海辺に咲く、半透明の白い花に。

海月いおり


 嘘だと言ってくれ。

 誰でも良い。嘘だと言って、俺を殴ってくれ。


 夢だろう。

 夢だと言ってくれ。


 そうでないと……俺、気絶しそ ――………



「りゅーくん。りゅーくん」

「……」

「りゅーくんってば~。私の話、聞いてる!?」

「……」

「無視しないでよ~!!」



 そう言って〝半透明〟の彼女は、ケラケラと笑っていた。





 暑い日差しが肌に突き刺さる季節。

 東京の芸術大学に通い始めて3年目の俺は、夏休みを利用して田舎の地元に戻ってきていた。


 南桑なぐわ隆次りゅうじ、将来の夢は画家。

 休みの日でも絵を描きたい。そう思うくらい、とにかく絵を描くのが大好きだ。



「母さん、また海行ってくる」

「あんたも物好きねぇ。毎日海に行くなんて」

「風景を描きたいから良いの」

「しかし……〝あの件〟以降、あんたの同級生は誰も寄り付かないみたいだけど、あんたはなにも思わないの?」

「俺は実際に目撃したわけじゃないからね」


 じゃあ、いってきまーす。と玄関で声を上げて家を出る。



 風景画を描くのが好きな俺は、スケッチブックと24色色鉛筆だけを持って、家に近い海辺に向かう。そして、長い石段に座って海を描くのだ。


 海の音と蝉の声だけが響く、静かな海辺。絵を描くにはもってこい……。



 ……だったはずなのに。



「うわ~!! りゅーくん、相変わらず絵が上手いね! 写真みたい!!」

「……」

「ねぇ~!! 前から思っていたけど、なんで無視するの!?」

「……」

「私、ここにいるよ!! ねぇ、りゅーくん!!!!」

「……」



 スケッチブックを1枚1枚めくっていると、聞こえてきた元気な声。


 騒がしい〝半透明〟の彼女は、ぷーっとわざとらしく頬を膨らませて、ふわふわと宙を泳ぎながら俺のことを睨んでいた。



「……もうすぐお盆だからかな」

「え、なにが?」

「早目の迎え火をした記憶はないけれど、帰って来たとか。そんな感じ?」

「えぇ~? 帰って来たのはりゅーくんの方だよ。〝私はいつもここにいる〟んだよ!」

「……」

「最初こそ気が付かなかったよ。りゅーくん垢抜けしすぎて、別人みたい! だけど今のりゅーくんもカッコイイねぇ!」

「……」

「ねぇ、りゅーくん!? ちょっと、無視しないでよ〜!!!」



 目の前にいる人。


 ……人? 幽霊?


 彼女は、俺の幼馴染だ。

 ……いや、幼馴染……だった?


 朝比奈あさひなあおい。

 去年、不慮の事故で亡くなったはずなのに。


 どうして今、目の前にいるのか。

 まったく状況が理解できない。



 あおいが亡くなった時、俺は大学の考査期間真っ只中だった。ゆえにこっちに帰って来れなくて、実は葬儀に参加していない。

 お別れの言葉を言うことも叶わず、なんならあおいが亡くなった事実すら、あまり信じられていなかった俺。


 だから、今目の前にいる半透明の彼女は……本当に亡くなったのだと、証拠を見せ付けられているような気がした。


 それでも実感は湧かないけれど。




「なんで半透明なの。死んでいるみたいじゃん」

「不透明度の数値を上げることもできるよ!」

「デジタルイラストみたいに言うなよ……」



 なんて小さく呟くと、あおいの体は本当に濃くなった。


 数年前……と言っても、最後がいつか覚えていないけれど。

 最後に会った時と同じ。目の前には……俺の知っているあおいがいる。



「……そんなことができるの。てかなんでわざわざ半透明にしてたの?」

「えー? その方がお化けっぽいじゃん?」

「他の人には見えないの?」

「うーん、見えていないっぽい。この前、近所の知り合いが来たから話し掛けてみたんだけど、全く反応がなかったの。今のところ、りゅーくんだけっぽい!」

「近所の知り合い程度の人には止めとけ……?」


 

 一番最初に、俺が〝死んだはずのあおいの姿〟を見掛けた時、あまりにもびっくりし過ぎて声を掛けてしまった。


『あ、あおい?』

『えーっ、もしかして君、私のことが見える!?』


 最初こそ、俺が誰なのか気が付かなかったみたい。

 だけど会話をする中で〝俺〟が〝幼馴染のりゅーくん〟だということを確信したらしくて。再会が嬉しかったあおいは、その日を境に俺の姿を見掛けるたびに話し掛けてくるようになったのだ。


「ねー、りゅーくん。なんで私が死んだのか、理由は知ってる?」

「り、理由……? そりゃ……知ってるけど」

「えっ! ならさ、私に教えて!!」

「え?」

「おーしーえーてーっ!!!」

「……」


 目を閉じて両手を合わせ、必死に懇願してくるあおい。


 死者って自分の死因が分からないものなのだろうか。俺は死んだことがないから分からないけれど、「お願いっ、お願い!」と言い続けているあおいに対して、思わず溜息が漏れ出た。


「あ、溜息イヤだ」

「溜息も出るだろ。死者本人に死因を伝えるって、どういう拷問?」

「これって拷問なの!?」

「拷問だろ。俺の気持ち考えろよ」


 えぇー……と呟きながら首を傾げているあおいをスルーして、目の前の真っ青な海に目を向けた。


 空の青と海の青が交わる水平線。その絶妙な色合いを24色色鉛筆で表現をする。色を混ぜると新しい色が生まれる感じが好きだ。




「……うーん、りゅーくんのケチっ」



 物凄く不満そうに呟いたあおいは、俺の体をツンツンと突く仕草をする。しかし、そんな彼女の指は、俺の体に触れることなく貫通してしまう。



 触れられない。


 存在を感じられない。


 その感覚がとても不思議だった。



「バーカ」

「なんだよ、突然!」

「りゅーくんのバーカ」

「お前なぁ!」



 色鉛筆とスケッチブックを置いて勢いよく立ち上がり、あおいの方に体を向けた。あおいはクスッと笑って何かを言おうとしたのだが、一瞬で表情が曇った。そして、「あ、ちょっと後でまた来る」なんてわけの分からないことを言って、その場から消えてしまった。



「は!? あおい!?」

「……え、南桑くん?」

「え?」


 あおいが消えると同時に、背後から声がかかった。

 その声の方を振り向くと、緩くウェーブのかかったロングヘアの女性が驚いたような表情で立っていた。


 この子は、あれだ。俺たちと同級生の……。


望月もちづきさん……」

「久しぶり、南桑くん……」



 望月もちづき羽那はな


 あおいの親友で、あおいが力を入れていたロックダンスでのライバルだった。大会に出れば1位はあおい、2位は望月さん。大会前から上位2位までは確定なんて言われるくらいの……実力者だ。

 

 母親の情報では、確か同級生は誰もここには寄り付かなくなったはず。

 それなのにどうして望月さんがいるのだろうか。


「……」


 望月さんは俺の隣に腰を掛けた。そして鞄からミネラルウォーターを1本取り出し、石段の上に置く。

 そして彼女は、〝何か〟に向かって……一生懸命に手を合わせていた。



「南桑くん、あおいに会いに来たの?」

「あ、いや。俺はどちらかと言うと、絵を描きに来た……みたいな?」

「……ふぅん、そう。私は、あおいに謝罪しに来てるんだ。毎日」

「しゃ……謝罪?」

「うん……最近、心苦しいんだ。南桑くん、再会のついでに話を聞いてよ」

「……」


 誰かに話したかった。


 そのような雰囲気丸出しの望月さんは、目を赤く潤ませて唇を噛んでいる。

 小さく息を吐いて、遠くを眺めながら……零れ落ちてきた涙を左手で拭っていた。


「南桑くん、あおいが何で死んだか知ってる?」

「……あ、聞いた情報だけど、ここでダンスの練習をしていた時に、よろけて石段から落ちた……って……」

「……うん」

「……」


 うん?


 黙り込んでしまった望月さん。

 呆然と海を眺めているように見えるけれど、その視界に写っているのは本当に海だろうか。俺には別の物を見ているような気がして、掛ける言葉が見つからない。


「……南桑くん」

「なに」

「私があおいを殺した」

「……え?」

「って、言ったらどうする。警察に突き出す?」

「……」


 俺には彼女の言っている言葉の意味が、何ひとつ分からなかった――……。



 あおいと望月さんは高校での出会いだったが、本当に仲が良かった。

 高校在学中も2人は親友として、そしてライバルとして……。彼女たちはいつも一緒だった。


 卒業して大学に進学しても、2人は時間を見つけては一緒にダンスの練習をしていた……はずなのに。



「え、待って。殺したってどういうこと? 本当に?」

「……」

「なぁ、望月さん。答えろよ!」

「……」



 大きな涙の粒を零して、遠くを見ている。

 その表情は、決して嘘を言っているようには思えなかった。



「……望月さん」

「ごめんね、南桑くん。私、ダンスが上手いあおいのことが嫌いだった」

「……」

「いつも私の上を行くでしょ? それがね、許せなかったの」

「……」



 望月さんの話はこうだった。


 同じロックダンスをやってて、同じ大会に出るまでは良かったのだが、いつも優勝をするのはあおいで、望月さんは絶対に2位だった。


 大会が始まる前から『優勝候補』として崇められるあおい。


 そんなあおいのことが嫌いだったと、俯いていた。



「本当は、怪我でもしてダンスが出来なくなれば良いと思ってた。まさか、打ち所が悪くて死ぬなんて……思ってなくて……!!」

「……」



 俺は何も言えなかった。


 あおいがダンスを何よりも頑張っていたことを俺は知っているから。

 的外れな望月さんの判断には、無性に怒りが湧く。


「……で、なに? 俺に白状してどうすんだよ。そんなこと……ついでに黙っとけよな!? お前さ、本当はあおいが死んでしまったこと、内心では笑ってんだろ? どうなんだよ!」

「違うの」

「……」

「違う。悲しかった」

「はぁ?」


 自分がやっといて悲しかった?

 頭イカれてるだろ……そう思い言葉を継ごうとすると、望月さんは一層大粒の涙を零して、声を荒らげた。


「この前、あおいが死んで初めての大会があったの。そこで、初めて1位になった」


「だけど、だけどね。全然嬉しくなかったの。むしろ、虚しくて……悲しくて……。私、私……なんてことをしてしまったのだろうって……!!」



 うわーんと、子供のように大きな声を上げて泣いていた。


 海辺によく響く望月さんの声。


 泣きたいのはあおいの方だろ……。

 そう思い、益々怒りが増す。


 しかし、そういうことか。

 罪悪感で望月さんはここを訪れて、あおいに向かって手を合わせていたんだ。


 そしてあおいは……それを知っていたから、望月さんの姿を見て消えた……と。



「……」



 泣き続けている望月さんを横目に考えた。


 この人を警察に突き出すかどうか。


 だけどそんな事しても良いのだろうか。


 どうすれば良いのだろう。


 俺ひとりで抱えるには、少々問題が大き過ぎる。




「あおい、本当にごめんなさい」

「……お前さぁ、殺しといて〝ごめんなさい〟で済むとでも――……」

「りゅーくん、待って」



 ふいに聞こえてきた声に目を向ける。

 そこには、消えたはずのあおいが、少し悲しげな表情で突っ立っていた。



「あおい……」

「しーっ」



 表情はそのままに人差し指を口元で立て、静かに俺の元に近付いて来る。

 そして「何も言わないで」と呟いて、言葉を継いだ。



「羽那のバーカ、バーカバーカ。意気地なし~。人殺し~。アホ~」

「……」

「あっかんべー」



 望月さんにはあおいの姿が見えないことを良い事に、それはそれはもう、好き勝手なことをする。


 泣き続けている望月さんは嗚咽を漏らしながら海を眺めていた。

 そんな〝俺にしか見えない〟シュールな光景に、つい体が固まってしまう。



「……はぁ、しかし。満足」

「え?」

「いっつも羽那が1人で来てさ、他に誰も来ないからさぁ。私が死んだ〝ちゃんとした理由〟をね、みんなが知っているのかどうかが気になっていたの。だけど、まさか不注意により死んだことになっているなんて少しビックリしたわ。みんな引いたから来ないってことでしょ!? 私ったら散り際に、鈍臭い人間のレッテルを貼られたってことでしょ~!?」


 ケラケラと腹を抱えて笑い、宙をクルクルと回転する。


 宙に浮いてさえいなければ、本当にいつも通りのあおい。

 クルクル、クルクルと。

 望月さんに見えていないことを良いことに、彼女の目の前でクルクルと回り続けていた。



「……ねぇ、りゅーくん。羽那に伝えて。もう来なくて良いって。そして一生呪ってやるって」

「えぇ!?」

「〝私はいつまでもここにいる〟から、次来たら道連れにするよって。伝えといて」

「何それ怖いな!! 大体、そんなこと俺に頼むな!?」

「……南桑くん、どうしたの?」

「あっ」


 望月さんからあおいの姿が見えていないことを忘れ、つい大きな声が出てしまった。


 あおいの姿が見えていない人からすれば、俺の言葉はただの独り言。望月さんは目を真っ赤にしたまま、怪訝そうに俺の顔を覗き込んでいた。


「……も、望月さん。あおいが、もう来なくていいって」

「えっ?」

「次来たら道連れにするって」

「……」

「ちょっとー、りゅーくん。一生呪うことも伝えて!!」

「それは知らん」

「……ねぇ待って。あおい、そこにいるの?」


 不思議そうな望月さんと、ニヤニヤと何だか楽しそうなあおい。


 それに挟まれている俺って一体……。


 大体、俺はここに絵を描きに来たはずなのに。

 どうしてこんなことになっているのだろうか。


「ねぇ、南桑くん。あおいそこにいるの?」

「……あ、えっと……」


 望月さんの言葉と、今度は全力で首を振り続けるあおい。

 どうすれば良いの分からず、とりあえず適当なことを言ってみる。


「えっと……て、テレパシー」

「テレパシー……?」



 もう滅茶苦茶だ。

 一刻も早くこの場から去りたい。


 そう思い、適当なことを言って望月さんを帰らせようと考えていると、あおいが俺の耳元に近付いてきて、ボソッと呟くように言葉を発した。


「……あおい、それって」

「ねっ、りゅーくん。頼んだよ!」

「ちょ、あおい!!!!」



 あおいはニコッと微笑んで砂浜へ向かった。

 状況が理解できてない望月さんを他所に、俺も石段を駆け降りて砂浜へ向かう。


 そこで淡い光を放ちながらニコニコと微笑んでいるあおいに目が奪われる。そんなあおいが「ここで死んだんだぁ」なんて言うから、思わず胸がズキッと痛んでしまった。


 あおいの人生、終末の場所。

 そこで光り輝くあおいの体が消えると、とつぜん同じ場所に一輪ほどの白い花が咲いた。


 真っ白な花……なんだけど、花びらが透けて見える。


 これまでに見たことがない、半透明の白い花。

 ふわふわと光を放ちながら、風で小さく揺れている。


「……あおい」

「……」


 その白い花は望月さんにも見えたようで、「えっ……」と言いながらその花に駆け寄った。


 あおいの体が消えて、新しく芽生えた花。

 これは、あおい自身なのか。

 それはよく分からないけれど。

 風に揺られて、何だか嬉しそうにも見えるから不思議。


「……望月さん」

「……」

「あおいが、次ここに来たら本当に道連れにするし、何なら呪うって」

「……そう言われるくらいのことをしたから。当然だよね」

「だけど、〝ありがとう〟って」

「え?」

「〝友達になってくれて、楽しませてくれて、ダンスのライバルで居てくれてありがとう〟だってさ」




 消える前、あおいが俺の耳元で囁いた言葉。


 〝羽那に伝えて〟 あおいから託されたその任務を、俺はきっちと果たす。


 それと同時に、あおいの言葉を口にすると胸が痛んだ。


 殺された相手に〝ありがとう〟ってなんだよ。


 しかも、望月さんがあおいのことを殺したという事実も周囲には隠されているのに。




 俺があおいの立場なら、発狂してしまう。


 相手のことなんて、思いやっている余裕は無いと思う。



「あおい、ずっとこの辺でうろちょろしていたみたいよ。だけど今日、こうやって望月さんの話を聞けたから。気持ち的に決心がついたんじゃない?」

「…………」

「その花は、あおいだ」



 望月さんは石段を駆け上り、置いていたミネラルウォーターを手に取って戻ってきた。


 そしてそのキャップを開けて、半透明の白い花の根元に優しく水を掛けてあげる。



「ごめん、ごめんなさい。本当に、ごめんなさい。謝って許されることではないけれど、本当にごめん。あおい、ごめんなさい。そして……ありがとう……」




 ペットボトルから零れ落ちる水と一緒に零れ落ちる望月さんの涙。


 姿のないあおいはもう何も言わないけれど、目の前にある半透明の白い花は、光を放ちながら喜んでいるように見えた。





 あの日、望月さんと海辺で別れた後、彼女は警察に出頭したらしい。


 あおいの優しい言葉が彼女に届いた。


 そう願いたくて、思わず両手を強く握る日々だ。




 一方の俺は、毎日毎日


 夏休み期間中は毎日、雨でも風でも、あの海辺に向かった。


 そこで変わらず咲き誇る半透明の白い花。


 誰かに踏まれたり抜かれたら嫌だから、安全な場所に植え替えをして、毎日毎日様子を見に行った。



「今日は青空だから……空の色を塗ろう」



 半透明だったあおいと出会う前から書いていた海辺の風景画。


 完成に近付き、最近は色塗りをしている。


 その絵に途中で描き足した、半透明の白い花も一緒に。



 




「うわ~!! りゅーくん、相変わらず絵が上手いね! 写真みたい!!」







 強い風が吹き、ぴゅーっという音と一緒に聞こえてきた、明るいあおいの声。




 振り返っても、もうそこにはあおいの姿はない。




 あおいが死んで数ヶ月。


 


 この日俺は、あおいの死を自らの心で初めて実感し




 この日俺は、あおいが死んで初めての涙が零れた。












海辺に咲く、半透明の白い花に。    終





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