〇201号室 伊藤健次郎
事件は俺が留守にしているときに起きた。
「ケン、ちょっといいか?」
203号室の住人兼ここのハイツの警備員・井ノ寺明日人が部屋から出てきて
俺に声をかける。
わざわざこんな深夜に?
一体何の用だ。
「何かあったのか?」
「お前が仕事に行ってる間、来客があってな」
「俺に来客? ノゾミか?」
「ノゾミだったら今日はこもりきりだし、俺がわざわざ出てくるはずないだろう」
そうだよな。だとしたら誰だ?
予想もつかない。
ブラックパレードの面子とは相変わらず。
目に見えてる問題も俺には関係ないからな。
無視して、仕事して帰ってきたところだし、
メンバーが俺の家に来ることはないだろう。
それともビルが日本に来たとか?
だったら初めから連絡してくるはずだ。
あいつや『MAXLUCK』の元メンバーは忙しい。
時間を無駄に使うわけがないから、確実にあらかじめアポを取るはずだ。
そもそも日本に来て、俺の家でメシなんて食わねぇだろう。
どっかいい店にでも行くさ。
じゃあ、本当に誰が来たっていうんだ?
「結構ガタイのいいじいさんだった。白髪だが、革ジャンを着て……」
「ま、マジでそいつが来たのか!?」
「あ、ああ」
俺は思わず明日人の肩を揺さぶる。
その外見には非常に心当たりがある。
「ゆ、揺さぶるな! ともかく明日の朝ならお前もいるだろうと思って、
その時間帯に来るように伝えた。不審者ではなさそうだったから」
「くっそ! お前、なんてことを……」
俺はひざから地面に崩れ落ちる。
――最悪だ。
あいつがここに来るなんて、用件はひとつしかない。
それは俺がずっと話題からそらしていることで、
逃げている問題でもある。
いや……俺自身は問題とは思っていないのだが、
周りがうるさいややこしいことだ。
「で、客人は誰か、心当たりはあるのか?」
「親父……俺の親父だっ!」
親父が来るってことは、用件はただひとつ。
電話で何回も催促されていた話。
俺の――結婚話だ。
201号室に入ると、とりあえず俺は冷蔵庫からビールを取り出し、
たばこに火をつけた。
冗談じゃねぇ! 結婚? そんなこと考えたこともねーよ!
よく言うだろう。『結婚は墓場だ』と。
それに俺はまだ31だ。
結婚しなくても問題ない。
そもそも、結婚なんてしなくてもいいだろう?
生涯添い遂げたいなんていう女もいねーし、
今は周りが若者だらけだ。
俺に似合いのいい女がいないってのもある。
面白いガキならいるが、女じゃねぇ。
「明日か……くそ、明日人も余計な事しやがって!」
頭をがしがしかくと、のどを鳴らしてビールを飲みほす。
たばこは帰ってからすでに4本目。
ともかくイライラする。
親父がうちに来るってことは、見合い話でも持ってくるのかもしれない。
そうなったら話は多分、流れるように進むだろう。
強引な両親に押され、いつの間にか俺は紋付き袴姿。
気づいたら結婚してる、なんてこともある。
無論、俺は反抗する。
が、親父やおふくろの力は俺なんかよりも強い。
そういや言ってたな。
兄貴の息子が小学校入ったって。
初孫だからかなりかわいがっていたが、ぼそっと電話口でつぶやかれた。
『女の子もいいよな』と。
親父たちの目的は俺の結婚と、孫娘だ。
「見合い相手の写真でも持ってこられたら、マジで逃げられねぇな。
こうなったら……!」
俺は灰皿にたばこを押しつけると、
とりあえず朝になるのを待つことにした。
「あら? おはようございます、ケンさん。今日はずいぶんと……」
「静さん! 一生のお願いだっ!! 俺の婚約者になってくれ!!」
朝7:00。
静さんが部屋を出たのを見計らった俺は、
すぐさま1階へ降りてお願いした。
親父は朝来る。
時間はわからないが、俺が逃げることがないよう
早めに訪ねてくる可能性が高い。
だったらすぐに手を打つしかない。
俺の声と同時に103号室と202号室の扉がバンッ! と開いた。
「な、な、い、伊藤さん!?」
「ケン、何事!?」
笹井とノゾミだ。
ふたりとも寝起きだったらしく、Tシャツにジャージ姿。
2階からサンダルで駆け下りてきたノゾミは、
朝っぱらから怒鳴る。
「ケンが静さんのこと好きだったなんて、初耳だよ!
ってか、静さん! こんなダメ男と付き合うなんて、絶対やめた方がいいから!」
「そうですよ!」
103号室から飛び出してきた笹井も大きくうなずく。
「伊藤さんよりもいい人はたくさんいますっ! た、た、例えば……目の前とかに」
「まったく、朝から大変だな」
のんびり出てきたのは明日人だ。
余計なことをした張本人のくせに、いつも通り平然としている。
俺は思わず明日人の胸倉をつかんだ。
「あのな、お前が親父にいらねぇこと言ったから困ってるんじゃねーか!」
「ああ、だから日比木さんに婚約者の『フリ』をしてもらおうと考えたのか?」
「婚約者の……」
「フリ?」
明日人の言葉に、ノゾミと笹井が振り向く。
「あのー……どういうことか、説明してもらえますか?」
ほうきを持ったまま困り果てた顔をしている静さんが、
ゆっくりと片手を挙げとき、のんびりと翔太が
「おはようございまーす!」と出てきた。
「なんで静さんなんだよ!」
話を聞いたノゾミが、不愉快そうに腕を組む。
くそ、ガキのくせに偉そうに。
「……年齢も5歳差くらいなら許容範囲だろ。
それに昔からつながりもあるし、親父も納得する」
「で、でも静さんが……」
笹井が困り顔で静さんを見ると、当の本人は平然と笑っていた。
「いえ、私はいいですよ。ケンさんにはお世話になってますし。
ただ……お父様に嘘をつくってことですよね。
いいんですか?」
「いい。あの親父を黙らせるには、それしかない」
「へぇ、ケンさん、結婚するんですか?」
井戸端会議をしていたら、見覚えのあるガキがひょっこりと顔を出した。
「狛江! なんでうちに?」
「いいだろ。大学までの通り道なんだし、一緒に行こうぜ」
「お前らガキはいいよな~」
「いいでしょ、ケンさん」
いいでしょ、と言われるとどうもムカつく。
狛江とかいうガキは、どうやらノゾミがお気に入りらしいんだよな。
まぁ、ガキはガキ同士仲良くやってればいいんだろうけど、
なんか気に食わねぇ。
ノゾミは俺が見つけたオモチャだ。
俺以外のやつがオモチャにするのは何か腹が立つ。
「おーい、翔太!」
「あ、アキラ! 今行く! ではケンさん、頑張ってください!」
イライラしているうちに、翔太も学校へ行ってしまう。
ガキに『頑張ってください』と言われるのは
めちゃくちゃ癪に障るが……。
確かに頑張るしかねぇんだよなぁ。
「ともかくノゾミもマコも大学へ行きなさい」
明日人がふたりを促すが、ノゾミは首を振った。
「イヤだね。あたしもケンのお父さん見たいし!
それに静さんに何かしないか心配だから」
「俺も松本と一緒にいます。ケンさんと静さん、お似合いじゃないですか!」
「は!? 狛江、静さんとケンが釣り合うわけないじゃん!
この汚いロンゲメガネだよ!?」
「そうだよ、静さんにはもっと若い男が……」
「ちょっと待て、ノゾミ、笹井。ふたりしてなんで俺をディスるよ?」
「ケンさんはとてもいい人ですよ?」
静さんはどうやら俺の味方でいてくれるようだ。
それだけはありがたいが……逆に不安でもある。
彼女、温室育ちで世間知らずなところがあるからな。
俺がいい人っていうのは嬉しいが、目玉タピオカか? とも思ってしまう。
まぁ、悪い人間ってわけじゃねえが、100%善人っちゅーわけでもねえぞ?
今回は婚約者のフリをしてもらうから変なことは言わねぇが……
静さんにはもう少し危機管理ってもんを学んでもらった方がいいかもしれないな。
星弥が浮かばれねーよ、こんな天然の姉貴じゃ。
「それで、お父様は何時頃おいでに……」
「ごほんっ!!」
来た。
背後から近づくブーツのジャリジャリいう音。
太陽の日差しを浴び、黒くでかい影ができる。
ゆっくりと近づくそいつは、俺の肩に手を置いた。
「健次郎。久方ぶりだな」
「お、親父……」
振り向くとそこには白髪で屈強そうなじじい……いや、
筋肉マッチョくそ親父が立っていた。
俺の身長も低くはないが、親父は2mある。
さすがに俺の親父を見た住民たち……明日人以外は
驚いて声も出ないようだ。
「いつものハーレーは?」
「駐車場に止めてきた。朝ならいると、そこの青年に聞いてな。
……単刀直入に言うが、お前、結婚――」
単刀直入すぎだ!
いきなりかよ。
俺は咄嗟に静さんの腕を引っ張った。
「待て、親父! 俺には婚約者がいるから!
ほら、静さんっ!」
「あっ! 伊藤さ……むぐっ!」
笹井が声を上げようとしたところ、狛江とかいうガキが
口を塞いだ。
静さんはおずおずと挨拶する。
「け、ケンさんの婚約者の日比木静です」
「おお、なんと可憐な!」
「つーこって、見合いとかそういうことはいいから……」
「だったらさっそく母さんに会わせないとな! がっはっはっは!」
親父は静さんを確認すると、勝手に納得して帰っていった。
……ほっ、これでよかった。
万事解決……。
「いいの? ケン。お母さんに会わせるとか言ってたけど」
ノゾミが心配そうに俺を見つめる。
はっ! そうだった。
「ちょっと待て、親父っ!」
「母さんとの会食の日程は、また連絡するからな~!!」
ドルンドルンとバイクをふかすと、親父はそのまま
走り去っていってしまう。
……完全にしくった。
「あの、ケンさん……会食って」
「すまない、静さんっ!! もう少し付き合ってくれねぇか!?」
「それはいいですけど……」
「よくありませんっ!」
怒ったのは笹井だった。
こいつにしては珍しく、顔を真っ赤にしてやがる。
……まぁ、笹井の気持ちは知らないわけではない。
というか、見てて気づかないわけがねぇっつーか。
こいつは静さんにぞっこんだ。
そこへ俺が余計なちゃちゃを入れてる。
気に入るわけがないだろうよ。
ちっ、面倒くせぇ。
だけど、こっちは静さんに許可を得てるんだ。
お前が口出しする場面じゃない。
せいぜい指くわえて見てろ。
「……静さんは僕が守りますから」
「へぇ、『守る』ね。どうやって守るんだか」
一本タバコを出すと、さっそくジッポで火をつける。
深く吸い込んで煙を鼻から出すと、それをゴホゴホいいながら
手であおぐ笹井。
「やめてください! 共用部分での喫煙は!
のどやられるじゃないですか!」
「じゃあさっさと部屋に戻れ、坊主」
「むうっ……」
俺がへらっと笑うと、笹井は意固地になったらしく
むすっとしたままその場所から離れなくなってしまった。
……静さんもずいぶんかわいい小型犬を飼ったもんだな。
だが、小型犬は1匹じゃなかった。
うっかりしていたが、俺にも2匹じゃれついてくる子犬がいたな。
「ちょっとケン! 静さんに無茶言わないでっ!」
「無茶じゃねーよ。静さんだってOKしてくれた」
「そうだって、松本。ふたりは大人なんだし、問題ないだろ?」
……この狛江って野郎。
まぁ女を見る目はねぇな。
ノゾミ目当てだろうが、趣味が悪すぎる。
女っていうより尻の青いガキだ。
音楽は最高かもしれねーけど、こんなガキに色気でも感じてんのか?
はっ! へそで茶がわくぜ。
ノゾミは俺のモンだ。
こいつの音楽はすなわち俺の所有物。
簡単に手放したりはしたくねぇ。
ましてや年下の小坊主なんかにはわからねぇだろうな。
こいつの才能ってやつは。
「静さん! ケンの家族と会う日が決まったら教えて!
絶対邪魔しに行くから!」
「邪魔したらケンさんの立場が……」
静さんが慌てて止める。
へぇ? ノゾミ。
俺の邪魔をしにくるときたか。
度胸だけは認めてやろうじゃねぇか。
「いいよ、静さん。しょせん偽物の婚約者だ。
家族との会食をぶっ潰してくれるなら、ありがたい。
……本当にそんな度胸があるんなら、な」
「くっ」
笹井とノゾミが唇を噛む。
おーおー、悔しいか。
だったら本当に潰しにこい。
俺たちの挨拶の席をよ。
「笹井にもノゾミにもちゃんと教えてやる。
いつどこで親父たちと会食するか。
ただし、ちゃ~んとぶっ潰してくれよ?」
「あ、当たり前です!」
「静さんのためなんだから!」
笹井とノゾミは声を荒げる。
逆にふたりを落ち着かせようとしたのが、
静さんと狛江だった。
「笹井くん、大丈夫よ。ケンさんだって、私を本当の婚約者にしたわけじゃないわ。
ご両親にきちんとお話して、まだケンさんは結婚したくないって伝えれば……」
「静さんはそれだから甘いんです! ……あなたは僕に黙って守られてください」
ははっ、言ったな? 笹井!
『あなたは僕に守られてください』って、どこの王子だよ!
静さんはよくわからないといった表情だが、それは相変らず
ド天然な証拠だ。
しかし俺はきちんと聞いていた。
こいつに何かあったとき、今回のことをネタに
いじってやろう。
「ケン! 静さんを巻き込むなんてサイテーだよ!
正直に『まだ酒と音楽が恋人』って言えばいいのに!」
「松本、30代の男がそれを言えると思うか?
俺だったら言えないね。俺は……絶対に好きな女を優先する!
だから……」
「は? あんたねえ……。学生と30代音楽バカ男を
一緒にしないでよ」
「音楽バカ?」
一瞬ムカっとしてノゾミをにらむが止めた。
実際そうだからな。
「ケンはずっと今まで音楽一筋だったの! 普通の男と一緒にすんな!」
「……っ!」
はっ、狛江もノゾミに言われてやがるな。
学生だったら好きな女優先するだろう。
それか、いい学校を出て、きちんと社会に貢献し就職。
そのあと品のいい親に『そろそろ相手はいないの?』と聞かれたら、な。
だが、そんなクソみてぇな人生、俺は生きてねぇ。
いい学校? 就職? そんなもんは俺に必要ない。
俺にはベース……ま、本当ならギターがいいが、
それがありゃ、十分なんだ。
ガキだけど、ノゾミはわかってやがる。
「お前はバカだけど、俺のこと理解してんじゃん」
「ちょ、ケン!?」
「や、やめてください、ケンさん! 松本、嫌がってるじゃないっすか!」
俺はノゾミの頭をごちゃごちゃにかきまぜて、
狛江の悔しがる顔を見る。
……最高に楽しいね。
「よおし! ここにいる全員に俺たちの会食の日程を伝える。
俺が結婚しなくてもいいように、うま~くその席をぶち壊して
くれたやつには、ひとつなんでもいう事を聞いてやろう!」
「伊藤さんが!?」
「……いう事を聞く!?」
笹井とノゾミ、狛江の耳がピンとする。
「その約束、忘れないでくださいよ!」
「絶対にぶち壊してやるんだからっ!」
「まぁ、今後松本に絡んでくれないってなら、俺も……」
3人はそれぞれ想像通りの反応を見せる。
だから青いって言われるんだよ、お前らは。
「いいんですか? こんなこと……」
「静さんには面倒かけるけど、今度そこの排水溝の工事してやるから、
それでチャラにしてくれねぇか?」
「え? それは助かります!」
だから、静さん。
アンタもいい加減天然なのは直せよ……と心の中でつっこむが、
排水溝を直すくらいでいいなら手軽だ。
「というか、そういうのは俺の役目なのだが……」
「おーおー、明日人、そうだったな。じゃあお前はさっそく俺の朝飯を作ってくれ」
「今日は玄米がなかったから、麦飯にとろろとけんちん汁だぞ?」
「ラッキー。好物だわ」
俺は明日人の肩を抱き、203号室へ入っていく。
その様子を全員が各自色んな思いを持って見つめていた。
そして俺は宣言通り、全員――狛江に関してはノゾミ経由だが――に
食事会の日程を伝えた。
翔太はちょうどテスト中らしかったが、
相変らず『頑張ってください!』と返事は来た。
何を頑張るかもわかってねーだろ、お前。
そうつっこみたかったが、相手は高校1年。
つっこむ方が野暮だろう。
静さんからは素直に
『わかりましたが、もし結婚の話になりましたら、
私からケンさんの気持ちを言いますからね』という返信をもらっている。
しかし、俺が楽しみにしているのは、
小型犬たちの妨害だ。
笹井からもノゾミからも、返信は来ていない。
無論、狛江に関してはメッセのIDも知らないからな。
当日どうやって妨害してくるのやら……。
なぜか明日人からも『承知した』と来たが、
あいつが今回のことに絡んでも、
誰も何も得しない。
……まぁ、メッセが来たから返信した。
その程度のものだろう。
そして当日――。
「静さん、わざわざすみませんね。
こんなところまで」
「いえ、というか……すみません。
私の方が驚いてしまいました」
親父たちが指定した場所は、帝国ホテルのレストラン。
確かに驚くわな。
だが、静さんだってお嬢だ。
こういう場所での立ち居振る舞いはこなれている。
しかし――そうは簡単に行かないのが、俺の両親である。
「健次郎! ここだ!」
白髪マッチョな親父が手を挙げる。
そこにはすでに空になったビール瓶が数十本。
相変らず、酒に抗えないのが俺の家系だ。
「親父、彼女が日比木静さん。お袋は初対面だな」
「ええ。初めまして、静さん。うちの愚息がご迷惑をおかけしているみたいで」
「い、いえ……」
さすがお袋だ。
親父が無茶してることに気づいてる。
それと同時に、俺もむちゃくちゃなことをしてるのも……。
「とりあえず、静さんと健次郎の結婚を祝って!」
親父がビール瓶を持ち上げて、そのまま乾杯しようとする。
結婚!? それは早すぎだろ!
今連れてきたばっかりだぞ!!
「親父! ちょ、ちょっとま……」
「ちょっと待ってくださいっ!!」
え……?
誰だ、この女。
レストランの入り口から現れたのは、長い黒髪でそこそこ美形の女だった。
しかし、顔の見覚えはある。
……103号室の小型犬か。
「ケンさんは私のものです!」
響く野太い声。
こいつは笹井だな。
美形だが、服のセンスもう少しどうかならなかったのか?
白いワンピースだけど、細身の笹井の体型でも
すぐに男だとわかってしまう。
あまりにもひどい女装に、俺は閉口する。
だが意外なことに静さんは、
目玉タピオカのド天然だと思っていたのに、
冷静な対処をしてくれた。
「わ、私、彼女のことを知らない……!
ケンさん、浮気をしていたんですか?
だったらこのご挨拶の席も、なかったことに!!」
「い、いや、まぁそのつもりだったんだが……」
「ケンは私のものよ! そこにいる女と
釣り合うわけがないっ!」
笹井よ……。
そんなに静さんが大切か。
その愛の力はまぁ、認めてやる。
「ちょーっと待ったー!!」
え!? 今度はなんだよっ!!
振り向いた先には、髪はロングだが、
ちっこくてよぉ~く見覚えのある
顔があった。
「ケンはあたしのモンよっ!
勝手に手ぇ出さないでよね!!」
「ノゾミ?」
「っ……!! ち、違うもんっ!!」
……はぁ……。
こいつら、同じ手で来やがったな。
さすがにかぶせてくるとは思わなかったが。
俺が頭を抱えていると、更に声がした。
「……私のケンを取らないでもらおうか」
いや、待て。
笹井でもないし、ノゾミでもない。
ましてや狛江でもない……よな。
だとしたらお前は誰なんだ!
……マジで誰だ、こいつ。
黒髪の女らしきものは、俺の腕を引っ張る。
予想外の人間の登場に驚いている俺。
とどめはバカガキだった。
「ケンさんは……俺の恋人です!」
「狛江!?」
狛江は変装すらせずに来やがった!!
くそ、俺をゲイだと思わせるつもりかよっ!!
それを楽しそうに見ているお袋と、
ビール瓶に直で口をつけて飲んでいた軽い酔っ払いな親父が
目を丸くする。
「ケンちゃん。説明、お願いできるかしら?」
お袋のやけに穏やかな声が頭に響く。
確かに挨拶の席を潰せとは言った。
言ったけどよぉっ!!
「どういうことだっ!! ケンっ!!」
親父はやけ酒なのか、更にビールを追加する。
「あ、俺ももらっていいだろうか」
正体不明な女が、なぜか俺たちと同じテーブルにつく。
すると、それを見た笹井やノゾミ、狛江までも
テーブルに近づいて一緒に酒を飲みかわそうとしている。
俺の婚約者、3人。……いや、男を入れると4人か。
「まぁまぁ、今日の出会いにカンパイしましょう!」
お袋はマイペースだ。
全員分グラスが運ばれると、酒が注がれる。
そして謎の乾杯。
確かに俺は言った。
挨拶の席を壊せと。
しかし、全員同じ手で来いとは言ってない!!
ひとまずビールを口にして、心の安定を図ると、
ひとりひとりの正体を明かしていく。
「笹井、もう少し女装の練習をしておけ」
「え!?」
え、じゃねぇ。
どこにそんなガニ股な女がいる。
もう少し女の動きを見ておけっていうんだ。
こいつは今こそ静さん命だが、モテるバンドにいるんだから。
「ノゾミはメイクだな。いつもと全然変わらねぇ」
「嘘っ!? 今日は念入りにお化粧したのに……」
はっ、ガキがどんなに念入りにメイクしても、
乳臭さは変わんねーっての。
素顔じゃなくても、ノゾミがメイクしたところで
俺にはわかる。
「狛江は論外だ」
「ですよね~。でも、ケンさんがゲイって誤解してもらえれば、
俺の立場もよくなるんで!」
くっそ、こいつに関しては最低だ。
俺の評価を100%下げに来てるからな。
それもこれも、すべてノゾミをものにしたいから……なのか?
だとしたら相当厄介なガキだ。
俺はぜってー、おもちゃを手放したりしたくない。
だから、このクソガキにノゾミを渡すなんてことは絶対ないからな。
……しかし、最後のひとり。
こいつは?
ビールをごくりと飲むと、あっさりそいつはカツラを取った。
「いや、挨拶の妨害をしたら、いうことを聞いてくれるというから」
「明日人か!!」
お前はなんで混ざってた!!
一番利益も何もねぇだろうに……。
俺が頭を抱えていると、ぼそっとつぶやいた。
「たまには俺が朝飯を作ってもらいたくてな」
「いや、それいうと本当に俺がゲイみたいだろっ!!」
「は?」
くそ、こいつもド天然だったな……。
話に関わってこなかったから、てっきりスルーしていると思ってたのに。
しかも『たまには朝飯を作ってもらいたい』とかいう、
適当な理由じゃねーか!!
「……そうか、健次郎」
「親父?」
ビール瓶をまた1本空にした親父は、
なぜか納得したような顔でうんうんとうなずいた。
「まだお前は、色んな女を知りたいんだな!! いや、男もか!!」
「はぁっ!?」
「酒と女!! ロッケンロール!!」
親父は声高らかに、ビール瓶を突き上げる。
ったく、これ、何十本目だよ……。
「……お父さんも、私に決めてくれたの、40歳の頃だったものねぇ……。
ロッカーは結婚が遅い。それは血筋なのね。孫娘はもう少し我慢するわ」
「お袋……」
俺がお袋の言葉に少しぐっときていたところを、
今回邪魔しに来た全員がぶっ潰す。
「よし! これでケンの願いは全員で叶えたってことだ」
「え……?」
明日人が言い切ると、全員が勝手に俺への頼みを口にし出す。
「ケンさんっ! いい加減、松本から離れてくださいっ!!」
「ケン~! 今度、行きたいバーがあるんだけどさ、そこちょっと高いんだよね。おごって!」
「伊藤さん……これで静さんに近づかないでくれますよね? ね?」
「お、お前ら……くっ」
俺がぐぐっとした唇を噛んでいると、静さんが耳打ちした。
「あの、ケンさん……」
「あん?」
「排水口、よろしくお願いしますね!」
アンタもか!!
ド天然かと思ってたが、とんだ計算高い女だ……。
「わかった……わかったよ。だから、お前ら全員……」
『ここから出て行け!』
と命令した数週間後――。
「あれ、おはようございます、ケンさん!
なんかずいぶん早いですよね。
それに静さんと井ノ寺さんは?」
「お嬢と井ノ寺はまだ寝てる。
翔太、お前だけだ。従順な柴犬は」
「しばいぬ? ……なんかよくわかりませんけど、
頑張ってください! じゃ、オレ、学校行くんで!」
「おうよ」
俺は静さんと明日人の代わりに
朝の清掃を行っていた。
これはとりあえずふたりの『お願い』だ。
明日人に関しては、今日、朝食も持っていく約束をしている。
無論、静さんとした約束……排水口も昼に修理する。
笹井はとりあえず、静さんとの仲を取り持てということらしいので、
とりあえずふたりがそろったときに
適当に冷やかしてやろうと思う。
冷やかしなんてくだらないと思うかもしれないが、
冷やかされることであのお嬢が笹井に目を向けるようになるかもしれない。
問題なのは、ノゾミと狛江の願いだ。
ノゾミはバーに連れて行ってほしいという。
だが、狛江はノゾミから離れろと言ってきている。
だったら、こうするしかない。
狛江のいるところで、俺はノゾミに触れない。
だが、それ以外は関係ねぇ。
こいつは俺のおもちゃ。
それに尊敬するR32Pだ。
「……よ、ノゾミ」
「ケン? 珍しいね。あたしが帰ってくるの待ってるなんて」
「行きたがってたバー、連れてってやるよ。今日は仕事もねぇしな」
「マジで!?」
狛江の姿はない。
だったらここからは俺の時間だ。
ノゾミを連れて、とあるバーへと向かう。
行きつけというわけではないが、事前情報では裏メニューのパスタがうまいと評判だった。
それを食わせてやると、ノゾミは嬉しそうに笑った。
「やっぱさ、ケンと飲んでる時が一番楽しいよ」
「……狛江よりか?」
「はぁ? 狛江? あったり前じゃん! あたしは一番ケンと一緒が楽しいよ」
「そうか」
「わぁっ!!」
俺はいつものようにノゾミの頭をごちゃ混ぜる。
こいつの笑顔は俺を和ませる。
小型犬として飼うなら、やっぱりこいつだ。
……いや、小型犬じゃなくてもだ。
こいつが一番俺のことをわかっていたんだ。
『正直に『まだ酒と音楽が恋人』って言えばいいのに!』
……そうだな。
俺はまだ、酒と音楽が恋人だ。
それを見越してたのか、ノゾミは。
「くっくっくっく……」
「な、なによ、ケン!」
「早く大人になれよ?」
「大人だよっ! もう!!」
ノゾミはむくれるが、俺としては期待してるんだからな?
俺が40になるまで、お前が大人の……いい女になってくれるのを。
って、そんなことは口が裂けても言わねぇけど。
「……バーカ」
「な!? なんでバカって言ったの!」
やっぱりこいつは面白れぇ。
絶対に手放すもんか。
俺の大切な……ノゾミをな――。
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