第8話 團十郎の誘い
翌日、拓真は中村座に向かう途中、江戸の町並みを歩きながら、いくつもの思いが胸をよぎる。現代の自分がここで、歌舞伎という文化を知り、それに関わることになるなんて、予想もしていなかった。しかし、それがどんな意味を持つのか、自分にはまだわからなかった。
到着すると、目の前に広がる光景は圧倒的だった。中村座の入り口には巨大な幟が掲げられ、その下を多くの人々が行き交っていた。年季の入った木造の建物は、今もなお輝きを放ちながら、江戸の繁華街の一角に堂々と立っている。以前とは違い、一人で来ている拓真はその存在感に圧倒され、足が自然と進まなくなった。
「坊主、どうした?」
振り返ると、そこに立っていたのは團十郎だった。彼の姿は、舞台の上のように堂々としていて、その威風堂々とした風貌に拓真は一瞬圧倒される。
「あ、いえ、少し…その…」
拓真は何とか言葉をつなげようとしたが、團十郎は軽く手を振って笑った。
「何、驚くことはないさ。江戸の歌舞伎は、こういうものだからな。」
團十郎は拓真を引き寄せ、にこやかに歩き始めた。
「さあ、中へ入ろう。今日は特別に近くで見せてやるからな。」
中村座の中に足を踏み入れると、その空気は一層異質で、拓真の心はすぐに高鳴った。広い舞台裏には、役者たちが着替えや準備をしている。目の前に広がる光景はまるで、過去と現在が交錯しているような錯覚を覚えるものだった。衣装を着た役者たちが行き交い、裏方がせわしなく動き回っている。
「お前さんも見ていけ。」
團十郎は無造作に、拓真を舞台近くの席に案内した。拓真はその指示に従って席に腰掛け、目の前で繰り広げられる準備に心を奪われた。
しばらくして、舞台の裏側から忙しそうに歩く役者たちが、次々と登場した。彼らの動きはどこか特別で、ただの役者ではない何かを感じさせる。拓真の目が自然と、舞台中央に位置する團十郎に引き寄せられた。彼の姿勢は、まるで他の何ものにも縛られない自由さを感じさせる。拓真はその姿を見つめながら、心の中で何かが変わっていくのを感じた。
「おう、坊主。しっかり見とけよ。」
團十郎が笑顔で言った。拓真はその言葉を胸に、舞台に集中し始める。
その後、舞台は始まった。江戸の街の喧騒から一転、観客の熱気が一気に高まり、舞台は息を呑むような緊張感に包まれた。役者たちのセリフは、拓真の胸に深く響き、その一つ一つに魂が込められているように感じられる。彼は舞台を見守りながら、自分が感じているものが何かを言葉にできずにいた。確かに、そこには物語があった。だが、物語だけではない、何か深い力が感じられた。
特に印象的だったのは、役者たちが台詞を発する直前に見せる「間」だった。その静かな間が、観客の心をつかみ、まるで時間が止まったかのように感じさせる。拓真はその「間」の中で、役者たちがどれだけ緻密に演技を組み立てているのかを感じ取ることができた。
「これが歌舞伎の力か…」
拓真は心の中で呟いた。舞台が一幕一幕進む中で、拓真の目に映る光景はただの演技ではなく、江戸の人々の命が息づいているように感じられた。役者たちはその命を舞台に注ぎ込み、観客と共にその空間を作り上げていく。
演目が終わり、舞台が静まり返ったとき、拓真は自分の中で何かが確かに動いたことを感じた。歌舞伎の舞台に立つこと。それが自分の目指す道であると、彼は強く感じていた。
「どうだった?」
団十郎が拓真の隣に座り、柔らかな表情で尋ねた。拓真はしばらく黙ってから、はっきりと答えた。
「素晴らしかったです。こんなに人の心を動かすものがあるなんて…」
拓真の言葉に、團十郎は嬉しそうに笑った。
「お前、わかってるじゃねぇか。それが歌舞伎の力さ。」
「はい、本当に素晴らしかったです。」
拓真は目を輝かせながら答える。
「お前、やっぱりただの坊主じゃないな。あの舞台の感動をしっかりと受け止めている。」
「ありがとうございます。私も、こんな舞台を作りたいと思いました。」
「ほう、それなら、お前も中村座で一緒に仕事をしてみるか?」
団十郎が言うと、拓真は驚いた表情を見せた。
「本当ですか?」拓真が目を見開く。
「冗談じゃないさ。お前がやりたいことをきちんと形にするためには、まずは歌舞伎を深く知ることだ。そのために、俺たちと一緒に学び、成長していけばいい。」
その言葉に拓真の胸は熱くなった。
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