第五話 走れ、限界まで!
訓練生が集う広場に姿を現した三船さん、補佐役を任された教官主任の鳥山さん、二人の後ろを歩く教官服を着用した四人。彼らは手を後ろで組み、整然と並び訓練生たちを見渡す。
「これより第一斑から第四班まで組分けを行い、二つの練習場に分かれて訓練を開始する。教官役の担当者四名がそれぞれ諸君を各四十五人呼ぶので名前を呼ばれた者は、速やかに指定された教官に従ってもらう、以上!健闘を祈る」
三船さんの簡潔で分かり易い説明が広場に響き渡り、訓練生たちは緊張した面持ちで待機する。教官役の四人が前に進み出て、名簿を手に取り、名前を読み上げ始めた。
「皆さんおはようございます。第四施設教官の佐々木です。以下の名前を呼ばれた者は私の前に移動してください。堀亨、中島晋、大森めぐみ――」
順々に名前が呼ばれる度に訓練生たちは速やかに移動して言わずもがな列を作る。全ての者が呼ばれ終わり、名前の呼ばれた訓練生は引率する教官を追い広場から姿を消す。
「うむ、私の番だな。ふむふむ…」
広い肩幅、軍服の上から分かる鍛え抜かれた筋骨隆々を露わにした身長二メートル近い壮年の男性。獅子のような逞しい髭を生やし、額から左頬へ掛けて刀傷が一条走りいかにも苦難を潜り抜けてきた外見をしている。
視線を巡らせながら、一挙一動を見逃すことなく観察している彼が名簿を開き、名前を読み上げ始める。
「主に生き残る武術を教える教官の猪飼だ!呼ばれたら前に来い。泥を啜ってでも塔を登る芸を叩き込んでやる。加藤美千代、細井健太、香取周平、国奥夢乃――」
獣が笑うかのような笑み、全身から滲み出る貫禄と相まって戦慄を覚えた訓練生が背筋をぴんと伸ばし、颯爽と列を作る。
次に座学担当を務める落葉教官と名乗った二十代半ばの特徴が謙虚な男性が冷静な眼差しで残った者を見渡し、神経を突く穏やかな声で名前を読み上げ始める。
「――佐藤真理子、石黒伸介、河野竜司…以上です」
落葉教官の冷静な口調に訓練生たちは落ち着いた表情を見せながら、速やかに列を作る。彼の静かな威圧感が訓練生たちの緊張を和らげているようだ。
終ぞ名前を呼ばれなかった僕を含む四十数名の前に、更に若い女性教官が立つ。清純で可憐な少女と形容できるほど容姿端麗、黒縁の眼鏡をかけた知的な印象を受ける。肩まで伸ばした黒髪を一本に纏めて前に流している。その佇まいから、いかにも生真面目な性格が滲み出ている。
「おはようございます、皆さん。訓練期間の短い間ですがよろしくお願いします。実技担当の桜木花蓮といいます。何か質問があったら教えてね?」
透き通った声質、残された訓練生の男子達のざわめきだした。まるで初めて遊園地に来た修学旅行の生徒のように興奮している様子を冷めた視線で見つめる女子の光景が出来上がる。
「一緒に騒がなくていいの…新田君?」
「朝比奈さん、僕は特に…。まぁ確かに美人な大人って感じだけど、個人的に朝比奈さんの方が好みだよ?」
最後列手前に並んだ僕の肩ににゅっと手が置かれ、耳元で囁く朝比奈さんに率直な感想を伝える。思わぬ返しに彼女は少し頬を紅潮させて僕から距離を取った。照れたみたいに顔を背ける反応に思わず笑ってしまう。
「もう」と頬を膨らませて僕の脇腹を熱心に突く朝比奈さんを宥めつつ教官の後ろをついていく。
思春期真っ只中の男たちが絶世の女性教官と距離を縮めようと躍起になる中、周囲にいる女子たちは初心丸出しで落ち着きのない男子らを怪訝そうな視線で射貫くように見つめている。
「そういや、男性の寮どんな感じだったの?全寮制に通うの初めてだし男女毎の部屋に違いかあるか興味あって」
列に並んで前を歩く朝比奈さんが僕に質問する。僕は少し考えてから、答えた。
「う~ん女子寮の構図を見てないからどうだろ…外見を見比べる限り、大きな違いは無いと思う。朝比奈さんの同居人は良い人そう?」
「うん!みんな優しいし、すぐに打ち解けられたよ。同室の子は凄く面倒見が良くて、その子から積極的に話しかけてくれたの!他の女子は一刻も早く強くなろうって元気全開。そっちは?」
楽しそうに答える朝比奈さんに、寮内の光景を振り返りながらありのままを語る。
「同室の三人は…個性豊かで少し変わってる箇所もあるけど、本気で塔に挑む覚悟は持ってるよ。他の人は、特性検査を合格した記念に入塔許可証を得よう。って態度を覚えたかも」
共有空間で感じ取った雰囲気を言葉に言い表しながら伝えれば、「へぇ」と面白そうな表情でこちらを見つめる彼女。
「ところで、今日の訓練ってどんな感じなんだろうね?」
そんな話をしながら、僕たちは練習場に向かって歩き続ける。
「さあ、冊子を確認しても詳しいことは書かれてなかったけど、きっと基礎体力作りから始まるんじゃないかな?本格的な訓練とか学校で習わないし」
「そうだね、やっぱ最初は体力をつけないとね」
練習場に到着すると、広々とした空間が広がっていた。地面はしっかりと整備され、訓練に適した環境が整っている。周囲には訓練器具や障害物が配置されており、ここで様々な訓練が行われることが一目で分かる。
桜木教官は全員が揃うのを確認すると、優しい口調で説明を始めた。――肝心の内容は驚くほど優しくなかったが。
「塔で生き残る強さの元は強靭な体力から始まるの。走って、走って、心肺持久力をつけて、筋持久力を鍛えます。訓練に必要な柔軟性も欠かせません。だから…まずは皆さん軽い準備運動を行い、走ってもらいます。簡単でしょう?」
桜木教官の言葉に、訓練生たちは緊張しながらも気合を入れて準備を整える。僕もその一人として、心と体を整えるために深呼吸をした。すると、一人が手を上げて教官に質問する。
「質問があります教官。今から走ると仰りましたが何周走ればいいのですか?」
口をここ一番にニンマリとさせながら、無心の目で質問した訓練生を見つめた。周囲の訓練生たちもその答えに注目し、緊張感が広がる。
「何周走るかですって?当然…限界までよ」
「……え?」
重い沈黙が続いた。教官の声は冷静でありながら、背筋が凍るような威圧感があった。その一言に、訓練生たちの間に一瞬の静寂が訪れる。背中に冷たい汗が流れるのを感じる。
「両足の感覚が消えるまで走るの。さあ、無駄話でこれっきり、準備運動を始めましょう」
訓練生たちは戸惑いながらも、言われたとおり準備運動を開始する。心の準備が十分でない状態で始めたので少しぎこちない動きが目立った。
僕は朝比奈さんに目配せして軽く頷き合うと、二人並んで柔軟体操を始めた。
――数分後。
準備運動を終えた僕たちは一列になって並び、桜木教官の指示を待つ。彼女は僕たちの準備が整ったことを確認すると、再び口を開いた。
「はじめ」
訓練開始の合図が切られる…地獄の日々が今、始まったのだ。
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