第4話 ホスト

 「やめてぇー!…、やめてえぇぇ~!!」


 もがき必死に抵抗する綾を力づくで押さえ続け、男は綾を強引に犯そうとしている…


 ドカッッ!!


 突然、大きな衝撃とともに、綾を押さえつけていた重力が一瞬で消滅した。


 「何しとんじゃ?」

 すごむ声が、蹴られて綾の上から転落した男に向けられている。


 ゴッッ!!


 今度は男の顔面が、すさまじい音とともに上から踏みつけられる。

 悲鳴を上げる男に容赦なく、次は足蹴あしげのボディーブローが入る。


 「――ゲッ?!…ゲホッ、ゲフォッッ――」

 「みんなで決めたルール、守んねぇヤツは――」

 のたうち回って悶絶もんぜつしている男に、誰かが言い放っている。

 「容赦しねぇ…」


 ガツッッ?!


 あごを蹴り上げられた男は、顔面血だらけで気絶して転がってしまう…


 ふいに視界が明るくなり、綾は涙で濡れまくった眼をくらませている。

 「――…、大丈夫か?」


 眼が慣れてくると綾は、部屋の照明をけた少年が、自分を見下ろしているのが分かる。

 綾は無惨に乱された服装のまま、カーペット敷きに横たわって、うるんだ眼で少年を見上げていた…


 ★

 ★


 「――…、どうかした?」

 ソファーの隣に座るホストの翔琉に呼び掛けられ、ハッとした綾は現実に引き戻される。


 「――ごめん…」

 うろたえ気味に、テーブルのグラスに手を伸ばす綾。


 「…また、フラッシュバックか?」

 言われた綾は、グラスを口に付けた所で動きが止まる。

 そして一息つくと、グラスの中のシャンパンを一気に飲み干す。


 「――大丈夫か?」

 「…うん、…大丈夫」

 「違ぇよ。そんなに酒飲んで、だよ」

 心配顔でのぞき込む翔琉に、縮こまっている綾。


 「まだ高校二年生で、おまけに酒弱ぇのに――」

 「ここじゃ、ハタチ!」

 綾は右手を伸ばして、人差し指で翔琉の口を押さえつける。


 「あと1年ちょっとで18だから、そしたら――」

 「酒飲んじゃいけねぇのは、変わんねぇよ」

 視線を絡み合わせながらクスクス笑い合う、綾と翔琉。


 同じソファーでは愛莉と担当ホストのリョーマが、楽しそうに談笑している…




 「それに、ボトル入れてくれんのは嬉しいけどさぁ――」

 「大丈夫。立ちんぼして、稼ぎまくってっから」

 「だってココ、けっこう高ぇ――」

 「あたしんコトより、自分の心配したら?駆け出しなんだから…」

 言われてムスッとしてしまう翔琉。


 「ごめんン~。そんなつもりじゃあ――」

 じゃれつく猫のように、翔琉の胸元に身体を寄せる綾。

 「だってカケルは…、あたしの大事なヒトだし…」

 抱き着いてきた綾の髪を、翔琉が右手で優しく撫で上げている…


 ★


 ホストクラブでの遊びは、金を浪費しまくる。


 初回のお試し価格は手ごろなのだが、以降は入店してテーブルに座っただけで発生する、テーブルチャージとセット料金などで1万~1万5千円ほど。

 さらに、指名ホストを独占するために高級ボトルなどを入れ始めると、際限さいげんが無くなってしまう。


 ホストクラブの酒の値段は高く、一番安くて手軽なシャンパンでも一本1万5千~3万円ほど。

 高級シャンパンのドンペリは一本8万円~80万円にもなるし、高級ブランデーの『ルイ13世』『リシャール』『トラディション』ともなると、一本100万円は下らない。

 高級ワインの『ロマネコンティ』に至っては、ワイングラス一杯でも20万円以上はするシロモノだ。

 ホストたちは言葉巧みに、女性客が自分を離さないようにつなぎとめさせようと仕向け、こういった高級な酒を買わせまくるのだ。




 さらに『シャンパンタワー』をやろうがものなら、最低でも50万~100万円。

 シャンパンタワーは、店にいる大勢のホストがタワーを入れた人のテーブルに集まるので、その満足感からハマってしまう客が多い。


 そのうえ、売掛という巧妙な仕組みがあって、ホストが代金を立て替えることで、お金の持ち合わせがない客も、後日払いという形で高級な酒を買えてしまうのだ。

 その場の雰囲気と勢いで、経験の浅い若い女性客は、自分のお気に入りホストに喜んでもらいたい一心で、仕向けられるままに金を浪費しまくってしまう。


 それが、ホスト個人の売上げに反映されるという狡猾こうかつなシステムの深い淵に、毎夜のごとく若い女性たちが引きずり込まれて行く…


 ★


 芹澤駆琉は、3ヶ月前にホストデビューしたばかりだ。

 18歳になるのを待ってのデビューだった。


 18歳のホスト源氏名、翔琉の弱みは、店ではお酒を飲めないこと。

 ソフトドリンクでの接客なので、客がボトルを入れてくれないと自分の売上げがあがらない…――


 綾は駆琉と、トー横で同じグループにいた。


 綾が中学3年生の5月に、仲間内のシェアルームでレイプされかけた所を、駆琉が助けてくれた。

 それ以来、綾と駆琉はイイ仲になる。




 綾が恋愛感情で身体を許せるのは、駆琉だけだ。

 今こうしていられるのは、駆琉のおかげ。

 だから今度は、あたしが助けたい…

 だから週に一度は来店して、高額なボトルを入れたりしている――


 これはハタから見れば、駆け出しホストに少女がみついでいるという状況だ。

 今の綾には、こういう事はおかしくないかい?と、諭してくれる人が誰もいない。


 こうして綾も、ドロドロした深い闇の淵へと、引きずり込まれてしまうのだろうか…


 ★

 ★


 楽しい時間は、あっという間に過ぎてしまった。

 翔琉とリョーマに見送られ、綾と愛莉は店をあとにする。


 少し歩いた二人は、大久保病院東側の路地に座り込む。

 特に何をするという訳ではなく、ただ座り込んで他愛ないことを話すだけ…


 この薄暗く狭い路地には、同じような年頃の少年少女たちの、多くても6人程度の小グループが、あちこちに座り込んでいる。

 彼らにとって仲間と過ごす時間が、何よりのいやしなのだ。

 東宝ビルからは離れているが、彼らもトー横キッズと言えるだろう。


 夜の11時はとうに過ぎていて、今まさに非合法ないとなみが行われているかのような、怪しげな空気がそこには満ちている…




 「どーすんの?」

 座り込んだ綾が、スマホをいじりながら隣に座る愛莉にいている。


 「おぢが、会いたいってさ…」

 「どこで?」

 「ジュク新宿に来るって」

 「――大丈夫?」

 「ヒトのこと、ゆうかぁ?」

 愛莉が侮蔑ぶべつするかのような笑顔で、綾の方に顔を向ける。


 「立ちんぼの方が、よっぽどヤバいじゃんよ」

 「いいや、ネットの方がヤバいって」

 むきになって、言い返している綾。

 「どこがさ?」

 「だってさ、会って初めてどんな奴か分かんじゃんよ。絶対ヤバいって」

 「ふーん…、そーゆーことぉ…」

 ウンウンとうなづいている愛莉。


 「あたしソコまで考えたこと、ないわぁ~…」

 「でしょ?だから――」

 「立ちんぼ、立つの疲れんし…」

 「はぁ?」

 「(警察に)パクられるリスク、あんしぃ…」

 「――そっちかぁ~…」

 思わず腕組みをしてしまう綾であった…


 ★

 ★


 中学生になっても引きこもり続けていた綾は、ふとしたきっかけでトー横に行こうと思い立つ。

 トー横キッズの存在は小5の頃から知っていたが、テレビでもネットでもネガティブなニュースばかり。

 幼い綾は、行こうという気には仲々なれなかった。


 そこでは、何でも話し合える――…


 ✕(Twitter)にUPされているトー横キッズらしきつぶやきは、綾にとって魅力的なものばかりだ。


 ――そうなんだぁ…


 小6、中1と歳を重ねるごとに、トー横に行きたい気持ちが強まってきていた。


 ――この

 トー横キッズらしき呟きの中に、小学2年生の時に仲が良かった娘らしい顔写真を見つけた。


 とはいえ、眼元は黒線で隠されているので、その娘かどうかは定かでない。

 でも面影は、多分あの娘…


 三年近く外界との繋がりを絶っている綾に、人恋しさが急に芽生えて来た。

 思い立った中学2年生の綾は、母親が外泊している日に新宿歌舞伎町へと出掛けた。




 夜のシネシティ広場に着いた綾は、あちこちに座り込んでいる幾つかのグループを眼にする。

 歩き廻りながら一人一人の顔を、キョロキョロと確認しているセミロング黒髪の綾。


 ――いない…


 「ねえ、キミぃ」

 諦めずに探そうとする綾が、二人の若い男に呼び止められる。


 「さっきから、だれ探してんのぉ?」

 いかにも遊び人という風情ふぜいの二人が、綾にからんできた。

 「俺たちと、遊ぼうぜぇ~」

 語りかけた男が、綾の肩に右腕を廻す。


 こわい――…

 ヘラヘラとまとわりつく男たちに、縮こまっている綾…




 「――あぁ~、ここにいたぁ~」

 男たちが振り向くと、一人の少女が立っている。


 「ごめん、あたしのツレだから――」

 少女は綾の右手をつかむと、有無を言わさず男たちから引きがした。

 男たちは残念そうに、舌打ちをするしかなかった…


 グイグイと少女に手を引っ張られた綾は、座り込んでいる一つのグループの前に連れて行かれた。

 「――誰?…」

 座り込んでいるキャップをかぶった少年が、顔を上げる。


 「絡まれてた…」

 少女が話すと、少年少女たちが一斉に顔を上げて綾を見る。


 綾を連れて来たこの少女が、愛莉だったのだ…

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