終わり、そして始まり
ハルちゃんがスマホを操作してから程なくしてシロちゃんは現れた。カフェに入ってきたシロちゃんは傍目からも分かるほど息が上がっていて、周りの人が何事かとこちらを見ていた。
「は、はやかったね。シロちゃん」
「はっ、はあ。頑張って、走ってきた。それで、話って」
「あかねっちから直接聞いてもらった方が早いだろうから、あかねっち、お願い」
息の乱れたシロちゃんからの質問をハルちゃんは私に振ってきた。ただ、そう言われてもまだ事情が上手く飲み込めていない私としては何と言えばよいか分からなかった。
「そう言われても何がなんだか」
「さっき言ったことをそのまま言ってくれればいいよ。ほら、僕と麻白が?」
「ああ、付き合ってるんでしょ?」
私がそう言うと、シロちゃんはその可愛らしい顔をきょとんとさせた。いつも冷静なシロちゃんにしては珍しい驚いた表情だった。
「ん? わたしとハルが?」
なぜか、ハルちゃんと同じ反応だった。あれ? 二人は付き合ってないの? だって言ってたよね? 私がそう疑問に思っていると、シロちゃんもそう思ったようで、ハルちゃんに質問をしていた。
「ハル、どういうこと?」
「僕も分からないんだ。あかねっちがどうしてそんな風に思ったか」
「違うの?」
「……ここで、話すようなことでもない。あかね、家に行ってもいい?」
「えっ、まあいいけど」
少しだけ残っていた冷たいココアを流し込み、私たちは微妙な雰囲気のまま、三人で私の家まで帰る。帰っている途中、私たちの間に会話はなかった。私はどうしてか家まで続くその道が、いつもと違って見えて仕方がなかった。
家に着き、ただいまの挨拶とともに玄関の扉を開ける。すると、ママは奥から出てきて私を出迎えてきた。
「おかえりなさい。あら、ハルちゃんに麻白ちゃん」
「「おじゃまします」」
「いらっしゃい。——あかね、ママは今から買い物行ってくるからお留守番よろしくね」
「分かった。じゃあ、二人とも上に行こう」
さて、私の部屋に着いたはいいものの、私はまだ全く状況が理解できていなかった。二人は少し悲しそうな雰囲気を漂わせており、私が何か二人を傷つけてしまったということはなんとなく伝わってきていた。
そんな中沈黙を破ったのは、比較的冷静さを保っているシロちゃんだった。
「まず初めに、わたしはハルと付き合っていない」
「えっ、でも、二人は付き合っているって」
意味が分からなかった。じゃあ、二人は私に嘘をついていたのか? いや、そんな風には聞こえなかった。一体どういうことだ。私の疑問にハルちゃんが普段よりトーンを落とした声で答える。
「僕たちはあかねと付き合っているつもりだったんだ」
……えっ? 今なんて?
「おかしいとは思っていた。あかねはわざわざ確認するようなことはしないと」
「えっ、ちょ、ちょっと待って。じゃあ、二人は付き合っているって聞いたときにうんって答えたのは」
「当然、あかねと付き合っているという意味で答えた」
「うん、僕も同じく」
えっと、つまりハルちゃんたちは、私の言った”二人は付き合っているんでしょ”っていうのを、”二人は私と付き合っているんでしょ”っていう風に思ったってこと?
「わ、私、ハルちゃんたちと付き合ってたの?」
「幼稚園のころに、あかねっちが言ったんだよ。大きくなったら結婚しようって。だからそのときから恋人になったものだとばかり」
……全然覚えてないけど、そういえば言ったような気もする。ほら、小さいときってそういうとこあるじゃん? 私が誰彼構わずそんなことを言うような子だったとは思いたくないが、ハルちゃんたちになら確かに言いそうではあった。
「で、でもそれは小さいときの約束でしょ? それに今はハルちゃんたちの方が仲良いんじゃない?」
「それも、あかねが言った」
「へ?」
また私が言ったの? 小さい頃の私、本当に何してたの?
「二人が仲良くしないなら二人とも嫌いになる、なんてあかねが言うから仲良くするしかなかった。でなければ、こんな……」
「何でよ、ひどくない? 僕はあんなに歩み寄ってあげたのに。……僕だっていやだよ。あかねっちが言わなきゃ絶交してたね」
ええ、知らなかった。あんなに仲良しだと思っていたのに。私が衝撃を受けているうちに、二人の口論はどんどんヒートアップしていき、収拾がつかなくなりそうだった。
「ふ、二人とも、仲良くしてほしいな」
私が一言そう言えば、二人の言い争いはピタリと収まり、それでも、二人は互いに背を向け合って言った。
「あかねがそう言うなら」
「僕は仲良くしようとしてるさ」
ずっと二人と一緒にいたけど、まさかこんな風に口げんかするような仲だとは思わなかった。……いや、でも二人とも他の人とこんな口げんかすることなんて見たことないから、これはこれで仲が良いのか? なんて思っていると、話はどんどんと進んでいく。
「あかねがわたしたちとの約束を忘れていたことは正直悲しい」
「僕もそれは同意見」
「うっ、それは本当にごめん」
それに関しては完全に私が悪い。だからか、ハルちゃんが悲しそうにしていたのは。ハルちゃんたちの言葉には、私を責めるようなニュアンスは感じられなかった。ただただ、忘れられていたことが残念で仕方がないといった気持ちが、二人から感じ取れた。だからこそ、余計に心が痛んだ。こんな大事なことを忘れていた自分が情けなかった。
「……でも、確かに付き合おうなどとは言っていなかった。それはわたしとハルの落ち度でもある」
私がハルちゃんたちの代わりに自分で自分を責めていると、シロちゃんがそうフォローを入れてくれた。はは、こんなときでもシロちゃんは優しいな。
「だから、これからはちゃんとしたい。うやむやにせずちゃんと」
真剣な表情で見つめるハルちゃん。その目は確かな熱を持っていた。私はそれと同じだけの熱を返せるか分からず、曖昧な返事をしてしまう。
「わ、私なんかよりもずっといい人はいるんじゃないかなあ。ほら、きっと好きの裏返しで意地悪しちゃうだけで、ホントはお互いに好き同士なんじゃない?」
「いや、それはない」
「僕も麻白はやだ」
即答だった。本当にあんまり良い相性じゃないのかな? 二人ともあれだけ、仲良さそうに見えたのに。考えてみたら、私は私がいないときの二人をよく知らない。あの時ももしかしたら私の勘違いだったのかも。
「それに、なんかじゃない。あかねっちだからいいの。僕を救ってくれたあかねっちだから」
「わたしも、あかね以外いらない」
いつの間に私はハルちゃんを救ったのだろう。むしろ、私の方がハルちゃんたちに助けられてきたというのに。ただ、力強く言い切る彼女たちの言葉には確かな意味があった。
その方面で攻めるのはもう難しそうだった。それでも私は素直に受け入れられなかった。私は知っている、私はそこまで上等な人間でないことを。だから、私はなんとか逃げ道を探してしまう。
「……あっ、でもさ、それじゃ二股ってことだよね。それは二人に申し訳ないなって」
「その葛藤はすでに克服した」
葛藤って。……まあそっか、二人からしてみればもうずっと私と付き合っていたことになるんだもんね。凡人の私がすぐに思いつくような反論なんて、当然乗り越えているよね。
「あかねっちが僕らのことが嫌いなら振ってくれていい。でも、もしそうじゃないなら恋人になってほしい」
「あかね。結婚を前提に付き合ってほしい。というか、付き合わないとだめ。もう約束した」
二人からの熱烈なアプローチに私はどう返せばいいか、分からなかった。もはや私がそれを断る理由は、私の気持ちしかなくなった。実際私はどう思っているんだろうか? 嫌ではない。むしろ嬉しく思っているはず。ただ、それは果たしてそれが好きという感情なのか、愛という想いなのか。私には分からなかった。
二人はあまりに、あまりに、私とは違う人間だった。片やスポーツの天才、片や勉学の天才。誰からも憧れ、尊敬される人たちだ。天高く輝きを放つ、まるで太陽や月のような、そんな存在だった。
対する私はといえば、何も持ち合わせていなかった。自分が何もできないとは思わない。ただ、自分が何かできるとも思えない。光ることのない、ただの人だ。
昔はそれで良かった。何も考えずに、二人と楽しく過ごせればそれでいいと思っていた。今はもう違う。二人との差を知ってしまった。埋めようのない壮絶な差を私は知ってしまったのだ。
普段はそこまで考えない、いや考えないようにしていると言っても良かった。だって、そうでしょう? 直視するにはどこまでも眩しい光なのだから。
今だって思ってしまう。二人に告白されて嬉しいのは、優秀な二人が自分を求めてくれているからなのでは、と。自分の醜さが恥ずかしかった。それでも、きっと私が私自身を貶めるのを彼女たちは快く思わないだろうから。
こんな私の返事を彼女たちは待ってくれていた。断ることもできた。だけど、それすらも私は選べなかった。いつかきっと、私がいらないと気づく日が来るのだろう。そのときが来るまで、一緒にいよう。それが私の役割だ。
「……分かった。でも、一日だけ待ってほしい。ちょっとだけ、整理する時間が欲しい」
そう決意したのに、私の覚悟はまだ決まってくれなくて、最後の最後まで日和ってしまう。私らしいなと心の中で自嘲した。
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