煌めく夜空と天使の肖像

秋犬

「有閑の営み」

 煌々こうこうとライトに照らし出されているのは、夜空を背景に飛び回る美しい天使たちの絵画だった。


「さて、現代幻想画の鬼才ヴァルク・エンデバーの逸品『虚空に舞う約束と思い出』。現在18万ドル、18万ドルより入札されるお客様はいらっしゃいませんか?」


 会場はざわついていたが、それ以上の金額を叫ぶものはいなかった。


「よろしいですね。それでは『虚空に舞う約束と思い出』はセイントボウル財団のメイキー・ストーン様へ18万ドルで落札です」


 オークションマスターのハンマーの音がカンカンと会場内に響く。


「しかしすごいですね、どれもこれも名品ばかりだ」

「竹村コレクションの数々をまとめて見れるだけでも素晴らしい」


 本日行われていたのは、先日115歳で亡くなった讃岐さぬき製薬会社の元社長、竹村文武たけむらふみたけ氏が生前集めた美術品を一同に集めた「竹村コレクション」のチャリティーオークションであった。竹村氏の遺言により、このオークションの収益は難病患者への支援や新薬開発に当てられることが定められていた。インターネットでの参加は認められず直接会場へ足を運んだ者に参加の権利がある、というのも遺言に記されていた事項であった。


「竹村氏は過去ヴァルクと親交があったらしいから、その縁で数点個人的な制作を依頼したとかしないとか」

「おそらくオークションの目玉は、噂に聞いたヴァルクの未発表の絵になるだろう。一体いくら値がつくんだ?」


 参加者たちは次々と現れる竹村コレクションに目を奪われる。新鋭彫刻家キルト・ホーブの独創的な魚をモチーフにした彫刻『有閑の営み』、女流ガラス工芸家で名を馳せたリアム・レイの秋の空気を閉じ込めたような花瓶『サンサーロ8番街』、自閉症ながら才能を発揮した天才切り絵師天野涉あまのわたるの『作品62』など、素晴らしい美術品がステージに登場しては落札されていった。


「さて、本日の最後の品はこちらです」


 オークションマスターによってステージに掲げられたのは、どの美術評論家も知らない絵画であった。


「やはりヴァルクの未発表作か」

「さすが、これは……」


 窓際に腰をかけた、黒髪で切れ長の目の少年。窓の外には月が大きく描かれ、ヴァルク特有の夜景の表現により少年の美を引き立たせていた。片膝を立ててこちらを見ている少年のエキゾチックな表情の裏に込められた熱情に、参加者たちは一瞬凍り付いたように静かになった。


「こちらは生前、竹村氏が故ヴァルク氏に頼んで個人的に制作してもらったものと伝えられています」


 ヴァルク・エンデバーは幻想画を得意とした現代アートの鬼才として名を馳せた。その作風は宇宙と天使を組み合わせたものが多く、一部では「題材が陳腐」と言われたが天使の息づかいが聞こえてきそうな表情が評判を呼び、一時は売れっ子の名を欲しいままにしていた。


 しかし創作活動の行き詰まりを理由に、ヴァルクは遺書を残して行方が知れなくなっていた。警察は遺書を元に彼が飛び込んだと思われる海域を捜索したが、ついに遺体は発見されなかった。そのため「彼は自身の描いた天使に連れられていったのだ」と評論家の間では囁かれていた。


「絵画のタイトルはありませんが、竹村氏は『我が生涯』と呼んでいたということです。それでは竹村氏の遺した最後の美術品、こちら60万ドルからです。それでは、入札開始します」


 参加者たちは次々と入札をしていく。70万ドル、80万ドル、90万ドルと値段はどんどん上がり、100万ドルを超えたところで参加者たちは互いを牽制し始める。


「115万ドル」

「118万ドル」


 勝負は二者に絞られた。先ほどヴァルクの絵画を落札したセイントボウル財団のメイキー・ストーンと前衛的なデザインで服飾業界のトップを走るブランド「ラットトラップ」の気鋭のデザイナー、フレイム・エイブ氏は熾烈な争いを繰り広げる。


「122万ドル」

「123万ドル」


 参加者たちは息を飲んで落札の行方を見守った。


「130万ドル!」


 フレイムが勝負に出た。メイキーは付き添いの男と顔を見合わせ、苦々しい表情でお互い顔を伏せてしまった。


「130万ドル、130万ドルより上はございますか?」


 オークションマスターのかけ声が響き渡る。


「それでは130万ドルにて、ラットトラップのフレイム・エイブ氏が落札です!」


 オークションハンマーが高らかに打ち鳴らされる。こうして、騒然とした中でチャリティー・オークションは終わったはずであった。


***


「畜生、未発表作品にあれほど固執する奴が他にいるとは」

「しかし、あの絵は天使の絵ではございませんでしたよ」


 オークション会場から出たメイキーは、付き人の長髪の男――オーレリアンに八つ当たりをする。オーレリアンはまだ年若いメイキーの目付としてオークションに付き添っていた。


「でも、あの描かれていた男は制作年代を見るとヴァルクのかなり初期の作風だ。天使のモチーフが頻出する前のものと考えると、おそらくヴァルクの描いた全ての天使の源流に違いない。ヴァルクの絵にかけてなら、僕は他の誰より思い入れがあるんだ」


 鼻息を荒くするメイキーを、オーレリアンは窘める。


「それなら、先ほど落札された方と仲良くなっておいたほうがいいですね。他にもどこかから収集されているかもしれませんよ」

「ううむ、気が進まないけど、その通りだ……」


 しょんぼりとメイキーが歩いていると、オークションマスターを務めていた男に声をかけられた。彼もメイキーと同じでまだ若く、多く見積もっても20代後半という風体をしていた。


「メイキー・ストーン様ですね?」

「そうだけど、何か?」

「こちら、本日のオークションで最高額を支払われたお客様への案内状です。お目通し、よろしくお願いいたします」


 そう言うと、オークションマスターはメイキーの手に封書を押しつけて、すぐにその場を立ち去った。メイキーは封書を開けると、小さく悲鳴を上げた後オーレリアンに突きつけた。


「更なるオークションへの招待状だって。まだ未発表作が出るのかも」


 先ほどの落胆と打って変わってウキウキと招待状を抱きしめるメイキーに、オーレリアンは小さなため息をついた。

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