一頁目 「現実逃避」に潜る前に。
ところ変わり、都内某所。散りかけた桜がまだ、どうにか生にしがみついている姿が点々と見られる4月の某日。そう、出会いと別れの春は、シビアな波を運んでくる。多くの者たちが、現実から目を背けたくなる、そんな変化の権化たる季節。
制度を受けるための試験等を合格した、どこにでもいる、ひとりの女子高生も、また。『現実逃避』をするために、集合会場たる施設へと足を踏み入れていた。
「
右腕についた認証IDを通すと、液晶に私の基礎情報が映し出され、「確認済み」の文字が浮かぶ。と、同時に、案内AIの搭載されたロボットが出てきて、こちらです、と奥へと進む。私は見失わないようにロボットのあとを追いかけた。
案内される中で、私と同様に、ロボットについていく人に、何人もすれ違った。向かう先が全てバラバラであったことから、私とはまた別の場所でこれから行くのだろう。徹底して個別対応なんだな、と政府公認のこの制度に感心してしまう。歩く時間が経過するに連れ、だんだんとすれ違う人は少なくなり、完全に通行人がゼロ、となったところで、ここです、とロボットの案内は終わりを迎えた。
「左様のお部屋はこちらとなります。中でかかりのものがいますので、健康検査と、以降の説明を受けてください」
まるっこいフォルムのロボットは、では、と踵を返して、私が来た道を戻っていく。かわいらしいロボットの背中を見送ると、私は入り口に再度、認証IDを翳す。
ピピ、と電子音が鳴り、確認しました、とAIのアナウンスが流れる。同時に、自動ドアが開かれる。一歩踏み出し、中へと入ると、ドアは閉まった。私の入室を確認すると、AIロボットがすぐに話しかけてきた。先程のまるっこいフォルムのロボットとは違い、このAIロボットは人に近しい容姿を持っている。
制度受給者の「プライバシー」を守るために、AIを投入している、とは本当の事だったのか、としみじみと感じる。お金をふんだんに使って、現実逃避をさせてくれているのだから、とんでもないほど、太っ腹である。制定当初は色々と反発もあったようだが──今では、一大観光事業ともなっているからなのか、その恩恵を享受したいがために、受け入れている国民のほうが多い。
まあ、かくいう私もその一人なのだが。AIの健康チェックを受け、問題ないとのお墨付きをもらう。そのまま、再度、この制度の説明をいたします、とAIはディスプレイをモニターへと表示させる。
この制度を申し込む際にも説明をされた内容である。機密保持やら、個人情報やら、安全保持やら、なんやら。なんとなく理解をしている程度ではあるが、守らなければならないこともある。また、『安全保持』のためにも、『オプション』と呼ばれる、付与効果みたいなものを必ず一つ以上は得なければならない。だが、一応、限度はあるとのことだが。『最強』とかは無理とのことだ。定義が色々あるんだと。まあ、こういう異世界転生ジャンルでいうところの、『転生特典』と呼ばれるものの類である。事前に伝える必要があり、それに伴って、政府でも色々と用意することがあるんだそうだ。『オプション』の限度は『五つ』までである。よくよく考えて頼まねばならない。例えば、戦闘系のアニメに、日常系のアニメで使えそうなもの……例えば、成績優秀とか、そういった類をいれたところで、意味をなさないように、世界にもよって考えなければならないことも増えてくる。
「左様のおっしゃられていた『オプション』ですが、これで間違いないでしょうか?」
ディスプレイに表示された『オプション』に私は目を通す。寸分変わりなく、提示した内容は見事にオーダーされていた。すごいな。
「はい、間違いありません」
私が頷くと、AIはでは、と次へと進む。次に、私が望む『
「左様が望まれたものに間違いないでしょうか?」
私は間髪入れずに頷く。ああ、高揚してきた。AIは、では、移動しますので、と地つなぎとなっている隣の部屋を指差した。
私のいる部屋からでもわかるように、壁や仕切りが最低限に作られていた。
もう少しSFに近しい、ごちゃごちゃした内装を想像していたばかりに、どこか肩透かしを感じたくらいには、やや物寂しいもの、であった。最低限の機械と、真ん中に置かれた、木製のようにも感じさせられる「小舟」。
これは、と私が尋ねるよりも先に、AIが『空想世界』に渡るための装置だと、その「小舟」は正体を明した。どだい、びっくりな話ではないだろうか。もっと、コールドスリープ用のポッドみたいなデザインを想像していたものだから、あまりにも勝手な想像をしていた私も悪いが、イメージとかけ離れている。趣向を凝らした、にしては、変なところでお金をかけすぎていないだろうか?やや、おかしな部分で怪しげに感じながらも、説明は淡々と進んでいく。私は話半ばで聞いていた。まあ、内容は注意事項である。
「では、向こう側についたらくれぐれも──自身の『真名』を伝えぬように」
「わかりました」
AIは私の頷きが嘘ではないと確認すると、にこりと微笑んだ。その笑みは、ロボットというには、人間のような温かみを感じた。その動作に、技術の進歩とは、末恐ろしいと、戦慄してしまった。だが、そんな私を無視して、時はやってきた。
「では、行ってらっしゃいませ、左様。
───良き旅路を」
私は小舟の中へと入り、横たわった。思ったよりも背中は痛くなかった。パリン、パリンと、周囲の風景が割れていく。そうして、機械的な部屋が遠ざかっていき、暗闇が迫ってくる。暗闇の割合が増え、やがて完全に闇となった。
そういう情景の変化に触れたせいか、私のいた「現実」とは別の場所へと来たのだ、と何処か高揚感を増してしまった。ようやくだ、と生唾を飲んでしまう。
暗闇をぼんやりと眺めながら、このあとはどうなるんだ、と考えていると、ぱ、っとまばゆい光が急に差し込んだ。それはまるで、スポットライトが当たったかのような光源で、暗闇に慣れかけていた目には刺激が強いものだった。チカチカと滲む視界に眉を顰めていると、ふいに私の背に当たっていた小舟の感覚が消えた。そして、私は光の中に立っていた。
全く状況が飲み込めず、どういうことだ、と眉を顰めてしまった。暗所に慣れかけていた目でもあったこともあり、唐突に出た光のせいで、視界が滲む。目をこすりながらも、周囲を見渡すが、奥に広がるのは暗闇だ。私の立つ半径3mだけが明るいのである。乗ってきていたはずの、「小舟」はどこにもない。こんな説明あっただろうか、とAIとの会話を思い返すものの、全く思い当たる節がない。どうにか状況把握だけでもと、視線だけを動かしていると、突如として、パ、ともう一筋、光の柱が現れた。当然、視線は自然とそちらへと向いていた。
その光の中には、人が立っていた。その頃には光に目が慣れ始めたのもあり、その人物のことをしっかりと視界に捉えることができていた。
思わず、息を呑んでしまった。
一言で表すなら、「それ」は今までの人生で見た、何者よりも美しい『存在』であった。「人」の形をしていたものの、「人である」と表すには、「それ」はあまりにも、言葉が不釣り合いであると感じさせるほどであった。その「存在」は、白い布を深々と被っていた。その為、顔はよく見えないが、佇まいと、白髪と銀髪の間のような、淡い色の髪が合わさって、「儚い」、「神々しい」という言葉が当てはまるような容姿であった。「身体つき」は、どちらかといえば、「女性」であると言えるだろうか。兎に角、とんでもない美形すぎて見惚れた、と言っていい。不思議と、「恐怖」は感じなかった。
その「存在」は、私が、顔を覗き込むことができないが、見えないということはないというような、近すぎず、遠すぎないといった絶妙な位置に立っていた。
幻想的な人物に思わず、ぼう、としたが、我に返ると、誰だ、と困惑する。状況がより掴めなくなってしまった。まさか、異世界転生や転移等のジャンルとかでいう、「神」とでも言うのだろうか。あの、と口を開こうとしたとき、それを遮るように、その「存在」は言葉を発した。
「どうか、『彼ら』を救って───」
それは、懇願だった。「彼ら」?と、尋ね返そうとしたとき、質問を許さないとでも言わんばかりに、バリンと、音を立てて勢い良く闇が割れた。暗闇が遠ざかり、風景が侵食していく。
「待って、どういう───」
手を伸ばしても届かず、聞きたいことも、まともに言えないまま、その「存在」との間には、風景という空間を挟んで、遠ざかっていく。
最後、ひび割れていく暗闇の中、その『存在』の「
「───あなたにしか、できないことだから」
最後、今にも泣いてしまいそうな声で、その「存在」は、閉じる刹那、告げていた。私は、それすらも質問できないまま、暗闇が完全に閉じ、見知らぬ土地へと放り出されていた。
伸ばしていた手を下ろし、私は一抹の不安を懐きながらも、それを振り切るように頭を数度振って、考えることを一度放棄することにした。今、この疑問について、考えても答えは出ないということを何となく、感じていた。考えすぎていては、私は動けないことを自分でもよく知っている。ひとまず、保留としておこう。
私は、視線をあげた。広がるのは、雲一つない晴天と呼ぶべき、青々とした空。そして、眼下には、石造りの建物が並ぶ「街」がある。
───そうして、私は、自身の目的地たる『空想世界』にして、最近ハマっているアニメ、『杖と封印のカナン』へと降り立っていたのであった。
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