〇リロードレコーズ 社長 カナタ
「3+絶好調だね! 週間DL数1位! トワレコの売上もだよ」
「さすが笹井さんだなぁ。オレも負けないように頑張らないと!」
「……君たち、なんで俺の部屋に集まってるのかな?」
高校生でうちの社のスカウトマン・レイこと高橋玲と
同じく高校生で『地獄の殺人鬼』の天才ドラマー、吉田翔太は
俺の部屋……リロードレコーズの社長室で
ぼりぼりとポテチを食べていた。
「だって今日、暇だし~」
「オレはドラムの練習に来たんですけど、どの部屋も空いてなくって」
はぁ、こいつらはのんきでうらやましいなぁ。
だけど3+が売れてるのか。
当初俺はレイがスカウトした『3+』を売れるバンド『ゾンビスクラップ』に
仕立て上げた。
だが、そんなメッキはすぐに剥がれた。
ギターボーカルで作詞・作曲をメインでしていたRyuseiが壊れたのだ。
売れる曲を書かなければいけないというプレッシャーで潰れたんだろう。
俺もアホだったなと今となっては思う。
レイの言う通り、自由にのびのびと活動している3+じゃなければ、
結局のところうまくいかなかったんだ。
今まさにその結果が出た。
俺がプロデュースした『ゾンビスクラップ』は
見た目も曲もかなりマニアックな層をターゲットにしてたからな。
しかし3+になってから変わった。
今まで通りヘビーな曲もやるが、Ryuseiは爽やか系の曲も
再び作るようになった。
それが今回売れたのだ。
「レイの言う通りだったな、3+は」
「そーいうこと。じゃ、オレたちそろそろ行くわ」
「どこ行くんだ?」
「事務所近くのワッフル食べに。な! 翔太」
「うん」
相変らずレイは甘いものが好きだな
しかもこいつら、めちゃくちゃ仲がいい。
ふたりを見ていると、俺も高校時代のことを思い出す。
あのときは無茶したな。
今、この生活があるのは今でも鮮明に覚えている高校時代があったからだ。
ふたりが部屋から出て行くと、俺は小さくため息をつき、
なんとなくあの頃を思い出す。
反抗してばかりいた、あの頃を――。
「あの、俺に何の話があるんですか?」
俺はなぜか高校の先輩たちに体育館の裏へと呼び出されていた。
俺が通っているのは、都内でも有名な男子校……いわゆる『お坊ちゃん高校』だ。
そんな中でもやっぱりグレるやつはグレる。
今までそんな人間と関わり合いがなかった俺は、
少しだけ興味を持って彼らの呼び出しに応じていた。
今まで俺は、ずっとピアノばかり弾いていた。
だからちょっとだけ、そういったやさぐれた先輩たちに興味があったのだ。
「お前、ピアノ部のヤツだよな?」
「はぁ」
ピアノ部というのは、うちの学校独自のクラブだ。
吹奏楽部はあるが、ピアノ部というのはまた特別。
基本的に吹奏楽部は部員全員でステージ立つが、ピアノ部はひとりでも立つことができる。
……要するに目立つんだ。
ピアノ部の部員は計5人。俺を含めて。
しかものちは音大のピアノ科へ進学するという、将来も決まっているようなものだ。
ただ、俺はその決められた将来に疑問を持っていたが、
そのことは両親にも、従妹の静にも言っていない。
ただ、これでいいのだろうか。
流されるまま、ピアノを弾き続けて……俺の将来は親に決められていいのだろうか?
俺はこのままで本当にいいのか?
悩んでいるとき、現れたのが彼らだ。
「お前……ピアノ部だったよな? だったら楽譜も読めるよなぁ?」
「はぁ、大体は」
「だったらこのギターのフレーズ、弾いてくれない?
それができなかったら財布置いて行けよ」
……カツアゲ? だよな。
でも、このギターのフレーズを、俺が弾いてしまったらどうするんだろう?
俺はつい、くくっと小さい笑いをこぼしてしまった。
「なっ! 何笑ってんだ! 弾けるならやれよ!!」
「いえ、できませんよ……」
「だったら金、置いてけ! お前の財布にはたんまりと金が……」
「できないですけど、弾き方を教えてもらえます?」
「え!?」
先輩方は俺の『お願い』にびっくりしたようだ。
それでも意外とみなさんよい方で、俺のためにギターを持ってきてくれる。
「あ、楽譜は読めるんで大丈夫ですよ。どこを押さえればいいかだけ教えてくれれば」
俺はそう言って、ガラの悪い先輩たちをいさめる。
……ふうん、これがコードね。
で、これがCDE……。メジャー、マイナー。
複雑なのはわからないけど、大体OK。
問題ない。
「えっと、この曲を弾けば、俺は一応財布を取られなくて済むんですよね」
「あ、ああ」
「じゃ、ちょっとやってみますね」
楽譜に書いてある通り、俺はギターをかき鳴らす。
それを見ていた先輩たちは、口をぽかんと開けていた。
……どこかおかしかったかな?
きちんと譜面通り弾けたはずなんだけど。
「マジかよ……」
「どこか間違ってましたか?」
俺の質問に先輩は、首を強く左右に振った。
「っていうか、なんで初見でこんなに弾けるんだよ!
お前、ピアノ以外にギターもやってたのか!?」
「いえ、ギターを触ったのは今日が初めてですよ」
俺がにっこり笑って答えると、先輩方はごくりとつばを飲んだ。
「……どう思う?」
「こんなやつをピアノ部においておけるかよ……」
「じゃ、決まりだな」
「ん?」
「瀬田奏多くん! 軽音部に入ってくれないか!?」
「……え?」
さっきまでカツアゲしてきた先輩たちが、俺に頭を下げる。
ふふっ、こんなおかしいことってあるかな。
でも、俺自身もピアノに飽き飽きしてきていたところなんだ。
「いいですよ。とりあえずギターの弾き方はわかりましたから」
偶然だったけど、俺はこんなゆるい感じで、笑いながらガラの悪い先輩たち……
当時廃部寸前だった軽音部の救世主になったのだった。
軽音部に所属した俺は、とりあえずギターをやることになった。
先輩たちとのセッションは、今までとはなかった体験だ。
ピアノ……キーボード担当でバンドに入っていたならまた別だったかもしれないけど、
今の俺はギターだ。
新しい楽器に触れられた。
それはまるで生まれ変わった気分だった。
軽音部に入ってから、俺は家でもピアノを弾かなくなった。
ギターの楽しさを知ってしまったのだ。
今まではカゴの中の鳥みたいにずっと静とふたりきりでピアノを連弾していた。
だけど、ギター……バンドは違う。
ベースやドラムのリズム隊に、ボーカル。
俺は今まで、ピアノですべての感情を吐き出すことができると思っていた。
それは今でも変わりない。
でも、ボーカルは『言葉』を直に胸にぶつける。
ボーカルのヤマさんの歌に合わせてギターを弾くことが、
俺にとっては最大の楽しみになっていったんだ。
「あ、奏多くん、今日のピアノのレッスンは……」
「悪いな、静。俺、しばらくピアノの練習には来ない。部活で忙しいから」
「それって……軽音部の?」
「まぁね。ってことで、ピアノの先生とか親父たち誤魔化しといて!」
「……奏多くん……」
静は俺から見たらまるで人形だ。
自分の意思を持たず、ただ言われた通りピアノを弾いている。
そんな静を見て、大人たちは喜ぶ。
自分の思い通りに動く、美しいからくり人形として。
――でも、俺は嫌だ。
大人の思い通りに動きたくなんかない。
静みたいな人形にはなりたくないんだ。
「おはようございます! ヤマさん、かのさん、ミッキー先輩!」
「カナタ……こっちとしては嬉しいけど、親御さん平気なのか?」
ボーカルのヤマさんが俺を心配する。
軽音部は、俺が入部してからひとまず落ち着いた。
見た目はハーフっぽく色素が薄く、金髪のヤマさんに、
ネクタイをゆるく結んでいるかのさん。
それに茶髪でいつも上履きのかかとを潰して履いているミッキー先輩。
どうやら軽音楽部は3年しかおらず、俺が入ったことでようやく廃部を免れたらしい。
だけど俺を失ったピアノ部は、かなり軽音部を恨んでいたようだ。
「大丈夫ですよ! もしピアノ部から何か言われたら、俺に言ってください。
俺は……自分で選んで軽音部にいるんですから」
「そうか? お前がそう言うなら、俺たちはお前を仲間として精一杯守る!
……守るって言い方があってるのかはわからねーけどな」
かのさんが胸を叩く。
「俺も精一杯ギターを弾かせてもらいますからね!」
こうして俺は、先輩たちが卒業するまで、軽音楽部のギタリストを一生懸命つとめた。
だが、問題は先輩たちが卒業してからだった。
俺はピアノ部からも完全に離れてしまった。
居場所は軽音部しかない。
しかし、3年生がいない今、2年の俺がたったひとりになってしまったことだ。
せっかく覚えたギター。
自由に音楽を楽しめるようになったのに、メンバーがいなかったら俺は……。
悩んでいたのは一瞬だった。
入学式の日。
軽音部が借りていた第二音楽室ので俺がギターを練習していると、
ドアを叩く音が聞こえた。
「はーい?」
「すまない。ここが軽音部の活動場所か?」
「へぇ、今はギターオンリーなんだ?」
「部長は……あなたですか?」
こいつらは……1年生だよな。
ヤンキーっぽい青髪の男に、チャラそうなピアスの少年。
それに黒髪の落ち着いた青年……。
「君たち、もしかして入部希望者?」
「はい。狩野さんたちから声をかけられていたんです」
黒髪の1年生が代表して俺に言う。
「君の担当は?」
「キーボード。井ノ寺明日人だ」
ヤンキーっぽいツンツン頭が自己紹介する。
「オレはドラムの環!」
彼も耳の軟骨にいくつもピアスを開けていた。かなりチャラい。
「ベースのレンです」
レンだけはいたって普通の学生といった感じで、
落ち着いている。
「ってことは、あとボーカルがいれば……」
「うわ~ん! 遅くなっちゃったぁ~!!」
バンッ!! と大きな音を立てて第二音楽室に入ってきたのは、
ずいぶんミニマムで色素が薄い少年。
身長は140cmくらいしかないんじゃないか?
高校生でこんなちっこいなんて、珍しいな。
それに顔立ちも整っているけど、ハーフか何かだろうか。
俺やみんながじっと見つめていると、少年は恥ずかしそうにハイトーンボイスで
挨拶した。
「ご、ごめんね、みんな! 僕は月見里充希。兄貴に頼まれてボーカル担当させてもらおうと思ってたんだけど……まだ枠空いてる!?」
「ヤマさんの弟?」
「あーっ! 天才ギター少年のカナタでしょ!?
カツアゲしようとしたら、ギターうまくて逆に入部させられたっていう!」
「……充希くん、余計なことはいいから」
俺はみんなを部屋に入れると、さっそく楽器の前に立たせる。
「そうだなぁ。みんなだったら何が弾ける?」
とりあえずみんなの腕前を知りたい。
それならまず、適当な曲で合わせてみるのが手っ取り早い。
「テクノ系なら何でも来い」
キーボードの井ノ寺くんが、いきなりむちゃくちゃなことを言い出す。
テクノ系って……。
「俺はなんでもイケるよー!」
「それはありがたいな」
環くんの言葉はありがたかったが、充希くんにあう曲か……。
ちょっと難しいかもしれない。
「レンくんは?」
「俺はスラップが得意なので、それ系の曲なら……」
なんだ、みんなばらばらじゃないか!
最後に充希くんの意見を聞く。
「僕、洋楽がいい!」
……やっぱりバラバラだ。
こうなったら、みんなの知っているような曲を……。
って、一体なんだ!?
俺はしばらく考えてから、ベタな答えを提示した。
「『贈る言葉』……一度みんなであわせてみよっか?」
「えぇぇ……」
1年生組は不満そうだったが、俺が咳払いすると従ってくれた。
みんな楽器のある位置に移動して、
さっそくチューニングを始める。
充希くんはボイストレーニングだ。
15分後、全員の準備が整ったようで、メンバーが俺を注目する。
「それじゃ、俺が1小節弾いたら入れてね。1、2!」
俺がギターをかき鳴らし始め、1小節過ぎる。
すると……。
「なっ!?」
単純な4つ打ちではなく、かなりハードなドラミングだ。
それにそつなく合わせるのがベースのレンくん。
よくこのリズムにスラップを混ぜるな……。
俺も負けていられない。
コードをかき鳴らすだけじゃつまらなから、自己流にアレンジしてみても
1年生に迫力負けする。
キーボードの井ノ寺くんは、シンセの音をロックオルガンに設定して、
髪を振り乱しながら両手を動かす。
これだけド派手な前奏に、充希くんは入ってこれるのか……?
『In a Town at twilight……』
え、英語!?
マジかよ……。
しかもこのロック調の歌詞に合っている。
さすがボーカルだったヤマさんの弟。
だが、方向性はヤマさんとまったく別方向のとんでもない声……。
ハイトーンだが、メロディは抑えめに歌っている。
そこからのサビ。
これは……充希くんの武器だ。
俺は1年生たちの実力に脱帽した。
というか、このときはじめてもっとギターを真剣にやりたいと思ったんだ。
先輩たちとバンドをやっていたときだって、それなりに楽しいと思っていた。
だが、俺は初見で大体の曲は弾けるとはいえ、ほぼ初心者だ。
先輩たちに色々教えてもらって、やっと『バンドのギタリスト』になれた。
このギターだって、今も音楽室の借りものだ。
でも、新しく入ってきた1年生は違う。
ピアノしかやってこなかった俺と、年は下でも経験値が違いすぎる。
俺は――1年生に負けてるんだ。
「君たち、みんなずっと楽器をやってたの?」
「俺は家がピアノ教室だったからな」
「そ、それは意外だな」
ヤンキーの家がピアノ教室か……。
生徒さん、怖がらなかったんだろうかと少し疑問になる。
「俺の家も似たような感じだったけど、キーボードをやろうとは思わなかったな」
「……なんでだ?」
「毎日見てたら嫌になった。井ノ寺くんは?」
「毎日見てたから好きになった」
俺と逆か。
そんなこともあるんだな。
「充希くんは?」
「あ、僕は兄貴に影響されてだよ。それに、ここの高校に入ったのも……」
ここの学校はお坊ちゃん学校ではあるが、自由な校風だ。
ただ、軽音楽部以外の音楽部が強い。
選択授業で音楽理論を学ぶこともできるようになっている。
吹奏楽部やピアノ部の学生は、そのまま音楽系の大学に進学することが多い。
俺もそのレールに乗る予定だったから、
そのせいでも親にかなりしぼられたっけ。
だけど後悔していなかった。
本当に好きなことを、自分の意思でやれるんだ。
ピアノ部なんかでくすぶってるよりも、全然いい。
なんだかんだ言って、先輩たちにカツアゲされたのは運命だったのかもしれないな……。
「先輩! 俺には話、聞かないの?」
感傷に浸っていたところ、
環くんが元気に手を挙げる。
「……環くんはどうしてドラムを?」
「そんなの決まってんじゃん! モテたいから!」
「はは……」
まぁ、よくある話しだ。
だけど、モテたい一心で、あのレベルまで叩けるようになったっていうのなら、
その執念もすさまじいものなのかもしれない。
「で、肝心の彼女は?」
「……こいつ、軽すぎてダメなんですよ。いい友達で終わるタイプで」
「うるさい、レン!」
「ふたりとも、仲いいの?」
「幼馴染なんです。自分がドラムやるからって、俺にもベースやれって……」
だからか。
リズム隊の息が異常に合っていたのは。
「幼馴染、か」
ふたりを見て、俺は思い出す。
あの感情のないマネキンを。
「……つまんないよ、あんなやつ」
静とふたりでピアノなんて弾いてるよりも……
よっぽど今の方が楽しい。
それに俺自身の本当の姿を出せる。
そんな気がしていた。
「ただいま」
「あ、おかえり、奏多くん」
出迎えてくれたのは静だった。
相変らず親に選んでもらったワンピースに
長い髪を緩く結って、リボンをつけている。
まるで古い少女漫画の主人公だ。
「今日のピアノは……」
「今日も練習は出ない。バイトを始めるつもりだから」
「え……バイト?」
俺は静の方を振り返ることなく靴を脱ぐと、
さっさと着替えてバッグを持つ。
「そんなことしなくっても、お小遣いは……」
「親にはもらえない。静も知ってるだろ? 俺が軽音部に在籍してることを怒ってるって」
「だけど……」
「だから、自分金を貯めてギターを買うんだ。文句は言わせない」
財布と筆記用具は持った。
あとは履歴書を買って、写真を撮り、バイト先を探すだけだ。
家を出て行く俺を、静は無言で見送る。
言いたいことがあるなら言えばいい。
それでも何も言う事ができない静は、操り人形でしかない。
親に操られている従妹を俺は、心底嫌でしょうがなかった。
彼女は弱い。
だから誰かにすがる。
ピアノを弾き続けているのだって、親の関心を引くためだ。
そんな弱い人間には興味ない。
俺は……自分たちの強さを持った、今の1年生たちの方が好きだ。
アクの強いメンバーだが、1回のセッションで無限の可能性を感じた。
キーボードの明日人、ドラムの環、ベースのレン。
それに……誰にも真似できないハイトーンボイスの充希。
俺だって負けていられない。
履歴書に記入をすると、俺はさっそくコンビニのバイトに
申し込むことにした。
「いらっしゃいませ!」
「やっほー、カナタ!」
「充希?」
見事にコンビニのバイトに受かった俺は、
週7、一日4時間シフトに入っていた。
高校生だから、そんなに入ることはなかったけど、
家にいても親がうるさいだけだ。
それに、静の視線も気になる。
まぁ、静の弟の星弥は俺に懐いてるからいいけど……。
俺にとって、あの家はただの檻だ。
好きなことを好きだと言えない、やることができない環境なんて
俺には必要ない。
家に閉じ込められているなら、バイトして少しでも金を稼ぎたい。
その金でギターや必要な機材を買う。
そう思って働いていた20:00。
偶然充希が俺のバイト先にやってきた。
「どうしたんだ?」
「ん~、僕さ、この近くのスタジオでボイトレ受けてるの。だからのど飴買いに」
充希も頑張ってるんだな。
それに比べて俺は、マイナスからのスタートだ。
まだ楽器すら手に入れていない。
練習するだけだったら、学校のを持ってきてもいいんだが、
自分のギターは自分の稼いだ金で買いたいんだ。
「……もう数週間くらい? ここで働いてるの」
「なんだ、知ってたのか」
「うん。僕、普段コンビニは利用しないんだけど、外から見えてたから」
「それだったら声をかけてくれてもよかったのに」
「仕事の邪魔になるじゃん! できないよ、そんなこと」
気をつかってくれたのか。
1年生に気をつかわれるのもなんだか情けないな。
それだったら……。
「今日は特別な? 肉まんおごってやる。客も今はいないし」
「え!? い、いいよ! 悪いし……それにギター買うんでしょ?」
なんで充希がそんなことまで知ってるんだ?
俺が不思議そうに彼を見つめると、罰の悪そうな顔でつぶやいた。
「兄貴がそうじゃないかって。カナタの家、金持ちなんでしょ?
それなのにバイトなんて『ギターを買う以外ないだろう!』って」
ヤマさん、鋭いな……。
ま、俺をカツアゲしてきた経緯もあるし、そのぐらいのことは知ってても
おかしくはないか。
「だけど……いいな、カナタは。僕と違って恵まれてる」
「そうか? お前だってボイトレ通わせてもらってるんだし、恵まれてると
思うぞ?」
「……兄貴から聞いてないんだ」
「え?」
何のことだ?
充希は少しだけ悲しそうな笑みを浮かべると、100円ちょっとの飴を持って
レジを離れる。
「あ、肉まんは?」
「いらないよ。じゃあね!」
……なんだったんだ、充希は。
あの悲しげな笑顔が気になる。
普段はバンドのムードメーカーで
明るく元気なのに、なんであんな表情を俺に見せる?
ヤマさんに聞いてないことってなんだ?
もともとヤマさんはそんなによく話すタイプじゃなかったけど……。
会計や品出しをこなしながら、充希のことを考える。
……俺なんかより、お前の方が恵まれてる。
俺はギターをやること自体親から反対されてるし、
まともにレッスンを受けるどころか自分の楽器すらまだ持っていない。
だけど、充希は違う。
兄貴と同じようにバンド活動できる環境にいるし、
ボイトレだって……。
「うらやましいのはこっちだよ」
そうつぶやくと、ちょうど定時。
コンビニの制服を脱ぐと、俺は少し遠回りして家へと帰った。
家に帰ると、いつもは仕事で遅い親父が珍しくいた。
「……ただいま」
「また学校でチャラチャラした音楽でもやってきたのか」
こんな親父は無視だ。
俺の親父は音楽関係の会社に勤めている。
だけど、巷をにぎわす人気のバンドやアーティストが所属するような
会社じゃない。
いわゆるクラシックを扱っている業界大手だ。
だからなのか、異常に軽音楽を嫌悪していた。
親父の小言は去年からだ。
ピアノ部から軽音部に転部した俺は、親父に何度も殴られた。
それ以来、俺は親父とはほとんど言葉を交わさないようにしていた。
交わしたところでケンカになって、殴られるだけだ。
「いい加減にやめろ。お前は私の跡取りなんだ!
自覚したらどうだ!」
「知らねーよ! 俺は親父の操り人形じゃない!」
言い捨てると、俺は部屋のドアをバタンと閉めた。
もう聞きたくない。親父の小言なんか。
俺は親の敷いたレールなんか、進みたくないんだ。
俺は俺の、俺しか歩めない人生を送りたい。
そのために必要なのは、ピアノの技術じゃなくて
ギターだ。
まだ家にギターはない。
だから、代わりに段ボールと釣り糸で作った指板で
練習をする。
音はない。
それでも指を動かす。
いつか完璧なギタリストになるために――。
学校にバンドにバイト。
その繰り返しを続けていて1か月経った。
今日は初の給料日。
銀行に通帳を記帳しに行くと……。
「よしっ!」
一応目標金額はクリア。
一通りのギターのセットは購入できそうだ。
だが、これで終わりじゃない。
もっともっと稼いで、早く家を出たい。
あのマネキンがいる鳥かごから、さっさと出て行きたい。
そのまま電車を乗り継ぎ、御茶ノ水まで行くと、
先輩たちが使っていたと聞いている楽器店に向かう。
「確かこの辺って聞いたような……」
駅から少し歩いたところに、
その店はあった。
初めてくる場所なのに、なぜだか懐かしい。
なぜだろう?
「あ……」
先輩たちが使っていたベースやドラム、
マイクと同じものが置いてある。
それに練習した曲のスコアも……。
「ここは思い出の宝庫だな」
店内を眺めていたら、奥にいた店員が出てきた。
「お客さん、何を探し……って、カナタ!?」
「え!? かのさん!?」
思わぬ再会に驚く俺に、かのさんはさっそく
自分の見繕っていたギターを勧める。
「いつかは来ると思っててな、お前にはとっておきのギターを用意しといた!」
「用意って……」
「充希から聞いてたしな。
お前がまだギターをやってるって」
どうやらかのさんは、卒業後よく通っていたこの店に就職したようだった。
先輩は黄色のボディのギターを俺に渡す。
さっそく試し弾きしてみると、手にしっくりと馴染んだ。
「元・軽音部のメンバーで、お前がもしギターを買いに来たら
どれを勧めるか、考えてたんだよ。
やっぱりそれ、気に入ったか?」
「ええ、俺にぴったりみたいです」
「そうか……よかった。ヤマも喜ぶよ。
あいつ、お前のギターでまた歌いたいって言ってたから。
でも、当分は無理そうだけどな」
「え? ヤマさん……どうかしたんですか?」
かの先輩はしばらく黙って……俺の目をじっと見つめる。
「あいつの母親が蒸発してな。今、かなり生活が困窮しているらしい」
言葉を理解するのに、数分かかった。
意味を理解するにはもっと。
生活が困窮している?
「ヤマさん、今仕事は?」
「介護職に就いてるらしいが、相当ブラックでな。
先日身体を壊して、今は入院している」
充希は何も言ってこなかった。
なんでだ!?
なんで……俺はここにきてもまだ部外者なんだ!?
ヤマさんとも充希とも、同じバンドメンバーだったのに。
俺にはなぜ何も言ってくれなかったんだ!!
「………」
ショックと悲しみで、俺はうつむく。
涙は出ない。
ただ、みんなから裏切られた。
俺はそう感じた。
かのさんも、ミッキー先輩も充希も、
ヤマさんのことを誰も俺に教えてくれなかった!
「こんなの……裏切りだ」
ようやく出た言葉がこれだった。
それに対して、かのさんは俺にそっけなく返した。
「知りたかったら充希に聞け。あいつが俺たちに言ったんだ。
『カナタには言わないでくれ』ってな」
充希は何を考えてるんだ。
同じバンドなのに、俺を苦しめたいのか?
俺に対して『恵まれてる』だとか、
それなのに兄が倒れたことを知らせなかったとか……。
仲間じゃないのか、俺たちは。
仲間だったら、自分の幸・不幸も共有するものじゃないのか?
それとも……そう考えている俺の方が甘いのか?
「かのさん、ミッキー先輩は?」
「あいつも高卒で今、普通の仕事に就いてるよ。バンドは解散した。
みんな音楽より生活が重要だったしな」
「そうだったんですね。だったら俺がどこか音楽会社を紹介して……」
「だからお前は甘いんだよ。それはお前の嫌いな親の力だろ?」
かのさんの言葉は俺の胸に重く響いた。
「お前のことはみんな好きだ。
だけど……お前はメンバーみんなのことを知らなすぎた。
仕方ないことではあったけどな。
年下で、俺たちに教わる立場だったんだから。
……今からでも遅くない。お前に足りないのは、メンバーを大事にする心だ」
メンバーを大事にする心?
井ノ寺や環、レン……そして充希。
確かに俺は、みんなのことをよく知らないのかもしれない。
軽音部に入部したとき、『どうしてそのパートを始めたのか』。
それしか聞いていない。
ただ、決まった日に集まって、演奏するだけの集まりだ。
まだ大きな舞台にも立つ予定はないし、
学校はクラシックや吹奏楽を優先する。
俺たちの立場はない。
でも、何も知らなかったなんて、先輩としてありえない。
楽器の相性があっても、人としての相性なんて
考えてなかった。
……俺は、楽器を弾ける人間だったら誰でもよかったんだ。
こんなの、最低じゃないか。
俺の親父以下だ。
「……少なくても、充希の話は聞け。
予想はできる。
充希は兄貴が倒れても、平然とお前のそばにいたんだろ?」
その通りだ。
充希はただ、俺を見て「恵まれてる」と言った。
そんなことはない。
俺は……。
そうだな、俺は自分のことしか考えてなかった。
充希は兄貴が倒れてもずっとボイトレして、
自分の腕に磨きをかけていた。
そんな人間と、俺。
比べてみたら全然違う。
やっぱり俺は恵まれてる。
軽音でダメだったら、ピアノに戻ることができる。
それに、金銭的な余裕もある。
今は親父に頼っていないとしても、もし俺に何かあったら親父は俺に金を払うだろう。
ヤマさんは自分を犠牲にして、充希の学費とボイトレ費用を出していた。
俺は認めたくないけど、本当に恵まれていたんだ――。
「わかりました。ありがとうございます、かのさん」
「……礼はいらねぇ。ただ、このギターは買っていけ。
言葉より音色が胸に伝わるってこともあるからな」
先輩に言われるがまま、俺はギターを買った。
アンプにケース、ギター本体を受け取った俺は、
すぐに携帯で充希に連絡することにした。
地元に戻ると、俺はすぐに充希にメールを送った。
『今から会いたい。ヤマさんのことで』
その一文であいつが来るかどうかは賭けだった。
だけど……。
「何? カナタ。兄貴のことって」
充希は来てくれた。
人が少なくなった、河川敷に。
充希は俺の隣に座ると、じっと見つめてくる。
――そんな目で見ないでくれ。
俺はお前の兄貴のこと、何も知らなかったんだから。
「今日、御茶ノ水の楽器店に行って来た。お前も知ってるところだ」
「……かのさんのところ?」
「ああ」
「じゃあ、僕の兄貴のことも知ったんだね」
「……ああ」
充希は大きくため息をつくと、
河川敷の芝生に寝そべった。
「何から話せばいい?」
充希の問いかけに、俺は簡潔に答えた。
「お前のこと、全部だ」
「……しょうがないな」
くすりと笑うと、充希は話し始めた。
「……僕と兄貴はね、カナタから見たら
特殊な家系に生まれたんだ」
どういうことだ?
俺だってかなり特殊な家庭に生まれたと思うのに……。
充希は視線を前に向けると、
ポツポツと語る。
「兄貴と僕の両親は、僕が小さい頃離婚してさ。
僕は父に引き取られて、子ども時代はアメリカに住んでいたんだ。
でも、父がちょっとね」
「ちょっと?」
「……そこそこ有名なバンドマンだったんだけど、クスリで捕まったんだ。
それで僕は母に引き取られた。ただ……」
充希は言葉を詰まらせる。
俺も充希が話し出すまで待つ。
空はもう暗くなってきている。
季節は春から夏に近づいているから、
寒くはない。
頬をなでる風が、気持ちいいくらいだ。
「……母はね、ずっと父さんのことが好きで、
兄貴と僕をバンドマンにさせようとしてたんだ。
ずっと僕らに、父さんの姿を重ねてたんだよ。
特に僕は父さんに声が似てたらしいんだ」
充希の声……。
男でこの声はかなりの武器になる。
身長が低いとはいえ、歌っているときの充希はカッコイイ。
それは横でギターを弾いてる俺にだってわかる。
「ヤマさんは? お母さんには……」
「あんまり期待されてなかった。だからかな。
余計に情熱をかけてたんだ。
それでも母さんに気に入られたくて、
兄貴は奨学金でうちの学校に入学したんだよ」
夜に近くなっているというのに、今日は星が出ていない。
真っ黒い雲の間を横切る赤い光。
飛行機だ。
「そんな母さんも、僕が入学すると同時にいなくなった。
……多分、どこかのバンドマンと駆け落ちしたんだと思う。
兄貴は高校卒業したけど……あっさりとボーカルをやめた。
そして才能があるって、僕にボイトレを受けさせるために、
働きはじめた。……うちは貧乏なのにね」
貧乏、か。
確かに俺の家は金に困っていない。
「そうだな。俺とお前は全然違う。
お前のいう通り、俺は恵まれてるかもしれないな」
俺が立ち上がると、充希はどうしたのかと
驚いた表情で見上げる。
「……俺と来てくれ。お前のこと、もっと知りたいから」
「カナタ?」
充希の腕を引っ張ると、俺はギターを持って学校へと走った。
ポツポツと降ってきた雨は、学校に着く頃には
ザーザー振りになっていた。
ギターやアンプが濡れなかったのは奇跡だ。
俺はさっそくギターやアンプをつなげると、
チューニングを始めた。
「……歌えよ」
「歌うって、何を?」
「お前のすべてをさ」
アドリブで鳴らすギター。
充希は最初戸惑っていたが、それに合わせて
歌い始める。
初めてみんなで合わせたとき、こいつは英語で歌った。
だけど今度は……。
大声でシャウトする充希。
父親が捕まったときの混乱。
日本に来ても、英語しか話せなくて辛かったこと。
母から向けられた歪んだ愛。
それでも、自分を助けてくれた兄への感謝。
すべてが伝わってくる。
言葉が俺の心に響く。
ピアノやギターの演奏でも、人の心を震わせることは
できるかもしれない。
だが、充希の心……充希の言葉は、
俺の胸にダイレクトに伝わる。
外は雨とともに雷も鳴っている。
それでも俺たちは演奏をやめない。
やめたくない。
このままずっと、朝日が見えるまで……。
途中、何度か学校にいる警備員が来た。
俺の親にも連絡が行ったらしい。
何度か扉を叩く音が聞こえたけど、
そんなの関係あるか。
俺は……充希の声を聴いていたい。
こいつのすべてを知りたいんだ。
曲ができた頃、雨は止んでいた。
俺たちふたりは教職員にかなりこってり絞られた。
俺は親にも。
静は心配そうにそっと見ていたが、知ったこっちゃない。
充希のすべてを知った俺は、そっと肩を抱いた。
「ふたりとも! 心配をかけるな!!」
怒ったのはまさかのウニ頭・井ノ寺だった。
「大雨の日に学校に忍び込んで、
音楽室で籠城してただと!?
風邪はひいてないか? 熱は!?」
「だ、大丈夫だよ、アスト」
充希が苦笑いを浮かべる。
見た目は完全にヤンキーの井ノ寺が、こんなおかん体質だとは
予想外だ。
「一体学校でなにしてたの?
俺にも一枚かませてほしかったな~!」
「バカいうな」
環・レンの幼馴染コンビは相変らずだ。
「でも、よかったの? カナタ。
こんなことしたら親御さんに……」
心配そうに俺を見つめる充希に、
はっきりと告げる。
「親なんて関係ない。俺は……俺の人生を歩むんだ。
跡取りだとか、そんな将来は1年前から捨ててる。
俺はずっと、お前専属のギタリストでいたいんだ」
「……バーカ。後悔するなよ?」
笑った。
ようやく充希が笑顔になる。
俺はこの笑顔を守っていきたい。
充希しか紡げない言葉に曲をつけたい。
こいつの言葉は俺にとってすべて歌になる。
――ずっと、そばにいさせてほしい。
そのためなら俺は、なんだってする。
お前の秘密だって、守ってみせる。
「後悔なんかさせねーよ」
「あ、痛っ!」
俺は充希のおでこにでこピンをかました――。
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