オオカミさんと一緒!

宮川ゆうこ

第1話

第一話


「ねぇ、兄貴。誰も使っていないんだからいいでしょう~」

「そういうわけにはいかないよ」

「どうしてよ」

 俺が断ると、馨は露骨に不服そうな顔になった。

 場所は昼時の喫茶店。俺の目の前には生意気な妹。

 でも俺にとってはたった一人の妹なわけで、それも子供の頃から俺たちは「男」と「女」が入れ替わった方がいいと言われていた。

 それは俺にとってはあまり嬉しくないことだったが、馨にとっても嫌なことだったに違いない。

 どんなに「男っぽい」と言われても馨は女なのだ。

 口が達者で、気に入らないとマシンガントークで言い返し、上目線で他人を見下す。

 困った奴だが、俺にとっては可愛い妹だった。

 だが、いくら妹の頼みでも、こればかりは「いいよ」とは言えない。

 それにこいつが隣に住むようになったら、どうなるかは目に見えている。

 絶対に俺たちの部屋に入り浸って、なにかと邪魔をしてくるに決まっている。

(冗談じゃねぇ!)

 俺は平然とコーヒーを飲んでいる馨を苦々しい思いで見返した。

 馨から、相談したいことがあると電話をもらったときに嫌な予感がしたんだ。

 なにしろ馨は、俺たち姉弟の中でも、誰よりも自立心があり、無謀と思えるほど行動力があった。

 普通ならばなにか行動を起こす場合は、一度ぐらいは悩むものだ。

 だが、馨の場合は、頭で考えると躊躇うことなくストレートに行動に移る。

 それだけに、周りの迷惑なんかこれっぽっちも考えない。

「家賃を払っているのに、あのままにしておくのはもったいないでしょう」

「駄目なものは駄目だ」

「……けち」

「あのなぁ~」

 俺は思わず声を荒立てようとしてあわてて押し殺した。

(なんでこんなところで、言い争いをしなければならないんだよ……)

 馨が、どうしても今日の昼休みに会いたいと言うから、会社の近くのコーヒーショップを選んだのだが失敗だったらしい。

 俺たちは一番奥の席に座ってはいたが、喫茶店の中は昼時ということもあって満席で、客の中には見知った顔もいた。

 いくらなんでも、ここで兄妹喧嘩をするわけにはいかない。

 それもいい年をしてだ。

 怒鳴れるものなら怒鳴りたいが、誰か聞いているかわからないのに、頭ごなしに怒鳴ることもできない。

 俺と水瀬はマンションの俺の部屋で一緒に暮らしている。

 だから、俺の隣の部屋……要するに水瀬が借りている部屋は名義だけで住んではいない。

 それを知った馨が使っていないなら自分が代わりに住むと言い出したのだ。

 そんな身勝手な要求を俺が聞く道理はなかった。

 だけど……。馨は言い出したら聞くような奴じゃない。

「それじゃ、ずっとあのままにしておくつもり?」

「そうだ」

「もったいないわよ」

「おまえには関係ないだろうが」

「あるわよ。賃貸料を払っているのは水瀬警視なんでしょう?」

「そうだ」

 俺がうなずくと、馨はそれ見たことかという顔で言い返す。

「警視に余計な負担を掛けるなんて最低……」

「あのなぁ、ヤツは俺よりも金持ちだ」

「だからって負担を掛けていいとは思わないわ。すくなくとも兄貴はそういうことを気遣うべきじゃなくて」

(このお~!)

 いくら厚顔無恥な馨といえども、さすがに俺が彼の恋人だとは言えないらしい。

 もちろんそれは実の兄である俺を気遣ってではなく、水瀬の立場を思ってに違いない。

 なにしろ俺たちの「面食い」は母親譲りで、馨は俺たちの中で唯一親父似だったが、その点だけはしっかり受け継いでいた。

 だから「いい男」にはとことん甘い。

 馨なんて、普段から、「男は顔よ」といってはばからない。

 どんなに性格がよくても顔が悪かったら、絶対に嫌だという。

 俺は、顔よりも性格が大事だと言って聞かせているのだが、水瀬を選んだ俺には言う権利はないと反論される。

 そりゃあ確かに、ヤツは美形の上に長身でほれぼれするほどかっこいいよ。

 誰でも見とれてしまうほどのいい男だ。

 だけど、性格は……「キチクで、好き者で、節操なし」の二十四時間発情男のオオカミ。

 それを馨に言っても、水瀬に一目惚れしてしまったこいつは俺の言うことなんか聞こうとはしない。

 俺にはもったいない人だと言い張っている。

 これじゃ近い将来、馨も俺と同じように、男で間違いなく苦労すると思うのだが、俺の小言は馬の耳に念仏らしい。

「とにかく隣の部屋の名義は水瀬なんだ」

「でも、住んではいないんだから、私が住んでもいいじゃない」

「まずいだろうが」

「どうしてよ?」

「仮にそんなことをして、誰かに知られたら変に思われるだろう」

 俺がそう言うと、馨はとたんに小馬鹿にしたように言い返した。

「ようするに兄貴は、私が水瀬警視の部屋に住んでいて、警視の恋人と勘違いされたら嫌なんだ」

「え……? そういうわけじゃないけど……」

「それじゃどういうわけよ?」

「だから言っているだろう。水瀬の住所はあそこになっているんだ。たとえ住んでいなくてもあの部屋は必要なんだよ」

「合理的じゃないわ」

「あのなぁ~」

「とにかく、警視の名義になっているなら兄貴の勝手にはできないだろうから、私が使っていいか警視に聞いてみてよ。じゃ、私、署に戻るから」

「馨……」

 馨は自分の言うことだけ言うと、時計を見て慌てて立ち上がる。

「やばい! 化粧を直す時間がない。最近、仕事が忙しくて化粧ののりが悪いのよねぇ」

「化粧したって、おまえの場合は無駄な努力だと思うけどな」

 俺が思わず呟いたら、聞こえたらしい。

「それが、かわいい妹に言う言葉なの」

「いや、その、なんだ」

「……馬鹿兄貴」

 馨は俺を一睨みすると、脱皮のごとく喫茶店を出て行く。

 俺はそんな馨を唖然として見送ったのだった。

 馨はどうやら自分のアパート代を浮かすつもりらしい。

 それならば実家に戻ればいいだけなのだが、親父と折り合いが悪いので帰ろうとはしない。

 馨は親父と顔が似ているせいか、性格まで似ているところがあり、それでよけいに反発していた。 

(困ったなぁ……)

 俺は頭を抱えたのだった。 


 俺がヤツと出会ってもう何年になるだろうか?

 人の運命は不思議なものだと思う。

 もし、ヤツと出会わなかったら……。

 俺はどんな人生を送っていたのだろう?

 たぶんそれは味気ない無機質な人生だったに違いない。

 水瀬と出会えたことは、俺にとって人生で一番幸運なことだと思っている。

 たとえヤツが「キチクで、好き者で、節操なし」の、二十四時間発情男のオオカミでも……。

 俺はそんなオオカミ(水瀬)が大好きだ。

 いくら馨の頼みでもこればかりは聞けない。

 妹も可愛いが水瀬の方が大事だ。

 それでなくても俺たちが一緒に暮らしていることはヤツにとってはマイナスになる。

 本人はまるで気にしていないようだが、俺はできるだけヤツの負担にならないようにしたい。

 水瀬が俺を守りたいと思ってくれているように、俺もヤツを守りたい。

 そのためなら馨からどんなに非難されてもいい。

 もちろん馨だけでなく、美幸姉さんにも、母さんにも……そして親父にさえも。

 家族から絶縁されても俺はヤツを選ぶ。

 もっともうちの女性陣はそろいもそろって面食いだから、反対される確率はかなり低いような気がしていた。

(問題は親父だよなぁ……)

 その名の通り、頑固一徹。昔気質で融通が利かない。

 それでも俺はそんな親父を子供の頃から尊敬している。

(えーっと……また、一桁違っている!)

 昼休みが終わり、会社に戻ると、午後からは山のような伝票の束をチェックし直した。

 今はほとんどの伝票がコンピュータで処理されるから間違いは少ないのだけど、急な注文変更が入ったりする場合は手書きとなる。

 同期の川上は気のいい男なのだが、困ったことに計算に弱くて簡単な足し算さえ間違える。

 それで、いつも課長に文句を言われており、だから今回は俺に計算を見直してくれと泣きついてきた。

 俺も自分の仕事が忙しいなら「自分で見直せ」と突き放すのだが、ちょうど手が空いていたので放っておくわけにもいかず引き受けたのだ。

 もちろんヤツのせいで会社をサボりすぎて窓際に追いやられたわけじゃない。

 俺は先月から、うちの課に配属になった新入社員の教育係をしていたので、わりと時間に余裕があった。

(なんで小学生でも出来るような足し算を間違えるかなぁ……)

 呆れながら計算機を叩いていると、俺の背後の方から妙な音が鳴る。

(ん……?)

 顔を上げずに耳を澄ますと「ピー!」という音がもう一度鳴った。

 どうやら他の連中は気づいていないらしい。

 俺の後ろには発注を管理しているメインサーバーが並んでおり、新入社員の堀が明日の注文状況を確認しているはずだ。

(あいつ……やりやがったな)

 俺にも経験があるからわかるが、どうやら何かミスをしてメインサーバーがシャットアウトしたらしい。

 「ピー!」という音は、メインサーバーが異常事態を知らせる音だった。

(しょうがないな……)

 本当ならばすぐにいって復旧作業をしなければいけないのだが、そうそう俺が手を貸したのでは本人のためにならない。

 堀には可哀相だが、少し肝を潰した方がいいだろう。

 一度、ひやっとしたら次からは用心するし、甘やかすだけがのうではない。

 俺はそう思ったので、再度「ピー!」という音が聞こえたが、聞こえなかったふりをした。

 今度、うちの課に配属になった堀は、俺から見ても驚くほどのベビーフェイスで、セーラー服を着せたら似合うのではないかと思うほど男にしては華奢で可愛い奴だった。

 色白で目が大きく、髪は生まれつき茶色で少し癖毛だ。

 おかしいと思ったらクオーターらしい。

 おかげで口うるさいオネェーサンたちの格好のオモチャになっているが、俺としてはずいぶん助かっている。

「最近、高城君はかわいげがなくなってきたからつまんなかったのよね。その点、堀君は初々しいしからかいがいがあって楽しいわ!」

 と、彼女たちにハートマーク付きで騒がれていた。

 新たな伝票に手を伸ばしたとき、俺の背後からその堀が恐る恐る声を掛けてきた。

「あの……先輩」

 堀が何をいいたいのかわかっていたが、俺はわざと振り向かずに返事だけ返した。

「なんだ?」

「その……忙しいのにすみません。ちょっと……見て貰えますか?」

「なにを?」

「コンピューターが変なんです」

「あぁ?」

 思いっきり不服そうな顔で堀を見ると、彼は今にも泣きそうな顔をしている。

 口うるさいオネェーサンたちはそんな彼を、「可愛い兎ちゃん」と影で呼んでいるが、心配げにおどおどした様子で俺を見る姿は本当に兎にそっくりだった。

 この俺でさえ、思わず守ってやりたくなるほどに……。

 だけど、ここで甘い顔をみせたのでは堀のためにならない。

 こいつだってそう思っているに違いない。

 俺とよく似ているせいか、彼の気持ちがなんとなくわかる。

 いくら見かけは男っぽくないとはいえ、一人前の男として扱って欲しいはずだ。

 そんな俺に堀は、教育係というよりは大学のサークルの先輩のように懐いてくれていた。

「おまえ、なにをしたんだよ?」

「……してません」

「馬鹿いうな。何もしないでコンピュータがおかしくなるか?」

「でも、先輩。本当です。僕は発注状況を確認していただけなんです」

「それだけで、シャットアウトするわけがないだろうが」

 俺は堀だけに聞こえるように、小声で喚いて立ち上がった。

 メインサーバーの前へ行くと、予想通り、メインサーバーは再起動を掛けていた。

 こうなった場合、メインサーバーが再び立ち上がるまでに数分間の時間を要する。

 その間はすべての作業がストップする。

 ようするに受注も発注もできなくなり、春日支店だけでなく他の支店へも影響を与えてしまう。

 だからこそメインサーバーの扱いには注意をしなければならない。

 それは課長から口を酸っぱくしていわれていることだった。

 だが、かくいう俺もそれを何度もやって来ていた。

 そのたびに課長から大目玉を食らったのだけど、それを堀に言うわけにはいかない。

 安心して何度もシャットアウトさせてくれたらたまったものではないからだ。

 だから俺はメインサーバーの前に座ると、思いっきり弱った顔をして見せた。

「おまえなぁ……どうするんだよ、これ」

「……」

 堀はどうしてよいかわからないという顔で立ちつくしている。

「俺はちゃんと注意をしたよな」

「はい」

「なにを聞いていたんだ?」

「いえ……あの、僕は」

「言い訳をするな」

「先輩……」

 俺がぴしゃりと言い放つと堀は押し黙る。

(しょうがないな……)

「この次やったらセーラ服を着て仕事をさせるからな」

「そんな!」

「声がでかい」

「あ……!」

 俺が慌てて注意をすると堀は焦って小声になった。

「それはちょっと……勘弁してくださいよ」

「ばーか。次はないぞ。わかったな」

 俺はわざと堀を脅して、再起動したメインサーパーに向かったのだった。

 俺も入社した手の頃はよくやったものだ。

 そのたびに課長から怒鳴られ、先輩から嘆かれた。

 そんな俺が教育係をするなんてなんだか恥ずかしい。

 堀を見ていると昔の自分を思い出す。

(あの頃は若かったなぁ……)

 なんて爺臭い気分になったりしていた。

 仕事も恋も一生懸命だった。

 それがよかったのか悪かったのか答えはわからない。

 だけど俺の傍には水瀬がいてくれる。会社では頼りにされている自分が居る。

 後は家族だが……。それを望むのは贅沢だと思う。

 俺は幸せだ。これ以上、望んだら罰があたる。

(頑張ろう……)

 俺はあらためて自分にそう誓うと、システムの復旧作業を開始したのだった。


第二話へ続く

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