儚き旋律

第1話 静かな炎の始まり

スタジオの壁に沿って張られた鏡は、昼間の喧騒を吸い込んだかのように静かだった。わずかに軋む木の床が、彼女のトウシューズの動きに応じて不規則な音を立てる。

キャロラインは呼吸を整えながら、リハーサルの動きを再現していた。今夜の誰もいないこの空間が、彼女にとって唯一の安らぎだった。

彼女は時計をちらりと見る。「あと15分だけ……」と自分に言い聞かせ、再びポジションを取り直す。

「動きが足りない。もっと引き上げて……」

彼女の内なる声が叱咤する。鏡の中で自分を睨み返すその顔には、疲労と情熱が混じっていた。

突然、スタジオのドアが開く音が響いた。キャロラインの動きが止まり、振り返ると、そこには新しい振付師のルカ・デリヴォが立っていた。

「君、こんな時間にまだ練習しているのか？」

彼の声は低く、深い響きを持ち、スタジオの空気を震わせた。

キャロラインは、ルカの鋭い視線を感じながら、軽く息を飲んだ。彼の黒いシャツは胸元まで開いていて、頬にかかる短い髪が少し乱れている。

「はい、もっと動きを完璧にしたくて。」

彼女はできるだけ冷静に答えたが、心臓が早鐘を打つ音を聞かれるのではないかと感じていた。

ルカはゆっくりと彼女に近づき、距離を詰める。その視線は彼女を読み取ろうとしているかのようだった。

「君の踊りは繊細だ。しかし、繊細すぎると心を動かせない。」

彼は厳しくも優しい声で言い、彼女の手をそっと取った。

「こんな柔らかい指先で、もっと人の心を掴む動きができるはずだ。」

彼の手が彼女の指をなぞる感覚に、キャロラインは無意識に息を止めた。

ルカは床に置かれた小さなスピーカーから音楽を流し始めた。低いピアノの旋律が空間に広がり、彼の指示でキャロラインは動きを再現する。

「もっと大胆に動いてみろ。自分を隠すな。」

ルカが後ろから彼女の腰に軽く手を添え、動きを修正する。彼の指の熱が薄い練習着を通して伝わり、キャロラインの体温をわずかに上昇させた。

彼女の踊りは次第に流れるようになり、音楽に身を委ねる感覚が蘇ってきた。しかし、彼の近さ、そしてその手が肌をなぞるように触れるたび、集中が乱れそうになる。

「ほら、もっと高く、もっと自分を解放して。」

彼の囁きが耳元で響き、キャロラインは自分の体が微かに震えるのを感じた。

音楽が止まり、キャロラインは動きを終える。息が上がり、汗が額を伝って落ちるのを感じた。

ルカは彼女をじっと見つめ、片方の眉を上げて微笑む。

「まあまあだな。けれど、君にはもっと深い何かがある。見つけるのは君次第だ。」

彼は短くそう言い残し、スタジオを去ろうとした。

「待ってください！」

キャロラインは反射的に彼を呼び止めた。

「私は……本当にもっと良くなれるでしょうか？」

その声には、不安と希望が混じっていた。

振り返ったルカは、真剣な眼差しで彼女を見つめる。そして、ゆっくりと答えた。

「君には炎がある。その炎を恐れずに解き放つことができたら、君の踊りは誰も真似できないものになるだろう。」

キャロラインはその言葉に深い感銘を受けた。同時に、彼の視線の中に何か危険なものを感じていた。

彼が去った後も、キャロラインの心臓は激しく鼓動を続けていた。彼の手の感触、声の響き、そしてあの視線。

彼女は鏡の中の自分を見つめながら、呟いた。

「彼は……一体どんな人なの？」

キャロラインの胸の中には、まだ小さな炎が静かに燃え続けていた。