第22話 沈む夕陽と地球の味

 二人は駅の改札でスマホをかざし、そのまま地下鉄に乗った。

 目的の店はここから四駅ほど南寄りにあるのだという。


「あ、見て沙也加! 夕焼け! しかも海に落ちていってる」


 地下から地上へと抜け出し、河川にかかる陸橋を渡ってまた地下に入る。

 玲はこの橋が、朝日を見ようと抜け出したあの日、猫と出会った場所だと理解した。


 水平線から昇る太陽を見て、今度は沈む太陽を目にした。

 地球の光景でこんなに感動できるなら、オルスの海だとどれほど美しいのだろうと玲はつい、考えてしまう。

 胸がじんと熱くなり、沈む夕陽をほんの一瞬でも見られて、今日はいい日だと感じた。


「まあ、オルスじゃ見れないもんね。内陸だし、海だってないし」

「う、うん。そうね」


 里心が出そうになったことを悟られないようにしつつ、なんでもないとこたえた。


「あと何百……」

「え?」

「いや、ボクたちあと何百のエヴォルを回収したらいいのかな、ってちょっと、ね。考えることない? まだ五匹だけどさ」


 玲が目覚める間、沙也加は三度、エヴォルと遭遇しそのすべてを無効化してアマノダイトを回収していた。

 二人が移動することのできる次元の狭間(ワールドポケット)には五つの鉱石が鎮座している。


「その前にアイドルもやらないと」

「あー……うん、そうだね」

「どうしたの?」

「んー、その前にクリアしなきゃいけない課題が――ある」

「課題?」


 そんな話をしているうちに、二人は地下鉄を降りて地上に上がり、ラーメン屋へとやってきた。

 沙也加のおすすめのお店はビルの一階にあり、奥に細長くカウンターと壁際に客席が用意されている。


 ねじり鉢巻きをした店主はいかつい五十代の男性で、「いらっしゃい」とだけ低く挨拶をした。沙也加は慣れた手つきで券売機で食券を購入する。

 沙也加にはネギ増しとチャーシュー増し、玲はネギを増しにした。

 女性店員に案内されて奥の席へと導かれる。


「いらっしゃいませ! 最近、よく来られますねー」

「こんにちは! ここ美味しいから好きなんです」

「ありがとうございます!」


 と二人が挨拶をかわし、店員はお水とおしぼりを渡して去っていく。


「……最近、よくきてる? どういうこと?」

「あ、いやあ。そんなに来てない……ごめん」

「沙也加、ずっとバイトでしんどくて死にそうだっていってなかった? 私を放置してひとりでこんなところにきてたんだ?」


 玲は自分が寝ていた間にも、好き勝手していたらしい沙也加の行動を知り、不機嫌になってにらみつける。

 沙也加は動揺しつつ、平静を保って慎重に玲の機嫌を取った。


「ひいっ……ごめんよお、お腹空いたときにたまたまきたら、ものすごく美味しくて――つい」

「まあいいけど。あとから全部聞かせてもらいますから。沙也加の見つけた美味しいお店とか、楽しい場所とか、素敵な出会いとか。全部!」

「聞いてどうするんだよ」

「私もそんないい目をみてみたいもの。案内してもらうわ」

「玲、怒ってない?」

「別に? 沙也加だけずるいなって思ってる。でもありがとうね、側にいてくれて感謝してる」

「良かったあー……」

「でも、ここにたくさんきたことは許してあげない。沙也加のおごりね」

「そんなっ!」


 と二人がわいわいやっているとラーメンが運ばれてきた。

 玲は生まれて初めての味と麺やスープの食感を楽しみながら、「意外とあっさりしているわね」と呟くと、沙也加の器に盛られたチャーシューを半分、奪い取って自分の器に置いた。


「ひとでなし!」

「これでおあいこ。許してあげる。あら、これもほろほろしていて美味しい」

「だろ? ボクの勘は当たるんだよ。美味しいの間違いないんだから」

「……ま、今回はうまくいったかもね? それで、なによ、課題って」


 半分ほどラーメンを堪能した玲が、地下鉄の車内で沙也加が言いかけた課題とやらに言及した。

 沙也加は「これなんだ」と言い、スマホを玲に見せる。

 そこには一通の文書が表示されていた。


 メールだ。差出人は吉見恵子。

 たしか、アンジュバールのマネージャーのはず、と玲はその人物が誰かを理解する。

 文面には五人組のアンジュバールが二人だけになった状態で、活動を継続することは難しいと書かれていた。

 つまり、残る三人。

 慈恵詠琉、友麻朱夏、家窓秋帆の三人を探し出し、連れ戻して活動を再開しなければ活動は中止、解散となってしまう。


「これは、だめよ。そんなことになったら、エヴォル回収だってできない――」

「その前に、あのマンションを追い出されてしまうよ」

「えっ!?」


 早々とラーメンを食べ終えた沙也加は、追加でアイスクリームを注文しながら玲に教えてくれた。

 東京では自分たちの年齢――十五歳は成人しておらず、後見人がいないと家を借りれないこと。

 あのマンションのオーナーは五反田といい、事務所が保証人になって借りてくれていること。

 しかし、事務所はアンジュバールにあまり力を注いでいないため、もし、事務所との契約を解除されたら、玲たちが保証人を見つけ、それぞれアルバイトなどをして、マンションの家賃を払っていかないといけないと告げる。


「五反田、あの人オーナーだったんだ」

「? 会ったことあるの?」

「ちょっと前に、エレベーターのなかであったわ。家の契約が来月末までで家賃滞納されたら困るとか言ってたの」

「ああ――っ、それだ!」


 もうそんなこと言い出したのかあの人、と沙也加は両手で頭を抱えてしまった。

 言わないほうが良かったのかも、と玲はちょっと罪悪感を感じる。でも、それは杞憂だったようで、「策はあるんだ」と沙也加は呟いた。


「策って――なに?」

「別の事務所に移籍する。もちろん、メンバーを探すこと前提で、さらにアイドル活動も成功させつつ」

「なんで? 活動中止して、そのまま回収だけすればいいじゃない」

「だめだよ、玲。玲にも、僕にも――彼女たちには日本に家族がいるんだ」

「あっ」


 肉親。家族。戻れる場所。未成年であるということは、アイドルが終わったら成人するまでは戻らなければならない、ということだ。

 そういえば部屋の写真のなかには、玲と、玲によく似た年上の男女が写っていたものが数枚、混じっていた。

 あれは家族写真だったのだ。


「もちろん、ボクにだっているよ。でも記憶を共有してれば理解できるよね」

「う、うん。もちろん、わかってる――でも、まだ不鮮明なところもあるんだ」

「そっか……あま、そのうちなんとかなるよ」


 玲はぐっと下唇を噛んだ。

 記憶の共有はまだだ。愛川玲のなかには、異世界人エリカ・ローインガムの人格と記憶しか残っていない。

 玲になったエリカは、自分が転移したせいで、玲という人格が深層心理の奥底ふかくで眠りについた可能性を感じていた。


 でもいまそれは口にできない――沙也加に打ち明けてしまったら、メンバーを集めようと意気込んでいる彼女の意欲をそぐことになってしまう。

 できるなら、みんなと集合してから……。


 玲の内心は複雑だった。

 まず、エリカ・ローインガムとしての能力は、まだ半分ほどしか回復していない。

 このままの状態が長引けば、任務遂行に支障をきたすとして、除隊させられる。しかし、ここは地球だ。オルスに戻れない時点で、玲は足手まとい。

 スカッドの任務は生死問わずだから、五人揃って玲がまともに使えないと判断されたら、さまざまな機密を知っていることもあり、始末されることだって考えられる。


 もし、敵対組織に寝返ったら任務遂行に支障が出るからだ。

 能力の完全回復、もしくは玲とエリカの人格や記憶の共有。

 このどちらかが果たされない場合、玲の生死は危ういことになる。

 だからいまはまだ打ち明けられない。沙也加が玲のことを不要だと感じたら――命を懸けた戦いを親友とすることになってしまう。


 どうしよう……。

 さらに下唇を強く噛むと血が滲みそうになる。


「どうしたのさ? なにか嫌いな食材とかあった?」


 すると沙也加は食べかけていたアイスクリームをスプーンですくって玲の口元に押し付けてきた。ぱくんっと食べてみる。


「甘い……」

「冷たくて美味しいでしょ? 地球にきて一番の収穫はこのアイスかもね」

「冷蔵庫に大きな箱で入っていたの、あれ、アイスクリームだったのね?」

「そうそう。いつでも食べれるから」


 にひひ、と得意げに笑いながら、二口目を玲に渡した。

 いまはまだ、この幸福なひとときを邪魔してはいけない――。玲は沙也加の笑顔を見て、そっと微笑んだ。

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