ただ見てただけ
ひよこ1号
ただ見てただけ
ミロスラーヴァ王女は、聖女でありながら、マイア王国の第一継承権を持っていた。
何の取り柄も特色もない土地、小国でありながらも存続していたのは聖女が持つ魔力のお陰だ。
マイア王国を中心に5つの国がひしめき合う大陸で、どの国よりも国土は小さい。
だが、自然豊かで、作物の実りも良く災害も無い。
非常に暮らしやすい土地ばかりだった。
過去にも少なくない数、他国からの侵略を受けそうになるも、その度に女神の罰が侵略しようとした国に降り注ぎ、難を逃れている。
故に、マイア王国に対しては、どの国も不可侵とする盟約を交わしていた。
逆にマイア王国も、どの国の争いにも加担せず、政略結婚も続けては行わないと約束していたのだ。
それでも、時が経てば人々の記憶は薄れていく。
女神に愛された聖なるマイア王国。
その名だけが一人歩きして、聖女は形骸化していると思われ始めていた。
第一王女であり、次期女王でもあるミロスラーヴァには三人の王配が用意されていた。
オクチャ帝国の、アリヴィアンは筋骨逞しい武人らしい皇子だ。
気性も荒いが、竹を割ったような性格で、5年も前からマイア王国で暮らしている。
ニーカ王国のガヴリールは、対照的に中性的な美貌の持ち主だ。
穏やかで人見知りな所のある彼は、楽器を嗜んでいてよくミロスラーヴァの為にも奏でてくれていた。
ガラク公国のジェミヤンは、魔法使いだ。
元々王配となるべく王国に滞在していたのではなく、女神の力や聖女の力を観察する研究の為に来ていた。
その三人を従えて、可愛らしい妹姫のナターリャが神殿へとやってきた。
現在王と王妃は、オクチャ帝国へと外遊に出ている。
国の事は宰相のオルマディンに任されているので、ミロスラーヴァは自身の執務が終わればいつも通り神殿で祈りを捧げていた。
「ミロスラーヴァ、お前を見損なったぞ」
開口一番、アリヴィアンが大きな怒号を飛ばす。
びりびりと空気を震わせるような声に、神殿内の人々は震えあがった。
「何の事でしょう」
「ナターリャ姫から聞きましたよ。彼女を酷く虐めていたそうじゃないか」
冷たい眼を向けるのはジェミヤン。
だが、ミロスラーヴァには勿論覚えはなかった。
だいたい、何時そんな時間があるというのか。
「身に覚えがございませんし、そんな無駄な時間もございません」
「酷いわ!お姉様!」
待っていたかのようにナターリャが金切り声を上げて、泣き始める。
ガブリールも困ったように眉を下げた。
「全てを信じる訳じゃないけど、……今の言い方は冷たいと思うよ」
「……それで、三人雁首揃えて抗議に訪れたのですか?王配の地位を捨てたいのでしたらどうぞ。お止め致しませんわ」
ぎくり、と三人の肩が揺れ、違うわ!とナターリャが胸を張った。
「三人は王配として居てもらいます!本当の聖女、次期女王のわたくしと結婚するのですから」
まばゆい金色の髪に、美しい空色の瞳の庇護欲をそそる様な可憐な可愛らしさを持つ王女。
次期女王として何もかも詰め込まれ、息もつけずにいたミロスラーヴァとは大違いで、愛され自由に生きてきた少女。
それでも、全てが欲しいのね。
「分かったわ。それでわたくしはどうなるのかしら?処刑?わたくしが祈りを捧げなければ、大変なことになるけれど……大丈夫かしら」
祈った事もない妹姫を見て、ミロスラーヴァは愉しそうに微笑んだ。
だが、横からジェミヤンが口を出す。
「その祈りだって、ナターリャの功績を君が奪ったというではないか」
「貴方が真面目に研究をなさっていた頃、一度でもナターリャは神殿に訪れていまして?」
最近ずっと神殿で会わなかったのは、ナターリャと逢瀬を重ねていたからだろう。
ジェミヤンの顔が怒りと羞恥で真っ赤に染まる。
「それは、君が大聖堂で聖女の振りをする間、町はずれの教会でナターリャは祈りを捧げていたからだ!」
「……ふふ、それはまあ……ふふふ」
確認の仕様がない事を言われてしまえば、確かめようもない。
馬鹿らしくなったミロスラーヴァは思わず笑った。
「それで、どう致しますの?陛下達がいない間に折角反乱を起こすのですもの。わたくしの処遇を早く決めないといけないのではなくて?」
「北の塔へ幽閉致します!」
キッと可愛らしく睨みつつ、ナターリャは宣言した。
追放しても死んでも、聖女がいなくなると困ると分かる程度には小賢しい妹に、ミロスラーヴァはため息を吐く。
「宜しくてよ。参りましょう。でも、覚えておいてね?わたくしは二度と祈りは捧げないわ。たとえ、お前達がどんなに苦しもうとも、死のうともよ」
まるで悪女が吐く呪いの言葉の様に、ミロスラーヴァの紅い唇から冷たい言葉が齎された。
四人は、正確には周囲に居た人々も皆、その言葉に言い様の無い不安を覚えたが、誰も彼女の歩みを止める事は出来なかったのである。
用意された騎士と、罪人用の護送馬車に乗せられて北の塔へと向かう。
王城の敷地の外れにある北の塔は、特殊な魔術を施された塔だ。
見た目は古めかしいが、その魔術は今でも生きている。
誰かが中に入るのは問題ないが、入った後は外と中の人間双方の合意と魔力がないと扉が開かれない。
破壊も出来ず、鍵もなく。
半永久的に捕らえておくには良い場所なのだ。
中に入れるのは常に一人。
その代わり中にいる人間には食料も水も必要がない。
たいていの場合は気を病んで塔から飛び降りて死ぬという、いわくつきの幽閉塔。
ミロスラーヴァは馬車から降りると、振り返りもせずにさっさと塔に入ってしまった。
遅れて到着した四人は、その背中を見る事すら出来なかったのである。
最初に訪れたのは事態を知った宰相のオルマディンだった。
「茶番に付き合う必要はございません。出ていらして下さい」
「四人が謝罪するなら考えるわ。また同じことがあったら面倒だもの」
何度来ようともミロスラーヴァの答えは変わらない。
塔の中は快適だった。
空腹も喉の渇きもなく、持て余すのは時間と、そして退屈くらいだ。
早目に公務を切り上げて帰ってきた国王と王妃は、勝手な事をした王配候補達と妹姫のナターリャを叱り飛ばした。
だが、泣きながら訴えるナターリャの悲痛な叫びに、暫く好きにさせる事を選んだ。
聖女として祈りを捧げるという責務は、言葉にした以上ナターリャにも避けられないものとなったが。
しかし、暫くの間何も起こらなかったから、周囲も安心し始めた頃、異変が現れた。
最初の一か月で水源の一つが枯渇したのだ。
王都の水を支える水源の枯渇で、王都中の井戸が枯れ始めた。
近くを流れる川の水の量も激減しており、喉を潤す酒や果実の価格が高騰し、庶民の生活が急激に圧迫される。
当然民からの不満は王家への反発として現れた。
正当なる第一王女である聖女を幽閉した、偽の聖女である第二王女の祈りでは事態が悪化するばかりだからだ。
慌てた国王と王妃が、塔へと訪れるがミロスラーヴァの返事は無かった。
名を呼ぼうとも、怒ろうと嘆こうと返事は無い。
最初に訪れたオルマディンが、元凶の四人に謝罪をさせるようにと奏上し、渋々と四人が塔へと使わされた。
「あー何だ、俺達も悪かったよ。ナターリャが聖女だというから、信じたんだ」
「だって、聖女はわたくしだもの……」
「だったら何で雨が降らねーんだよ!」
アリヴィアンとナターリャが言い合いを始める。
実際に雨は降っていないし、湧き出ていた水もぴたりと止まっているのだ。
これからもっと水不足は進んでいく。
「お姉様!呪いをかけているのでしょう!わたくしが聖女なのは間違いないもの!呪いをかけるのをやめてください!」
ナターリャが自己保身をしつつ、そう要求する。
だが、シン……と静まり返った塔からは何の返事もない。
「もしかして、中で亡くなっているのでは……」
ガブリールの言葉にジェミヤンが首を左右に振る。
「いや、中に人がいなければ扉は開くはずだ。それに、彼女は言っていたじゃないか。二度と祈りは捧げないと。遠くない未来、この国は亡ぶだろうさ」
他人事のようなその言葉に顔色を失くしたのはナターリャだった。
せっかく素敵な王配達を手に入れても、女王の座を手に入れても、滅んでしまったら意味が無い。
昔から、ナターリャの我儘を聞いてくれなかったのが唯一ミロスラーヴァだった。
今も。
聖女の力を使ってさえくれなくなってしまった。
「もういいわよ!お姉様に全部返せばいいんでしょう!王配も、聖女も、女王の座も返すから、さっさと祈りなさいよ!」
ナターリャが髪を振り乱しながら叫ぶが、返事は無い。
静まり返った、古びた塔が目の前にただ在るだけ。
「ミロスラーヴァ、悪かったよ。私も君の言葉をちゃんと聞けば良かった」
ガブリールも謝罪を口にするが、返事は無い。
一度も謝罪の言葉を口にしていないジェミヤンも、アリヴィアンに後ろから蹴られて渋々口にする。
「謝罪すればいいんだろう?騙された僕も悪かった。だから、どうか民の為に祈って欲しい」
だが、返事は無い。
渋々と謝罪しても、意味はなかったのだとオルマディンは嘆息する。
「ミロスラーヴァ様、四人の謝罪を受け入れては貰えませんでしょうか?」
それはそれとして、オルマディンがそう声を張り上げれば。
美しい声が返答した。
「今のは謝罪ではありません。それにわたくしが要求したのはもっと前です。父上も母上も事態を甘く見たのでしょう。もうここへは来なくて結構よ。貴方も国が亡ぶ前に逃げなさい」
それが最後通牒だった。
連日王も王妃も、塔へと足を運ぶが一切の返事は無い。
攻城兵器で塔を壊そうと試みるも、太古の魔術の強固な護りを崩せないまま、無傷。
無駄な事を繰り返している内に、また水源が枯渇した。
川も干上がり、その影響は他国にも及び始める。
マイア国の美しい自然が作り出す作物だけでなく、豊かな水源が、周囲の国にも恵みを齎していたのだ。
「このままでは帝国に滅ぼされてしまう!どうか聖女の祈りを捧げてくれ」
「わたくし達が悪かったわ。きちんとナターリャにも反省させます」
国王と王妃が声を枯れんばかりに懇願しても、返事は無い。
飲み水の無い王都からは、人がどんどんいなくなっていた。
生活どころか、生き延びる事すら難しい環境である。
飲み水に適さない水を飲んで、病気になる者も増え、そこから伝染病も広がった。
王配候補を差し出した国からは、その候補達の処刑を許可する書状も届いた。
寧ろそれで事が収まるならば、是非そうしてほしいという願いすら籠っている。
「な、何で俺達が処刑されなきゃなんねーんだよ!」
「そうだ!騙したのはナターリャなのに!」
アリヴィアンとジェミアンの言葉に、ナターリャも顔を蒼くしている。
「ナターリャも一緒に処刑とする」
「お父様!そんな、あんまりです!祈らないのはお姉様の意地悪なのに!」
「それをさせたお前が悪いのだろう。お前が何もしなければ、今でもずっとこの国も他国も平和で居られた。お前も裕福な王家に嫁いで楽しく暮らせたろうに」
「でも、だって……」
姉の持つものが欲しかった妹は、求めすぎて全てを奪われる結果になったのだ。
塔からも見える位置に、処刑台が建造された。
懇願し、助けを求める声が響くが、塔からは何の返事も無い。
処刑人が口上を述べ、一人一人順番に首が落とされていく。
自分の番が近づく度に脅え乍ら、ナターリャは泣き叫んだ。
「お姉様!助けて!」
それでも、返事はない。
マイア王国の全ての水源が枯れ、その緑も枯れ果てた頃。
他国も徐々にその大地を干上がらせていった。
既に戦争どころではなく、飲み水の争奪戦になっている。
力尽きる人々が増えるにしたがって、その争いもやがて無くなっていく。
魔法使いの作り出す水は少なく、数少ない王族と魔法使いの家族だけが細々と生き残った。
そして、僻地に住む雪に閉ざされた地域では、その氷が恵みの水として喉を潤し、死を免れたのである。
言葉を発しないことが復讐だと言われても、生温いと思う人も多いだろう。
でもミロスラーヴァはそれをする事で、罪の有無に関わらず多くの人を死へと追いやったのだ。
「聖女って何かしら?」
「力を持つ者の意思一つで滅びる世界って何なのかしら?」
「何故そんな冷酷な人間に聖なる力が宿るの?」
「わたくしが何処かで赦せば良かった?」
「それとも全てが間違っていたのかしら」
ミロスラーヴァの呟きは空気に溶けて消える。
全ての罪を許さずに、拒絶し続けたミロスラーヴァの、これが始まりの記憶だった。
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