短期バイト特殊除霊員

蛸屋 ロウ

短期バイト特殊除霊員

急募! 幽霊が見える人募集!



この求人広告が目に入ったのは数日前のことだ。



俺は石上優斗。今しがた人生の夏休み真っ只中の大学生だ。

高校卒業と同時に家を飛び出し、悠々自適な一人暮らしを謳歌していたのだが、これがどうしたものか、絶望的にお金が足りない。


訳あって親からの仕送りは望めないし、貯金も雀の涙程度であったがゆえに、華々しいキャンパスライフなどは送れず、バイトバイトバイト尽くしの毎日だった。


そしてある日、さて次の日雇いバイトでも探そうと思い漠然とスマホをスワイプしていた時に見つけたのだ。こんな聞いたこともない求人を。


しかもSNSという不特定多数の人間の目に留まる場所に堂々と張り出されていたため、瞬く間に『おもしろミーム』みたいな形で拡散され、この構文をパロディして遊ぶ輩から、オカルト系のインフルエンサーがバカ真面目に考察するなど、各方面から様々な反応があったのだ。


まあ十中八九、真に受けた者などいないだろう。





だが俺は違った。この滑稽極まる広告に、何か運命的な巡りあわせを感じたのだ。この期を逃せば二度とない、千載一遇のチャンスだと。


それに一か月の雇用期間に対してあまりにも莫大な給料が、提示されていたので。



となれば善は急げとさっそく連絡を取り数日後、今に至る。



「・・・・・・。」



照りつく日差し、蜃気楼の奥から聞こえるセミの大合唱の中、『与那国法務相談所』と書かれた看板を提げた年季の入った事務所の前に俺は立っていた。


メールでやり取りした場所と時間はあっているはずだ。しかし本当にこの場所なのか、そうであってほしくなかったのか、ぬぐい切れない不安を胸に、スマホに表示された時刻を見やる。


もうすぐ約束の時間だ。妙な緊張を抱きながら、玄関のインターホンを押した。ノスタルジックな呼び鈴が静かに響く。


それとほぼ同時だった。



・・・ドタドタドタドタドタドタドタッ!



スパアァァァンッ!!と勢いよく引き戸が開けられ、中から息を荒げた男性が飛び出してきた。



「や、やあ。バイトの子だよね? 初めまして。僕は与那国総一郎よなぐにそういちろう。あの求人を出した者だ。」



丸眼鏡をクイと直し、柔和な笑みでその男は自己紹介をしてきた。


インターホンを押してからわずか数秒の内に起こった激しすぎる緩急に少々たじろいでしまったが、ここで間違いないようだ。


ならばまずは第一印象だと、数多のバイトを渡り歩いてきた経験則にもとづいて次にすべく最適な行動が実行された。



「初めまして、与那国さん。今日から勤めさせていただきます。石上優斗です、よろしくお願いします。」



背筋を伸ばし、明るく、丁寧なあいさつ。我ながら手慣れたものだ。


ああよろしく頼むよと差し出された手を握り返し、視線を交わす。怪我でもしたのだろうか、右目が眼帯で隠されている。


それから俺は中へと案内されて、事務室のような場所へと案内された。部屋はブラインドによって陽光が遮られやや薄暗く、文字がびっしりと打ち込まれた書類の山々が乱雑に机の上に積んである。へたれた吸い殻が灰皿の上に累積しており、まあお世辞にも清潔感のある場所とはいえなかった。


だが何よりも目を引くものがーーーーー、



「じゃあ早速だけど視力検査をしようか。僕と君を除いて、



・・・そういうことか。


与那国さんの意図をくみ取ると、空気の悪い部屋をゆっくりと見渡した。



「左の隅っこに一人・・・ソファに一人・・・、窓際に一匹?」



明らかに命あるものではない、この空間に居座るおぼろげな影を指さして言った。



「へぇ、猫の方も見えるのか。なかなかいい目をしているじゃないか。」



そう、俺は幽霊が見えるのだ。


子供の時から、俺の日常にはいた。だけども他の人には何故か見えず、この悩みを誰に打ち明けようとも理解されなかった。


それからずっとずっと、一人でこの苦悩を抱え続けてきた。だからだ。この人が出した求人と出会ったときに感じたんだ。



「問題ないな。じゃあ今から仕事しに行こう。車に乗ってくれ。」


「・・・はい!」


胸に、えも言えぬ高揚がこみ上げてくる。


少し後に気づいたのだが、初対面の人が運転する車にこうもやすやすと乗り込むなど、軽率極まりない行動だったなと笑ってしまう。


だが思慮深さなどどうでもいいくらいに、自分と同じ世界で生きている人に出会えたことが。


二十数年、ただの一人でさえも分かち合うことのできなかった苦悩を理解してくれる人なのかもしれないことが、ただただ嬉しかったんだ。




ーーーーーーーーーー




目的地までに到着する間、車内は俺と与那国さんの怒涛の幽霊トークでまさに熱狂の渦であった。


おもしろミームと化した求人票のことそれを見て自分と同じような人に巡り合えたこといつから見えていたのかどういった幽霊を見てきたのかそもそもあれは幽霊なのか他にも見える人と出会ったことがあるのかあの事務所にいた幽霊はなんなのか心霊スポットには行ったことあるのか心霊番組の特集はどう思っているのか幽霊あるあるなどなどなど。


高鳴る心は落ち着きというリミッターをぶち壊し、語るに語れなかった積年の会話ネタをここぞどばかりに大放出したのだ。


奇遇にも、それは与那国さんも似たような境遇であったらしく会話は弾みに弾んだものとなった。二人の有り余る語り草は一時間以上かかる道のり程度など埋め尽くしてしまうほどに膨大であった。


そんな楽し気な会話が終わらぬうちに目的地に着いていた。そこは比較的新しい団地であった。廊下を歩く人、ベランダに干してある布団、開いてたり、カーテンが閉まってる窓。何の変哲もないごくごく普通の集合住宅のように見受けられる。


白熱した会話の余熱も冷めぬうちに車を降りたが、そういえばまだ仕事の内容を聞いていなことに遅まきながら気づいた。


こんな場所で何をするのだろうか。トランクから取り出した何やら布に包まれた棒のようなものを手に取り、団地へと歩き出す与那国さんの後を追いつつ俺は質問した。



「あの、そういえば俺って何すればいいんですか?」


「あれ言ってなかったかな? 簡単なことさ。石上君にはある部屋に行って、くまなく幽霊を探し出してほしいんだ。 本来なら僕一人でやってるんだけどね、訳あって今はあまり見えないんだ。」



右目の眼帯をコツコツと叩き。申し訳なさそうな表情で俺を一瞥すると、スマホに視線を移し、階段を上り始めた。



「つまり・・・今から行くのっていわゆる事故物件ってやつですか?」


「そういうこと。」



三階の廊下の突き当たり、とある一室の前で与那国さんは足を止めた。


実は幽霊というのは一般人には見えていないだけでそこら辺に普通にいる。だがその大半は無害であるのだ。あてもなく浮いてるか、うずくまっているか、たまにじっとこちらを凝視しているか。


だが例外もある。近づいてはならない、目を合わせてはいけないと直感でわかる異質な存在が。


今までそういうというのはあまり出会わなかったが、それらは往々にして似通った場所に現れたというのはそれとなく把握している。


水辺、墓場、樹海、そしてーーーーー人が亡くなって間もない場所。



「実は最近、ここで独身男性の方が亡くなったんだよ。部屋の清掃は自体はもうすでに終わってるんだけどね、まだやらなくちゃいけないことがあるんだ。」



そう言うと、背負っていた棒から布を巻き取り、その正体が明らかになった。


日本刀。武骨な鞘に納められた、おそらくは本物の刀。



「・・・あ、あの。」


「大丈夫。石上君は探してくれるだけでいいから。」



ドアノブに手をかけた与那国さんの表情は依然として柔らかく、この先の『仕事』がどのようなものかがその横顔からは察することができない。


だが、このバイトがやけに高時給な理由がそれとなく分かったような気がした。


腹の決まらない俺などお構いなしに、ガチャリと、不気味に軋みながら扉が開け放たれた。




ーーーーーーーーーー




違和感を感じるほど綺麗な空間だった。


幽霊の捜索を始めた俺と与那国さんは部屋に上がり、ざっと周囲を見回した。


ほこり一つなく隅々までに清掃が行き届いており、家具も置物も何もかも取り払われていた。ここには、つい最近まで人が生活していたなどとは思わせない程の無慈悲な静寂で満ちていた。


だが、空気だけは胸を締め付けるほどに淀んでいる。


その原因が廊下の最奥、最も重く溢れかえっているリビングルームからだともおおよそ察しがついた。


ゆっくりと、足音を殺して歩を進める。


もしかしたら他の部屋にいるかもなどという可能性は頭の中から抜け落ちていた。ただ一点だけを、恐らくそこで命を絶ったであろう場所だけを見据え、純粋な恐怖に対する防衛本能で身をこわばらせていた。


一歩、一歩、近づいていく。


寂しげなリビングルームの全容が、次第に明瞭になっていく。



一歩・・・、一歩・・・、一歩ーーーーーー、



「・・・・・・・・・。」



いた。



部屋の中央にうなだれ、ぷらんぷらんと左右に揺れるどす黒い闇。



・・・・・・・・・動けない。喋れない。怖い。


全身が粟立ち、冷ややかな汗が頬を伝って落ちていく。


を見てしまった畏怖と後悔が体を縛り付け、その場から逃げ出すことを許さなかった。



ぷらんぷらん、ぷらんぷらん。



は次第に方向を変えた。音もなく、静かに、ゆっくりと、こちらの方に。



「いたようだね。よし、君はもう出ていなさい。」



いつからか抜き身の刀を構えていた与那国さんが、俺の方をポンと叩き前に出た。


その涼し気な横顔に俺は何も尋ねられなかった。言葉さえも発せなかった。


ふりかかる恐怖に耐えきれず、全速力でその場から逃げ出した。そこから先のことはあまり覚えていない。


だが、ただただ怯え、震えていたのだとは分かっている。




ーーーーーーーーーー




「初日お疲れ様、石上君。どうだった?やってみた感じ。」


あの忌々しい団地から抜け出し、再び与那国さんの運転で帰路についた時、彼はそう尋ねてきた。


あの影に近づいたことは少なからず後悔していた。見ただけとは言え、がコチラを認識していたことが、そして何をしようとしていたのか。最悪、自分がどうなっていたのか。そう邪推を繰り返してしまうたびに背筋に悪寒が走る。



「・・・正直キツかったです。」


「最初はそんなものさ。」



ハハハと軽く笑い飛ばすこの人は、ああいう事に慣れてしまっているのだろうか。あるいは恐怖を押し殺して対峙しているのか。そもそもあの刀で、あの後何をしたのだろうか。やはり顔を見つめども、心中が一切悟れない。


不意に、まだこの仕事についてあまり深く理解をしていないことに気付く。


見るだけでいい。ただそうしているだけで、仕事の全容を知らないのはハッキリ言って不安だし、胸にわだかまりを残したままであるのはあまりいい気分ではない。



「あの、この仕事って何してるんですか? 務めさせていただくなら、詳しく知っておきたくて。」



しばらく口を閉ざす与那国さん。どう説明すればよいのか熟考しているのか。わずかな沈黙の後、彼が口を開いた。



「簡単に言えば、除霊だよ。 石上君は、大半の幽霊は無害だってことは知ってるよね?」


「はい。 ひどくても、視界を塞いでくるとかしかしてきませんし。」


「そう。でもね、ああいうは別なんだ。実はね、そうなるのはほとんどが孤独を抱えて死んでいった人たちなんだよ。誰かに見てほしい、気づいてほしい、悔しい、そういった思いだけがこの世に残って、他所からきた生者に寄り付くんだ。まあ、見えない人からしたら霊障やポルターガイスト以外のなんでもないんだけどね。

だから僕ら『特殊除霊員』が、そういう幽霊を取り除くのさ。生者と死者の境界線を保つためにね。」


「つまり・・・言葉がわるいかもしれませんが、害虫駆除みたいなものですか?」


「半分正解だね。」



不意を突かれた返答に思わず与那国さんを見やる。



「たしかに言っちゃえば駆除だ。だけど僕はね、除霊というよりも、最期を見届けてあげるって意味合いの方が強いと思うんだ。孤独や、無念、そんな未練を抱きながら誰にも見られずにひっそりと死んでいって、その上幽霊になってまで他者を求め続けるなんて、正直いたたまれない。だからせめて僕らが彼らの苦悩を断ち切って、天国へと送りだしてやるんだ。」



与那国さんがこちらを向く。



「それが、見える人たちだからできる。大切なことだと思うからね。」



この仕事に誇りを持っているのだろう。その朗らかな笑みからははどこか誇らしげな、自分がしていることの意義にこの上ないやりがいを感じているような真っすぐな瞳をたたえていた。


・・・実を言うと、明日以降は何かと理由をつけてバックレようとしていた。いくら高額な賃金とはいえ、あのような異質なモノに自ら近づいていくのは御免だとそう身をもって知ったからだ。


だがきっと、あの影は自分を見てほしかっただけだと。そう考えを改めると、特殊除霊員の存在意義や、与那国さんの前向きな気持ちにも納得できる。


最期を見届ける、見える人だからできる仕事。


・・・俺も見える人だ。ならせめて、役に立てることをしたい。


もう少し自分なりに頑張ってみようと、そう心の中で決心した。


気づけば陽は沈み、暗色の空に星々がちらほらと見え始めた。


くたびれた体を背もたれに預け、車窓からその輝きをぼうっと眺めていた。




ーーーーーーーーーー




意外にも、次の日からの業務は楽であった。


というのも、除霊の仕事自体そう毎日あるわけでもなかったのだ。これはいいことだ。つまりは亡くなった人があまりいないというわけだし、俺が出動する頻度も減るというわけだ。


除霊のない日は、与那国さんの事務所の掃除や書類整理などの雑務をして過ごしていた。というよりも大半の日数は事務所でのバイトで、事故物件に赴いたのはあれ以降二、三回程度だった。


あまり慣れこそ出来なかったものの、順調に、平穏に日々が流れ、契約終了まで残り一週間となった。



「いや~石上君と働けるのも今週までか~。事務所の掃除とかまだ残ってるから最後までよろしくね。」


「これを機に少しぐらい心を入れ替えたらどうです? 流石に賞味期限が三年前のパンがでできた時は引きましたよ。」



のどかな田舎道を走る車の中、すっかり親睦の深まった二人が和気あいあいと雑談に興じていた。


今日は他県への除霊らしい。職務上、一緒に働いてる人などこの日本に存在しているかも分からないくらい少ないらしいので、こうした出張はわりとざらであるらしい。


それにしてもここかと、流れゆく情景をぼんやりと見やる。



「そういえばここらへんって石上君の出身だよね。 どう、実家には顔出してる?」


「ええ・・・、まあ。」



何気ない質問のつもりだったのだろう。その通りだ、与那国さんに悪意はない。だがそれがどうにも胸を鈍く突き刺し、継ぐ言葉を出させまいと喉を締め付ける。無言の数秒が、束の間の居心地の悪さを車内にもたらしてしまったが、こんな空気は御免だとすぐに話題を切り替えた。



「あ、あそこの蕎麦屋メッチャうまいですよ。 除霊終わったら寄ってきません?」


「おおいいね、せっかくだから奢るよ。」



これでいい。こういう他愛のない、踏み込みすぎないトピックがいいんだ。


危機は去ったと安堵のため息をつき、どっとシートに深くもたれかかった。


懐かしい景色だ。公園、友達の家の近く、通学路、・・・あそこのコンビニ潰れちゃったんだ。


しばらく静かに車は走っていた。見覚えのある景色ばかりを、淡々と。


少ししてから違和感のような、出所がわからない胸騒ぎがじりじりとこみ上げてきた。今進んでいる道。それがどうにも、最悪な結果に繋がっているようで仕方がなかった。


淡々と、淡々と。あまりにもなじみ深い景色ばかりが通り過ぎていく。


なぜだか動悸が激しくなり、背中を嫌な汗が伝う。


そうであってほしくないと、あまりにもそれだけが思考を埋め尽くしていたので、与那国さんが話題を振ってきたのには気づけなかった。ただただ外に釘づけられ、漠然とした不安に苛まれていた。


そして目的地に着いた。車が止まった。



「よし、着いたぞ。 じゃあ除霊しにいきまーーーー、」


「与那国さん。」



そこは古めかしいアパートだった。長年補修されていないのか外壁のところどころがひび割れ、伸び切った雑草に囲まれている姿は生活の痕跡すらも感じさせない程に虚ろであり、まるですでにもぬけの殻になっているようであった。


気持ちの悪い胸騒ぎの正体がそうであってほしくないと、俺は震える声で尋ねた。



「301号室ですか・・・?」



「・・・・・・うん。」




・・・・・・・・・・・・そっか。




301号室。


そこは俺が数年前に飛び出した、今は一人暮らしの母が住んでいた部屋だった。




ーーーーーーーーーー




『三分だよ。もしもそれ以内に出てこれなかったら、僕が連れ出すからね。』



なぜこんなことを申し出てしまったのだろうか。


殺風景な、温もりすらも感じない我が家の薄暗い玄関に俺は突っ立っていた。だがその理由はうまくは言い表せない。もとはと言えば嫌で飛び出した実家だ。少しでも懐古にふけるのはもちろん、与那国さんに頼んでまで一人で戻ってくる義理もないはずだ。


妙に頭が回らない。空回りする思考回路のまま、無言で家に上がった。


無気力に歩を進める。トイレ、風呂場、寝室、その情景すべてが記憶通りの位置にあり、往々にして無慈悲に片されていた。


異空間にでも迷い込んだのかと、そんな錯覚に陥りかけたとき、ふと視界の端にあるものがうつる。



「ーーーーーーッ。」



記録だった。木製の柱、そこに彫られた身長の、十五歳以降の記入がない成長の記録。


ひどく胸が痛くなる。すぐさま視線を外し、再びあてもなく歩き始めた。




『お父さんがいる? 何言ってるの優斗、お父さんはね、とても遠いところにお仕事にいったのよ。』


『だから幽霊なんていないのよ。ほら、母さん仕事に行ってくるから。一人で寝てなさいね。』


『幽霊なんかいるわけないじゃない。はぁ・・・今忙しいから、そんな冗談につきあってる暇はないの。』


『いい加減にしなさい! 私をバカにするのも大概にしてよね!? あなた頭おかしいんじゃないの? ・・・気持ち悪い。』




なぜこうも嫌な思い出ばかりがありありと蘇ってくるのだろうか。それ以上の会話はあまり浮かんでこない。次第に言葉数は少なくなり、同じ屋根の下で疎遠になり、いつしか完全に関わりさえも消えてしまった。死んだことさえも知らなかったほどに。


たしか一人暮らしを始めようとした決定打は、ささいなことが発端の喧嘩っだったきがする。互いに謝罪も和解もせずに、わだかまる恨みと後悔を抱きながら離れていったんだ。


・・・最後にどんな会話してたっけ。


亡者のような彷徨ほうこうはとある一室の前で止まった。


そこは仏間だった。部屋の最奥、幼き頃に他界した父親の遺影によりかかるようにうずくまる影がいた。影はすすり泣いており、こらえ切れぬ嗚咽が漏れ出ていた。


そしてそれがなど、察するに余りあった。


一歩、敷居をまたいで近づいた。途端に影がぐるりとこちらに首を回した。底なしの闇のような黒い瞳がこちらを睨みつけている。


耐えられない、怖い。やはり襲い来る重圧には抗えなかった。目の前のが何であろうと、逃げなければいけないのだと、本能が警鐘を鳴り響かせている。


取り返しのつかなくなる前に離れなければ。はやく未練を断ち切って、あの世に送ってあげるのが誰にとってもベストなんだと自分に言い聞かせ、すみやかに目の前の脅威から立ち去ろうとした。



『ゴメンネ・・・。』



だからそんな意中になかった、かすれてしまいそうな謝罪が聞こえたとき、どうしても逃げ切ることができなかった。



『ゴメンネ・・・ゴメンネ・・・ゴメンネ・・・。』



ただその繰り返しだった。昔、あの人も口癖のようによくそう謝っていたが、それとは違い震えている、心の底からの本音。自身の不甲斐なさと無力さを他でもない息子にむけて、いまさらながら懺悔していた。


きっと親として息子の苦悩を理解してあげられなかったことを、力になれなかったことを、そばにいてあげられなかったことを。全部全部の無念を抱え込み、押しつぶされ、死んだのだろう。


ああ、なんて愚かなのだろうか。


生きているうちに伝えられず、誰も耳を傾けることなどできない死者になって初めて打ち明けることができるとは、ほんとうに皮肉なことだ。


ほんとうに、ほんとうに・・・。




「・・・ごめん。」




家族そろってバカだよ。




「俺も理解しようとすればよかったよ。母さんが毎日遅くまで働いてたとか、料理つくってくれたこととか・・・。一人暮らししてわかったよ、マジですげえって思ったよ。頑張ってくれてたんだなって・・・。苦しんでくれてたんだって・・・。」



鼻の奥がツンと痛くなる。自分らしくない、あまりにも遅すぎる告白。にじんだ目でしっかりと母を見つめ、消え入りそうな声でそう言った。


届いているかも分からない。届いたとしても何も残らないその言葉は、過去の自分を責め続けると同時に、形にすることのできなかった純粋な想いを孕んでいた。


互いに離れ、孤独の内に生き、こうして再会してしまった。


生きているうちにしてあげたかったことなんて、きっと山ほどあったのだろう。いつしかそれも過去のものとなり、今再び忌々しく蘇ってきた。



『それが、見える人たちだからできる。大切なことだと思うからね。』



だがもう取り返しなんてつかない。だからせめて、今してあげれることをしてあげたかった。


ゆっくりと歩み寄る。確かに、自分の意志をもって、近づいていく。


そっと、うなだれる母を抱きしめた。




「今までありがとう。」




泣き声が止む。涙のような、おぼろげな光が暗い頬を伝っていった。


背中に冷たい感触が回り込んだ。不思議と寒さは感じなかった。


ただ強かに抱きしめ続けた。今までできなかった分、力強く。


今の俺が伝えられる全てを、こうして静かに届け続けた。




コンコンと、後ろのふすまが優しく叩かれた。


振り返ると、抜き身の刀を携えた与那国さんが立っていた。涙を拭い、そっと抱擁を解いた。



「・・・時間ですか?」


「あぁ・・・ちょうど三分たったよ。」



お別れの時間だ。


俺は母に最期の別れを告げた後、立ち上がって与那国さんに軽く礼をした。与那国さんが影に歩み寄る。未練などないかのように、影は目を閉じ、安らかにこうべを垂れていた。


大きく振りかぶられた閃く白刃。その刀身が勢いよく振り下ろされ、おぼろげな体を両断した。


しだいに斬られた体は崩れ、淡い光となって瓦解していく。崩れ去っていくその間際、一瞬だけ見えたその表情は、とても穏やかであった。


魂なのだろうか、無数の光球が舞い上がり、天へと昇っていく。その幻想的な幕引きは次第に姿をかすませ、ついに完全に消え去った。


それを見届けた後、無意識のうちに手を合わせ、この世を旅立った肉親への冥福を祈っていた。




ーーーーーーーーーー




あの出来事から数か月経った。


母をあっちに送ってあげてからの数日は何ら問題なく過ぎていき、あっという間に一か月の雇用期間が終わったのだ。


与那国さんの目の調子もすっかり回復したようで、上機嫌な様子で、少しばかりにやけてしまうほどの厚みを感じる給料袋と事務所の名刺を渡してきた。



『法に触れちゃった時でなくても、気軽に遊びに来ていいからね!』



正直給料の額なんて二の次だった。


有象無象のバイトなんかじゃ出来るはずもない。苦悩を分かち合えた、貴重な経験をした、死者と生者の在り方を、自分を見直す大きなきっかけになった。


俺は与那国さんに別れを告げて、しばしバイト漬けの日々から脱することができた。


久々のいとま。多忙故に手の付けられなかった趣味や娯楽に時間を使い、時折こうして墓参りに来ている。



「・・・・・・。」



合わせていた手を離し、墓石に刻まれた文字を見やる。


ふと、一足先に旅立った家族のことが気になった。


成仏したのちは何があるのだろうか。天国か、輪廻か、あるいは無か。


そこで両親は巡り合えたのだろうか、互いに語らい、笑いあっているのだろうか。


少なくとも、今はそうやって思いを馳せることしかできない。だが最期のあの安らかな顔を見ればきっと、心地よい眠りにつけたのだろうと思う。


だが答えを知るのはまだ先だ。まだ生きている、まだこの世に俺は存在している。


悔いのないように、少しでも良い土産話でも持っていけるように、俺はまだ生者でありつづける。



だから楽しみにしていてくれ。また家族で一緒になろう。



俺は綺麗に磨かれた墓石を背にし、ゆっくりと歩き去っていった。

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