第4話「剣聖の替え玉になるために資料を漁る」
書庫は城の地下にあった。
壁一面に
中央には広いテーブルがあるけど、その上も本の山だ。
地下なのに明るいのは、天井に吊り下げられたランプのおかげだろう。
でも、光っているのは炎じゃない。電球でもLEDでもない。
たぶん、なにか魔術的なものなんだろうな。
俺はこの世界のことをなにも知らない。
灯りを見ても原理がまったくわからないんだからな。
そんな人間が剣聖の替え玉になんかなれるわけがないんだけど……。
……今さら無理だとは言えないよな。
バルガス・カイトの
俺以外の人間を
俺が元の世界に戻ることもできない。
『元の世界に帰せ!』と泣き
まずは情報を収集しよう。
この世界がどんな場所なのか、人がどんな生活をしているのか、自分がどこにいるのか……そういうことを確認しておきたい。
身の振り方を決めるのは、それからだ。
「………………さま」
問題は俺にこの世界の文字が読めるかどうかだけど……うん。読めるな。
言葉が通じているんだから、なんらかの
……助かった。
文字が読めない場合、すべての情報は人から得るしかなくなる。
そして今、俺のまわりにいるのは勇者姫の関係者ばかりだ。
情報が
もしかしたら嘘をつくこともある。
でも、文字が読めない場合、彼らの言葉が嘘なのか本当なのか、判断できない。
裏付けになる情報がないんだから。
紙に書かれた情報は、それなりに信頼できる。
一度紙に書いた情報は、簡単には変更できないからな。その分、信頼性が高い。
この書庫にある本すべてが嘘、ってこともないだろうし。
だから文字が読めるのは助かるんだ。
あと、他に必要なのは……。
「…………カイトさま。カイトさま」
「必要なのは地理情報。それと、軍事の情報かな」
「地理情報の本はこちらです。軍事については、王国軍の教本がございます」
「じゃあそれで…………ん?」
気づくと、メリダが
巻物は王国周辺の地図。本は王国軍の教本らしい。
……そういえば彼女がいたんだっけ。
忘れてた。
地下室に入った瞬間、妙に落ち着いてしまったんだ。
ここ……俺の仕事場に
メリダのことを忘れていたのは、そのせいだ。
「他にご用はございますか」
メリダはじーっと俺を見ながらたずねた。近い近い。距離が近いって。
「……だいじょ、ぶ」
「はい?」
「大丈夫だから」
「さようでございますか」
「……うん」
「…………」
「あの」
「はい」
「しばらくの間、調べ物をするから」
「承知いたしました。では、お側に
「自由にしてて」
「ですが……」
「ん?」
「バルガス・カイトさまは、
「そうなのか?」
「……はい」
「……でも」
「え?」
「バルガス・カイトは怪我をした」
「存じ上げております」
「性格が少し、変わった」
「…………はぁ」
「調べ物のときは、一人でいたい」
「そ、そうなのですか」
「メリダさんは、自由時間」
「
「いや、自由に……」
「扉の外で、控えておりますので」
「…………はい」
「それでは、失礼いたします」
魔術師メリダは、書庫から出ていった。
…………ふぅ。
やっと落ち着いた。
人の視線が気にならない環境っていいなあ。
『安楽椅子探偵』がいるんだから『書庫剣聖』がいてもいいと思うんだけど……駄目かな。
勇者姫が求めているのは、戦争の
先頭に立って、兵士たちを
……やりたくねぇなぁ。
ドアの方を見ると……うん。閉まってるな。
誰かがのぞいている気配はない。
分厚い扉だからすぐには開けられない。音も、
メリダに出ていってもらったのは、俺がなにを調べているかを知られたくなかったからだ。
彼女は勇者姫の部下だ。
俺がなんの本を読んだのか、勇者姫に報告するかもしれない。
俺が……逃げる機会をうかがっているのがバレるのは困るんだ。
……よし。
椅子をひとつ、ドアの側において、と。
背もたれをドアの方に向けて……と。
こうしておけば、椅子の背もたれが俺の手元を
メリダがのぞいていても、なにを読んでいるのかはわからない。
誰かが入ってきたら、ダミーの本と入れ替えればいいな。
今のうちに資料を調べよう。
情報がなければ、逃げようもないからな。
そんなことを考えながら、俺は本を読み始めたのだった。
──書庫の外では──
「カイトさまは部下に自由を許すお方なのですか……」
メリダは扉の前に立ち尽くしていた。
書庫にいるのは、メリダたちが
彼は剣聖バルガス・カイトではない。
それはメリダにもわかっている。
けれど、彼の姿かたちは剣聖バルガス・カイトそのもの。
声も、
だから、命令されると
バルガス・カイトは自分にも部下にも
部下に自由時間を与えるなどありえなかった。
バルガス・カイトは努力で剣聖になった人物だ。
彼は部下にも、自分と同じことを要求していた。
バルガス・カイトのように努力して、一流の人物になることを。
たとえばメリダに対しては、一流の王宮魔術師であることを。
なにを指して『一流』とするのかは、バルガス・カイトにしかわからない。
だから部下たちは常に努力を強いられてきた。
突然「お前は努力をしていない!」と
そうならないように、メリダたちは常に、自分が努力していることを証明しなければいけなかった。
剣聖の直属部隊『
「なのにカイトさまは、私に自由時間を……」
理由を考え続けたメリダは、ひとつの答えにたどりついた。
「もしかしてカイトさまは、私を試していらっしゃるのですか?」
カイト・キリサメは異世界から召喚されたばかりだ。
なのに王国軍の
彼はそれを受け入れてくれた。けれど、メリダを信じたわけではない。
だから、試しているのだろう。部下であるメリダが、どれだけカイトの命令に従うかを。
そうでなければ命を預けることはできないからだ。
王宮魔術師はバルガス・カイトと似た
ならばカイト・キリサメは、バルガス・カイトと同じように
それは、カイト・キリサメの言葉が少ないことからもわかる。
バルガス・カイトも
『剣聖は言葉ではなく、剣で語る』が
彼のわずかな言葉が人々を動かし、
きっと、カイト・キリサメも同じなのだ。
彼があまり口を利かないのは、行動ですべてを示すためだろう。
そんな彼なら、メリダを試しても不思議はない。
「承知いたしました。カイトさま。メリダはいかなる命令にも従い──」
「メリダ。なにをしているのだ?」
声がした。
横を見ると、勇者姫イングリットが近づいてくるのが見えた。
「こ、これはイングリットさま」
メリダは慌てて頭を下げる。
イングリットは彼女にうなずいて、
「メリダにはカイトさま……いえ、兄の側についているように命じたはずだが」
「そのカイトさまからのご命令なのです」
「兄からの?」
「はい。調べ物をする間、私は自由にしているようにと」
「兄が、部下を自由に……」
「おそらくカイトさまは、私の忠誠心を試していらっしゃるのでしょう」
「今の兄は、そのような人だと?」
「はい。カイトさまは
「……そうか」
勇者姫イングリットはうなずいた。
「兄の命令ならば仕方ない。だが、兄の声が届くところにいるように」
「承知しております」
「兄を
「……姫さま」
「どうしましたか?」
「もしかして、魔王軍に動きが?」
「これより
勇者姫イングリットは、メリダの問いには答えなかった。
「なにがあってもいいように、メリダは兄の声が届くところにいなさい」
「承知いたしました。ですが……」
「なにか?」
「今のカイトさまは、少し、お声が小さいような」
「ああ……」
勇者姫イングリットはイングリットは、少し考えるしぐさをした。
「やはり、兄は私たちを試しているのかもしれない」
「……とおっしゃますと?」
「あえて小さな声で話すことで、兄は自分が
「…………あ」
「小さな声であっても、命令を聞き逃さない忠誠心があるか試す。それが、今の兄の考えなのだろう」
「承知いたしました!!」
「そんなに大声を出しては、兄の声を聞き逃してしまうかもしれぬ」
「…………申し訳ありません」
「…………兄には、負担をかけることになる」
イングリットはつぶやいた。
「可能な限り、兄の願いは
──彼を自由にすること以外は。
本当にかすかな声でつぶやいて、イングリットはその場を離れたのだった。
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