第二章第一節:虐殺の光(Das Licht de ”ATOM”)

第六話:残酷な光で黒く輝く(Schwarz leuchtendes, grausames Licht.)(Ⅰ)

 ──統合ドイツ共和国、上空約千四百メートル。


 機械的な、それでいて工業的な硬く軋む音を立てて飛行する隠密大型飛行艇の全幅は八十メートル。黒い、まるで絶滅危惧二類の”エイ”のような、主に生きた筋肉組織──人造の培養筋肉で出来た外見に、下部に大型のコンテナを搭載したそれは、その大きさもさることながら、その巨体をものともせず高速で飛行している。

「起動コード、七、八、二、六──」

[──起動コードの認証確認。メインシステム、起動]

 前方のモニターに表示されている情報によると、気温は三十四度、湿度は八十四パーセントらしい。

[……各種動作チェック……電圧、油圧、GISシステム異常なし。

 ──インジケーター表示……正常展開完了。続いて──]

 そんな猛暑の中、旧式の七十八式フレーム正常動作服フ レ ー ム ス ー ツに身を包む人型の──否、人達。

「──網膜投影、スタート」

[スタートします。……網膜投影、開始]

 正確には、手脚や背中に重装甲の騎士の鎧のような、いかにも重そうな装甲や各部、主に背部にある推進機関などを纏った、四人の隊員たちと一人の隊長──私だ。

 それぞれの手は私のようにブレードを握る者もあれば、大型のライフル銃を装備しているものもいる。

[網膜投影及び全システムの正常動作を確認。]


「戦局はこちらが不利……と見たほうがいいんですかね……?」


 システムの起動シークエンスが完了すると、ふと、訝しげに話す声。声の主である、赤い髪のショートボブと、隊の中では一番低い背が特徴的なエレナは、飛行艇に備え付けられた大型モニターを見ながら震えた声で話す。件のモニターには、カラー配色の淡いサーモカメラ映像のような景色が映っている。


 ──ドイツ南東のザールラント州の駐屯地および早期警戒管制機からの情報によると、どうやら高高度上空において第八帝政軍のものと思われる大型のステルス輸送機が領空内に侵入したとのこと。ここまでならスクランブル発進と通信による呼びかけ程度で済むかもしれないと思うかもしれないが、事が重大戦争中な為にこうして対応せざるを得ない状況なのである。


 ただ、問題は”その敵が何機いるのか解らない”、即ち開始前から情報面に対して不利という点だ。


 我が国の技術は慢性的に劣っている。それは散っていった者たちが多いからというわけではない。昨今の非戦争主義やもともとの少子高齢化の浸透・拡大、そして統合前の東西の政策により、兵士、それに準じて管制員や技術開発者を志願する人間がそもそも減っているのである。

 ここに前回の被害と休職などの兵士の数も合わさり、その兵力不足は更に顕著になっている。


「しかも、よりによってこのタイミングで相手側から仕掛けてくるなんて……」

 きっと、何かあるに違いないわ……と、俯き加減で話し始めるレンカ。

 ストラスブール基地での戦闘からしばらく日は空いたが、それでも一か月未満だ。続けざまに侵攻ができなかったのは、様々な意見があり定かではないが、どちらにせよ、右肩上がりだった嫌仏感情が今は減少の一途をたどり、かえって軍への不満をあらわにするものも少なくない。


 そして現在向かっている我が軍の戦力は、大きく分けると四つに分かれている。詳細は、先ずストラスブールと向かい合うゲンゲンバッハ駐屯地を起点とした方面へと向かう戦力、そしてそれより北に位置するマンハイム地域南方を起点とする戦力、万が一の強襲を阻止するための、これらより東側に幾重にも張られた防衛用戦力。そして最後に、ベルギー、ルクセンブルグの二方面へ即座にアプローチできる戦力である。


 なぜ第八帝政以外の国家にもアプローチできるように分散したかというと、これは聞くところだと司令の発案らしく、彼曰く「最悪の形で事が進むのであれば、帝政軍は”コネ”を使ってくるだろう」という事らしい。


 ”コネ”


 第八帝政と軍事的な結びつきの強い可能性を示唆されている、中小規模の二国家。彼らまで敵側に参戦してくると、ますます分が悪くなるのは周知の事実だ。

 そうならないことを切に祈るばかりだが、時としてそれは残酷な運命をたどる。


 ”『……結果は誰にもわからない。自分が正しいと思って進んだ道や選択が、大切な事柄を虹の彼方まで遠ざけてしまう要因にもなるかもしれないのだから。

 だが、恐れてはならない。

 人とは生来”失い続ける者”であり、それら失ったものを覚え続けるのは大いに構わない。が、その場で地団太を踏み続けているのは、即ち彼らの顔に糞尿を浴びせているのと変わりはない。

 だからこそ強く、そして確実に前へと、落ち着いて一歩ずつ歩いていくのが”生者”たる私達の存在意義なのだよ──』”


 ──だからこそ、お前が選ぶんだ。エルザ


 かつての上司の言葉が脳裏によみがえる。いまこの場で私たちができるのは領空侵犯を犯した第八帝政軍への対応と調査だ。

 そう思考をめぐらすと、ゆっくりと深呼吸をして呼吸を整える。


「……考えるだけ無駄な話かと。命令に猜疑心を抱くのは、とてもじゃないがナンセンスだ。レンカ兵長」「そう、ですか……」

 顔を上げると、向かい側で心配げな表情を浮かべるレンカに、「……それに観測主だとしても、事実、貴方は兵士長であり、ここには貴方の相方もいる。だからこそ、エレナ上等兵彼 女の前で弱い顔はしてはいけない」と、柔和な表情で諭すタカマサ。


「──フンッ」


 その光景を見ていると、隣にいる、私と同じ指揮官機を纏っているスヴェンが私にだけ聴こえるようなボリュームで鼻を鳴らす。ちらりと横目を使うと、相変わらずの”すました顔”と怜悧な視線でそんな二人を冷たく一瞥していた。

(こいつ……)


 ──統合ドイツ国防軍、第一特殊先遣隊。


 またの名を”殺人マニアの集まり”。

 ドイツ統合以前の時代に東側から渡ってきた、我が国の誰よりも、確実に人を殺すスキルを磨き上げた、対人戦闘人殺しのプロフェッショナル達で、事実無根の国内最強の対人部隊。

 かつての同僚のワイスの情報によると、その場で不必要と判断された者はその場で射殺もしくは静かに灯を下ろし、その仲間の死体はその場で化学物質で溶かされ、存在を抹消されるという。

 彼らには仲間意識というものは存在しえないのだ。


 ──そんなおぞましい部隊出身の人物が、何故私達と行動を共にするのかは司令ら上層部か閣僚しか知らない事柄だが、少なくとも実力は確かではあるのは確実だ。

(さすがに背中からは撃ってこないとは思うが……)

 いくら畏怖の象徴であり、とうの昔に倫理観の壊れている彼らでも、最低限の道理はあるはずだろう。然しながら一つ、私が新たに配属された新設部隊の決定的な”穴”というのは、これ以外にも幾つか存在する。


 その最たる例が、圧倒的な”使用戦術の相違”である。


 ドイツの基本戦術は、一言で言うと”堅実”だ。複数の隊・班単位の人数で一機または二機を連携しながら確実に戦闘不能にする。

 私が元いた航空部隊は”〇番隊”と呼ばれ、数少ない特殊装備の使用を優先的に許可された、現在で言うなら特殊兵器運用部隊の立ち位置になる。

 そこで使用されていた戦術は前述の堅実的な戦術とは違う。連携的な側面では同じと言えるが、これは特殊装備の種類によって異なり、また連携する隊・班数もその場その場で違う。


 その為、私自身もこの部隊でうまく連携を取れるかが不安であるし、また指揮官としてまともに機能するかも不明瞭だ。十年近くこの職には就いてはいるが、心配事は年々増加しているのが現実で、それはこの戦争についても例外ではない。


 そしてそれは、もともと先遣隊にいたスヴェンや、陸上部隊出身のタカマサをはじめとした部下たちにも言えることで、この問題はそうやすやすと解決できることではないことが、事実無根の回答として出すことができる。


「──エルザさん?」


 そしてこの、統合ドイツ国防軍試作機体運用実験ヤ グ ン ド部隊という新設の部隊。


 事実上の総指揮を執るヘルガ主任によれば、名目上は開発計画に則った試作機体群の各種テストが主目標となるが、一応特務遊撃隊としての側面も持っている。

 これにより、特殊先遣隊のような”どの軍部にも無所属”な部隊として、周囲に認知されている。だが──


 ──”首輪付きハオスティーア


 それは”技術開発局の飼い犬”という意味で、私達が周囲に認知されてからすぐについた言葉だ。

 正直この言葉を初めて聴いたときは、居合わせた上等兵エレナの心情と同じく不快であったし、その際に彼女が言っていた『私達は国の発展の為にやってるのに』という言葉に深く共感した。


 そしてヤグンド部隊の本命は、国の防衛力、即ち”守り人”である国防軍の強化を図ることであり、それは同時に凡庸的な”エゴイズム的な考え”で成り立つ物ではないのだ。


「……大尉? そろそろ時間ですよ」

 特徴的な壮年の男性の声──タカマサは不思議そうにこちらを見ながら、複数の機上輸送管理担当ロードマスターやスタッフに航空戦用の武骨な酸素マスクセットを装着される。

 任務前に生身の上から着る、高高度内での運用及び急加減速に耐えうる黒のフレームスーツと、酸素マスクなどのアクセサリーを装着する為の顎当て類、そして我々の小さい墓標であるドッグタグをそれたらしめている、金属の冷たい温度を直に感じながら「あぁ、了解した」と素早く意識を切り替える。



『本機の指定座標に到達までおよそ三百を切りました』

『──我が輸送機の周囲に、敵対物なし。

 合図で、前方ハッチ及び簡易カタパルトを展開する。

 ブリーフィングの通り、全機射出ののち、直ちに事態の調査を開始しろ』


 意識を元に戻すと同時に、目標距離に入ったことを知らせる機長らの淡々とした声が入る。

「いよいよ……ですね」

 向かい側の隅にいるエレナは私を視ながら、「元狙撃班の一人として、最大限の尽力を尽くすつもりではありますが……」とどこか弱弱しい声色で、自身の得物の大型狙撃銃、その銃身下部のレイルを摩る。


「──引き締めが足りないぞ、上等兵」


 私は目を細めると、敢えて低く、厳しい口調で隊内最年少の女性兵士を叱咤する。

「私達の役目は調査で終わるものではない。これは敵国によって生じたスクランブルで、それは文字通り”領空への侵入を許した”ことであり、同時に我々”守り人”の失態だ。

 そんな弱腰ではサレンダー共第八帝政軍に足元をすくわれる羽目になる。

 上等兵、今の失言で貴君は一度彼らに撃墜されているぞ。……弱腰は見せるな。絶対に、絶対にだ」


「……解りました。以後、慎みます」

 上等兵──エレナは深く深呼吸すると、ゆっくりと顔を上げる。そこには先ほどとは顔色が違う彼女の姿があり、私は「それで良い」と一言呟く。


 これに限らず、慢心や怠惰、動揺や発狂等は任務・勤務中は極力隠し、潰し、そしてこれらプライベートで吐露した方が良い。それらを隠し通せないものはこの先の地獄には耐えることはできないからだ。


 日頃の戦闘前感情調整フィール・マスキングの所為もあるのか定かではないが、これは兵役の経験年数が長い者、特に実戦経験が豊富な者ほど、私のような思考ルーチンに陥りやすい事柄なのだ。


 感情の潰し方を習い、加えて人為的に調整されたこの心はある種壊れ、歪み狂っているのかも知れない。だからこそ、こういった経験の浅い者の言葉は、嫉妬のような感情で無性に羨望を感じてしまう。


 暫く後、感情調整が完了するな否や、ケーブルや射出用のカタパルトレールで散らかっている足元を時折見ながら足早に通り過ぎる、一人の女性整備スタッフ。

 すると彼女は軽快なリズムでハスキーなハミングを奏でる。この陽気な中にある切なる願い。


 ”ハンブルクは素晴らしい街だ”


 私は、この歌を知っている。

(うっ……)

 刹那的に鋭い頭痛が、一斉に私へ降り注ぐ。朧げに浮かぶ、軍服姿の人物。

 しかし必死に記憶を辿っても、その人物は皆目見当がつかない。長年の経験の所為なのか、はたまた今しがた調整された心の所為か。


『下部ハッチ展開。カウント、三……二……一』



 頭を振り暫くすると、機械的な音と共に前方のハッチがゆっくりと展開。降りたたまれていた特殊金属製の薄い、が、順番に開いたハッチの向きと同じ方向に道を作っていく。


 高高度ならではの寒風と、鋭い風が神経を逆なでする。


 それら風が勢いよくハンガー内に入ると、一つに結っている私の髪やハンガー内の機器類をなびかせ、揺らす。今、私達が一人ひとり入っているハンガーの中は中央を除けば程よく狭く、その狭い間にも風が吹き抜け、いくら高高度用の対策がなされているフレーム動作用のボディスーツでも、何処かに穴があるのではないかと思う程に冷たくひりつく肌感覚が身体にまとわりつく。


 私はタイミングを見計らい『機付長、輪止めチョークを』と通信を入れる。すると、それまで脚に装着されていた、チョークという器具が外される。その後カタパルトのシャトルも兼用する床に備え付けられたガイドレールに沿って、回転し、カタパルトの射出口にセットされる。


『射出進路及びピケットホログラム、共にクリア。

 カタパルト出力、安定状態で維持』

 数分後には、調整完了という合図で、私は姿勢を低くしながら、深呼吸。この部隊編成なら事実上の初陣であるが、何があるかはわからない。


『トレイルバー装着……完了。GPSデフレクター展開──』


 重い金属の板が、私と同軸上の後方の天井から下りてくる。おそらく、推進機関からの大出力の噴射風を防ぐ物が下がってきたのだろう。

 展開が完了すると、アフターバーナーにしろというテキストと共に、機体各所にある大小さまざまのプラズマジェットエンジン及びスラスターユニットをゆっくりと最大出力に近づける。

 次に機体各部、翼型の装甲パーツ後部に存在する、高揚装置フラップ型の斥力粒子放出機をスロースタート。本機の動力に繋がる管は、最終的には横一列に並ぶ複数のノズルへ分散し、そこから不可視の粒子が発せられると、途端に装甲に纏われて機体重量を下げていき、フレーム越しに感じていた機体の重みを最適化させていく。

 加えて、従来の愛機の出力との圧倒的な違いや、スーツ越しに身体中へと伝わる、後ろへ押しつけられるような推進機構からのGを強く感じつつも、手慣れた手順でウィンドウを操作し前を見据える。


 ──晴天の空、白い雲。再度酸素マスク越しにひしひしと感じる過酷な環境。航空部隊として何度も見てきた、言わばいつもの見慣れた光景。

『エルザ・ローテムント、”アシェン・レーゲン一号機”。……出撃するぞッ!!』

 誤発進防止のセーフティワイヤーが勢い良く外されると、スラスターユニットおよびリニアカタパルト特有の、風を切るような鋭い稼働音と急加速を、今まで耳を通して何回も聴いたのに、どこか初体験であるかのように刻みつけながら、脚部から閃光の花が咲き誇る。


 遥か彼方に見える"壁"を背に、猟犬が天を駆ける。

 この時、スクランブル要請から実に1時間以上が経過しようとしていた。

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