サーカスになる日
くつ下竹蔵
サーカスになる日
サーカスになる日
くつ下竹蔵
私は気づいたときには、ただ道を歩いていた。そこにあるのはただの道で、ただ、歩いている私の横を何人もの人が急ぎ足で追い抜いていった。
なんであの人たちはそんなに焦っているんだろうと思った私は、その理由を探るために追いかけることにした。追いかけて、追いかけて、追いかけた。その最中にも、たくさんの人が私を追い越して行って、どうやらみな、この道の先にあるモノを目指しているようだった。私は走った。走って走って、もうこれ以上走れないというところで、その道のその先から陽気なジンタが微かに聞こえてきた。
「もうすぐかもしれない」
私は最期の駆け足で、そこを目指した。ジンタの音は次第に大きくなり、人々の笑い声や猛獣の叫び声、機械の駆動音までも重なり始めている。いつの間にか路肩には出店が並び、空はるかまで風船が飛び回り、いたるところが電飾でギラついている。もう人であふれかえってあふれかえって、呼吸を圧迫する。また遠くには、ピエロやらライオンやらなんやらが描かれた、まるで西洋のお城のレンガ造りに似た立派な門が見える。
と、天空高くを飛行する気球から大量のビラが撒かれた。風に吹かれて私の顔に張り付いたその紙に書かれていたのは、
この先にサアカス団来る。猛獣、珍獣、人外に外道、めったに見られないものも目白押し。
サアカス、見世物、「知るもの」
「なあんだ、サーカス団が来ていたのか。それで、みんな珍しいものを一目見ようとそこかしこから駆けつけているわけだな。しかし、全く私は興味がない。それに、見世物小屋も気味悪い。しかし困ったな。この人間の流れにはもう逆らえない。私は前に進むしかない。いったい、何が待ち受けている事やら。それに、まだあの門まで距離がある。ちょっと、周りの人にでも話しかけてみるか」
「ちょっとそこのお兄さん」
「なんだい」
「あんた、どういうつもりでサーカスに?」
「そりゃ、サーカスが来たからにきまっているだろう。いったい、サーカスが来て見に行かないやつがどこにいるってんだい、もったいない」
「ああ、そうかい、ありがとよ」
「ちょっとそこのお嬢ちゃん。サーカスが好きなのかい」
「うん、好きよ。特にこのサーカス団はもうゾッコンでね。追っかけしてるの」
「はあ」
「特にゴリラ使いのプレジデント君が私のお気に入りなの」
「はあ」
「あとね、サーカステントの周りでたくさん見世物やっててね。とても愉快で、みんなが知らないものを見ちゃったみたいな、そんな気がするのよ」
「…………」
色んなな人に話しかけている間にも、私はサーカスに向かう人間の波に押され続け、気づけば巨大なレンガ門の真下にいた。レンガ造りの立派なものに見えてたその門も下から覗けば、ただの鉄骨に絵が描かれた板を張り付けただけのハリボテに過ぎなかった。
門を入って一番向こうには巨大なサーカスのテントがあり、その周りには見世物が並んでいる。私はそのいくつかを巡ってみることにした。
最初に目を引いたのは、「階段人間」の立て札だった。黒いカーテン前に、黒いタキシードにシルクハットを被った杖つきの男が背筋を伸ばして立っている。その男の顔は耳まで裂けた笑顔の仮面に覆われて、表情を伺うことができない。その笑顔男と観客の間には赤のテープが引かれており、客の最前列にいる子どもの目はショーの始まりを期待して、カーテンの黒しか見つめていない。
笑顔男が、十分に人が集まったのを確認して、手をパンパンと二回たたきつつ、言った。
「ようこそようこそいらっしゃいました。今から奇々怪々の、人呼んで『階段人間』なるサルをお見せしましょう。ここでうだうだ文句を垂れてもしょうがない、では、どうぞ」
笑顔男はカーテンを開けた。そこには、地面に突き刺さった杭に、ある生物がつながれていた。顔だけ見れば、非常に人間的である。だが、それ以外は異形だ。足は短く腕は長いがどれも極太、丸太のよう。それが四つん這いのままぴたりとしているのだが、その背中はあまりにもくっきりとした三段構造の段々階段だ。
観客のご婦人は途端に目を伏せ「気持ち悪い!」と叫び、最前列の子どもはその生物に対しきらめきの目を向けている。
「どうです、みなさん。驚いたでしょう。こいつはね、小船なんかじゃたどり着けない、遠い遠い海の果てにある、海賊の宝すらないような絶海の孤島で見つかったんだ。珍妙な形状だろ。どこからどう見ても階段よ!」
そう言って笑顔男は、人間階段の段を一つ一つ上っていく。その生物は、そのたびに苦悶の表情を浮かべる。
「これは、人の足に踏まれるために生まれてきたのだ!面白いだろう。そうだ、そこの坊ちゃん、特別に君にも上らせてあげよう。将来を担う君に。これからはこれが、当たり前になるのだからね」
先ほどまで最前列にいた子どもが恐る恐るその段を上がった。段を上り切った子どもの目は、先ほどのきらめきの目よりかは濁っていた。
私は、この場を離れた。男にこびりついた笑顔と、階段人間の歪んでいく顔、そしてあの子どもの、何かが変わってしまったかもしれない目を思い返すと、あまりいい気持ちがしなかった。音楽隊や人の歓声でうるさい中、下を見つめて歩いていると、他の見世物にぶつかった。
人だかりの真ん中で、黒子の男が片手に女の子の人形を持って、その男と人形によるコントが行われている。人形の発声は男の裏声だ。
「これは、君へのプレゼントだよ」と男。
「まあ、本当? 嬉しいわ」と人形。
ラブロマンスなコントが繰り広げられ、観客はみなニコニコしていた。が、
「あら、シュークリームかと思ったら、中身はおはぎなの…アッ」
黒子男はうっかりなのか、人形のセリフを地声、つまり男の役の声で喋ってしまった。観客の顔からニコニコは消え真顔、黒子男は怒っているのか、焦っているのか、人形を凝視するその頭はプルプル震えている。
突然、黒子男が人形に向かって勢いよく怒鳴りつけた。
「この、人形が! 俺の声を奪おうとしやがったな! いくら人の形をしていても、中に詰まっているのは綿だけの、しょせんはただの無機質が、俺の立場を奪おうとしたな! 俺となり替わろうとしたな! 人間にすり替わろうとしたな! ただの毛くずが! お前は、人に操られるからこそ生きていられるのに!」
人形が言う。
「そんな、すり替わろうなどと、滅相もございません。でも、アタシは人のなりそこないでもません。確かに、脳も心臓もないですけど、こうして、ものを思うことができます。お話をすることができます。悲しむことができます。いったい、あなた様と何が違うというのですか!」
「うるさい‼ 人形は人形で、人間じゃないんだよ! 見た目もこんなに違う!」
「外見は違くとも、中にある精神はさほど変わりません! だから!」
「黙れ‼」
黒子男は人形の話を遮って、地面に叩きつけると、そのまま勢いよく足で踏みつぶした。黒子男の口から裏声で「ヒギャッ」が飛び出ると、人形の口から綿が飛び出し、動くことはなくなってしまった。
私は、ひどく不快な気持ちになっていた。今すぐに会場の外に出たかったが、入り口のエセレンガ門はいつの間にか見当たらなくなっていた。周りの人に出口を聞いてみても、「さあ? まだサーカスは始まってないのに」と答えるばかりで、私は途方に暮れた。何も考えたくなくなり、ただ黙ってうろつきまわった。すると、目の前に今までの見世物とは比べ物にならない人だかりと、その向こうにステージが現れた。私は嫌な予感がしたが、目をそらすことができなかった。
ステージの上には、断頭台のようなものに頭と手首を固定されたような男女が四人並んでいた。口には機械チックなさるぐつわが噛ませてある。その横では、太ったピエロが、拘束された四人と観客を交互に見てはニタリと笑っている。
ピエロが、左腕に付けている、宝石で彩られた傲慢な腕時計を確認して、そのニタリ顔をさらに強調させると、観客に向かって、朗々としゃべり始めた。
チャンポコチャンポコチャンポコポン
よってらっしゃい、みてらっしゃい
あなたが善なる人ならば
持ってるでしょう 悪を許せぬその心
その心意気 素晴らしや
怒れるおかんは恐ろしや
故郷のおかんが唾 飛ばすのは
全てあんたのことを想っての行動なのです
そんな心、あんたもお持ちで?
さあさ、ここにそろった四,五人は
そんな心をみじんも持たない悪人よ
人のつらを持ってはいるが
言わばきつねの変わり身化けたぬき
かわずのしらたき その類
家族にハエがたかっても
気に病まないんだから 恐ろしい
嘘じゃないよ ほんとだよ
私が嘘をつくときは
妻の料理に 「おいしいなあ」の一言だけよ
笑うんじゃねえよ
私のベロが腐り落ちちまう つらいんだよお
ポンポコポンポコポンポコポン
ベロときたならちょうどいい
さあ、お立合い
試しに一人のさるぐつわを 解いてみよう
そうれ見ておれ 解いたとたんに嘘つきベロがベラベラまわり
あることないこと様々言うよ
悪魔のベロだよ鬼畜の舌さ
さ、解くよ解くよ いいね、いいね
観客の真正面に立って、口上を早口で述べに述べていたピエロは、勢いよく、拘束された四人の方を振り向くと、その中の一人、ピエロをギョロリと睨みつけている青年に駆け寄り、さるぐつわを乱暴に外した。青年がわめく。
「ひぎぃ! ひぎぃ! オ、オ、俺がなんだってんだよ、お前らいったいなんだよ、なんだよその目は! 何が悪魔だお前が悪魔だ! ふざけんじゃねえよ! 助けろよ、善人とか言うなら! 死にたくなー」
ピエロが警棒のようなもので、青年の頭を殴った。青年はうなだれて何も言わなくなってしまった。観客の真正面に向きなおし、ピエロは口上を続ける。
バンバカバンバカバンバカバン
ああ、危ない危ない
これ以上の悪魔の戯言 だまされること
なかれ
さすがの私もドキッとしたよ だが悪者
なんとこいつは「三十人大殺し」の 大悪党よ
彼が育った三角村で 悪魔の脳みそのなす業か
親父もガキも カタナでぶっ刺し
残ったものは 血みどろのつけもの うまくはねぇ
全く この枷がなけりゃ 私も今頃はお陀仏だったかもしらねえなあ
観客の一人が、青年にむかって「なんて奴だ!」とヤジを飛ばした。これを皮切りに「許さねえ!」「人殺し!」「死ね!」「謝れ!」「土下座しろ!」「鬼畜が!」そして、「殺してやる‼」が鳴り響く。
この瞬間を待ってましたと言わんばかりに、ピエロが
「そう! こんな奴は、生かしちゃいけねえ、ど畜生だ! 許しちゃならん! それも、あなた達のような善良な人の手によって、正義を執行するのだ! 誰だ! 誰だ! こいつを地獄に落とすのは、ダレダ!」
「俺だ!」「やらせろ!」「やってやる!」「わたしだ!」
そして、
「一万!」「二万!」「いや、五万!」
とあろうことか、青年の処刑権オークションが始まってしまった。ステージ上のオークション品と化してしまった四人は顔面蒼白である。
結局、その権利は、三十万を出した、いかにも金持ち風の白スーツおじさんの手に収まった。
ステージへ登壇した白スーツはピエロから「あなたが正義の代表だ!」と煽られると、その顔にまんざらでもないようなニヤリ顔を露わにした。
そして、ピエロに促されて断頭台についているボタンを一つ押すと、器具によって青年の口がこじ開けられ舌が露出し、もう一度押すとキリキリキリキリ、舌が根っこから引き抜かれ始めた。見たことないほど伸びてゆく舌を、青年は呻きながら凝視することしかできない。ついに青年の舌は限界を迎え、引き引き伸ばされたゴムがぶち千切れる勢いで、青年から分断された。青年本体は口から血反吐を吐き出し、やがて動かなくなった。床に落ちた舌はビタビタと痙攣し続けた。
その様子の一部始終を見ていた観衆は、自らが閻魔様の断罪になれたことに喜びを感じてか、青年の体が動かなくなったタイミングで一斉に歓声をあげた。
白スーツはというと、下に落ちた舌を大事そうに拾い上げ、脇に抱えことができる程度のクーラーボックスの中に収納し、それを持ってそのままどっかに行ってしまった。
残りの断頭台の三人も、同じようにピエロによってその行いが暴露され、観衆によってその罪に値段が付けられていった。人体から舌が弾け飛ぶごとに、観衆は歓喜の声をあげた。それぞれの落札者は、抜け落ちた舌をそれぞれの手段でふところに入れると、そそくさとステージから消えていくのであった。
ショーが終わりを迎え、いよいよサーカスが始まるという旨の放送がどこかから流れると、観衆はステージの向こうにそびえ立つ巨大なサーカステントに我先にと駆けていった。
だが、私はこの場に突っ立ったままだった。一人立つ私を不審に思ったのか、白塗りの眉間にしわを寄せつつ、壇上のピエロが私に話しかける。
「はい、君。もうショーは終わったよ。サーカスは観に行かないのかい」
「いや、私にとってもはやそれどころではないのだ」
壇上のピエロは私をじっと見ている。
「さっきのショーは何だ」
「何って言われても、見ての通りさ。私たちは悪をやっつけたんだ。それだけのことさ」
「私たちと言うが、お前は処刑の権利を競売にかけた。誰が人を殺すかを競わせた。実際にあいつらを殺せたのは高い金を払った四人だけだ。それに、あいつらは舌を持ち帰った。何故だ」
「そりゃ、あのボタンを押すのに何人もいらないからな。全員で石を投げてじっくりなぶり殺すのも、可哀そうで、下品だろう? それに、全員で処刑の瞬間を見届けた。十分、『私たちが悪をやっつけた』んだ。なんで舌を持ち帰ったか? さあ、私はそんなところは見てないがね。たとえ、剥製にして知人に自慢していても、タン塩にして美味しくいただいていても、権利を買ったのはあいつらだから、私は知ったこっちゃない。にしても、君は不思議だなあ。サーカスにも行かずにこんなこと聞いてくるなんて。よくあることだろ、知らなかったのかい。いったい、どこから来たんだい」
私は、どこから来たのか分からないことに気が付いた。いつの間にか、ただ道を歩いていたことを思い出した。
「分からない。私は何だ?」
ピエロは、ショーの最中に何度も浮かべたニタリ顔を私に向けると、言った。
「そうかい。君はストレンジャーでエイリアンなんだね。確かにそれっぽく見えてきた。サーカスのステージ向きかもしれない」
サーカスになる日 くつ下竹蔵 @iwannalive
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