第8話 鳳がそこに蹲り

 坩堝の森の北方。

 人間界の境界に程近い場所。

 ここまで四本足で駆けてきた僕。

 今は二本足で立って、ふうむと腕を組んで首を傾げている。


 なんでえ?


 僕はリアル充実狸、こと末の弟、リケイと別れ、『狸隠神流忍術 円索』で探した強力な魔物のいる場所へ来てみた。うん。来てみたはいいが。目的としていた魔物を目の前にして戸惑っている。


「ふーむ? おおとりがなぜこんな所に?」


 戸惑いの原因は目の前に横たわっている死にかけのおおとりと呼ばれている魔物。

 なぜ戸惑うかと言えば。


 こいつらが空の王者だからだ。


 いつだって高い所を悠々と舞って、たまに狸をつまみ食いしていく。言うなればこの森の捕食者の頂点に君臨している存在の一つ。ここよりもっと南方にある早贄尖塔はやにえせんとうという切り立った山に巣を構え、死ぬ時は必ずその自分達の巣に戻り、死んだ後、その身が燃えて幼鳥に生まれ変わる。前世でいう所の火の鳥的で、実に眉唾な逸話があるくらいの存在。


 それはもちろん狸の馬鹿話だろうが、それでも鳳が死にかけている所など見た事がない。


 そんな鳳がなぜこんな所で地に臥している?

 なぜここまで血まみれで死にかかっている?


 鳳がうずくまる地面はその血を受け止めきれずに広範囲に赤く染まっている。そして赤いのは地面だけじゃない、その優雅な羽も見る影なく傷ついて、赤く染まっており、一目でもう飛ぶ事は叶わないのだとわかる。

 その荒い呼吸は草原の草を揺らし、ただその事だけが鳳の生命がいまだ絶えていない事を証明している。


 これはチャンスかピンチか迷う所だなあ。


 いくら弱っているとは言え鳳は鳳。化け狸風情が真っ向からかかって勝てる相手じゃない。

 何なら死ぬまで待つか? この状態なら放っておいても死ぬだろう。

 その場合死体から生体情報をキッスで抜き取る必要性があるけども。死体から抜き取れるのだろうか? 鳳に変身できるようになる機会はここを逃したら当分は現れない気がする。


 うーん。

 さてどうしたものかと遠巻きに様子を伺っていると鳳が首をもたげた。


「やっば!」


 瞬間的に僕は後ろへ飛び跳ねる。

 とは言ってもこいつらは風魔法を使うからこの距離を飛んだって狸の首を飛ばすくらいワケないが、逃げないよりマシだろう。

 幸い魔法を撃ってくる気配はないからこれ幸いと木の後ろに隠れる。


 ちらりと確認。


 ぎゃあ! 鳳がこっち見てる! こっわっこわ!

 見てごらんなさい奥さん! あれ絶対に何匹も狸をやってますわ!

 ぎゃあ! にやって笑わなかった? 鳥って笑うのう!? こわああ。


「……そこの……そこの狸……近うよれ」


 鳳が喋った!

 狸語喋れますの!?

 近よれだって? 馬鹿言うなっての! 絶対食うじゃん!


「無理無理! 近づいたら絶対に僕を食って、朕、回復したり! ってやるつもりでしょう!?」

「安心するがよい。朕の傷は間抜けな狸を食ったくらいで回復するような状態にはない」

 あ、一人称ほんとに朕、なのね。

 しかも間抜けっていうなし。

「じゃあ何しようってのよう! そう言ってどうせ僕の体が目当てなくせに!」

「お主もしつこいな……頼みがあるのじゃ……た……のむ」

「えー」


 嘘は言ってないかな。

 前世で散々嘘をつき、嘘をつかれ、殺し、殺されかかった僕にはわかる。

 死に際の頼みって奴だ。


 あー。


 難儀な事に。

 僕はこれを無視はできない。


 渋々と木の影から歩み出て横たわる鳳のそばに寄った。

 鳳はもたげていた首をパタンと僕の方に向けて下ろした。どうやらもう首をあげているだけの力もないようだ。


「お主……化け狸じゃろう?」

「ええー」

 なんで知ってるのう?

「朕の姿をくれてやるから、朕が死んだ後に、一枚だけ残る羽を鳳の巣、早贄尖塔はやにえせんとうに届けてくれ」

 おーい、質問に答えてえ。僕の戸惑いを置き去りにして話を進めないでえ。


「くれてやるって? そんな事言われても、意味わかりませんよ。化け狸は空を飛べませんって」

「誤魔化す必要はない……お主は808やおやの化け狸だろう? 見た事がある顔だ。お前らが変身出来るのは知っておる。朕の姿に変身すれば飛べる。過去にも鳳の姿で空を飛んだ狸もおるからな」

 どこで見たんだよ。僕は少なくとも鳳に面と向かってご挨拶はした事がありませんよう。そもそも鳳に正面から相対した時って、狸にとっては大体死ぬ時ですしねえ。

 しかしそれをそのまま伝える事などできるわけもないので。


「はえーおみそれしました」

 鳳ってのは色々詳しいんですねえ。ってな具合に褒めて流しとこ。ま、それにしても化け狸の変身能力まで知っているとは。これって僕ら狸のトップシークレットではないのかな? それを知っているとはさすが空の王者。

「ま……死にかけても……鳳じゃからのう」

 自虐ぽい感じだが笑ってくれた。

 お褒めの言葉に乗っかっていただけたようで。間抜けはお前だあ。そもそも話に乗ってる僕が間抜けかも知れませんがねえ。

 話にのった間抜けの末路はこうなりませんか?


「でもそれって、僕が羽を持って巣に入った途端に餌になりません? 鳳の仇ぃ! 的な?」

「大丈夫だ。その羽を息子に見せれば、息子に渡せば……全て、わかる」

「本当にい?」

「ああ……朕の……遺志が、記憶が、そこにこもる」

 ふむ。ノーリスクか。それともリスクが隠れているか。

 ま。これも僕の性分だ。仕方ない。

「なら、飛び込んでみますか」

「すまんな」

「いいえ……じゃ、早速失礼して」


 トコトコと鳳さんに近づいて。

 血だらけなそのほっぺにチュウ。

 これが狸の約束。

 キュッと飛び出した狸口から鳳の生体情報を吸い込む。

 それを体中の化け狸細胞で構成認識しているのがわかる。

 そうやって隅々まで行き渡ったと感じた時。


『変化対象におおとりが追加されました。同時に風魔法を習得しました』


 ぎゃあ。

 目の前に文字が現れた。


 驚いた僕は鳳さんのほっぺから口を離した。

 文字を二度見するが、すぐにその文字は消えてしまった。


 なんだこれ? 帰ったらおやじに聞いてみないと。

 まあその前に一仕事あるからほんとにラクーンに帰れるかは怪しい所だけど。


「察するに……無事に朕の姿を得られたみたいじゃな」

「ええ」

 もう鳳さんの声には力はない。こちらも見ていない。きっと目も見えていない。


「そろそろ朕は限界じゃ……くれぐれも羽を頼む」

「怖いけど……怖いですけど……ちゃんとやりますよう」

「安心するがよい。皆、お主を歓迎するじゃろう」

「そうですかねえ……」

 不安しかありませんがねえ。

 僕の気持ちなど斟酌する事のない鳳さんはなおも続けて独り言のように呟く。


「のう、本当に最期の頼み、なのじゃが……朕の姿に変身してくれまいか?」

「ええー、本当に注文が多いですねえ」

「……たの……む」

「……わかりましたよう」


 僕は鳳さんから少し離れて姿を鳳へと変えた。


 僕にとって、初めての変身。

 思っていたよりもそれは簡単で。

 特に何も考える必要もなく、ただ変化対象に姿を変えたいと願うだけで、あっという間に身体が変わった。


 一瞬だった。

 その一瞬で変わった姿。

 それは気高く優雅、それでいて雄々しい鳳の姿。


「ああ……わが息子よ……立派な王に……」


 そんな一言を残して。

 目の前の鳳は、まるで僕と入れ替わるようにして、羽を一枚だけ残して消えていた。


「最期に……姿、見れましたかねえ?」


 すっきりとしない僕の問い。

 もちろん、そこに残された羽が応える事はなかった。


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