第3話 平穏

『脱げ!』と強要してくる少女三人対宗田そうだ兄弟。


 生まれ変わった『剣神』──宗田千尋ちひろの初撃には容赦がなかった。


 少女の脳天にいきなり、枝を振り下ろしたのである。


 その枝、かなり立派なものだ。太さは指二本から三本ぶんほどあり、長さは子供の腕で肩から手首ぐらいまではある。

 千尋の体格だと両手で握って大刀に見立てることができる。

 そんな代物を脳天に振り下ろすのだ。


 しかもこの振り下ろし、ただ子供が力いっぱいに振り下ろしただけではない。

 千尋の前世である『剣神』、それが極めた術理が乗っている。すなわち、腕力、体重、武器の重量までもが適切に乗せられ、予備動作がないゆえに相手に心構えをさせない、そういう一撃であった。


 だが、相手の反応はこうだ。


「効かないわねぇ!」


 額で受けて、ふん、と鼻息一発、首をすくめたかと思うと、首の力だけで枝を押し返す。


 千尋は笑う。


「はははは! いいなあ、遠慮がいらん!」


 これが、この世界での『男』と『女』の力の差。

 男には与えられず、女にのみ与えられた『神力しんりき』という不可思議な力。身体を強化し、火を熾し、澄んだ水さえ出してみせる、千尋から見れば妖魔鬼神のわざである。


 千尋の前世には鬼だの魔だのはいなかった。

 こういった不思議な力も……陰陽師などはいたらしいのだが、あいにくと、そいつらが千尋の前で不思議な力を使ったこともなかった。


 そういった『現実』を生きてきた千尋にとって、この世界の女たちはたまらない『強者』である。

 千尋はこの不可思議と理不尽に興奮し、舌なめずりをする。


 少女たちの中でもがっしりした体つきの者が叫ぶ。


「その顔! 興奮するからやめてよ!」


 とてもえっちらしい。

 だが千尋、そのあたりに疎いので首をかしげるだけである。


 少女たちは「むきー」と興奮した叫びをあげて一斉に千尋へと飛び掛かってくる。

 背後には弟のはくがいる。避けるにも限度がある。


 身のこなしを使えない状況。

 思い切り叩いても傷も痛みも与えられない『上位生物』が三名。

 この上なく不利な状況──


 千尋は、笑みを深めた。


 剣を動かす。


 正面から突撃してくる者の足、その着地地点に剣を置く。

 咄嗟に着足ちゃくそく地点に現れた障害物を反射的に避けようとするのは、この世界でも変わらぬ人間のサガらしい。不意に足が留まる。


 そのまま剣を振り上げ枝の切っ先を左手から来る者の顔の前へ差し出す。

 目に迫る物を回避する反射もまた、この世界の人間に備わったものだ。まして武術をやっているわけでもない村のガキ大将どもが、その反射を制御する訓練など詰んでいるはずもない。


 千尋は体勢が崩れた二人の隙間に体をねじ込むように前進。

 すでに枝は手から離れている。一瞬の早業で二人の少女の頭をそれぞれ抑え、体重の乗った方の足を引っかける。


 二人の少女が同時に地面に倒れ伏す。

 千尋は枝を足で打ち上げながら倒れた二人の少女の腕を足で搦めて起き上がれないようにし、残ったもう一人に枝の切っ先を向ける。


「一瞬で二人倒れたが、まだ一人で頑張るか?」

「え、え、えっと……」


 残された一人が戸惑ったような声を挙げる。


 倒され、関節を極められて立ち上がれなくされている少女が、悔し気につぶやく。


「妖術使いめ……」


 千尋の技術。

 あまりに熟練の域にありすぎて、素人目には何が起きたかさっぱりわからない。

 

『踏み込み位置に障害物を置く』『目に尖った物を向ける』といったことが起こると人は当たり前にバランスを崩す。そうして崩れたバランスを利用して相手の体重で相手を投げるという技。

 二人以上の関節を利用して極め、倒れたまま縄もなしに動けなくする技。


 それをほんの一瞬であざやかに決める手際から、素人がこれら技術を受けても、感嘆はなく、ただただ『なんらかの詐術を働かれている』という感覚のみが残るようだった。


(俺からすれば、お前たちの頑強さのほうがよっぽど妖術だがなあ)


 この技術がわかるように指導をしてやろうと思ったこともある。

 だが、『弱い男』からものを教わるのは女の沽券にかかわるとかなんとかで、この少女らは千尋からものを教わろうとしないのだ。


 だからこれは、いつもの喧嘩にしかすぎない。


 少女三人が『村でただ二人の男の子』にちょっかいをかけてきて……

 千尋がそれを『わけのわからない方法』で撃退する。そういう……


(『殺し合い』にはほど遠い、よなぁ)


 実に穏やかな、日常風景。


(このガキらも、『好きな子にちょっかいをかけてしまう』程度のものでしかなし。あまりやりすぎれば村の大人に叱られるとわかっているゆえ、こちらを傷つけるのを恐れる始末。……いっそ、村から出るか? だが、母には養っていただいている恩もあるし、弟にも情はある)


 千尋は考えながら、足で極めた少女の関節を、足で解いていく。


(ともすればこの世界で穏やかに生きるのが、俺を産み落としてくれた母への恩返しなのかもしれんな)


 千尋は人を斬る過程をどうしようもなく楽しむ者であった。

 だが、この世界に宗田千尋として生まれ落ちてからは、家族への情のようなものが己のうちにあるのも感じる。

 それはひいては、この村に住まうすべての人々への情でもあった。


 同年代は生意気盛りだが、まあ、この年代の悪ガキと考えれば健全な交流と言えるだろうし。

 母や大人たちは自分と弟をとてもかわいがり、貧しい村だろうに、あらんかぎりを与えてくれる。

 少し年上の『お姉さま方』などはもう、『目に入れても痛くない。むしろ、入れていいなら入れたい』ぐらいの、ちょっと狂気を感じるほどのかわいがりようだ。


 愛されている。間違いなく。


 千尋自身気付いていないことだが、彼が前世で数多の門弟を従えることになった理由のうち一つに、『返礼』の信条があった。

 誰彼構わず斬りまくる暮らしではなく、恩を受けたなら恩で返すということを徹底していた暮らしであった。それゆえに彼は様々な者から畏怖だけでなく畏敬をも受けたのだ。


 その『返礼』の信条は、あまりこの村の人たちに迷惑をかけるのをよしとしてはいない、が……


(……まぁ、剣術は磨くか。とりあえず、こちらの世界での大人は十三歳からといった決まりのようだしな。それまでは大人しく……村の人たちの愛情に応えよう)


 そのあとどうするかは、わからない。

 だが、少なくとも子供でいるうちは、この村の人たちや、弟とともに、人斬りでない人生を送ってみるのが『返礼』だろうと考えた。


 ……彼をして、この平穏がそこまでは続くものだと思い込んでしまうぐらいに、あまりにものどかな暮らしが続いていたのだ。


 それが打ち破られるのは、彼が十二歳になった歳の明けごろのことだった。

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