学都のレンリ


 列車強盗事件に巻き込まれた翌朝。

 レンリは昨夜遅くに到着した叔父の屋敷の二階にある客間で目覚めました。



「ああ、よく寝た」



 柔らかい羽毛のベッドはとても寝心地が良かったようです。

 昨日は事件に巻き込まれた上に事情聴取に付き合わされ、到着したのは日付が変わった後だったのですが、余程よく眠れたのか疲れは残っていない様子。



「何か、夢を見たような……? まあ、いいか」



 夢を見たことは覚えていても、その内容は全く思い出せないということは珍しくありません。

 レンリも深く気にすることなく思考を切り替えました。


 まずは、パジャマ姿のまま客間の近くにある洗面所で洗顔と髪の手入れ。

 今日は珍しく頑固な寝癖もほとんどついておらず、軽く櫛を通しただけで人前に出られるような格好になりました。



 髪を整えたら客間に戻り、床の上に広げた旅行鞄を前にしばし黙考。

 いくらマイペースが服を着て歩いているようなレンリといえど、実家ならともかく、人様の家でパジャマのまま過ごす気はないようです。


 お気に入りのジャケットとズボンは昨日の食堂車の騒ぎで濡れてしまい、まだ乾いていません。

 なので、本日は丈の長いワンピースとカーディガンの組み合わせを選択しました。

 昨日とは打って変わっていかにも女の子らしい装いです。口を開かなければ、まるで良家のお嬢様のよう。いえ、実際には「まるで」ではなく、そのものズバリなのですが。



 ともあれ、身支度を済ませたレンリは一階へと向かいました。

 昨夜は遅かったので、客間周辺の最低限の間取りしか把握していません。

 階段を下りた先は広間になっていて、食堂や書斎や書庫へと繋がっています。


 レンリが広間の窓に目を向けると、庭に突き出したテラスに叔父の姿を見つけました。

 どうやら安楽椅子に座り、何かを熱心に読んでいるようです。



「おはようございます、マールス叔父様」


「やあ、おはよう、レン。よく眠れたかい?」


「ええ、おかげさまでぐっすりです」



 普段なら夜更かしをして昼近くまで寝ているのがレンリの常なのですが、昨晩は流石に疲れていたのかすぐに床に就き、いつもよりかなり早く目が覚めていました。

 今日に限って寝癖が素直だったのは、そのおかげかもしれません。


 レンリの叔父、母の弟であるマールスは三十代半ばで独身。

 背丈は平均以上に高いですが全体的にひょろりと細長い体格で、かけている眼鏡の印象も相まって、どちらかというと柔和な雰囲気。

 一見した印象では頼りなくも見えますが、これで植物魔法の分野では名が通った研究者でもあるのです。


 彼はレンリに対し、親しげに話題を切り出しました。



「昨日は詳しく聞けなかったけど、列車の事件は大変だったみたいだね」


「ええ……いえ、事件自体はそうでもなかったんですけれど、その後の事情聴取のほうが大変で」



 マールスは姪の身を気遣いながらも、その口振りはどことなく楽しそうです。

 昨日の大事件も、無関係の人間からしたら絶好の話の種でしかないのかもしれません。



「新聞でもその話題で持ちきりだよ。ほら見てご覧」



 彼は読んでいた新聞の記事を指差し、レンリも椅子の後ろから覗きこみました。



『グランニュート号事件の全貌!』

『独占、事件関係者インタビュー』

『鉄道会社側の見解についての当誌記者の見解』

『脅威! グリフォンライダーは実在した!?』

『犯人の懸賞金は一人当たり金貨百二十枚(※注意、生け捕りのみ)』

『犯人一味の足取りは不明。学都方面騎士団は有力な捜査情報を求めています』



 ……等々、記事には様々な事が、根拠不明の憶測や怪しげな噂も含め書かれています。

 全部で六面のうち、一面から四面までビッシリと昨日の事件関係の記事で占められているあたり、相当に注目を集めているのでしょう。



「へえ……人死にが出たわけでもないのに、懸賞金の額がすごいですね」



 金貨百二十枚というと、中流階級の一家族が二年は悠々暮らせる大金です。

 厳密には金貨にも、発行している国や金の含有量によって価値に多少のバラつきがあるのですが、いずれにせよ大金には違いありません。



「鉄道会社にも面子があるんだろう。創業以来の大事件だからね。記事によると騎士団にかけあって賞金の提供を申し出たそうだよ」



 そう言ってマールスは新聞のページをめくって別の記事を指差しました。

 出所不明の怪しげな記事が多い中で、その懸賞金の記事にはしっかりと情報源である鉄道会社の関係者の名前が載っています。

 記事によると、迷宮都市在住の鉄道会社大幹部が事件を把握した昨日の時点で、即座にポケットマネーでの賞金の提供を指示したのだとか。



「レンは犯人の顔を見たんだろう。どうだい、一緒に狐狩りでも?」


「ふむ、賞金は魅力的ですけれど……謹んでお断りいいたします。それに、鷲獅子グリフォンに乗って逃げたのなら、とっくに学都アカデミアから離れているでしょうし」


「ま、そうだろうね。逃げるとしたら南の首都方面か、北西の迷宮都市か……どっちにしろ、犯人が真っ当な神経をしていたら、もうこの辺りにはいないだろうさ」




 そんな風にマールスとレンリが事件の話で盛り上がっていると、



「先生。レンリさんも、朝食の支度ができましたよ」



 エプロン姿の女性が二人に声をかけてきました。

 見た目の年齢は二十代の前半から半ば。

 長いライトブラウンの髪を太い三つ編みにして身体の前に垂らしています。



「ああ、ありがとう、アルマ。ここだけ読み終わったらすぐに行くから」


「ダメですよ、そう言っていつも来ないんですから。お食事が冷める前にいらしてくださいな」



 どうやらマールスは、このアルマという女性には頭が上がらないようです。抵抗する様子もなく新聞を折りたたんで、サイドテーブルに置きました。



「叔父様、こちらの方は?」



 二人の関係が気になったレンリはマールスに尋ねてみました。



「ああ、昨日はちゃんと紹介できなかったからね。彼女はアルマといって、僕の……弟子?」


「なんで疑問形なんですか、先生! レンリさん、わたしから説明しますね」



 アルマ女史曰く……植物魔法の研究者であるマールスには何人かの弟子がいるのですが、あまりにも生活能力に欠ける師を見かねて、昨年頃から彼女が住み込みで家事手伝いをしているのだとか。

 まだまだ学都アカデミアの地価の安い頃に移住して広い土地と建物を確保したマールスの先見の明は見事なものでしたが、彼にはその建物を管理維持する能力がまるで欠けていたのです。

 


「先生ったら、放っておくと食事も着替えもしないで何日も過ごすんですもの。わたしが来るまで一回も掃除をしたことがないって聞いた時は、箒で頭を引っぱたいてやりましたとも!」


「いやぁ、はっはっは、面目ない」


「ははっ、叔父様は相変わらずですね」

 


 レンリとマールスが顔を合わせるのは久しぶりだったのですが、どうやら以前から彼はこの調子だったようです。


 ちなみに「何日も食事も着替えもしない」という点に関しては、レンリも人のことは強く言えませんし、親族の大半にも似たような悪癖があったりします。

 一族揃って、良くも悪くも物事にのめり込み過ぎる研究者気質の者ばかりなのです。







 ◆◆◆







 この日の朝食は、まずカリカリに焼いたベーコンと目玉焼き。

 新鮮な野菜を酸味のあるドレッシングで和えたサラダ。

 トウモロコシの甘いポタージュスープ。

 パンは職人街の店から届けてもらったばかりの焼き立てで、デザートは摘み立てのイチゴ。

 飲み物は温かい紅茶。

 種類だけ見れば普通ですが、とても三人分とは思えないような大量の朝食が、食堂のテーブルの上で湯気を立てていました。



「美味しそうですね。これは全部アルマさんが?」


「パン以外はそうですよ。まあ、所詮は素人料理ですけど量だけはたっぷりありますから」


「いやいや、アルマの料理の腕はなかなか大した物なんだよ」



 三人は席に着き、



「「「いただきます」」」



 猛烈な勢いで食べ始めました。


 素人料理と謙遜してはいましたが、どうやらアルマは結構な料理上手のようです。

 目玉焼きの黄身はレンリ好みの半熟ですし、サラダに和えられているドレッシングの酸味もほどよく食欲を刺激します。どうやら酢や油に柑橘の汁を混ぜてあるようです。


 脂が抜けてサクサクの食感になったベーコンを玉子の黄身に絡めて食べると、肉の塩気がほどよく和らぎ、これがまた実に美味しい。

 それぞれを単品で食べても充分に美味ですが、パンに乗せたり挟んだりしても絶品です。



「このパン、美味しいですね」



 レンリはパンの味が気に入ったようで、ベーコンと目玉焼きとサラダを挟んだ即席サンドイッチに舌鼓を打っていました。少しお行儀が悪いですが、他の二人も同じようにして食べています。



「職人街のお店に頼んで毎朝届けてもらってるんですよ」


「『若草亭』っていうんだけどね、そこが昼に出しているハムのサンドイッチが絶品なんだ。分厚いハムステーキを挟んだのと、薄切りのハムをこれでもかと挟んだやつの二種類あってね。いつもすぐに売り切れるから、僕らもなかなか買えないんだ」


「ほう、それは興味深いですね。職人街の『若草亭』……と」



 どうやらマールスはレンリに勝るとも劣らないほどの健啖家のようで、細身の身体のどこに入っていくのか不思議なほどに、パンやスープを次々と口に運んでいます。レンリ曰く、「自分は親族の中では少食なほう」だということですが、それは真実だったようです。

 ちなみに常日頃から彼の食べっぷりを見慣れているせいか、その身内であるレンリの食欲を目の当たりにしてもアルマは平然としていました。



「レンリさん、お茶のおかわりはいかが?」


「いただきます。ところで叔父様、この茶葉はもしかすると?」


「ああ、うちで実験用に育てたやつだよ。イチゴもね」



 植物魔法の研究分野には作物の品種改良も含まれます。

 通常は気長に品種交配を繰り返して行うのですが、魔力や様々な触媒を用いる事により普通の方法では有り得ないほどに収穫量を増やしたり、熟練の術者であれば狙った薬効を持たせたりすることも可能です。

 なので、こうして実際に収穫物を食べてみて、風味や品質に問題がないかを確認するのも研究の一環なのです。



「これは病害への耐性と成長速度を強化した葉だったね。うん、悪くない出来だけど、香りの点では魔界産の一級葉にはまだ敵わないな。次は少し肥料の配合を変えてみるか……いや、土の水分量を減らして……」



 ついつい研究者の血が騒いで、朝食の話から脱線しかけたマールスですが、



「先生。食事中はお仕事の話はしないようにって、いつも言っていますよね?」


「あ、うん、ごめんごめん。僕が悪かったから箒で頭を殴るのは勘弁してください」


「試食用は別に取ってありますから、後で皆が来てからゆっくり検証しましょうね」



 アルマがニッコリと微笑むと彼は即座にペコペコと謝りました。

 師匠と弟子の間柄にしては随分と低姿勢ですが、その姿が妙に似合っています。

 この様子だと、本当に箒で殴られたことが一度ならずあるのでしょう。







 ◆◆◆







「レン、この後はどうするんだい? 早速迷宮に?」


 賑やかな朝食を終えると、マールスはレンリに本日の予定を尋ねました。



「いえ、ひとまずは買い物でもしながら街に慣れておこうかな、と」


「うん、慎重なのは良いことだよ。しばらくは観光でもしてゆっくりしたまえ。ああ、すぐ先の角に乗合馬車オムニバスの停留所があるから、中央街に向かうなら使うといいよ」



 レンリは屋敷を出ると、叔父の助言に従って停留所から乗合馬車オムニバスに乗り込みました。学都では一般的な、ハシゴで登る屋根上の二階席と、側面の扉から出入りする一階席が両方ある種類です。


 二階に上がったほうが見晴らしは良さそうなのですが、今日はスカートなので自重。

 レンリは御者に料金を渡すと、先客の傭兵風のドワーフとエルフの少女に軽く会釈をしてから一階席に座りました。


 座席の座り心地はなかなか良好。

 乗合馬車というものは御者の腕か路面の状態が悪いと酷く揺れ、酔って気持ちが悪くなったり、座っているお尻が痛くなってくることもあるのですが今回はその心配はなさそうです。


 ふと車窓から街の風景に目をやると、様々な種族の人々が行き交っているのが見えました。

 一番多いのはレンリのような人間種ですが、同乗している彼らのようなドワーフやエルフ、頭にツノの生えた鬼種や獣人種などの魔族もいるようです。


 近年は交通網の発達もあり、レンリの故郷であるA国の王都でも人間種以外の種族を見かける事が増えてきましたが、まだまだ学都ほどではありません。街を行く人々を見ているだけでも当分退屈せずに済みそうです。



「そういえば、ここは迷宮都市が近いのだっけ」



 近くにある(とはいえ、列車で半日近くかかりますが)迷宮都市は魔界との境界でもある為に、学都を遥かに超える人種の坩堝として知られています。

 機会があれば、学都滞在中にそちらまで足を伸ばしてみるのも面白いかもしれない。

 レンリが心の片隅でそんなことを考えていると、



「おや? 彼はたしか昨日の……」



 学都中央街の冒険者ギルド前にて、車窓の外に見覚えのある顔を見つけました。


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