〇201号室 伊藤ケン

「カンパーイ!」

「うぃーっす」


いつも通りの面倒くさい仕事を終え、

どうでもいい飲み会が始まる。


飲み会自体に興味はない。

仲間の集まり?

打ち上げ?

関係ねぇ。


俺は酒が飲めれば、理由なんていらねーんだ。


中ジョッキを一気に飲み干すと、

すぐに下座にいたドラムの園村がオーダーをする。


「もう、ケンさん! 最初っから飛ばしすぎっすよ」

「何言ってんだよ。飲むために仕事してんだろーが!」

「お酒もいいっすけど、どうなんですか? 最近」


その一番ムダな質問に答えるのもだるい。

俺は言い捨ててやった。


「どうもこうもねーよ。

普通に仕事来てたら、こんなバンドのサポートやってるわけねーだろーが」


「ひっどーい! ケンさんったら」


『ブラックパレード』キーボード担当のリコが

軽くたたく。

その勢いで、黒縁メガネがずれる。

俺はそれを直すと、運ばれてきた新しい生中をまた一気に飲んだ。


「ケンさんのベースがあるから盛り上がるんじゃん!」


リコはカルアミルクを飲んで、機嫌がいいみたいだ。

まったく、面白くねぇ。

俺のベースね。


ぶっちゃけ、こんなチャラいバンドのサポートなんてしてる場合なんかじゃない。

本当に俺のテクが必要なやつらはいくらでもいるはずだ。

このバンドの所属事務所の社長に頼まれてなかったら、

絶対手なんか貸してない。

そもそも俺はベースでもねぇし。


ガンガン酒を飲んでいたら、ギターボーカルで事務所社長の息子、

シゲルが大声をあげた。


「ケンが儲かってないのも、うちの事務所がうまく行ってないのも、

音楽業界自体が盛り上がってないからだ!

なんで素人みたいなやつらが出てきてるんだよっ!」


「DTMで動画上げるやつらだろ? CD作ってもそういうやつらの

曲のほうが売れてるもんな」


園村もぼやく。


「ケンさんもそう思いますよねぇ?」


「まーな。音楽っていうのは生で聴かせてナンボだ! パソコンで音楽?

ふざけんな!!」



……と盛り上がって帰ったひとりの部屋。

俺はパソコン画面を見つめていた。


『ハイツ響』201号室。

そこそこ新築のアパートだが、防音がしっかりしていると紹介してもらった。

しかもシゲルの親の口添えがあり、格安で借りることができている。

ついでにこの部屋は日当たりも最高に悪い。それが俺にはよかった。

日が当たるところは苦手だ。

昼間寝てると日差しがまぶしくなる。


「R32P、新曲アップしてたってつぶやきがあったよな!

さっそくチェックしねぇと!!」


冷蔵庫から取り出しておいた缶ビールを開けると

さっそく動画サイトを開く。


「うおおっ! やべぇ、マジイントロから鳥肌もんじゃねーかっ!!」


……すんません。

パソコンで音楽、ふざけんなって、アレ嘘っす。


マイリスはそっち系ので埋まってるし、

CDだって買ってる。

ついでに言うと、同人イベントにもこっそり行って

レアな音源も手に入れてる!


特にハマってるのが、

この『ルール32』。通称『R32P』。


昔はメタル一筋だったけど、

今ではこの独特なサウンドの虜だ。

今日アップされたこの曲も、流行のアイドルっぽい曲調でもあるが

ちょこちょこと差し込まれたマニアックなメロディーも面白いし、

どこからその発想を持ち出したのかというフレーズなんかも

俺の好みだ。


酒を飲みながらベースを取り出して、

さっそく自分でも音をなぞってみる。


「やっぱ自分で弾くのも楽しいな!

この曲は聴くのも悪くねぇけど、演奏する人間を楽しませてくれるよ」


結局今夜も打ち上げのあと、缶ビールを4本開け

ベースをかき鳴らして夜を越えた。



「……くそ、うるせぇ」


携帯のアラームが鳴ると、

頭の中に響く気がして、俺は思わず投げつけた。


指紋だらけのくもったメガネをかけ、長髪をとかすことなく

俺はベースを持つ。


「あーあ、今日もお仕事頑張りますか」


ブーツを履くと、乱暴に扉を蹴破って

外に出る。


すると、何かがガンッ! とぶつかった音がした。


「痛ぇっ……」


「あぁん?」


扉の外には見慣れないクソガキが頭を抱えている。

赤茶のショートヘアのいかにもサブカル好きっぽい女。

頭にはお決まりのようにでかいヘッドフォンが

ついている。


「ちょっと! おっさん、危ねーじゃんっ!

扉開けるときは注意しろよっ!」


「見かけねぇ顔だな。クソガキ、俺のファンか?」

「ファン? 何勘違いしてんの、キモいロンゲのおっさんが」

「おっさん、おっさんって、俺はまだ31だっ!」

「十分おっさんじゃん」


このクソガキ……っ。

ムカつく。

まぁ、変なファンじゃなかったのは幸いか。

いや……今のこの格好じゃそもそも俺が『俺』だってことにも

気づかれないかもな。


「大体な! 

そんなでっけーヘッドフォンなんかつけてんのが悪ぃんだ!

廊下歩いてたら鍵開ける音に気づくだろ!」


「知らないし、そんなの」


生意気なガキはヘッドフォンを取ることなく

俺の前を通り、隣の部屋へと入っていく。


「202号室……人が入ったんだな」


このアパートはまだ建てられたばかり。

101号室にいる大家の静さんと

俺しか住人はいない。

三人目の住人が、あのガキか。


「ったく、面白ぇこと、ひとっつもねーな!」


俺は自分の部屋の鍵を閉めると、

廊下の壁を蹴った。



小さなライブハウスでの仕事が終わると、

今夜も酒だ。


俺のスケジュールはいたってシンプル。

起きて、ベースをステージで弾いて、飲む。

家に帰って動画を見て、また酒を飲んで適当に寝る。

それだけだ。


「リコ、酒足りてないんじゃないか?」


「シゲル……明日もライブあるじゃん、下北で。

そんな毎日ガンガン飲めないよ」

「家泊まっていけばいいじゃん」

「やだ」

「なんだよ、お前ら……デキてんのか?」

「園村さん、やめてよ! そんな関係じゃないって」

「そ、そうだよ。こいつとはバンドの仲間ってだけ!」

「シゲルの部屋行くくらいだったら、園村さんのほうがいい~!」

「ははっ、リコ冗談だろ? ケンさんもなんか言ってくださいよー!!」


……知るか。勝手にやってろ、バーカ。

心の中でつぶやくと、頼んでいたウイスキーが運ばれてくる。

それを今日も一気に飲み干した。

ビールだろうがウイスキーだろうが、飲めればなんでもいい。

しかしこの業界に入って飲んでばかりだったせいか、

最近ではちょっとした量じゃ酔えなくなっていた。


やっぱりつまらん。

酒をあおりながら、3人の若者の話を適度に拾う。

どいつもこいつも……ったく。

いいかげん、インディーズバンドである『ブラックパレード』の面々には

飽き飽きしているというのが本音だ。


リコとシゲル、園村。

もともとはベースもいた。

だけど『一身上の理由から』やめたらしい。

ま、想像はつく。

その想像が気持ち悪い。吐き気がする。

こいつらのやり取りを見ていても、気分が悪くなるだけだ。

ただ、酒があるから付き合ってるが。


このバンドの最高なところはひとつ。

『飲み屋のチョイスがハンパない』。

もちろん、いい意味でだ。

こいつらの連れて行ってくれる飲み屋は、

飯もうまいし酒もうまい。


……音楽性? そんなのこいつらに求めるな。

なんてったって、こいつらの正体は……。


「面白くねぇ。金、ここ置いていくからな!」

「あっ、ケンさん!」


園村が呼び止めるのを無視して、店から出る。

どうせ明日も会うんだ。

どんなことがあったって、それは変わらないんだから。


アパートに帰る前、行きつけのバーでまた酒を飲んだ。

さすがに酔ったか。

ふらふらしながら帰ると、廊下には黒い物体が転がっていた。


ちょっと待てよ。

この廊下で転がる権利があるのは、俺だけだろ。

それでちょっとばかりおせっかいだけど、いい人である

静さんが翌朝起こしにくる。


大きなヘッドフォン。

くそ、隣のガキか。

一丁前に飲んだくれやがって、生意気な。

俺は軽く頬をたたいた。


「おいっ! んなところで寝てんじゃねーよ!

っていうか、他人に迷惑かけるほど飲むんじゃねー!」


「……ん」


ようやく気がついたか。

ゆっくりと頭をあげると、ヘッドフォンがずり落ちた。


……ささやかに聴こえる音。

聴き覚えがある。

これは……。


「ふうん、R32Pか。趣味は悪くねぇな」


「……おっさん、知ってんの?」


もぞもぞ身体を動かすと、ガキは俺に聞いた。


……やべ。

一応俺にも体裁ってもんがある。

俺みたいなやつがDTM大好きとか……色々まずいだろ、事務所的に。

特にシゲルが嫌ってるからな、こういうの。


「し、知るかよ! このAIメドレーなんて……」

「知ってるじゃん。っていうか、よくメドレーだって気づいたよね」

「半音……」

「そうそう! 半音違うのっ!」


藪蛇すぎんだろ、俺。

なんで余計なことまで言ったよ……。

こうなったら仕方ねぇ。


「事務所には言うなよ」

「は? 何、事務所って」

「……気づいてねぇのか?」

「だから何が?」


俺が『ブラックパレード』のサポートベーシストってことも、

その前の経歴も知らないのか。


ま、サポート前の経歴に気づくやつもそうそういない。

名前も変えたし、何より風貌が全然違う。

それにあのときはまだ10代だったからな。

こいつはまだ20代前半ってところか。

10年前のことなんか、知りもしねぇだろう。


「……でもおっさん、初めて見たときは気づかなかったけど

なんか知ってるような……」


やばい。

まさか気づいてるのか?

ドキドキしていると、ガキはつぶやいた。


「そんなわけないか。あの人はこんなきったねーおっさんじゃないもん」


「黙れ、クソガキ」


頭を拳で小突くと、ガキはぷうっと膨れる。


「ガキじゃないよ。松本ノゾミ!」


ノゾミと名乗ったガキは、ポケットから何かもぞもぞと取り出すと、

俺に紙切れを一枚渡した。

中にはメッセのIDとつぶやきのアカウントが書かれている。


「……おい、普通名刺っつったら、住所と電話番号だろ!」


「個人情報が特定されんだろ。これだからおっさんは……。

それにアプリのIDがあれば電話番号はいらないし、

住所はあんたの隣!」


くっ……これだから最近のガキは!!


「で、おっさんは? 名乗ってやったんだから、名乗れよ」

「伊藤ケンだよ」


「まぁよろしく。

R32Pのファンだっつーなら、挨拶くらいはしてあげる。

じゃーね」


ノゾミはふらふらしながら自分の部屋へと入っていく。

ここのアパートで飲んだくれてもいいのは、

俺だけだっ!


そんなどうでもいい意地を張りながら、

俺も鍵を取り出し、201号室へ入った。


「あのガキ……ひとり暮らしだよな。

ここはそこそこ家賃高い場所だっつーのに、

一体何者なんだよ」


家賃を割り引いてもらっている立場だけど、

その割引がなければ、ここには住んでいない。


渡された紙切れを見つめる。

どうでもいいが、こいつがどんなやつなのかは

知っておきたいというのが本音だ。


音楽関係者か?

だとした面倒だ。

早々に引っ越すことも念頭におかねーと。

ただ、近くには大学がいくつかある。

普通の学生という可能性もあるし……。


「つぶやき見れば、わかるかな」


パソコンの前に座ると、バックグラウンドでR32Pの曲を再生しながら

つぶやきのページを見る。

虫めがねのアイコンをクリックし、紙に書かれたアカウントを入力してみる。


すると出てきたのは『m_n』という人物のタイムラインでのつぶやき。

『松本ノゾミ』って言ったか? あのガキ。

だとしたら、これだな。


『やっぱりひとり飲みに限る!』


そのつぶやきに添付されていた画像には、

見たことのある皿に、玉子焼き。

先ほど投稿されたものだ。


これ……駅の近くにあるチェーン店の居酒屋の食事だろ。

ひとり飲みって、学生でにぎわうあの店でか!?

俺は思わず笑ってしまった。

あいつ、友達いねぇのか。


「ノゾミも俺と似たところあんじゃねーかよ」


笑ったわけは、本当にくだらない。

俺も両サイド学生たちのコンパで盛り上がる中、

ひとり飲みをしたことがあったからだ。


「かわいいじゃん」


タイムラインを読み進めてみると、

頻繁にR32Pの新曲アップ情報がリツイートされていた。


「こいつ、よっぽどのファンなんだな。

少ないフォロワーにまで宣伝するくらいなんだから」


ノゾミのフォロワーはたったの30人。

そもそものフォロー数が少ないというのもあるが、

俺のプライベートのアカウントよりも少ない。

まぁ、その大半は関係者だけど。


再びタイムラインを眺めてみるが、

ほとんどがリツイートばかりだ。

R32Pの楽曲の『歌ってみた』とか『演奏してみた』とか……。


「お前自身のつぶやきはないのか!?

ノゾミよおっ!」


俺はシンクの下に置いてあるジンを持ってくると

それをグラスに注ぐ。

一気にあおると、さらに読み進める。

酔っているので文字が揺らめく。

そのたびに俺は、汚れたメガネのレンズを服で拭った。


「あった」


リツイートじゃない、あいつのつぶやき。


『今日も飲んでます』


「飲んでるのかよ!!」


俺は思わず突っ込んだ。


こいつ、何者だ!?

飲んでるところのツイートか、他人の情報の拡散ばっかりじゃねーか!

しかもそれでつぶやき5万回超えてるって、

お前はアホか!?


「いや、落ち着け。あいつは何者か、それが知れればいい。

学生なのか、社会人なのか。

社会人だったら、音楽業界のやつじゃないか……」


タイムラインをさかのぼること約4時間。

日当たりの悪い部屋なのに、日差しがささやかに入ってくる。


「……あった! これだっ!」


ようやく見つけたノゾミの正体。

アホな俺でもこのつぶやきで十分理解できる。


『大学に合格! センター頑張った甲斐があった!

国立大だから、学費も安くあがる。ラッキー!』


この付近にある国立大といえば、たったひとつ。


「……あのガキがねぇ。人は見かけによらねえっていうけど、

本当だな」


そのたったひとつの大学は、

この国でトップレベルと言われる部類の二ツ橋大学。


信じられないが、あのサブカルクソ女は

いわゆる『才女』と呼ばれるやつだった。


「面白れぇな、あのガキ」


徹夜で飲みまくったテンションのまま、

俺はベースを担いで仕事に出かけた。



「ケンさん、今日の打ち上げなんですが……」


「悪ぃ、ちょっと他に用事があるんでな」


その言葉に、リコとシゲルは声を荒げた。


「え!? 飲むことしか頭にないケンが!?」

「ケンさん! 今日は事務所の後輩も来るんだよ!?」


「知るか。お前らだけでどうにでもなるだろ。

そもそも俺はサポートメンバーだ。

お前らは俺に、何を期待してんだよ。

ベースの腕か?

だとしたらもっと適役はいる。

俺はそもそもベーシストじゃねえ。

それに、俺の名前にすがってるわけじゃないだろ?」


俺の問いに答えたのが、シゲルだった。


「……ケンは、業界の人とのコネがあるから」


「やっぱりそれか。だけど無茶な話だ。

コネがあったとしても、先方にお前たちは紹介できない」


「何でよっ!!」


ヒステリックな声を上げるリコ。

俺が説明しなくても、そんなことわかりきってるだろう。

リコがわかっていなくても、シゲルや園村は気づいてる。


「……仕事はきっちりするよ。

事務所から給料もらってる身なんでな。

だけど、もう打ち上げには参加しない」


「そんな……っ、困るよ!」


引き下がらないリコに俺は冷たく

言った。


「お前が困るだけだろ。

シゲルと園村のことは、

お前自身がケリつけろや」


「っ……!」


リコの顔が赤くなる。

シゲルはうつむき、園村はじっと俺を見つめる。


もういいや。

こんなバンド。


くだらないって思ってた。

つまらない、面白くねぇとも感じてた。

それは間違ってねぇ。


本当に好きなことを、俺はやらなくちゃいけない。

後輩たちを支えてやる……それも先輩として

間違った方法じゃない。


だけど、本当に正しいやり方は、

後輩たちに自分のやりたいことを見せつけて、

奮い立たせることじゃないのか……?


ベースを持つと、ファンがひしめくライブハウスの裏口から出る。

途中『ケンさん!』とも呼ばれたかもしれない。


……その名前は、『本当の名前』じゃねぇ。

俺の名前は……。


警備員に守られて人垣を抜けると、

俺は携帯に登録したあるIDにメッセージを送った。



「本当に来るとはな」

「あんたが来いってメッセ寄越したんじゃん」


ノゾミはビールをぐいっと飲む。


あのあと俺は、ノゾミを駅前の居酒屋へ誘った。

別に深い意味はない。

ただ『面白そう』だったからだ。


ブラックパレードの面子と飲んでも、楽しくねぇ。

どうせ一緒に飲むなら、気が合うやつがいい。

ノゾミがそうとはわからないが、

わからないから興味があった。


「ビールねぇ……普段は他に何飲むんだ?」

「あんたには関係ないじゃん。すみませーん、焼酎水割りで!」

「はぁ? 焼酎だったらロックで行けよ!」

「おっさん……マジ、ケンカ売ってる!?」


予想通り、こいつは面白い。

昔の俺を見てるみたいだ。

意地張って、強い酒をがぶがぶ飲む。

人に見下されないように……なんてな。

酒を飲めば飲むほど、クズになっていくことに気がついていない。


俺?

俺はいいんだ、クズでも。

例外ってやつだ。


だけどノゾミは話によるとまだ二十歳になりたて。

成人したばっかで、この飲み方ね……。

否定するわけじゃねぇけど、

危なっかしい。


ま、そんな危なっかしいのを

高みの見物するのも悪かないけどな。


「なあノゾミ」

「下の名前で呼ぶな、キモい」

「うるせぇ。それよりR32Pのことなんだけど」


『R32P』と聞くと、ノゾミも手を止めた。

そして俺の顔をじーっとにらみつける。


「なんだよ……R32Pに何かいちゃもんでもあんの?」


「そうじゃなくって」


俺はノゾミのタイムラインを見て思いついたことを

口にした。


「『演奏してみた』っていうのをやってみてぇなって思ったの。

R32Pの新曲で」


「はぁぁっ!?」


ノゾミは運ばれた焼酎に口をつけず、

ただ、ガシャンとテーブルに打ち付けた。

その衝撃で、中の液体がテーブルに

こぼれる。


「……おっさん、楽器弾けるの!?」

「お前、俺の荷物見て、何も気づかねえのか?」

「あっ!」


ノゾミはうしろに立てかけてあったベースに気づいたようだ。

さっそく手を伸ばし、ベースをつかむと

ファスナーを下ろした。


「うっそ! 5弦ベースじゃん!」

「まぁな」


俺はちょっとだけ鼻が高くなる。

5弦ベースを弾く人間なんていくらでもいるが、

こんな風に興味深く見られるとちょっと嬉しい。


「へぇ、おっさんってベース弾く人なのか」

「ああ、しかもそこそこのプロだ」

「『そこそこのプロ』って、日本語おかしくね?」

「うるせーよ」


ベースをケースの中に入れたまま見つめるノゾミ。

満足したのか、ベースをしまいまた壁に立てかける。


「……でもさ、5弦ベース弾いてるならわかると思うけど、

R32Pの曲のベースって、単調じゃん? 

あれ弾いてる人って楽しいのかなっていつも思うんだけど」


「お前からそう言われるとは思わなかった。信者だと思ってたからな」


「信者ねぇ……」


俺が泡盛を飲むと、ノゾミも無理して焼酎の水割りを一気に飲み干す。


「がはっ!!」


「バーカ、無理すんじゃねぇよ」


俺はノゾミの背中をたたいてやる。

吐くまではいかなかったが、ゲホゲホとやっている。

これだから若いヤツは……。


「俺の前で無理はすんな。すぐわかるから」

「……おっさんに言われても、ときめかねぇんですけど」

「お前のこと、口説くやつなんてそもそもいるの?」

「うっさい」


本当にこいつは面白れぇ。

予想通りの返しをしてくる。

……昔の俺みたいで、見てて楽しい。

俺の先輩たちも、きっとこんな目で俺を見ていたんだろうな……。


「ともかく! 『演奏してみた』をやってみるのもいいけどさ、

おっさん、一応それなりに音楽やってる人なんでしょ?

よくは知らないけど。

ひどい演奏したら、R32Pのファンが黙ってないと思う」


ノゾミの助言ともいえる言葉に、俺は笑った。


「なめんじゃねーぞ?

俺は一応プロだからな。

恥なんかかかせねーよ。R32Pにも、自分の名前にもな」


酒はまだ足りねぇ。

だけどノゾミはもう赤くなるほどだ。

ったく、本当に子どもだな。

ノゾミの頭をなでても、固まったままだ。

……面白すぎだろ、お前。


「ははははっ!!」

「笑うなっ!!」


ノゾミは俺の手を払いのけ、今度こそ焼酎水割りを

一気に飲みほした。



「……さて、これでOKだよな」


カメラを台に置くと、俺は角度を確認し、

ベースを持った。

もう撮影は始まっている。

使うのは古いエフェクター。

俺が楽器を持ってしばらく。音楽好きな親父からプレゼントされたもの。

ただ、今までほとんど使ったことはなかった。

ブラックパレードで演奏するには、もったいなさすぎる。

旧式で、もう販売されていないものだ。

だけどせっかくだから、この際使わせてもらう。

なぜならこのエフェクターは、今ではマニア垂涎の品だから。


ベースはいつものだが、音の確認は念入りにする。

……うん、音は悪くない。

チューニングを終えると、

俺はヘッドフォンを付けた。


この角度なら、顔も見えない。

5弦ベースと手元だけ、映像に残るはずだ。


パソコンを見る。

時間が00.01、00.02と進んでいく。

よし、いつでもいい。

準備は万端だ。


00.05。

俺はベースの弦を弾いた。

曲が始まる。

ギターの音と、機械の声が俺を煽る。

やばい、最高だ。

今まで感じたことのない快感。

ひとりでベースを奏でた夜とは違う、

この映像は、全世界に流れる。

夢中になって、5弦ベースを自己流でかき鳴らす。

R32P、お前の曲は最高だ。

聴くものだけじゃない。

演奏する人間の気分も高めてくれる。


4.03。

曲は終わった。

興奮冷めやらない俺は、乱暴にベースを置くと

カメラのスイッチを止めた。



『おっさん、何者!?』


画像とともにノゾミへ送ったメッセージ。

最初の返信はこんなものだった。


ったく、驚くんじゃねーよ。

これでも俺は、『ブラックパレード』のサポートベーシスト。

一応プロだ……ベースのではないが。


引き続きメッセージは送られてくる。


「おいおい、食いつきすぎだろ……」


相手は変わらずノゾミだ。


『全然原型とどめてないじゃん!』


「そりゃアレンジさせてもらったよ。俺なりにな」

『っていうか、音も違うよ!』

「昔のエフェクター使ったんだよ」

『昔の……? どんなの!? 見に行っていい!?』


ノゾミの勢いに、俺は戸惑う。

こいつ、こじらせすぎだろう。

いくらR32Pのファンだからって、イチ『演奏してみた』投稿者に

ここまで入れ込むとは。


「さすがにそれはちょっとな」


ガキを連れ込むのは、俺の趣味じゃない。

断りのメッセージを送る。

それでもノゾミは引かなかった。


『じゃあ、画像だけでいいから送って!

そのエフェクターの!』


「どんだけファンだよ……」


俺はノゾミの言う通り、

画像をアプリのメッセージ画面に添付して

送信した。


これでいいんだろ?

ったく、これだからガキは……。


……疲れた。


俺はベースをスタンドに立てかけると、

そのまま布団へダイブした。



ピピ、ピピと携帯が鳴る。

普段はめったに聴かない音だ。

これは確かアプリの通知音。

携帯を変えてから、音の設定をいじった覚えもないからな。


だけどなんで今日に限ってこんなに通知音が鳴るんだ?

俺はアカウントをふたつ持っている。

ひとつはプライベートなもの。

このアカウントを知っている人間は少ない。

もうひとつは前に使っていた名前のアカウントだ。

しかしこの名前でのつぶやきは、

最近していない。


ともかく見てみないと始まらない。

携帯のボタンを押し、画面を光らせる。

パスコードを入力すると、

つぶやきのアプリを起動。


……俺は目を疑った。


「ちょ、ちょっと待て! フォロワー数……2000!?

昨日まで100ちょっとだったんだぞ!?

何があったよ!」


俺のプライベートのアカウント。

最近ひと目を集めるような投稿は……あ。


「『演奏してみた』の動画から来たとかか?

でも一晩でここまでふくれるもんなのか!?」


ダイレクトメールもきていた。

こいつはイベントで知り合って意気投合した

やつだ。


「ケン△ R32Pもつぶやいてましたよ」


「R32Pが……?」


さっそくR32Pのつぶやきをタイムラインで確認する。

俺のこと、なんて言ってたんだろう……?


「これか、って……おい! なんだよこれっ!」


R32Pのつぶやき。


『Kenさんのベース、かっこよすぎ。

アレンジ半端ない。

このエフェクター、どこかで手に入らない?

使ってみたい』


貼られていた画像は、俺がノゾミに送ったもの。

他にこのエフェクターの写真を撮った覚えはない。

それに、一緒に写っていたクッションは、

世界にひとつのもの。

お袋が昔、ひとり暮らしの俺に贈ってくれたものだ。


俺は携帯を持って、部屋を出た。

鍵は閉めていない。

だって行く先は、隣の部屋なんだから。


「おい、ノゾミ! いんのか!!」


インターフォンを無視して、

ドアをガンガン拳でたたく。


「……おっさん? うっせーよ」


「この画像、説明しろ」


ノゾミに先ほどのつぶやきを見せる。


「………」


Tシャツにジャージ頭にはヘアバンドと、

ラフな格好をしていたノゾミは

ドヤ顔すると俺を部屋へ案内した。


「ようこそ、我がラボへ!」


「マジかよ……」


部屋に並べられていたのは、何台もののパソコンとシンセサイザー。

その他機材が積まれていて、画面のあかりだけで部屋の電気は

必要なさそうだった。


「……なんか飲む?」

「ビールがあれば」

「了解」


ノゾミはにやにやしながら、冷蔵庫を開ける。

冷えたビールを投げてよこすと、自分もぷしゅっと

プルタブを開けた。


「お前の正体はなんだ?」


「えー、もうさすがにわかったでしょ?」


ごくりとビールを飲むと、ノゾミは鋭い目で

俺を見つめた。


「『ルール32』。

松本ノゾミのもうひとつの顔ってとこ?」


「『R32P』さんよ、俺をあおったよな?

エフェクターの写真を流したら、俺がお前に気づく。

わかってただろ?」


「うん、まーね。でもそれは私のルールのひとつだったから」


「ルール?」


「ルール32、『最高に気に入った相手にだけ正体をバラす』。

おっさん、あんたのこと気に入った。今度一緒に曲作ろうよ。

ってか、手伝って」


「それが人に物を頼む言葉か?」

「おっさんだって、気づいてるんでしょ?

『面白くなりそうだ』って」


「……お前、本当に」

「ムカつく?」


俺は黙った。

言いたかったは『ムカつく』ってことじゃなくって……。


『お前、本当に俺に似てるのな』。


思い切りノゾミの缶に自分のものをぶつけると

勢いがよすぎたせいで、中身がこぼれる。


「ちょ、ちょっと! ここ、機材が多いんだから……」


「今度から気をつける。お前の部屋には頻繁に遊びにくることに

なりそうだからな」


「やっぱおっさん、サイコー」


こうして俺たちは、冷蔵庫にあるビールがなくなるまで

飲みながら、一晩中音楽談義をして過ごした。


今から楽しみでしょうがない。

ノゾミと音楽をやるのが。


俺の仕事は音楽だ。

しかし同時に趣味も音楽。

ただ違うのは、『誰とやるか』。


今日も夜は明ける。

明けない夜はないなんていうけど、

真っ暗闇の中でずっとベースを弾き続ける。

それが今は楽しくて。


「そのままでいいか」

なんてつぶやくと、

酔っぱらった身体を万年床に横たえた。

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