花火の夜

青篝

短編です

「ううん、何でもないよ。」


僕は口をつぐんだ。

本当は君に言いたいことが

たくさんあるのに、

ホンの少しの勇気が出なかった。

街灯が僕らの影を二つ並べて、

君の影が早足に前を行く。

浴衣姿の君の後ろ姿は、

祭りの妖精のようだった。

君に伝えたいことがあるのに、

僕は君の歩みを止められない。

胸の苦しみを抱えながら

君の隣りに追いついてみるけれど、

花火のように綺麗で儚げな君の横顔に、

僕の苦しみは重くなる。


「今日はありがとう。

私も最後に遊べて楽しかった。」


お願いだから、最後だなんて言わないで。

明日も明後日も来年も10年後だって、

僕は君の隣りにいたいから。

だけど、僕は言葉を飲み込んだ。

僕の気持ちを言ってしまえば、

きっと君を困らせてしまうから。

たった5文字の言葉さえ、

僕は君に伝えられない。


「僕も……楽しかったよ。」


駅のホーム。改札の前。

最終便の電車に乗る君を、

涙で滲む瞳で僕は見つめる。

大丈夫。なんとか涙は溢れてこない。

笑顔で君を見送るって決めたんだ。

ここで泣いてしまったら、

全てが悪い方向に進んでしまう。

もう、手を伸ばしても届かない。

ドアが閉まり、ゆっくりと走り出す。

少しずつ君と僕の距離が離れて、

やがて君の姿が見えなくなる。

夜の闇に消えていく電車を、

僕は涙が溢れる瞳で見つめ続けていた。


「……行かないで。」


たった5文字。

その言葉を言うことができなかった。

一人残された僕は、

泥のように不安定な足取りで

駅舎をあとにした。

さっきまで君と歩いていた道も、

一人で歩くと随分違って見える。

点滅を繰り返す街灯、

群れからはぐれた一匹だけの蛍、

売り切れだらけの自動販売機。

君が隣りにいた時は

気づきもしなかったのに、

妙に気になって仕方がない。

前も後ろも右も左も、

僕のそばには誰もいない。

だけど、その現実を直視できなくて、

わざと暗い田んぼの方へ視線をやった。

そして次第に、大勢の声が聞こえてくる。


「おいみんな、帰ってきたぞ…。」


山のふもとの広いスペースで、

僕の仲間達が待っていてくれた。

まだ山の上では多くの人達が

お祭りを楽しんでいるというのに、

彼らは祭りの夜には似合わない

真剣な顔つきをしていた。


「無事に送れたんだね。」


足取りの悪い僕を見かねてか、

手頃な大きさの石に

僕を座らせてくれた。

氷のようにひんやりとした石は、

まるで僕の心の温度のようだった。


「その様子だと、言えなかったんだな。」


仲間のその言葉に、

胸が締め付けられる。

僕があの子に想いを寄せていたことは、

この場にいるみんなが知っている。

僕のことを応援しようと

みんなは協力してくれたのに、

結局僕は何も言えなかった。

現実を突きつけられて

苦しくなるけれど、

その子は僕の肩に手を乗せて言った。


「まぁ、簡単に言えたら苦労しねぇよな。

ただでさえ恋愛は難しいってのに、

お前とあいつの場合は

大きな枷が付いてるんだからよ。

けど、いつまでもしょぼくれてると、

あいつが化けて出るかもしれねぇから、

とりあえずこれでも食って元気出せよ。

俺の親父が作る焼きそば、

お前もあいつも好きだったろ?」


彼のお父さんが作る焼きそばは、

たくさんのもやしとキャベツを

くたくたになるまで炒めて、

定番のソースではなく

甘い醤油で味付けされている。

濃い味付けの苦手な僕とあの子のために

わざわざ合わせてくれて、

彼の家で遊ぶ時は

いつもご馳走になっていた。


「うん、ありがとう……。」


多分、この焼きそばを食べるのは

今日が最後になるだろう。

この焼きそばを食べる度に、

あの子のことを思い出してしまうから。

泣きながら焼きそばを食べる僕に、

誰も話を振ろうとは思わなかった。


「今年で3年目、か……。

もうあいつには会えないんだよな。」


「ちょっと、やめてよそういうの…。

こっちが我慢できなくなるじゃない……。」


一人が泣き始めてしまうと、

涙は他の人にも伝染していく。

僕の前であるからと

気を張っていただろうに、

もはや誰も涙を我慢しない。

だけどこんな時だからこそ、

あの子を一番に想い続けた僕が

みんなを励まさないといけない。


「大丈夫だよ。僕らが覚えている限り、

あの子は僕らの中で生き続けるんだ。

だから…きっと大丈夫。」


───これは、とある村の話。

その村では40歳以下であれば、

事故死でも病死でも、3年目のお盆までは

夏の数日間だけこの世に降りてくるという。

しかも、毎年歳を取っていて、

その人が最も気持ちを寄せている人の

記憶を共有している。

村では度々死者がお盆に蘇っては、

酒を酌み交わして朝まで騒ぎ、

夜に最終便の電車で見送るのだ。

そしてある時、村の少女の一人が

山の不機嫌に襲われて命を落とした。

その少女に想いを寄せていた少年は

突然の少女の死に絶望したが、

夏になって現れた彼女に

今度こそ想いを伝えようと頑張った。

しかし、もう死んでしまった彼女に、

少年は想いを伝えることができなかった。

そして、彼女が最終便に乗って

いなくなってしまった日のことである。

少女は消え入る声でそっと囁いた。


「私も、ずっと好きだったよ。」

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花火の夜 青篝 @Aokagari

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