第12話 二人の愛川玲
しかし、やってみないことにはわからない。
それよりも、これからのことを考えなくては。
玲はベランダに続くガラス戸を開けて外へ出る。
出た途端、ショーパンしか履いていない太ももを、十二月の寒風が撫でて暖を奪っていく。
「ひぇっ、さっむうう……」
年末近くの東京の寒さは異常だ。オルスは年中、温暖な気候で冬もここまで寒くはならないのだ。
玲は戸を閉めると一度中へ入り、沙也加から自分の衣類が入っているよ、と教えてもらった箪笥を開けて中身を物色する。
上の段は下着類になっていて、肌着に関してはあっちもこっちも変わらないな、と思った。年齢の割に持ち物は布面積が少なかったり、デザインが極まっていて、エリカが憑依する前の玲は、おしゃれな少女だったのだな、と理解できる。
中段は春夏物になっていて薄着の服装が多い。ミニスカート、ショーパン、足元の露出が多く、ズボンなどの類はあまりない。一番下段が秋冬物だが、こちらも春夏物とほぼ同じ内容で、玲という人物はよほど自分の脚線美に自身があったらしい。
「そんなに綺麗かなあ……?」
天上の電灯をつけて立ち上がり、両足を上からじっと見下ろしてみるが、オルス時代の自分より綺麗な肌をしているとだけは感じた。
あちらにいたころはスカッドの戦闘で、肌に傷痕なんてたくさんできていたし、生足を披露しても自信がもてるほどの美しさはなかった。
「玲ちゃん、あなたは恵まれていたのね」
と、ちょっとだけ嫉妬を込めて言う。頭の片隅で誰かが「そんなことない!」と叫んだ気がしたが、気のせいだろうと片付けてしまう。
数少ないデニムジーンズを選び足を通してみたが、ところどころ裂けていて「あれえ?」と声が出た。自分が開けてしまったのかと勘違いしたからだ。
ふくらはぎ、膝、また裾、お尻のやや下側と、下着がやや見えそうで見えなさそうなダメージジーンズ。玲はこれはこういうものなんだと自分を言い聞かせて、上を探す。
姿見に全身を写してみた。
沙也加よりもやや膨らみが足りない胸をぎゅっと両手で寄せてみる。オルスにいた自分と比べるとそれでも豊かなものだった。
「これどうやって着けるのかな?」
こういう時こそのスマホだと思い、玲は下着、着方で検索する。
するとブラの着衣動画がいくつもでてきて、玲はそれを見よう見まねで着けてみる。
「おおっ! 盛れてる!」
すると、なにも着けていないときよりも、きちんとブラを着たほうが胸が強調されることが直に分かって、ちょっと興奮した。
「うわー地球って凄いな。スカッドだった時は……」
ただ、胸の厚みが活動の邪魔にならないように締め付けているだけだった。
ああ、日本って偉大だ、と変な所で異世界をほめつつ、玲は下着を着け上に暖かそうな肌着を重ね着して、上から黒いツイード柄のネルシャツを羽織る。
それでもまだ寒そうだったので、青地に白い袖のスカジャンを着て、さらに白いニット帽をかぶった。長いはちみつ色の髪は面倒くさいのでまとめておさげにしてから、左肩から垂らした。
「なるほどねーアイドルって感じだ」
普段着からして、かわいい女子はかわいいを極めようとしている。
そのことを実感する玲だった。さらに、憑依した愛川玲はかわいい日本の女子のなかでもさらに一握りの可愛さを持つ、アイドルになっている。
これはある意味、特権だ。その特権を失うと、スカッドとしての活動もできなくなる……。
そうならないようにもいまやることはひとつ!
「よっしー! 探検だー!」
沙也加がもしいたら昨夜まで倒れていたの誰だっけ? と突っ込みをされそうな場面だ。
しかし、玲は――玲に憑依したオルスの少女・エリカは――とにかくじっとしていることが苦手なのだ。
任務とあれば何時間でもその場に伏せて待つことができるが、いまは命じる上官はどこにもいない。
沙也加が二週間でこの街に順応したなら自分は半分の一週間を目指す必要がある。
「あ、でも記憶の共有……はまだいっか」
指摘された記憶の共有はまだ完全ではないから、エリカは玲としての記憶を有していない。
ここがどんな場所で、一歩外へでればどうなるかなんてことすら、初体験だ。
「オートリテは充填完了、ね。よし、エヴォルがでても私だけで撃退できる!」
天眼で自分の調子をチェックする。
肉体はどこも不調なし、オートリテも満タンで、これから戦いに移行しても十分、対処できる自信がある。
「だって、沙也加がお仕事中だったら、エヴォルがでても対処できないでしょ?」
なんて言い訳もちゃんと考えておく。
もし怒られた際にはうまく言い逃れるつもりだ。沙也加との仲はもう十年以上になる。扱いは心得ているつもりだった。
「あれ?」
準備は万端、これから新しい世界を見にいく楽しみに玄関の扉を開けようとしたら、なにかメモがはっつけてある。
「玲は外出禁止!」
「あ、えーそんなー! ちょっと沙也加、ひどくない!?」
相棒の行動が手に取るようにわかるのは、沙也加も同様で、さらに一枚上手だったようだ。
「んー!」
叱られた子犬みたいになってとぼとぼと室内に戻る玲だったが、しかし、あることが閃いた。
沙也加、玄関の鍵をいつもここに置いていて――。
玄関脇にある靴箱の上にある小箱。
その中に、昨夜、帰宅した際に沙也加はなにかを入れていた。
こっそりと開けてみると、中にはスペアキーが入っている。
「ちゃんと戻せばわからない……よね?」
なんだか悪いことをしているみたいだ。玲はどきどきしながら自分のサイズに合うハイカットにスニーカーに足を入れた。
扉に鍵をかけ、昨夜、戻ってきたときと反対に……。
「窓から戻ったんじゃない?」
真反対の玄関から出てしまい、玲はどうしようと困ってしまった。
ここはマンションの五階だったはず――迷いながら建物の全体図を思いだしてエレベーターホールまでたどり着いた玲は、訓練でやったように呼出ボタンを押した。
すぐに下の階に向かうエレベーターがやってきて、玲を迎え入れる。
上階から降りてきたエレベーターのなかには見知らぬ男性がいた。
長身でパーマのかかった黒髪と自信たっぷりの笑顔が魅力的だが、目は笑っておらず玲はなんとなく苦手だと直感で感じる。このマンションの住人程度に思って特に気にしなかった。
しかし、相手は玲を視界におさめるとまるでハンターが獲物を追い詰める時のような鋭い眼をして、エレベーターの中にはいってきた玲の名を呼んだ。
「ちょっと、愛川さん」
「あい……誰、あ、はあ、はい!」
沙也加のおかけで玲という名に反応するようになっていたものの、苗字に関してはまだ不慣れだ。てっきり自分以外のなにかに向けて呼びかけ――しかし、エレベーターの室内には二人しかいない。
自分の名字が愛川だということに気づくまで、数秒かかった。
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