第10話 寝るのは一苦労

 自転車を押しながら通学路を歩き、私は自分の家まで彼を案内した。

 その間中、式根くんは終始ご機嫌だった。


「じゃあね。今夜、LINEするからね」


「ああ、頼んだ」


 そんな会話をして玄関前で別れる。

 家に入ると、母はまだ仕事から帰ってきていなかった。父は大学の講義が休みらしく家にいたが、書斎に籠もって出てこない。

 と思ったら、リビングで夕方のニュース番組を見ていた私のもとに、二階から父が降りてきた。


「美咲、さっきの男の子は彼氏か?」


「いや、弟子」


「……?」


 父は黙って首を傾げたが、それ以上聞いては来なかった。

 7時過ぎに母が帰ってきて、それから本格的に夕食となった。食材を宅配で送ってくれるサービスを利用しているので、それを母がちゃちゃっと調理する。

 今日は、回鍋肉と焼売、それに中華スープという中華セットだった。


 それからすぐに自室に戻り、今日は数学でもやるか、と問題集を開いた。


 ――それから2時間ほど過ぎたころ。


 スマホがポンと鳴った。何かと思ったら、LINEが来ていた。

 式根くんからだった。ちなみに式根くんのLINEアイコンは猫のどアップ写真だった。光沢のあるグレイの毛並みで、たぶんロシアンブルーかなんかだと思われる。


『こんばんは。いま何してるの?』


 アイコンの横に配置された彼からのメッセージは、まるでロシアンブルーが喋っているみたいだった。


『勉強してる』


 と字数少なく返す私のアイコンは、昔、庭で撮った赤いチューリップである。


『わ、すごいね。やっぱり勉強いっぱいするの?』


『日によってだけど、8時間くらいする』


 ポン、とスタンプが返信される。猫が飛び上がって驚いている、可愛いイラストだった。


『すご』


 2文字のメッセージが遅れて表示された。

 単調なメッセージのやりとりに、私は早くも飽きてきた。


『ごめん、勉強に集中したいからもう終わるね』


『待って、直接話そう』


 それからすぐに、LINEアプリの着信がある。

 電話を取って耳に当てると、彼の声が聞こえてきた。


「こんばんは、大東さん」


「式根くん、私勉強してるんだ」


「勉強はもう終わろう?」


 と、彼はとんでもないことを言い出した。


「は?」


「お風呂入って寝る時間だよ」


「まだ9時だぞ?」


「もう9時だよ」


「私にとっては昼だ」


「誰にとっても夜です」


 ……らちがあかない。


「大東さん、明日は遅刻しないで学校行くんだからね? そのためには早く寝ないと駄目だよ」


「そんなこと分かってる。だけど、こんな早くに眠れるか」


「とりあえずお風呂入ろう。まだだよね、お風呂?」


「ああ、いつも1時くらいに入るからな」


「いちじ……」


 致命傷を負ったみたいに、式根くんの声が小さくなった。それから彼は焦ったようになる。


「……とりあえずお風呂入ろう。そしたらまた話そう。ね?」


「邪魔しないでくれ、せっかく調子よくなってきたところなんだ」


「駄目。お風呂入って。それで上がったら電話して。いい? 電話だよ、メッセージだけじゃ駄目だよ」


「面倒くさいな」


「遅刻したくないんでしょ?」


「……そうだな」


 私はシャーペンを置いた。そうだ、私は遅刻をなくすために、彼に協力してもらっているのだ。

 それなら私も努力してるってところを見せないとな……。


「分かった、風呂に入るだけ入る。それからまた勉強する」


「……それについてはまたあとで話し合おうね」


「分かった。それじゃ」


 私は通話を切った。

 それから、通話が切れたスマホ画面をしばらく見つめた。


 ……手強いな、と思った。

 なにが手強いって、自分が、だ。


 自分で彼にサポートしてもらうって決めたのに、もう反発しようとしている。

 遅刻をなくすために生活を変える必要があるのは、誰あろう私自身だ。私が自分の生活を、自分で変えなきゃいけないんだ。そのために彼に頼るって決めたんだ。

 そのためには、式根くんだけが努力したって駄目だ。彼のアドバイスを取り入れて生活改善するのは、この私だ……。


 私はサインペンを取り出すと、ノートに大きく『式根』と書いた。

 それを綺麗に破って、机の前にセロテープで貼った。

 ……心が弱ったら、これを見て私の目的を思いだそう。


 それからお風呂に入って、上がって、式根くんに電話する。

 式根くんは1コールで出た。


 それからなんだかんだと話し込み、『今日はもう勉強はせず、とりあえずベッドに入って部屋を暗くすること』と注意を受け、切ろうとする。


「大東さん」


 包み込むような優しい声が、電話越しにした。


「今日はいろいろありがとう。夢みたいな一日だった」


「こちらこそありがとう。これからよろしくな」


「うん! ……おやすみ」


「ああ、おやすみなさい」


 寝る前の挨拶を交わし、私は通話を切った。


 ……なんだか、心がほわんとしている。なんだろう、これは。

 まあいいや。


 私は勉強道具を片付けると、部屋の電気を消した。

 結構話し込んだから、もう10時半になっていた。

 いつもだったらここから3~4時間は勉強するんだけど、私も根性見せないといけないから……、ちゃんと寝よう。


 と思ったけど。


 寝れない!


 暗闇のなかで、目をカッと開く私。頭がぐるんぐるん働いている。とてもじゃないが、眠る感覚では無い。


 仕方なく、私はスマホで睡眠用音楽を流した。

 それを聞きながら、目を瞑って、寝返りを打ったりする。たまに目を開けて、机の前の『式根』と書いた張り紙を見たりもした。


 結局、2時間の睡眠用音楽を1周して、もういちど最初からかけ始めてしばらくたってから、私はようやく眠ることが出来たのだった。


 まったく、寝るだけで大仕事だよ。




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