蜀犬吠日にて
静谷 清
本文
朝になったので起きようと男の子はベットから降りました。
下から母親が呼んでいます。すぐに降りようと二階の螺旋階段から一階のリビングへ降りてゆきました。
ですが、いくら回っても一階にたどり着かなかったのです。寝ぼけているわけではありません。ただいつまでも階段が続いているのでした。
「おかしいなあ、ちっとも下が見えないや」
螺旋階段の手すりの間の、壁と天井の間から覗いてみました。すると、どこまでも段が連なっているようです。
これは本格的に妖の類いかな。と男の子は思いました。
取り敢えず、つらつらと降りているのはいいものの、これからどうしようかと必死になって考えました。男の子の、小さな脳みそで、頑張って考えました。
結果としてこのまま降り続けるよりはなかったのですが。
「ひょっとすると、本当にこのままなのかもしれないぞ」
そう思うと、男の子はますます不安になるのでした。これはいつになれば終わるのでしょうか。
その時、ハッと考えつきました。下に降りていても駄目なら上へ上がればどうか。
そして上へ向くと、同じ様に階段が何列も続いているのが分かりました。之はもしかして、どうしようもないのではないのですか!!
「いつになったら、下に着けるのだろう」
上に登っても下に降りなければならないので、結局下を目指す以外はできませんでした。
そしてだんだんと、だんだんと…階段を落ちるような感覚になりながら、だんだんと…もう一万もの段を踏んだでしょうか。その内、降りるごとに少しづつ明かりが少なくなっているのに気づきました。
階段の途中の、窓から差し込む太陽の光は変わりありません。
進むごとに暗くなっていくのです…。
終わりも見えないのに、少しづつ暗く…。
「引き返したほうがいい」
と云いました。けれども足は止まりませんでした。足はしびれてしまい、止まることもできませんでした。
降りる速度も速くなってゆきます。下へグングン降りてゆきます。暗さも暗くなってゆきます。
「降りたくないよォ」
男の子は涙を浮かべ始めました。独り言も多くなりました。
「帰りたい、帰りたい」
ですが下へずんずん沈んでゆきます。
「助けてぇ」
洞窟のような昏さです。しとしとと天井から汁も墜ちてきます。
「お母ちゃァん」
そこまで叫んで、漸く止まりました。そしてバキッと踏んでいた階段が割れて、男の子は暗闇へ墜ちてしまいました。
暑く、昏く、止め処なく沈んでゆくのです。
腸が宙に舞って、浮かび上がってしまいました。そんな感覚が残り続けました。身体は骨となり、骨は塵となり、塵も消え失せてしまうと、そこからは何もなく、ただ…、ただ……
目が覚めると時計は七時を指しています。
「よっちゃん、学校に行く時間だよ」
下からお母さんの声がしました。
男の子は体がブルブル震えて布団にくるまってしまいました。そして母親が心配して上がってくるまでそうしていました。
男の子は、母親にこう云いました、
「怖い夢を見たんだよ、階段がいつまでたっても下につかないんだ」
「そうなの」
「今日は学校行きたくないよぉ」
「大丈夫、大丈夫よ」
お母さんは男の子を優しく抱きしめて、頭を撫でてやりました。
大丈夫、大丈夫……
それ以降、男の子はそんな夢なんか見なくなりました。一切、一度も、そんな夢を見なくなりました…
蜀犬吠日にて 静谷 清 @Sizutani38
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