第2話 記憶を紡ぐ香り

調香室の窓辺に、朝の陽光が射し込んでいる。

その光は無数の小瓶に反射し、まるで香りの粒子が空中で踊るようだった。

涼音は昨夜手に入れた古い香水瓶を手に取り、その香りをもう一度嗅いだ。

わずかに甘い香りの中に潜む、深い青い花のような香調。


「この香料……珍しいな。」

呟きながら、彼女は分析器に瓶の中身を注ぎ、成分を解析する作業に取り掛かった。


しかし、画面に映し出された成分リストを見た瞬間、涼音は眉をひそめる。

「どれも見たことがない名前ばかり……。」

その中には、現代では使用されていない希少な香料が含まれていた。

一つ一つの香料の名前が、彼女に新たな疑問を投げかける。


涼音は、香りに詳しい知人であり、調香師仲間でもある男性のもとを訪れることにした。

彼の名は、古い文献や伝説の香料を研究していることで知られる人物だ。


古びたアパートの一室。

壁一面に積み上げられた本と、散乱した小瓶がその部屋の主の知識の深さを物語っている。


「涼音さんがここに来るなんて珍しいね。今日はどうしたんだい?」

男性は微笑みながら涼音を出迎えた。

彼女は手元の香水瓶を差し出し、簡潔に説明した。

「これに含まれている香料について知りたい。古い香料のようだけど、現代では見かけないものがほとんどで。」


男性は瓶を受け取り、一滴を試しに嗅ぐ。

「……確かにこれは特殊だね。青い花のような香りがするが、この中には珍しい植物由来の香料がいくつか含まれているようだ。けど、その多くはもう廃れてしまったものだね。」


涼音は眉をひそめる。

「廃れた香料……具体的には?」

彼は棚から一冊の古びた本を取り出し、ページをめくり始めた。

「この香りの核となるのは、おそらく『フロステラ』という植物から抽出された香料だ。この植物は、数十年前に絶滅したとされている。」


「絶滅……。」

涼音の瞳が微かに揺れる。


調香室に戻った涼音は、試行錯誤を繰り返していた。

フロステラの香りを完全に再現することは不可能に思えたが、それでも彼女は別の方法を探そうとしていた。

「絶滅しているなら、似た香料で代用できるはず。」


手元にある香料を組み合わせては嗅ぎ、また作り直す作業が続く。

その中で、彼女はふと気づく。

「この香り……。」


試作した香りは

涼音自身の記憶の奥深くに眠る

幼い頃の風景を呼び起こした

庭先に咲いていた青い花の香り


しかし

その記憶は

一瞬で

霧のように

消えて

いく


翌日、涼音の調香室には新たな客が訪れる。

それは、涼音の嗅覚の鋭さに注目したある商人だった。

「涼音さん、あなたの嗅覚はこの業界でも特別だ。どうだろう、この香りを商品化してみないか?」


彼女は一瞬、考える素振りを見せたが、首を横に振る。

「これはまだ完成していない。未完成の香りを商品にすることはできません。」


商人は興味を持った様子で、改めて彼女の調香室を見回す。

「未完成の香りでも、これほど人を惹きつけるとは。完成したら、一度連絡をくれないか。」

彼はそう言い残し、帰っていった。


夜が更けても、涼音は調香室で作業を続けていた。

フロステラの香りを再現することが、吸血衝動を抑える鍵になるかもしれない。

そう考えながら、彼女は自分の嗅覚と記憶を頼りに香料を調合する。


しかし、完成にはまだ程遠い。

涼音はふと手を止め、古い香水瓶を見つめた。

「本当に、この香りを再現できるのか……。」


瞳に迷いの色を宿しながらも、彼女は再び手を動かし始めた。

その背中には、どこか不屈の意思が漂っていた。

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