。そこに敵意や殺意はないし、むしろ愛しかないわ。あれはあれでいいんだけど、人間世界の恋愛を知っちゃうと、どうもさっぱりしすぎなのよねえ」
「う、うーん。何となくわかるう、かなあ?」
要は男友達が殴り合って、分かり合って、お互いを認めあうっていう、ヤンキー漫画的価値観が男女に置き換わった感じかな?
あってる?
「そう、それよお! ヤンキー漫画ってのはわからないけど、魔族は男性同士でも仲を深めたい時は殴り合うのよお。わかってるじゃないのお」
お、伝わったか。
うん、心を読んでいただけると話が早くて助かります。
僕の心の中の言葉に、ユーリは少し驚いた顔をした。
その一瞬だけ、妖艶さは消えて、素朴な一人の女性の顔があったが、それはすぐに消えてまた元の魅惑的な笑みを浮かべていた。
「心を読んで感謝されたのは初めてよ、狸さん」
声が弾んでいる。
「そう? 読まれてもあまり気にならないしねえ。それにいざとなれば、読まれないようにする方法も持ってるしねえ」
なんぼでも持ってるよ。
ブロックする方法もあるし、無にする方法もあるし、逆に一つの感情で溢れさせる方法もある。
試してみる?
僕はにこりと微笑みかける。
「ひ、やめておくわよお。というか、今一瞬、無にする方法って奴をやったでしょう? 覗いた瞬間にあたしの精神の方が抜け落ちそうになったわよお?」
うひひ。バレたあ?
「ごめんごめん、方法を思い浮かべたら発動しちゃっただけだよう」
「嘘よ、絶対にわざとでしょう? 悪い狸だわあ」
へへ、バレちゃった。
まあまあ、冗談はこの辺にして、本題を進めようか?
「で、さ。女王は元に戻せるの?」
「元、って?」
「え? だってこの女王の状態が『扇動』になってたからさ、少なからずユーリさんの能力でおかしくなってるんでしょ?」
「さっきも言ったじゃない、あたしは何もしてないわよ? あたしは女王に恋を自覚はさせたし、告っちゃえ的なアドバイスはしたけど、洗脳なんてしないわよお。そんな無粋をしたら折角の恋模様が台無しじゃないのお」
ユーリはぷんぷんと憤慨している。
ほんとにやってない感じ?
「ん? という事は、この女王のイカれっぷりは、女王がただ普通にイカれてるって事?」
「そういう事になるわね。ドロっドロのいい恋模様よねえ。うっとりしちゃった」
「うそお」
「嘘じゃないわよお、本人に聞いてみてよ。ちょっと起こしてみるから」
「え?」
待って!
と思った僕の心の中を読んでいたのか、読んでいなかったのか。
まったく無視してユーリは女王、ヤンデの精神へ起動命令を放っていた。
むくりと起き上がった女王が。
瞳孔の開いた目で僕を見ている。
そして。
そのままゆらりと動き。
僕に抱きついた。
ひい。
抱きついたまま、僕を見つめている。
その瞳にはだんだんと光が戻り。
脳が動き出してたのがわかった。
「ああ! リント! 今のはなんじゃ!?」
再起動完了ですねえ。
変わらず抱き着いたままで僕を問い詰めてくる。
油断したあ。
幽鬼のような状態で来られたから、反応できずに抱きつかれてしまった。
とりあえず質問に答えよっと。
「え? すみません、さっきのですか? あれは殺気です。つい放ってしまいました。ごめんなさい!」
「殺気!」
僕の言葉に反応して、女王は声を荒げているが、その表情は決して怒っていない。
いや普通、殺気を放たれたら怒るでしょう? でもねえ、なんか瞳は潤んで、くちびるは半開きで、息が浅くて荒いのよねえ。
何だこれ。
「ええ、ごめんなさい。僕の気持ちをわかって欲しくて、つい……」
まあ、とりあえず、ごめんなさいしとかないとねえ。
死刑とか言われたら困るしねえ。
「あれがリントの気持ち!」
「あ、ええ、まあ、そう、ですねえ?」
気持ち、というか、わからせ、というか、脅し、というかなんというか。
ってなんかギュウギュウしめつけてくる!
やめて近い、近いの。もう少し離れて、女王様。
「リントの気持ちが妾にまっすぐ向けられていた。ああ、あの息が止まりそうなほどの熱情。気持ちがよかった。初めてリントの気持ちが妾に向かってきた。あのまっすぐな感情。もっともっと欲しい。もっと寄越すのだ!」
「え……っと、女王さま?」
「女王ではない! ヤンデ、と呼ぶのだ! いいから! 何をしておる! あれをくれ! もっともっとじゃ!」
何これえ? こわあ。
とりあえず逆らわんとこ。
「あ、はあい、わかりましたあ」
今度は気絶しないように軽めにね。
殺気。
ヤンデ、跳ねる。
「嗚呼、嗚呼、息が詰まる……心の臓が……締め付けられる。あーこれが恋じゃあ。妾はもうこれなしには生きていけないようになってしまう。リントお、もっと強くう」
殺意を浴びてハアハアしてる女王、ヤンデ。
ええー。
何これえ?
どうしたらいいのう?
助けを求めて、ユーリがいた場所を振り返れば。
そこはもぬけの殻であった。
ああ! 逃げたなあ!
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