第20話 推しと任務と二重生活

「その人、ボクによく話しかけて来るんだ。最初のライブからアンジュバールを応援してくれているって言ってた」

「なあんだ」


 玲は警戒モードを解くと、ほっとした顔つきになる。

 単にエリカが憑依する前としたあとの愛川玲を見比べて、怪しいと感じただけらしいとわかったからだ。

 それにしても、熱心なファンはそんなところまで見ているのだと思い、正体を見破られないようにしないといけない、と心で再度、決意する。


「……ということは、沙也加のえっと……『推し』なの、その人」

「ううん。神大俊太郎っていうんだけど、玲の推し、らしいよ」

「それで沙也加によく話しかけるのって浮気じゃない?」

「さあ? アイドルなら誰でもいいんじゃない? 結構、好きみたいだからアンジュバールを」


 むう、と玲は唸ってしまう。

 アンジュバールのファンだったら、アンジュバールのメンバーが近くにいれば仲良くしたいと思うのは心理だろう。それは理解できる。

 でも、愛川玲の推しだと公言しながら、恋水沙也加と仲良くするのはいかがなものか。

 ちょっとしたジェラシーのようなものを感じてしまい、玲はあきれ顔になった。


「でもね、その人、玲のちょっとした言動からおかしいって気づいてくれるくらい、玲を好きなんだと思うよ」

「あ、そういえばそうだよね。私が知らない愛川玲を知る、古参のファン、かあ」

「お店で働きだしたらいやでも顔を合わせるから覚悟はしておいた方がいいかも。でも玲を愛でるのはボクだけの特権だけどね!」


 再び、沙也加はぐりぐりと玲の後頭部におでこを擦りつけてきた。

 いい加減のぼせそうになってきたので、あがると告げるとそのままついてくる。

 都会の脱衣室は狭くてふたりで体を拭いていたら、腕がぶつかりそうになる。

 こんな窮屈な空間で、よく日本人は我慢できるなあと玲は感心してしまうのだった。


 長い髪をドライヤーで乾かしてもらい、枝毛にならないように気を付けて処理していると、沙也加が不意に思い出したかのように言った。


「あの人、異世界転移とか、マルチバースとか研究してるってさ」

「マルチバース? つまりオルスのこと――やっぱり、敵と通じてるんじゃ?」

「その可能性はすっごく低いって思う。だって、オルスのことを知るためにはアマノダイトが発している電波を感知しないといけないよね」

「地球にはそんな探査技術はまだないって、習ったけど」


 異世界オルスが発している微弱な電磁波は、アマノダイトが発する周波数とよく似ている。

 そのため、オルスの存在を検知するためには、地球に転移してきたアマノダイトを発見できるくらいの精度をもった探知機が必要なのだった。


「ちょっと検索してみようか」


 沙也加がタブレットを持ち出して、ネットに俊太郎の名まえを打ち込み検索を開始する。

 ものの数秒で検索結果が列挙された。

 それを読み進めるかぎり、神大俊太郎という物理学者は確かに存在していて、後悔されている顔写真は沙也加の記憶にある俊太郎と一致した。

 しかし、マルチバースという希少なテーマは学会で否定されていて、俊太郎に関する新聞や雑誌、研究者の評価は限りなく低く、なかには詐欺師同然だというコメントまであった。


「ひどいこと書く人がいるなあ、ボク、ここまで書かれたら立ち直れない」

「でも特許の取得数とか凄いって書いてるよ? 億万長者だって、都内に研究室まで自前で持ってるって書いてる」

「億万長者かあ。任務がだめだったら愛人になって贅沢するのも悪くない――」

「なに言ってるの。この部屋を二週間であれだけ汚す人に、振り向く男性がいるって思えないわ。沙也加のばか」


 さっきまで自分と一緒にいてもいいと告白してきて、いいムードだったのにこれでは台無しだ。

 沙也加は浮気者決定だ、と玲は勝手に決めてしまった。

 浮気者の沙也加と浮気者の俊太郎。

 二人はお似合いですね、と言いかけてやめた。

 脳裏に今朝見たコメントがよぎったからだ。


 玲はタブレットを操作して、T―TUBEのコメント欄を開く。

 そこには俊太郎が言ったのとほぼ同じ内容のコメントが記載されていてた。


『玲ちゃん、なんか話し方が前と違う。別人みたい。そんなに歌と踊り上手くないのに、調子乗ってる?』


 沙也加はコメントをにらむようにして上から下まで、なんども繰り返し確認し、「あれっ、これって」と呆れたようにつぶやいた。


「どうしたの、なにかわかるの?」

「調子乗ってる? とか失礼な書き方だと思っただけ。多分、神大さんだから気にしなくていいよ、玲」

「え、そうなの? 最古参のファンなのに、こんなこと書くんだ」


 ちょっとショックだった。そんなに古くから応援してくれているなら、てっきり頑張れと書いてくれると思っていたからだ。


「人間、言ってることと考えていることはまた別だよ、玲。それに、最古参だから適当にやってるって怒りを覚えたのかも……ね?」

「もしそうなら、私、もっと頑張らないと」

「そうだね! こんなコメント気にする必要ないよ」

「うん、ありがとう沙也加」


 と感謝を込めて言うと沙也加はにこりとして、テーブルの端にあった紙を手にして見せてきた。


「ところで、これはどういうこと?」

「あ、それはその……」


 紙には『玲は外出禁止』と書かれていて、玲はこのあと沙也加にしこたま怒られたのだった。

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