第23話 死の運命を切り裂いた風の先に君がいた

 目の前には。


 大きな蜘蛛。


 一つ一つが私の身体よりも大きい八つの目。

 その内の特に大きな二つが私をじっと見つめている。

 私を捕食対象として見定めているのだろう。

 その目に感情や表情はない。

 ただただ無機質で、ともすれば宝石のように見える美しい瞳。


 でもそれは私の命を糧にしようと観察している目。


 私もそれを見つめ返す。


 命を喰われるのは恐ろしい。

 でも喰って喰われてはこの森の掟。

 それが例え、普段森に現れる事の少ない大蜘蛛が相手だとしても例外ではない。

 だから死の間際まで自分を喰らう相手を見てやろう。


 それがラクーン18GLDワンエイトの血を繋ぐ者、キンヒメの矜持。


 きっとこういう性格がラクーン18GLDワンエイトのオスたちには受け入れられなかったのだろう。

 でも自分は変えられない。


 毛の生えた口が、忙しなく動いている。

 私を食べるために。

 口の周りが赤くなっているのは、きっとここまで一緒にきた従者の血だろうか。


 せめて、キンヒメ様だけでもお逃げください。


 彼らのその言葉に従って私は逃げた。

 後ろに聞こえる護衛の悲鳴や、侍女の断末魔を置き去りにして逃げた。


 ラクーン18GLDワンエイトの血を繋ぐ役目を持った私はこんな所で死ぬわけにはいかない。

 木に隠れても、岩陰に隠れても、洞穴に隠れても。逃げて生きなければならない。

 でも。


 無駄だった。


 結果として、今は蜘蛛の糸に囚われ、洞穴から引きずり出され、蜘蛛の宝石のような瞳に見つめられている。

 これはどう捕食するかを見定めるための観察。

 数秒後には蜘蛛の口の中にパクリとやられるだろう。


 そんな私の考え通りに。

 蜘蛛は捕食のための観察を終えたのだろう。

 口に近い所にある鋏角と呼ばれる腕を私の方へと伸ばしてきた。


 私は目を逸らさない。


 この腕には毒がある事も知っている。その毒を私に注入しようとしている事もわかっている。

 でも目は、目だけは絶対に逸らさない。


 それがラクーン18GLDワンエイトのキンヒメである。


「さあ! その毒手を刺して私を喰らうが良い! 私は死を恐れない!」


 叫ぶ。

 そんな決死の覚悟、恐怖の中、いきなり、ふう、と目の前を風を吹いた。

 こんな状況なのに、その風はなんだかのんびりしていて、それを不思議に思っていると、


狸隠神流たぬきいぬがみりゅう忍術! 風手裏剣かぜしゅりけん!」


 声がした。

 それと同時に目の前を風が疾る。

 風は眼前を通りすぎ、鼻先まで迫っていた鋏角は、足元にポトリと落ちる。


 その風には最近嗅いだ、とあるオスの匂いがした。

 私がひと嗅ぎで惚れたオスの匂いだった。嗅いだ瞬間、否も応もなく婚約を承諾していた。

 そんなオスの匂い。


「いやあ、ギリギリ危ない所だったなあ」


 強くていい匂いのするオス狸は、それとは裏腹に、のんきな声音でそう言って、小高い岩の上に二本足で立っていた。

 そう、二本足。

 それは化け狸である証だ。

 私の父もそうだ。私はまだなっていない。


 彼は堂々とオスらしく立っている。

 ああ、あの狸が私の婚約者なのだ。

 木漏れ日に照らされたその姿は、私が想像していた通りだった。

 大蜘蛛に注意しなければいけないのに、どうしても目を奪われてしまう。


 そしてそれは私だけではない。

 彼に目を奪われているのは大蜘蛛も同じだった。

 その感情は私とは違うだろうけれど。それでも目を離せないのは同じ。


「ギギギギギギ」


 鋏角を斬られた大蜘蛛はその風を放った相手を正確に把握し、その挙動を八つの目で見ている。


 逃げて。


 私はきっとその言葉を彼にかけなければならないのだろう。

 でも。

 その言葉が口から出てこない。

 狸があの大蜘蛛に絶対勝てるはずがない。それはわかっている。護衛も侍女もみな喰われた。

 それでもなぜだか彼を見ているとなんとかなるような気がしてしまう。


「貴女がキンヒメさん?」


 凛々しくオスらしい瞳が私を見て問いかける。


「はい」


 これしか言えない。

 なんでだろう。


「そっか。迎えに来てよかったよう。ちょっとだけ待っててくれる? こいつをどうにかするからさ」


 気負いでもなく、衒いでもなく。

 ちょっと野鼠獲ってくるね。位の口調でそのオス、おそらくリントという名前であろうそのオスは言う。


 運命がそこに立っている。

 私はただそれに対して小さく頷くしかなかった。


 ◇


 可愛い。

 抜群に可愛い。

 あんなメス見た事ないよう!


 必死に逃げ回って土や葉っぱで汚れているはずなのに、どうしてあんなに艶めく毛皮になってるのか意味がわからない。やばあ。ママンよりも可愛いってのはほんとだったかもお。


 あ、どうもリントです。


 僕の予想通り、婚約者さんは大ピンチでした。

 襲っていたのは大蜘蛛。

 ダンジョンの中ではよくお会いしましたがねえ。変化の対象にもさせてもらったし、スキルもいただきましたよう。粘糸が特に便利でございました。忍術に応用させていただいておりますよう。

 でもさあ、こんなとこに大蜘蛛いるの珍しいよねえ。

 基本ダンジョンにしかいないのになあ。なんでだろう?


 不思議に思って見つめていると大蜘蛛が口を鳴らす。


「ギギギギギチギチギギチチ」


 あらま、警戒されてるなあ。

 できればこのまま退いてくれると嬉しいんだけどなあ。


 なんて楽々ラクーンな思考をしていると。

 眼前に蜘蛛の粘糸が編み目状になって迫っていた。


「よっと」


 こんなの忍術使うまでもないよねえ。

 避けるだけえ。


「ギギィ」


 避けられたのが気に入らなかったのか、歯軋りのような音を立てた後、連続で粘糸を飛ばしてきた。僕はそれをことごとく避けてやる。

 やり方が単調だよう。まだ若い大蜘蛛なのかな? 大蜘蛛って言葉が通じないから厄介だよねえ。


 ふむ。

 これはもうやるしかないんだろうなあ。

 仕方ないから、ダンジョンで覚えた魔法やスキルを使った忍術を試させてもらおうっと。


 まずはサラマンダーから貰った火魔法かなあ。


狸隠神流たぬきいぬがみりゅう忍術! 火遁かとん!」


 まずはご挨拶。

 僕の手から拳大の火球が数発飛んでいく。

 あー簡単だあ。前世の火遁とか色々と道具を準備しないと使えなかったからなあ。魔法一発で火遁使えるの楽すぎい。火遁専門の奴らとか身体に発火装置とか埋め込んでる奴らもいたもんなあ。


「ッギイ」


 火球は蜘蛛の腹部に数発当たって悲鳴と共に焦げ跡をつけた。


「あら、頑丈。イイねえ」


 僕はニヤリとしてしまう。

 その笑みから漏れる殺気に大蜘蛛は警戒して飛んで距離を取ろうとする。


「おっと、それは悪手だよう」


 すでに君の後ろには君らの十八番である粘糸を張りめぐらしてあるんだなあ。


狸隠神流たぬきいぬがみりゅう忍術 縛糸陣ばくしじんだねえ」


 当然、後ろに飛んだ大蜘蛛はその粘糸にからめとられる。

 逃れよう逃れようとすればするほどに絡む糸だ。無駄だよ。いくらもがいてもそこからは逃げられない。無駄な努力だよう。

 それは君が一番よくわかってるはずだよ。


 大蜘蛛もそれを悟ったのか、しばらくすると動かなくなった。


「ギ」


 一音鳴らしたその様子を見ると、あまりの予想外な事態に大蜘蛛の思考は停止しているみたいだ。

 まあそれも仕方ないよねえ。

 彼らにとって粘糸とは自分たちが獲物をとらえる手段で。自分たちが囚われる物ではない。


 だからこそ、あの大蜘蛛にはいまなぜ自分が身動きがとれないのか理解が及ばないんだろう。きっと蜘蛛のシステム的な思考では理解が及ばないと思う。

 だって蜘蛛は圧倒的な捕食者で、森の秩序の維持者で、ダンジョンの管理者だから。

 生まれた時からそうで、決して囚われて奪われる側にまわる事はない。

 だからこそ、この状況は理解ができないよねえ。


 理解の及ばない状況に、大蜘蛛の動作は完全に止まってしまった。

 思考のデッドロックだ。


 僕は笑う。


「その糸にはさあ。ダンジョンにいたオイルバットっていうモンスターの持ってるスキル、油生成ってので作った油が流してあるんだよね。そしてさ、僕はさっき見せたように、火遁が使えるんだ。これどういう事かわかる?」


 僕の言葉に、大蜘蛛の瞳が無感情に煌めいている。


 君らに言葉が通じないのはわかってる。

 君らに悪意がないのもわかってる。

 けどねえ。

 僕の婚約者を喰おうとしたのはダメだよう。

 森の掟でもダメだよう。ま、弱肉強食が森の掟だから。ある意味、この結果は合ってるのかな?


狸隠神流たぬきいぬがみりゅう忍術! 縛糸火炎陣ばくしかえんじん!」


 僕の指先から放たれた小さな火が糸に触れた瞬間。

 縛糸陣ばくしじんは地獄の火炎に包まれる。

 火のついた糸はあちらこちらに張られていた部分が火によって焼き切れ、その張力が反発するように収縮し、捉えていた獲物の身体を包みこむ。

 もちろん粘着力は衰えず、燃えさかる糸が獲物の身体に絡みつく。


 逃げられない。


 そしてそれに囚われた大蜘蛛も例外ではなく。

 声もなく。

 ただ燃えて。

 そのまま命尽きるまで、燃やし尽くされた。


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